第36話
「ようやく落ち着いてきたね」
「そうだな……」
中庭のベンチにガレスと並んで腰掛ける俺達はそんな会話をしながらぼんやりと学院の建物を眺めていた。
学院襲撃から数日程が経過し、ようやく落ち着きを取り戻した学院は講義と学位戦を再開し普段通りの日常を取り戻し始めていた。襲撃も風紀委員が被害を受けたが死者も出ず、負傷者も全員、ミネア委員長や先生方の治療を受けて既に復帰している。
尤も復帰した彼らに待っているのはロクスレイによるスパルタの訓練だろうが……。
「にしてもまた苦労したみたいだね?」
「ああ、マジで最近はヤバいわ」
ガレスの言葉に俺は雲一つない晴天の青空を見上げながら答える。よく分からない怪しげな連中には目を付けられるわ、戦闘の度にボコボコにされるし本当に勘弁して欲しい。
「あぁ、せめて精霊と契約できりゃなぁ……」
「もう普通の精霊が無理ならいっそのこと邪霊と契約を試してみれば?」
「笑えないジョークだなぁ……」
揶揄うように呟くガレスに俺は背もたれに身体を預けながらため息混じりに言う。普段なら笑い飛ばせるジョークも今は軽く一蹴することができなかった。
———君には素質があるのに。
「…………」
何が素質だよ。ふざけてんのかよ。
脳裏を過るホーンテッドの言葉に思わず顔を顰めながら俺は内心で文句を口にする。あの言葉は邪霊と契約できる資格があると言う意味なのだろうが、まるで理解できない。
何故、素質があるなら俺は精霊と契約ができないのか。というか、アイツは俺の何を見てそう思ったのかサッパリ分からない。
「どうしたローク、まだ身体が痛むのか?」
「いや、大丈夫……」
どうやら思った以上に険しい顔をしてしまっていたらしい。ガレスの心配に問題ないと答えながら身体を起こす。
「そう言えば今回の襲撃で学院に配置されてたガーゴイルだけど、殆ど戦闘した形跡が無いらしいよ」
「マジかよ、それじゃアイツら本当にただの石像じゃん」
学院を覆うように配置されている石像化している土精霊ガーゴイル。
侵入者の監視と発見、迎撃を兼ねている彼らは学院で警備として簡易契約を結んでいるのだが、どうやらガレスの話を聞く限り今回の襲撃に関してはその役目をほぼ果たして無いらしい。
「まぁ、その件もあって警備体制も色々見直すらしいよ」
「いい機会じゃないか?何でもかんでも生徒に任せ過ぎなんだよ。この学院は………」
今の学院は自由という校風を謳っているが流石に色々と任せ過ぎなのだ。これを機にもう少し生徒に寄り添ってくれればと思う。
「良かったね、これで暫くは生徒会も色々と忙しくなるから君の大精霊演舞祭への出場の話は先送りじゃないか?」
「まぁ、そうだな。暫くは大丈夫だろうけど……ん?」
頬杖を突きながらボーッと眼前の景色を眺めていると見慣れた後輩三人組の姿が視界に入った。
「あ、ガレス先輩にローク先輩」
「やぁ、これから講義かな?」
「はい」
教材を手にしながら挨拶をしてくるメイリーにガレスが片手を上げながら挨拶をする。その隣には疲れているのか燈が眠そうな表情を浮かべており、時折力が尽きたかのようにカクンと首が傾いている。
「おい、大丈夫か?」
「………よ…ゆう」
「ダメそうな奴の発言だな」
燈の反応にこれはヤバそうだと思っているとメイリーが「燈ちゃん、しっかり」と肩を揺さぶって必死に意識を保たせようとしているが、この調子では講義室まで行けても講義中に意識を失うのは確実だろう。
「ところでヴァルハートさんはどうかしたの?」
「えっ、あ……いえ、何でも」
とそこでガレスが何故か颯爽と二人の背中に隠れるように避難したレイアに不思議そうな表情を浮かべながら尋ねる。本人は何も無いと言っているが、どう見ても挙動不審だし、何ならさっきから俺が視線を向けると何故かスッと視線を逸らされる。解せない。
「……ふ、二人ともそろそろ講義は始まります。行きましょう」
「えっ、あ、レイアちゃん!すみません、失礼しますッ!ほら、燈ちゃんも!!」
銀色の三つ編みを揺らしながら逃げるように次の講義に向かうレイアを追い掛けるようにメイリーは燈の腕を引っ張りながら去って行き、俺達は彼女達のその後ろ姿をただ無言で見つめていた。
「ねぇ、ローク」
「何だ?」
「君、ヴァルハートさんに何かした?」
「いや、特に何も……」
全くもって身に覚えが無い。それどころかめっちゃ優しくしていた筈なのだが、ここ最近は避けられている気がする。
「何もしてないは流石に嘘だろ。何もしてない相手があんな態度は取らないよ」
「いやいや、マジで本当に!何なら俺の方が避けられてる理由を知りたいくらいだ!」
