第37話
「また精霊の貸し出しかい?」
「はい、お願いできないでしょうか?」
「ダメ、とまでは言わないけど理由次第だね」
今日はバイトできている訳では無いこともあり、オーウェン師匠の部屋は比較的綺麗に整った状態を維持されていた。師匠は俺を椅子に座るように促すと対面のソファに腰掛けながら呟いた。
俺は理由と尋ねられ、普段から持ち歩いている巻物型の依代を懐から取り出して師匠へと見せる。
「……ふむ」
依代を目にした師匠は瞬時に僅かに漏れ出る霊力から中に封印されている精霊の正体を看破して笑みを浮かべる。
「なるほど。中々に禍々しい霊力を放つ精霊を捕まえたみたいだけど、それをどうするつもりだい?」
「試してみようと思います」
「…………」
何を、とは尋ねて来なかった。
代わりに師匠は浮かべていた笑みを消すとその目を静かに細めた。
「何故、その決断をするに至った?」
「出会ったんですよ、邪霊と契約していた精霊師に」
「…………なるほど」
俺が質問に答えると師匠はその内容を聞き、察した表情を浮かべながら深い溜息を吐いた。
「こっちにも連絡は来たよ。四凶の復活だか何だが知らないけど、迷惑なことをしようとする連中がいるってね」
「師匠はどう思ったんですか?その話を聞いて」
「邪霊と契約できる人間のことを聞いてるなら……まぁ、有り得ない話では無いだろうね」
そう語る師匠の様子からはあまり驚きの感情が読み取れず、寧ろ予想が当たったというような表情を浮かべていた。
「前提として邪霊も精霊だからね。そう考えれば寧ろ契約ができない方がおかしいとも言える」
「…………」
師匠は依代へと視線を向けながらそう語ると徐にパチンと指を鳴らした。すると何処からともなく現れた一体の小さな蛸の姿をした水精霊がその足を上手く使って一冊の本を師匠へと手渡した。
「まぁ、だからと言って僕は君に邪霊との契約は勧めないけどね。前にも言ったけど……」
「俺、相手の精霊師に襲われた時に言われたんですよ『君には素質があるのに』って」
「…………」
言われたあの日から何度となく俺の脳裏を過るホーンテッドの言葉。決してあの男を信じている訳ではない。けれどもこの言葉は騒動が落ち着き、再び日常へと戻り契約精霊がいないという現実と相対することになった俺に取って聞き流すことはできない内容だった。
「確かに邪霊との契約が避忌されていることも危険なことも知っています。それでも俺は、精霊師として精霊と契約したいんです」
「…………」
邪霊との契約。
確かにそれは忌むべきものでホーンテッド達の姿を見ていると決して正しい選択とは思えない。けれど、それでも………。
「今まで多くの精霊との契約に失敗してきて正直なところ、諦め掛けてました。けど、例え邪霊だとしても…もし、叶うなら………コイツが俺の手を取ってくれるなら……俺もみんなと同じように……」
「………はぁ、全く。仕方ないな」
上手く説明できないながらも俺の気持ちを察してくれたのだろう、師匠は溜息を漏らしながらソファから立ち上がると背後の鍵の掛けられた棚に鍵を差し込んで扉を開ける。
中にはズラリとまるで宝石のように輝いている幾つもの封霊石が並んでおり、師匠はその内の一つ、エメラルド色の封霊石を手に取ると俺に向かって投げ飛ばしてきた。
「うぉッ!?……って、えっ」
「必要なんでしょ。良いよ、持って行くといい」
雑に封霊石を投げ渡された為に慌てながらキャッチした俺が驚きながら師匠を見つめていると師匠は再びソファに腰掛ける。
「自分から言っといて何ですけど、良いんですか?」
「まぁ、良くは無いだろうね。立場的には止めなきゃいけないんだろうけど………君、どうせ止めても試すだろ?」
「そ、それは……」
「それにこんなでも師匠として君の努力や苦労は見てきたからね、ロークが本気で試したいのなら止める気は無いよ」
俺の質問に師匠は困った様子で苦笑を浮かべながら呟く。俺の一年の時から苦労を知っているからこそ、師匠は今回のことを大目に見てくれるようだ。
「まぁ、そもそも邪霊との契約を禁止とする制度や法律がある訳でもないしね。試すだけ試してみればいいさ」
「師匠……」
「あ、けど一つだけ条件ね」
そう言うと師匠は先程、一緒に取り出していたらしい紅い封霊石を見せながら一つの条件を提示する。
「僕にも邪霊との契約を見学させること。そして危険と判断したらその時点で止めること、この条件が飲めなければその精霊は貸して上げられないけど、どうする?」
「大丈夫です。寧ろ一緒に来て頂けて心強いです」
師匠がいれば仮に万が一のことがあっても対処できるだろう。俺としても非常に有難い申し出だった。
「よし、そうと決まれば早速やろうか」
「はい。あ、けどその前に一度、学院に戻っても良いですか?」
先に一度、学院に戻って待ってくれているガレスと合流を果たさなければいけない。
「何か忘れ物でもしたのかい?」
「いえ、実は友人にも協力して貰おうと思ってまして」
「へぇ、この手助けをお願いするとは、どうやら相当仲が良いらしいね」
「……そうですね、少なくとも信頼はしてますよ」
数少ない俺の事情を知る友人。
精霊と契約できない落ちこぼれてありながら態度を変えることなく仲良くしてくれ、挙句には剣術という戦う術を俺に与えてくれた。
本当に感謝しかない。
