第39話
「何か様子がおかしいな」
最初にロークの異変に気付いたのはやはりと言うべきか、彼の師であるオーウェンだった。
契約の言霊を唱えてからロークは微動だにしない上に邪霊の方も動きを止めている。最初は契約が遂に成功したのかと思ったが見たところ、そういう訳でも無さそうだ。
「オーウェンさん、結界を開けてください。僕が中に入ってロークを助けます」
「少し待って、ガレス君。今は下手に刺激しない方が良い」
隣で魔剣を引き抜き、ベオウルフを呼び出したガレスにオーウェンは待ったを掛ける。
「ですが…!」
「ロークがどんな状態がわからない以上、邪霊を刺激するのは寧ろ逆効果だよ」
落ち着いている邪霊を下手に刺激して仮に暴れられでもしたら、それこそロークの命が危うくなる。更に言えばロークから霊力の乱れが感じられない以上、少なくともすぐに介入しなければいけないような危険な事態には発展していない筈だ。故にオーウェンは焦るガレスを冷静に諭して落ち着かせる。
「それなら……どうするんですか?」
「残念だけど、今はロークを信じて静観するしかない」
オーウェンもロークに異常事態があればすぐに助けに入れる体勢は整えている。けれどまだ助けに入るタイミングでは無い。少なくとも邪霊かロークにもっと明確な異常が見えない限り、下手に動くのは下策だ。
「………ぐぉぉお」
「ロークッ!大丈夫か!?」
そうして暫く様子を見ているとロークが苦しげな呻き声を上げた。
ガレスは声を掛けながら返答次第ではすぐに助けに入るべく魔剣を構え、その隣でオーウェンもいつでも結界を開けられるように備える。
「師匠ッ!」
「どうした!?」
けれどもそんな二人に対して帰ってきた返答は予想外のものだった。
「コイツの言ってる事が分からないッ!!」
「君の言ってることも分からないぞッ!?」
ロークの叫びにオーウェンはノータイムでそう言い返す。分からないって何だ。こっちも分からない、もっとしっかり説明をしてくれ。
「さっきから意味不明な言葉がずっと頭に流れてくるんですッ!何ですか、これ!?」
「意味不明な言葉が頭に流れてくる?」
ロークの説明にオーウェンは訝しげな表情を浮かべる。隣ではガレスが何言ってんだ、アイツと困惑しているが今は無視してオーウェンはロークが置かれている状況の把握に努めることにした。
頭に流れてくると言う言葉から恐らくロークの伝えたいことは念話のことを言っているのだろうが、だとしたら余計意味が分からない。念話とは契約を結んだ精霊師と精霊が言葉を介さずに互いの意思を伝える手段のことだ。
感覚としては精霊の伝えたいことご勝手に脳内で言葉に変換されるようなイメージだが、恐らくはそのイメージが意味不明だと言っているのだろうか。というか伝わるように変換されるのに意味不明になるなんてことがあるのか?
