第43話
「くそッ!」
視界を遮る濃霧を前にリンダは思わず顔を歪める。
先程まで眼前に居たはずのミノタウロスは既にその姿を濃霧に阻まれて確認することはできない。加えてこの濃霧には霊力が込められている為、霊力による索敵を行うこともできない。
文字通り、リンダはリリー達の姿を見失ったのだ。
「ッ!」
突如として背筋に走る悪寒。
リンダが態勢を低くした直後、先程まで頭があった位置を戦斧が風切り音と共に通り過ぎる。
すぐさま距離を取って背後を振り返るが、既にそこに敵の姿は無く視界に映るのは濃霧だけだった。
マズいとリンダは内心で焦る。
闘技場をこの濃霧で覆われた時点で形勢は既にリリーへと傾いている。
リンダはその戦闘スタイルから脳筋精霊師なんて渾名を付けれているが、決して彼女は馬鹿では無いし何なら賢い方だと言える。事実この試合にしても戦闘を楽しむような言動をしながらも常に思考は回していた。
そもそもリンダは戦闘開始時からこの状況を回避する為にリリーにガーゴイルをぶつけて分断し、仮に蜃を呼び出そうものならば霧を吐き出す前にガーゴイルで撃破するべく思考を巡らせていた。けれども、そこは学院きっての秀才と言うべきか見事に目算を外された。
こちらに気付かれないように蜃の召還、そして地中に隠れてこの闘技場を覆える程の霊力を溜めてることで即座に霧を展開、そして分断作戦を逆に利用されている。
契約による繋がりのある筈のガーゴイルの位置ですら、この濃霧の中では大雑把にしか把握をすることができない。早急に何か対策を取る必要があるが………。
「ぐッ!!」
リンダの思考を妨げるように霧の向こう側から一条の雷が彼女に向かって放たれる。素早く手甲を纏った腕で雷撃を受け止めたリンダは霊術を放ったであろうリリーへと向かって素早く駆け出す。
けれども駆ける彼女の視界に現れたのは小柄な少女とはかけ離れた巨人を彷彿とさせる大柄な影だった。影はゆっくりと角を突き出した突撃態勢を構えるとバチリと雷を纏い、地面を蹴った。地面を砕きながら勢いよく迫って来たミノタウロスに対して回避が間に合わないと判断したリンダは咄嗟に地面に手を
突いて、眼前に壁を形成しようと試みる。
無論、咄嗟に出した壁の一枚程度、ミノタウロスならば難なく砕くだろうがそれでも多少は勢いを弱められる筈だ。けれどもリンダの目論見はまたも予想もしない形で覆される。
「ゴォッ!」
「グォ!?」
突進するミノタウロスの横合いから姿を現した青い輝くを放つ怪物、エンシェントガーゴイルがその牛頭に向かって鈍器をぶつける。流石の屈強なミノタウロスも不意討ちには耐えられるず、態勢を崩して霧の中へと転がっていく。
「ガーゴイルッ!そのままミノタウロスを抑えてッ!」
ガーゴイルは返事の代わりに倒れたミノタウロスへ新たに生成した武器を手にして追撃を仕掛ける。偶然ではあったがこれでミノタウロスをガーゴイルが抑えてくれる為、自分はリリーに集中することができる。
後は如何にしてこの視界を濃霧に阻まれた状態でリリーを見つけて倒すかがリンダの問題だった。
「……………」
脳裏を過るのはかつてこの状況に追い込まれながら尚もリリーから勝利を奪い取った者達の姿。
そしてその中でも特に鮮烈にリンダの脳裏に刻まれているのは霧の中を駆け抜けていた一人の少年、当時はまるで注目されていなかった学生であるローク・アレアスの姿だった。
*****
「…………ミノタウロスを抑えられた」
濃霧の中でボソリとリリーは呟く。
視界はリンダ同様に霧に遮られて数メートル先すら碌に視認することは叶わない。けれどもこの霧の迷宮を生み出した蜃の主であるリリーのはその霧に包まれた内側の様子を正確に把握していた。
故にこの視界の中でもリリーは明確にリンダを捉えて霊術を放つことができるし、ミノタウロスに指示を出して奇襲を仕掛けることもできる。逆に相手は契約精霊の位置すら把握できなくなる為、二対一の状況を生み出すことができる。