「なるほど、なら友人を学院で回収するとして契約はどこで試すつもりなんだい?まさか学院内の施設を使う訳じゃ無いだろ?」
「はい、予定ではジュデッカの森の中で試そうと思ってます」
流石に学院内で堂々と邪霊との契約を試すほどの度胸は無い。故に場所の候補地として何かあっても良いように都市部から離れてジュデッカの森の中で試そうと考えていた。
「分かった。それなら僕は先にジュデッカの森に行って事前に場所を選んで結界を張っておくから、君は友人と合流してから来ると良い」
「すみません、お気遣いありがとうございます」
「いや、それよりもしっかりお友達には説明をしておくんだよ」
「はい、勿論です………あっ」
そう言えばまだガレスに時間を作って貰っただけでちゃんと内容を説明してねぇや。
師匠の返事に頷いた俺は急いで学院へと戻った。
*****
「冗談だよな?」
「いや、マジもマジだよ」
学院へと戻った俺は校門前で待機していたガレスを連れて都市外へと向かって移動しながらこれからやろうとしていることの説明をした。
結果、俺をガレスは信じられないものを見るような視線を向けられていた。
「いやいや、仮に契約できたとして大ぴらに出せないだろ?」
「それでも霊力の貯蔵にはなるし、何よりも俺の精神安定剤にはなる」
契約精霊がいればそれだけで霊力の貯蔵ができるに等しいし、何より邪霊だろうが何だろうが契約さえできてしまえば、真の実力を隠しているというどこから出たのか定かではない噂を真実にすることができる。
何なら契約している精霊が邪霊なら隠している言い訳にもなるし、寧ろ良いんじゃねと邪霊との契約をプラス思考になり始めている辺り俺は多分、末期なのだろう。
「というか邪霊なんていつの間に?」
「ルナの遺跡で出会った邪霊をちょっとな」
「まじか……」
互いに殺すつもりで殺し合っていたが思いの他、邪霊が頑丈で決めの一撃を受けても尚、送還されることなく現界していたので折角だからと回収できるか試してみたところ、弱っていたこともあってか無事に依代に入れることができた。
「え、じゃあ、今その依代の中に邪霊入ってるの?」
「おう、バリバリ入ってるよ」
依代を見せながら俺が答えるとガレスはドン引きした表情を浮かべる。まぁ、確かにこんな爆弾を抱えながら学位戦やらホーンテッド達、賊と死闘を繰り広げていたんだからドン引きされても仕方ないだろう。
「よくそんな状態で今まで平然と生活できたね」
「いや、それが割と大人しいもんよ」
俺とて最初は警戒していた。けれども元々弱っていたこともあってか捕獲した邪霊は出会った時の気性の荒さが噓だったかの如く依代に入って以降は特に暴れたりすることもなく、今の今まで大人しく依代の中で眠りに付いている。
ここら辺も俺がこの邪霊となら契約ができるのではないかと思う要因の一つだったりする。特にホーンテッド達が邪霊を当たり前のように使役していたのを見た後だとアイツの発言を抜きにしてもワンチャン、俺でもいけるんじゃないかと本気で思ってしまった。
「………まぁ、君の奇想天外ぶりは今に始まったことじゃないし、それは良いとして。邪霊との契約をしようとしていることは分かったけど僕に協力って一体、何を手伝えばいいんだい?」
「ああ、それなんだけどもし仮に邪霊が制御できなくなったり、俺が狂った時にガレスに俺を倒して欲しいんだ」
「………倒すってローク、君は………」
「言葉通りだ。何なら危なそうなら殺してくれても構わない。邪霊との契約を試して失敗した精霊師がどうなるか聞いたことぐらいはあるだろ?」
まだ俺の精神がぶっ壊れるだけなら良いが、仮に錯乱状態になって暴走でもしてしまったら洒落にならない。そこでもしもの際に俺を止めてくれる精霊師としてガレスに協力して欲しかった。
「そこまでして……」
「そこまでしても……さ。お前なら分かるだろ?」
俺の言葉にガレスは僅かに目を見開くと口を閉ざした。
そのまま少しの間、逡巡した様子を見せた後にガレスは息を吐いた。
「………分かった、もしもの時は全力でオーロット家の名に懸けて全力で君を止めよう」
「ああ、よろしくた————」
「けど殺す気は無い。だから君も狂ってもしっかり正気を取り戻せよ」
「————ッ!」
今度は俺が口を閉ざす番だった。驚きながらガレスを見つめると彼はニッと笑みを浮かべる。
「勿論だ。そもそも最初から狂うつもりも無いけどな」
「それでこそだ」
俺も釣られて笑みを浮かべ、互いの拳を突き上合わせたタイミングで丁度、郊外へと辿り着いた俺は封霊石を解放する。
緑色の輝きが眼前に放たれ、次の瞬間には巨翼を広げた一体の風精霊、シグルムがその鋭い目をこちらに向けていた。
「また借りたのか」
「ああ、今回は師匠も全面的に協力してくれるんだ」
「それは心強いな」
現れたシグルムは態勢を低くすると俺達に背に乗るように促して来る。
「今回もよろしく頼むよ」
「キィイッ!!」
シグルムは応じるように甲高い声で鳴くと翼を広げると勢いよく宙へと舞い上がり、そのまま空を飛んでいく。
「どこでやるんだい!?」
「ジュデッカの森だ!師匠が結界を張ってくれてるッ!」
「ようやく君の師匠に会えるのか、楽しみだ!!」
ガレスの楽しげな声を聞きながら、気付けば俺も隠し切れない興奮に笑みを浮かべていた。




