第49話
幾つもの風の刃が宙を舞い、雷鳴と共に何条もの雷が地に落ちる。炎が荒れ狂う蛇の如く地面をのたうち回ったかと思えば、次の瞬間には世界が銀世界へと変貌する。大地は音を鳴らしながら幾つもの腕を形成し、霊力の籠った雨は礫となって振り注ぐ。
まさに天変地異という言葉が相応しい光景。
壮大なBGMを背にあらゆる自然の驚異がその小さな世界でたった一人の少年に向けて放たれ続ける。
「ハハハッ!!!」
数秒先の未来の無事さえ定かではないその空間の中で標的である少年、ローク・アレアスは普段の彼からは想像できないような笑い声を上げながら宙を駆け抜ける。
ふわりと宙を舞うロークは眼前に浮かぶ岩石を足場として勢いを付けると再び、高く舞い上がる。その直後に雷鳴が轟き、足場にした岩石が稲妻に貫かれて木っ端微塵に砕ける。
まさに危機一髪。
一瞬の油断も隙も許されない極限の集中力が求められるこの状況で、けれどもロークはどこまでも楽しそうに笑っていた。
「はぁッ!」
「くッ!」
跳んだ先に浮かんでいた岩石に足を付けると、そのままの勢いで急降下。ロークは剣に霊力を込めると眼下のケイの結界に向かって思いっきり振り下ろす。
重力によって底上げされた重さ。そして勢い。
三重に展開していた結界の二枚を砕き、苦悶の表情をうかべるケイの身体を結界ごと地面に沈ませる。
「ハッ!!」
衝撃で軋む身体にケイも笑みを浮かべながら荒々しく指揮棒を振るう。すると小人達から激しい爆音が鳴り響き、巨大な音塊となってロークに衝突する。
「『クロッ!』」
音塊をしっかり防御しながらも後方へと吹っ飛ばされたロークはけれども欠片も焦ったような表情を見せず、勢いに任せて宙を舞いながらその名を叫ぶ。するとロークの身体は不意に勢いを失ったかと思うとそのまま何かに運ばれるかのように近くの瓦礫の上に着地する。
「氷牙絶双」
そのロークを着地を狙ってケイが指揮棒を振り上げる。応じて青白く染まった音符が地面へと吸い込まれたかと思えば、ロークの左右からまるで獣の顎の如く鋭くとがった氷牙が襲い掛かる。
けれども氷の牙はロークに直撃する直前で突然何かに押し潰されるようにして砕け散り周囲に霧散してしまう。
氷の結晶がキラキラと舞う中、ロークは静かに剣を横に薙ぐと冷気を散らした。
「フッ、随分と息の合った動きをするじゃないか」
「まぁな、頑張ったし」
ケイのどこか揶揄うような口調の指摘をロークは否定することなく剣精霊を肩に乗せながら当然だと答える。
実際、とても頑張った。
儀式の失敗から暴走させない為に時間を見つけては邪霊とのコミュニケーションを取ろうと試みていたロークはある日、向こうからこっちに対する言葉はまるで分からないが、反応からこっちから向こうへはある程度は言葉が通じていることに気付いた。
そこから何とか意思疎通を図ろうと四苦八苦する日々の末、若干一方通行気味ではあるが何とか邪霊の機嫌を損ねることなく、こうして共に戦えるレベルまでに絆を深めることができた。
邪霊に対するクロという呼称。
これは種族も真名も分からない上に謎の言葉を使う邪霊とコミュニケーションを取るためにロークが邪霊に与えた渾名であった。恐らく程々に気に入ってくれている。
「全く…恐ろしいね」
ケイは苦笑混じりに呟きながら指揮棒を振るい、周囲の結界をより強固に張り直す。
邪霊が現れてから状況は一変した。
こちらが放つ攻撃はその全てが躱され、或いは防がれている。逆に彼の攻撃は防げてこそいるが、防御して尚、身体に大きな負担が掛かっていた。
つまりは押されているということだ。
「重力、それも向きまで変えられるとは。随分と高位の邪霊を捕まえてきたね……」
その大きな原因が邪霊が操る霊術、重力操作だった。
その力でロークの放つ斬撃はその全ての威力が重くなり、移動はより自由に、そして軽やかに。加えて邪霊の霊術による加重圧によって常に結界を張っていなければ、地面に押し付けられたまま動けなくなっていることだろう。
中々に厳しい状況ではあるが、同時にケイはロークの弱点もしっかりと見抜いていた。
————けれど、これだけの霊術行使。長くは持たないだろう?
