第44話
ユートレア学院には早くも前期の終わりが近付き、各講義が成績を決める為に試験やレポートを課されて多くの学生が苦しむ時期が今年も訪れようとしていた。
けれども今年は多くの学生が試験を前にしているというのに例年のような陰鬱な雰囲気は無く、寧ろ普段よりも活気が満ちていた。
その理由は本来ならば終了している筈の学位戦の終了時期がズレ、試験期間を前にして前期の最後の学位戦の対戦表が発表されたことに由来している。試験期間は学業に集中するべきという学院の方針で一時的に学位戦は中断されているが、学院内の話題は試験よりも最終日に行われる学年2位ローク・アレアスと学年3位ケイ・トラルウスの試合に関する話が圧倒的に多くなっていた。
「なぁ、次の学位戦ってさ」
「ああ、見た見たアレアスとトラルウスだろ!」
「どっちが勝つかな?」
「えー、でもトラルウス君って一度アレアス君に負けてるんでしょ?」
「それトラルウスがサボってアレアスが不戦勝で勝った話でしょ」
学院の至るところから聞こえてくる二人の名前にロークの友人であるガレスは苦笑を浮かべながら渦中の人物の一人であるロークへと視線を向ける。
「………で、君は何やってるの?」
「祈祷」
ガレスの視界に映ったのは食堂で普段は絶対に持ち歩かない十字架を手に持ち、祈りを捧げるロークの姿があった。
「君、どこか宗教に入ってたっけ?」
「いや、どこにも」
「じゃあ誰に祈ってるの………」
「知らん」
コイツ、ヤケクソになってるなと思いながらガレスはカップを傾けて中身の紅茶を流し込む。
「はい、ローク。ハーブティー」
「ありがとう、リリー」
するとハーブティーの入ったカップを運んできたリリーが祈りを捧げるロークの前にそっと置く。ロークはリリーに礼を述べて祈祷を終わらせるとハーブティーをゆっくりと喉に流し込んでいく。
「はぁ…沁みるぜ」
「大丈夫かい?」
「これが大丈夫に見えるか?」
「見えないね。ごめん」
ハーブティーを飲んで少しだけ精神が安定したのかロークの表情が先程よりも穏やかになっているようにガレスには見えた。見えただけかも知れないが。
「ところでロークは何を祈ってたの?」
「トラルウスが学位戦に今回も来ないようにって」
「おい」
思わずガレスが突っ込みを入れるが、ロークはどこ吹く風と言った様子でカップを傾ける。今いる場所は食堂、周囲の目もあるというのになんて発言をするのか。
「いや無理だって。絶対勝てないよ」
「いつに無く弱気だね」
仮にも対戦相手よりも順位が上の男とは思えない発言だが、相手が相手なので気持ちが分からなくも無い。ましてロークの事情を知っているガレスからすれば尚更だ。
「あー、ガレス。俺の代わりに戦ってよ」
「選ばれてれば寧ろ戦いたいくらいだけどね。僕は」
「嘘だろ、マゾなのかお前」
「失礼な」
テーブルに突っ伏して代わりを懇願するロークにガレスは呆れ混じりに答える。才能だけで言えばミーシャをも抑えて学年一とも噂されているケイ・トラルウス、自分の力が彼にどこまで通じるのかガレスは以前から一度は試してみたいと思っていた。
「ロークは戦いたくないの?」
「無いよ。逆にリリーはもう一回、トラルウスと戦いたいか?」
「全く」
リリーの即答にだろうなとロークは頷く。誰だってあんな奴と試合なんかしたくない。
「けどロークとトラルウスの戦いは見たい」
「やめて」
「寧ろみんな楽しみにしてるよ」
「あ〜知らん知らん。私は何も知りません」
リリーからの予想外の裏切りに悲鳴を漏らし、ガレスからの追撃を受けたロークは何も聞きたくないと言わんばかりに耳を塞ぐ。
「あ~いやだぁ………誰かぁ………助けてぇ……」
「切実だね」
どうやら周囲からの期待とプレッシャーによってロークは情緒不安定になっているようだ。学位戦前はいつも濃い負のオーラを纏っているが、今回はより濃い気がした。
「あ〜」
「よしよし」
「そんなに絶望的かい?」
リリーに小さな手で頭を撫でられている弱々しいロークの姿を眺めながらガレスは尋ねる。普段ならば文句を言うにしても色々と勝つ為の作戦を練っているが、今回はそれすらやろうとしない。
「当たり前だろ。そもそもアイツ何体の精霊と契約してると思ってるんだ?七体だぞ、七体。化物だぞ」
「まぁ、それは確かに……」
「チート」
ロークの言葉に二人は頷く。
複数契約をしている精霊師は決して多くは無い。
というのも精霊師自身のキャパシティや精霊同士の相性、霊力操作など単体契約に比べて難易度が跳ね上がる為だ。それこそ場合によっては複数契約により逆に弱体化してしまうこともある為、一概に複数契約することが良いこととは限らない。
故に多くの精霊師は複数体との精霊師契約を避けるし、仮に契約をしても二体、若しくは三体が限度といったところだが、そんな中で例外的に七体もの精霊と契約を結んで当たり前のように使役しているのがトラルウスという男だ。
まさに一体も精霊と契約できていないロークとは対極の位置にいる相手と言えるだろう。
「ロークの契約精霊じゃ対抗できないの?」
「…………」
「…………」
あまりにも純粋なリリーの質問にロークと事情を知るガレスは真顔になる。
そんなのいねぇよ。
ふとガレスはロークのそんな言葉を聞いた気がした。
「………?」
突然、真顔で黙り込む二人の反応に何も事情を知らないリリーは不思議そうに首を傾げる。
「どうしたの?」
「……………」