これにより相手の契約精霊を無視して精霊師をリリーとミノタウロスの二人掛かりで叩くのが彼女の必勝パターンなのだが、エンシェントガーゴイルには霧の妨害の効きが弱いのか上手く合流された上にミノタウロスを抑えられてしまった。
「………」
けれどリリーは焦ることなく脳内で作戦の修正を行う。
驚きはしたが、ミノタウロスを抑えられるのは想定の範囲内ではある。作戦に失敗は付きものだ、大切なのは無理矢理作戦通りに行うことでは無く、如何に作戦を現状に合わせて修正していくかだ。
作戦を練り直したリリーは濃霧の際、数百メートル先で棒立ち状態になっているリンダに向けて指先を向ける。バチリと指先に雷が走り次の瞬間、指先から三条の稲妻が大きく弧を描きながらリンダへと向かって霧の中を突き進んでいく。
現状、リンダは自身の位置を霊力探知で把握することはできない。唯一の方法として放たれた霊術がどこから放たれたかを把握して位置を探ることだろう。
けれどもそんなことはリリーも承知済みだ。
故にリリーは霊術を同時に三方向からリンダを襲うようにタイミングを計算して放ち、更に彼女の思考を乱そうと試みる。
そしてリンダが冷静さを失ったが最後、大技を放って彼女を仕留める。今はその為に少しずつ彼女を削るべく一撃方に位置を細かく変えながら霊術を放っていく。
当たった感触的に未だ大きな打撃は与えられていないようだが、構わない。霧を展開しているとはいえ、二体の精霊と契約しているこちらの方が霊力の総量は多い。
焦らずじっくりと仕留めようとまた霊術を放ったリリーは移動をしようとして気付く。
「これは……?」
霧の帳に包まれてこちらの位置どころか前後左右さえも分からなくなっている筈の状況で突然、リンダが動き出した。それも猛スピードで一直線にリリーへと向かって。
この霧の中でどうやって?
疑問は尽きないが思考をする間にもリンダは迫ってくる。距離を取るべくリリーも素早く動いて彼女から離れようとするが、何故か彼女もこちらの動きに合わせて方向転換を行ってくる。無論、誤差はあるがそれでもリンダの今の動き方から察するに捉えられるのも時間の問題だ。
「ッ!」
縦横無尽に動き回るリンダに思わず目を見開くリリー、そんな彼女の眼前に霧をかき分けて拳を握り締めたリンダが姿を現した。
*****
「そう言えばロークはリリーのこの戦法を破ったんだよね」
「まぁ、アレはぶっちゃけ運が良かっただけだ………」
ロークは霧に覆われた闘技場を眺めながら何とも言えない表情で呟く。
「運?」
「ああ、そもそもこの霧を出された時点で勝ち筋は限定される。どんなのがあると思う?」
「そうだね、この霧の中だと相手の位置を正確に捉える必要の無い範囲攻撃を放ったり、霧を生み出してる蜃を倒す。もしくは何らかの方法でリリーを捉えるかだろうけど……」
ガレスは顎に手を当てながら意見を述べる。とは言え、視界を奪われ、霊力探知も行えないこの状況で蜃やリリーをこの霧の中から見つけるのは難しいだろう。となると現実的なプランは範囲攻撃でリリーに無理矢理当てるのが現実的な作戦だろうか。
「概ね正解だ。実際珍しく学位戦に参加したトラルウスがリリーと戦った時は霧とか関係無く会場全体に霊術をぶっ放し続けて流石のリリーも降参してたしな」
「そう言えばあったね。アレは酷かった」
あの時は流石のリリーも堪えたようで「もう二度と戦いたくない」と拗ねていた。まぁ、誰でもそうなるだろう。
「まぁ、つまりあの霧に包まれた時は広範囲技でリリー、もしくは蜃を倒すのが尤も簡単な攻略方法なんだけど…………」
「ロークはどう破ったんだい?」
「俺?俺は勘で突っ込んだ」
「……は?」
ロークの答えにガレスは素っ頓狂な声を漏らす。言葉の意味がよく分からない。
「だから勘に任せて霧の中に突っ込んで、それでリリーを見つけ出して倒した。本当にそれだけだ」
「えっ?他に何もしてないの?」