所詮は簡易契約。
如何にロークの霊力が多かろうと邪霊の霊術行使の為にも自身の霊力を供給する必要がある以上、如何に霊力効率を上げようと限界は遠くない。恐らくはこの勢いで戦い続けるのならば保って数分といったところか?
対するこちらは計七体に及ぶ精霊達との契約によって霊力量、そして霊力効率で圧倒している。攻撃と防御による霊力消費量の方が多いのは間違いないが、それでもロークの方が先に限界が来ることは自明の理だった。
故に今まで通り霊術放ってロークの動きを制限し、防御に対してしっかり意識を向けていれば負けることはまず無い。
つまり、特に何をするまでもなくロークの霊力切れによるケイの勝利は濃厚だった。
「———それは、つまらないな」
好戦的に笑いながらケイはその思考を一蹴する。
それはつまらない、霊力切れなんて二流作家の物語のような幕切れこの戦いに相応しくない。一流のすることでは無い。
「全力の君を全力で叩き潰してこそ、この物語は完結する」
この物語の幕引きに相応しい終わり、結末。
既にロークによってインスピレーションは脳内にて溢れている。故に後はそのイメージを形作り、そして霊力を込めて現実に顕現させるだけだった。
「さぁ、歌い上げろッ!!」
セイレーンが主人から流れ込んでくるイメージを歌に乗せて荒々しく、激しい歌を闘技場に響かせる。同時に小人達もコーラスの如く激しい音を響かせながら無数の音符を生み出していく。
「礼を言うよ、ローク・アレアスッ!君のお陰で僕は過去最高の作品を生み出すことができるッ!!」
「ッ!」
禍々しい霊力を浴びた音符はやがて渦を巻くように闘技場の中心に集まっていき、その形をケイのイメージに沿って整えていく。
「終章、魔王降臨」
そうしてロークの眼前に形成されたのは一体の一対の翼を生やした黒い巨人の上半身……否、闇の霊力によって形成された魔王だった。
「物語の最後の敵は魔王だと相場が決まっているだろう?」
『ォォォオオオオオオッ!!』
膨大な霊力によって形成された魔の王の雄叫びを前にロークは静かに剣を構える。
「……天才め」
ケイの霊術は音によって自身のイメージを現実に生み出す。その能力上、あらゆる属性の霊術を扱うことができるが一方でイメージできなければ霊術を発動できないという欠点もある。
霊力属性の中でも光と闇の二属性に限っては属性こそ同じでも精霊による能力の違いが大きいと言われている。特に闇属性は契約している精霊師がいないこともあり、その力に関しても謎が多い。
故にケイは今の今までどの試合においても闇属性の霊術など一度も扱ってこなかった。いや、扱えなかったのだろう。
けれど、こちらが邪霊を呼び出したことによって遂にイメージすることに成功したようだ。魔王を構成する霊力は擬似的とはいえ、間違いなく闇属性の持つ独特の禍々しさを放っている。
「この土壇場でやるのかよ」
これだけの派手な霊術、加えて闇という慣れない属性ということもあり、消耗も激しいのだろう。眼前で格好付けて笑っているケイの額からは汗が流れていた。
思わずロークは苦笑を浮かべる。
そもそも防御に徹していればこっちの負けは確実だったのに、何故こんな無茶な真似をするのか………いや、考えるまでも無い。
「負けても後悔するなよ」
「生憎、未だ後悔をしたことがなくてね。是非、教えてくれ」
「上等だ。その魔王ごとぶった斬ってやるよッ!」
売り言葉に買い言葉。
ロークはケイの言葉に応じながらありったけの霊力を剣精霊と邪霊に流し込む。後先のことなど気にしない、考えない。
ただ今この瞬間を全身全霊で。
「やれッ!クロッ!!」
ロークの声に応じて邪霊から霊力が放たれ、周囲の瓦礫が宙に舞い上がる。そして邪霊は持ち上げた無数の瓦礫の全てを魔王へと向けて放つ。
放たれた瓦礫は魔王の身体に直撃すると同時にその全てが砕けて粉々に消滅する。
「その程度!王に効く訳がないだろうッ!!」
「ッ!!」