「ど、どうやらロークは喉が渇いてるみたいだね」
リリーの質問に答えずに無言でカップを傾け、ハーブティーを飲み干すロークを見てガレスが気まずげにフォローを入れる。
「そうなの?また買ってこようか?」
「そうしてくれ、代金は僕が出すから」
「分かった」
コクリと首を縦に振り、ハーブティーを買いに席を立つリリーを見送ったガレスはロークへと視線を移す。そこには案の定と言うべきか、机に突っ伏して動かなくなっているロークの姿があった。
「大丈夫?」
「………」
どうやら先程の言葉が堪えているのか、ロークは突っ伏したまま何も答えない。果たして今の彼の胸中にはどんな感情が渦巻いているのか……。
「あら、そこで突っ伏してるのは学院の人気者かしら?」
「セリア」
背後から聞こえてきた揶揄うような声音にガレスが振り返ると楽しそうな笑みを浮かべるセリアの姿があった。ロークは相変わらず返事をしないが僅かに身体が反応した辺り、ちゃんと声は聞こえているようだ。
「で、ロークくんはどうしたの?」
「流石に相手が相手だからね、色々と気に病んでるんだよ」
「あら、思ったより追い詰められてるのね」
ガレスの説明にセリアは意外そうな表情を浮かべながら改めてロークへと視線を向ける。実際のところは契約精霊がいない事実に打ち拉がれているだけの気もしなくは無いが……。
「彼のことだから嫌だ嫌だ言いながらもいつも通りあれこれ考えてるものだと思ったわ」
「どうやら今回はそうもいかないらしい」
「ま、そうよね。そう簡単に攻略できる相手じゃないわ」
学年三位ケイ・トラルウス。
その戦績を確認すると相応の黒星が付いているが、実際はその全てが不戦敗。つまり参加した学位戦は全て勝利しており、実質的には無敗と呼べる戦績を誇っている。
噂の中には真面目に学位戦に参加していればロークやミーシャよりも強いのではないかという話まである程だ。
「君は今回の試合をどう思ってるんだい?」
「そうね、純粋に楽しみにしてるわよ。どうやら聞くところによると今回は前と違ってトラルウスくんもやる気みたいだし」
「へぇ、珍しい」
セリアに相槌を打ちながらチラリと突っ伏しているロークに視線を向ける。心の無しか漂う雰囲気が重苦しくなっているような気がした。
「学年二位と三位。ミーシャ様との試合並みに盛り上がるだろうね」
「既に…よ。噂じゃ裏でどっちが勝つか賭けまでされてるらしいわ」
「それはそれは……」
大した盛り上がりだとガレスは苦笑を浮かべる。とても試験期間とは思えない活気を放っている。
「貴方はどっちが勝つと思う?」
「どうだろうね、一概には言えないな」
「ちなみに私はトラルウスくんだと思ってるわ」
「へぇ、何故?」
「恐らくロークくんは今回も実力を出し切らないからよ。恐らく契約精霊を隠すでしょうね」
そんなもの存在しないんだけどなと思いながらもガレスは「なるほど」と頷く。
「ロークくんが契約精霊を出せば勝敗は読めないけど、仮に出さないとしたらトラルウスの勝利は硬いというのが私の意見ね。まぁ、大体の子がロークくんが契約精霊を出すか否かに重点を置いてると思うけど」
つまりロークの敗色は濃厚と言うのが皆の意見らしい。当然と言えば当然だろう。
「僕はロークに一票かな」
「つまり契約精霊を出すことに一票ってことかしら?」
「いや」
チラリとロークに視線を向ければハーブティーのおかわりを持ってきたらしいリリーがロークの身体を揺すっている。
「ただの勘だよ」
「あら、根拠も無しなんて貴方らしく無い理由ね」
「確かに、そうかもね。けどさ、面白いと思わないか?」
「何が?」
首を傾げるセリアにガレスは笑みを浮かべながら言う。
「もし契約精霊も呼ばずにロークがトラルウスに勝ったら」
「………」
その言葉にセリアは驚いた表情を見せるが、次の瞬間にはガレスと同じように楽しそうに笑う。
「そうね。仮にそれで勝てるなら是非見てみたいわ、私の戦略の参考にもできそうだしね」
「だろう?」
そう言って二人が笑っているとテーブルに突っ伏していたロークがむくりと起き上がるとリリーが運んできた二杯目のハーブティーを受け取り、そのまま勢いよく喉に流し込む。
「おー、いい飲みっぷり」
「ふぅ。リリー、ありがとう」
サムズアップをするリリーの頭を撫でながらロークはゆっくりと立ち上がる。するとそんなロークに気付いたセリアが声を掛ける。
「ロークくん。おはよう。」
「ああ、おはよう」
ロークはセリアへの挨拶もそこそこに空になったカップを手に取ると返却口へと向かって歩き出した。
「ガレス、次の講義サボるからよろしく」
「えっ、次ってテストじゃなかったっけ?」
「いいよ、単位の一つぐらい」
普段ならば単位を捨てるような行為など絶対にしないロークがテストをサボるとはとガレスが驚きながらその背を見送っていると「ああ、それと」と言い忘れてたと言わんばかりの様子で振り返る。
「セリア」
「何?」
「どこでやってるかは知らないけど、さっき言ってた賭けの話、後で今月のバイト分渡すから俺の方にベットしといてくれ」
最後にそう言い切るとロークは空のカップを返却して食堂から去って行った。
「ローク、やる気出したね」
「………そうだね」
一体どんな心境の変化があったのか。
というか苦学生なのに今月分のバイト代を全部使って良いのだろうか。
「………私もロークくんにベットしようかしら?」
半ば唖然としながら見送っていたセリアがボソリと呟いたのだった。