「ああ、小細工も何もしてない。まぁ、風での霊術で周囲の霧を一時的に吹き飛ばして視野を広げてはいたけどな」
予想以上に何も考えていない戦法にガレスは絶句する。ロークのことだからもっと霊術やら簡易契約やらを行使して策を練ったのかと思っていたが、どうやら違ったようだ。
「あの霧の中じゃリリーにこっちの位置は完璧に把握されているし、音や匂いで把握しようにも限界があるからな。だから後は何となくで突っ込んで出たとこ勝負に出たんだ」
「確かにそれは運任せだね」
けれど馬鹿にはできない。実際にロークはそうやって幾つもの危機を突破しているのだから。
「………決着だな」
「……え?」
ロークの呟きに思考を止めてガレスは慌てて視線を闘技場へと向ける。すると霧が段々と薄くなっていき、やがて晴れた視界の先で拳を突き出した状態で足元にできた沼に下半身を埋めるリンダとそんな彼女の眼前に帯電した指を突き付けるリリーの姿があった。
どうやら勝敗はリリーの勝利で幕を閉じたようだ。
「あの濃霧の中であそこまで肉薄できたってことは何かしらの形でリンダはリリーの位置を探知できていたのかな」
「どうだろうな、リンダの戦い方から考えると俺と同じで勘で突っ込んだのかもな……」
リンダがこの霧の中でリリーを探知する方法をこの短時間で編み出せるとは思えない。
ロークはガレスにそう意見を述べながら悔し気にリリーを睨み付けるリンダとそんな彼女を冷徹に見下ろすリリーを見つめる。
良い戦いだった。
恐らく自分が一度、リリーを倒して無ければ今勝利していたのはリンダだったであろう。
彼女が今回の敗因を挙げるとすれば序盤、ミノタウロスが雷撃を放って視界を奪ったであろうタイミングで呼び出した蜃に気付けなかったこと。そして霧を展開された後に自身と同じような戦略でリリーを倒そうと試みてしまったことだ。
リリーは同じ戦略が何度も通じる程、甘い相手では無い。
加えて戦闘前には相手の情報を徹底的に調べてあらゆる可能性を考慮しながら戦略を練る策略家だ。恐らくリンダが霧の迷宮を突破して来ることも想定していたのだろう。そうでなければ予め発動に時間を要する沼の霊術を使用する訳が無い。
「………!」
とジッと見つめていると試合終了の合図が鳴り響き、顔を上げたリリーと偶然視線が合った。
普段よりも柔らかい表情でVサインを向けてくるリリーにロークは手を振りながらボソリと呟く。
「二度は戦いたくないな……」
どうか彼女が俺とまた当たることがありませんように。
ロークは人知れずそう願うのだった。
*****
コツコツと学院の廊下を一人を足速に歩く女子生徒の姿があった。
彼女の名は二年生のシルトット・ミルライン。彼女は今は公開された次の学位戦の試合に仕えている主人の名前が書いてあった為、その内容を報告するべく主人の元へ向かっていた。
やがて廊下の突き当たりに存在する大講堂の部屋へと辿り着いたシルトットはその大きな扉を押し開けて中へと足を踏み入れる。
途端に彼女の耳に滑らかな旋律が耳に入ってくる講堂中に響き渡る美しい音色に思わず聞き入りそうになってしまうシルトットはけれど、思考を切り替えて壇上に立つ主人、長い黄金色の長髪を揺らしながら手を大仰に振って指揮をする少年へと声を掛ける。
「ケイ様ッ!次の学位戦への参加が決定しましたッ!!」
「……………」
音楽に負けじと響き渡るシルトットの大声に少年は指揮の手をぴたりと止める。すると同時に講堂に流れていた音楽もピタリと止み、静寂が場を包み込んだ。
「…………相手は?」
「ローク・アレアスです」
その言葉に少年の背中が僅かに揺れる。
やがて、ゆっくりと振り返ると少年はその整った顔を従者へと向けながらゆっくりと口を開いた。
「それなら丁度良い、前回は黒星を付けてしまっていたからね。リベンジといこうか」
そう言って学年三位の精霊師、ケイ・トラルウスは口元に笑みを浮かべた。