まるで微風のような攻撃をケイは嘲笑しながら指揮棒を振るう。すると同時に魔王はその巨体に似合わない素早い動きで腕を動かし、ロークに殴り掛かった。
「重剣 轟ッ!」
剣精霊から再び響き渡る重低音。
回避が間に合わないと判断したロークは剣先を前に向けて構えを取る。刀身に重力を纏わせると思いっきり地面を踏み込み、迫ってくる黒い拳に向かって全力の突きを放つ。
突きと同時に刀身から放たれた濃密な霊力が砲弾となって向かってくる拳に直撃する。爆音と共に魔王の腕が後ろに弾かれ、次いで互いの禍々しい霊力が衝撃波となって迫ってくる。
「ぐッ!」
「いいねぇッ!!」
咄嗟に両腕で顔を覆って衝撃を耐えるが安堵している暇は無い。
既に態勢を立て直している魔王はもう片方の腕を天高く振り上げ、そのまま鈍器の如くこちら目掛けて振り下ろしていた。
「クロッ!」
『〇@▽×ッ!!』
流れてくる相変わらず意味不明な言葉。
けれどもこちらの意図を察しているであろう言葉を耳にしたロークは同時に足に力を込めて跳躍、一瞬にしてその場から姿を消す。
「何ッ!?」
瞬間移動かと錯覚する程の速さに驚くケイが霊力探知でロークの行方を追えば、彼の姿は初撃の時点で既に上空へと退避していた邪霊の背の上にあった。
「なるほど」
どうやらあの高速移動はローク自身の速度だけでは無く、邪霊が自身を起点として霊術で重力操作してロークを引き寄せることで再現できる移動速度のようだ。
ケイはその事実を称賛する。
まさかここまで完璧に邪霊を従えているとは………と。
が、勝敗は別だ。
「けれど、逃げ足が速いだけでは勝てないよッ!」
ケイが叫びながら指揮棒を振り上げるとその動きに応じて魔王もぐるりと身体を回しながらローク達を目掛けてアッパーを放つ。
「誰が逃げるだけだって!?」
風を切り裂きながら登ってくる拳にロークは邪霊の背から飛び立つと向かってくる拳をスレスレで躱し、柄を両手で持つと魔王の手首に向かって横薙ぎに振るう。刃は魔王の手首に食い込み、そのまま霊力で構成された手首を斬り裂く。
霧散する霊力、この一撃に手応えを感じて僅かにできたロークの心の隙を突くように魔王は先端の消えた腕を薙いでロークにぶつける。
「ガッ!?」
防御が遅れ、勢いよく弾き飛ばされるロークはそのまま壁に衝突する直前で邪霊の霊術によりサポートによって受け身を取ることに成功する。
「………くッ」
「姿形のせいで勘違いしてしまったかも知れないけど、この魔王は所詮は霊力の塊。幾らダメージを与えようと怯むことは無いし、損傷に関してもこの通り」
解説するケイが指揮棒を振るえば魔王の腕は斬った断面から腕が生えるかの如く伸び、数十秒もすれば完全に元通りになった。
「さぁ、君に越えられるかな?」
「トラルウス、お前なら知ってるだろ」
どれだけ斬ろうと再生する魔王。
そしてケイを守る複数の強固な結界。
まさに絶対絶命な状況を前に、普段ならば弱音を吐くであろう状況でロークは心からの言葉を口にする。
「物語の魔王はいつだって英雄に倒されるものだぜ?」
「確かに。けれど、それは喜劇の話さ。残念ながらこの物語は———」
トラルウスがゆっくりと指揮棒を頭上に掲げ、そして勢いよく振り下ろした。
「悲劇だ」
魔王から放たれた闇を前にロークも素早く応じて剣を振るい、闇を放つ。
互いの闇が火花を散らして衝突する。
二人の激闘、この物語の終わりは確実に近付いていた。
クロとロークのコミュニケーションの一幕。
「よし、とりあえず呼名を考えよう」
『◎△$♪×¥?』
「何言ってか分からないけど、決めるからね?いいね?」
『●&%#!』
「よし、それじゃいいと思ったらこの石ころを上げるんだ。しっかり上げんだぞ?」
『◇#△!』
「よし、じゃあ考えたのを言ってくぞ。スティングレイ」
『………』
「グラビス」
『………』
「カヴァス4世」
『………』
「全然反応しないやん。本当に聞いてる?えーと…じゃあ、クロ?」
『………』
「え、浮いた。これで良いの?」
こうして呼名がクロに決定した。