「………何が起こっている?」
少なくとも普通の状態では無いことは確かだ。
となると考えられる原因は邪霊以外には考えられないが、かと言ってあの邪霊がロークを害そうとしているようには見えない。いや、そもそも簡易契約を結べた時点で少なくともロークに対する敵意は無いと言い切っても良いだろう。
「………やはり邪霊の性質なのか」
「ぐぉぉおおおッ!頭がおかしくなる!?」
「オーウェンさんッ!」
どうやら思考している内に更に状況が悪化したようだ。様子的に邪霊がロークにアクションを起こし続けているみたいだが、意味不明な言葉として処理されるロークにとってはただただ苦痛なのだろう。
「……とりあえず一旦、切り離すか」
見たところ呻いているロークはまだ余裕がある様子だが、これ以上放置していても状況の好転は無さそうだ。
そう判断したオーウェンが結界を解除しようとしたところで、再びロークに異変が生じた。
「……ローク?」
先程まで苦しげに呻いていたロークの声がピタリと止まり、身体も不自然に硬直する。何事かとガレスが声を掛けても反応しない様子は呻き声を上げる前と同じような状態に見える。
けれどロークを纏う空気がどこか重苦しく不気味なものへと変化し始めたことで同じでは無いと判断したオーウェンは結界を開ける手を止め、代わりに結界の強化を行う。
「ガレス君」
「はい」
同時にオーウェンはガレスに呼び掛けるとガレスも名前を呼ばれただけでその意味を察し、静かに魔剣を構える。気付けば主人の後ろに控えていたベオウルフもガレスの横へと並んでいた。
何か危ない。
精霊師、精霊含めて周囲にいる全員が漠然とした危機感に苛まれ、静かに臨戦態勢に入った。
「…………」
そしてその危機感を肯定するようにゆらりと幽鬼の如く動きで再起動したロークはゆっくりと周囲を見回すように視線を動かす。
目の前に佇む邪霊、四方を囲む四体の精霊。
「…………」
そして最後にジロリと師と友人とその契約精霊へ、普段ならば向けないであろう殺気の篭った紅の瞳で睨み付けた次の瞬間だった。
ロークを中心に爆音と共に衝撃波が放たれた。
放たれた衝撃波は彼らを覆っていたオーウェンの結界に直撃し、その強固な霊力の壁全体に大きなヒビを入れた。
「なッ!?」
「おいおい…マジか」
仮にも四体の精霊を使って展開している結界だと言うのに一撃で崩壊一歩手前のダメージを与えられ、その威力にオーウェンは思わず引き攣った笑みを浮かべる。
「ガレス、一旦下がれ!僕が対応する!」
「ですがッ!?」
「良いから下がれッ!」
オーウェンがガレスに下がるように叫んだ直後、再びロークから衝撃波が放たれ一撃目で既に限界だった結界はガラスの割れるような音を響かせながら呆気なく砕け、衝撃波の余波が二人を襲った。
ベオウルフが反射的にガレスの前に氷壁を展開し、更に自身の身体を捻じ込ませることで主人を守ろうとするが耐え切れず、ガレスと共に後ろと吹き飛ばされる。
「ぐッ…取り押さえろッ!」
対するオーウェンは霊力による身体強化と霊術による風の結界で襲い掛かる衝撃波を耐え切るとすぐに結界を張っていた四体の精霊にロークを拘束するように指示を飛ばす。
応じた精霊達が衝撃波が弱まったタイミングを見計らい、それぞれの獲物を構えながらロークへと向かって飛び出していく。
「邪魔」
『『『『……ッ!?』』』』
けれども駆け出した精霊達はロークに肉薄する寸前で勢いよく地面に叩き付けられ、そのまま縫い付けられたように動けなくなった。
「次から次へと……」
精霊達はまるで上から地面に押し込まれるかのように倒れており、その様子を見たオーウェンは面倒そうな表情で呟く。恐らくは何らかの霊術を発動しているのだろうが原理が分からない。
必死に立ち上がろうとしながらも起き上がれない様子の精霊達を見るに上から何らかの力によって地面に押し付けられているのだろうが、重力でも操作しているのだろうか?
使っている力の考察をしたいが、こちらに掌を差し向けているロークを姿を見るに悠長に考えている暇は無さそうだった。
再び衝撃波がオーウェンに向かって放たれようとしたタイミングで後方からロークに向かって氷塊が飛来した。
迫ってきた氷塊に対してロークはつまらなそうに指を小さく動かすと氷塊は途端にその進路を明後日の方向へと変え、そのまま消え去っていった。
「オーウェンさん、恐らくこれは重力だ!ルナの遺跡の邪霊が重力を操れたと言っていたッ!きっとロークは邪霊にッ!」
「なるほど。なら今度はアレはどういうことかを考える必要があるな……」
背後から聞こえてくるガレスの声に反応しながらオーウェンは眼前に立つロークの隣へと視線を向ける。
『ッ!!』
地面に埋まる四体の精霊、そしてロークの側にいる邪霊。
仮にロークとして契約して邪霊が操っているというならばあの邪霊は何故、他の精霊達と同じように地面に埋まっているのか。
まるで分からないことだらけだ。
「………」
ロークは四体の精霊を一瞥した後、ゆっくりと開いていた手を握り締める。すると同時に埋もれていた四体の精霊の鎧にヒビが入り、やがて重力に耐え切れず地面と一体化した精霊達は光の粒子となって送還されてしまった。
「マジで洒落にならないぞ……」
彼らと結んでいるのが簡易契約である以上、送還された彼らを取り戻す方法は無い。持ってきた戦力の内の四体をあっという間に失ったオーウェンは参ったと言わんばかりの表情を浮かべる。
「来い、シグルム」
次にオーウェンが取り出したのはロークから回収した封霊石、シグルムが眠る依代だった。呼び出されたシグルムは眼前に立つロークに向かって躊躇いなく風の斬撃を放つ。
放たれた風は先程の氷塊と同じように軌道を逸らされ、ロークに直撃することなく周囲に逸れて周りの木々を切り倒すだけの結果に終わる。
「…………」
けれどオーウェンは今のシグルムの動きで一つの事実を得る。シグルムは自身が何度かロークへと貸し出したことのある精霊で精霊契約を結ぶまでとはいかずとも、簡易契約を結べる程度にはロークと信頼関係を築いていた筈の精霊だ。
そんな高位精霊のシグルムが今、躊躇うどころか寧ろ嫌悪感さえ抱きながらロークへと攻撃を行った。ましてや簡易契約という、その気になれば抵抗もできる筈の状態でだ。これは少しおかしい。
「………ローク、何があった?」
質問への返答は腕を薙ぐと同時に放たれた重力波だった。オーウェンはシグルムに霊力を流し込み、襲い掛かってくる重力波を霊力の込められた風で相殺する。
「僕の友人を返せッ!」
「ガァッ!」
オーウェンが攻撃を受けている内にロークの背後へと回ってきたガレスはロークの意識を刈り取るべく魔剣を振るう。
同時にベオウルフも地面に押し込まれて動かない状態の邪霊へと牙を向けて襲い掛かる。
どうして邪霊が動けなくなっているのかは分からない。けれどもロークが動かなくなっている原因の一つは間違いなく、この邪霊にある。そう判断したが故に邪霊にも攻撃を仕掛けたガレスだったが、次の瞬間にはベオウルフと共に真上から掛かる強力な重力によって地面に叩き付けられる。
「ぐッ!?」
「………死ね」
ロークが圧殺するつもりで放った霊術だったがガレスは霊力を身体に纏うことで地面に叩き付けられながらも何とか潰されずに耐えることに成功する。けれどもロークは足元で醜く足掻くガレスを見下ろしながらトドメを刺すべく彼に掛ける重力を強めようとする。
「……ッ!?」
霊力を込める直前で背中に強風を浴び、大きく前方へと投げ出されたロークは宙で態勢を立て直しながら風を放った相手、オーウェンを睨み付ける。
「シグルム、ガレス君を守れ」
地面に倒れているガレスを守るようにシグルムに命じながらオーウェンは僅かに息を吐くとロークへと近付いていく。
「……全く。学位戦でも無いのに大事な友人をあんな傷付けていいのか、ローク?」
「…………」
「しかも僕にまでそんな殺気の篭った視線を向けて。それが師匠に取る態度かい?」
相変わらずロークは質問に答えないがこちらに向けるそ目がより鋭くなる。オーウェンはそんな弟子からの殺意と敵意に満ちた視線を浴びながら深い溜息を漏らす。
「やれやれ、その様子だとすっかり忘れてしまったのかな?」
呆れた表情を浮かべながら呟くオーウェンの背後から凄まじい霊力と共に紫の火柱が上がった。
「………ッ!」
「なら仕方ない。もう一度その身に刻んであげよう」
火柱の中からゆらりと黒い影が現れる。
人の姿をした影はゆっくりと紫炎の中を悠々と歩き、やがてその姿をロークの前に晒した。
黒衣に覆われた長身の身体、白い手袋を纏った左手には紫炎が灯されたランタンを手にしている。
けれども何より特徴的なのはそのカボチャで出来た頭部だった。目の形に繰り抜かれた暗闇から金色に輝く瞳がロークを見つめ、気圧されたロークは反射的に一歩後退っていた。
「僕の恐怖を」
オーウェンが告げると同時に彼の背後でカボチャ頭の精霊はニコリと悪戯っ子のような笑みを浮かべた。