初めての後輩だしできる限り優しく接しているつもりだ。それこそ初っ端以外は良好な関係を築けていた筈なのだが、突拍子もなくいきなり避けられ始めた。
「まぁ、僕には関係ないから別に良いけど」
「なら聞かないでくれよ。今、割と悩んでるんだから」
小さく息を吐きながら呟くとガレスが驚いた表情を浮かべた後にニヤリと嫌な笑みを浮かべる。
「へぇ、意外だね。ロークがそんなことを気にするとは」
「仲良くしてた後輩からいきなり避けられたら、そりゃ人並みには気にするだろ」
一体、俺を何だと思ってるんだ。
思わず何度目か分からないため息を漏らしながら呟いているとコツンと頭を軽く叩かれる。
「よっ」
「やぁ、リリー」
背後を振り返れば片手を上げて挨拶をするリリーの姿があった為、ガレスと共に片手を上げながら挨拶を返す。
「あれ、この時間は講義じゃなかったっけ?」
「休講になった」
ガレスの質問に答えながらリリーは俺とガレスの間に空いている空間に腰を下ろすと顔をこちらに向けた。
「ねぇ、ロークは侵入者と戦ったんだよね?」
「ああ、先日の奴らのことならやり合ったよ」
「どうだった?」
「めっちゃ強かった」
学院とビブリア廃神殿でやり合ったホーンテッドのことを思い出しながら俺は質問に答える。可能なら二度と会いたくない。
「相手はどんな精霊と契約していたんだい?」
「邪霊」
「は?」
「だから、邪霊だ」
まさか侵入者が邪霊と契約しているとは思ってもいなかったのだろう。予想もしていなかった俺の回答を聞いてガレスとリリーは唖然とした表情を浮かべる。
「冗談だよな?」
「だったら良かったんだけどな」
本当に冗談だったらこんなに悩むことは無かったんだが、残念なことに相手が契約してた精霊は間違いなく邪霊だった。
「………契約相手はどんなだった?」
「ん?」
「邪霊との契約の影響。奇声を上げたり、自傷行為をしたり、どこか狂ってるような様子はあった?」
「………うーん」
リリーの質問に俺は頭を悩ませる。確かに狂ってると言えば狂っているような気はするが、あれは邪霊の影響というよりはあの男の元来の性格のような気がする。それに戦闘では間違いなく戦略を立てていたし、狂った人間があんな動きをできるとは思えない。
「………いや、特には見られなかったな」
「そう」
暫く考えた末に俺が答えると今度はリリーが無言になり、何かを考え始めた。
「リリー、何を考えてるんだ?」
「仮に邪霊と問題なく契約できるとして、その理由を考えてる」
ガレスの質問にリリーは視線を向けずにどこか一点を見つめながら今考えていることを話す。
「………理由か」
リリーの言葉を聞いてホーンテッドの言葉が再び脳裏を過ぎった。邪霊と契約できる理由が分かればアイツが何故、俺に素質があると言ったのかも判明するのではないか。
「邪霊からの信頼?それとも精神面の強さ?それとも体質的な何かが影響している?」
「流石に考察するのは難しいんじゃないか?まともに邪霊を使役できた精霊師なんて歴史上じゃイーヴァンだけだし」
「アイツに関しては逸話通りなら数十体の邪霊を使役したって話だろ?参考にして良いのか?」
そもそも精霊を複数体使役すること自体が、相当な負担になる筈なのにイーヴァンに関しては邪霊を七二体も使役したというのだから彼は例外中の例外だと考えた方が良い気がする。
「基本、契約したら精神が壊れるって話だろう?そう考えたら精神が強靭な者が契約の資格を持つんじゃないか?」
「…………」
俺の精神、そんな強靭かな?
寧ろ精霊と契約していないことがバレそうになる度に胃がキリキリしてるし、そんなことは無い気がするけど……。
「そんな単純な話だとは思えない。もっと根本的な何かがある気がする………」
ガレスの挙げた可能性に対してリリーは首を横に振る。確かにそれだけならばもっと邪霊と契約できる精霊師が現れてもおかしくはない。
「……やっぱり情報が足りない」
ブツブツと呟きながら考えていたリリーはやがて疲れた表情で息を吐くとそう呟いた。
分かり切っていたことではあるが、やはり現状の知識で邪霊と契約する資格を考察する為には情報が少な過ぎる。そもそも邪霊という存在自体が未だ謎に包まれている部分が多い以上、俺達だけでこれ以上の考察をするのは不可能だろう。
「…………ガレス、放課後って時間あるか?」
「ん?そうだね、特には無いけど」
「なら少し付き合ってくれないか?」
「構わないけど」
訝しげな表情を浮かべながらも頷くガレスを確認した俺は頭の中で放課後の予定を立て始める。
「………私は?」
「お前は明日、学位戦だろ?しっかり備えとけよ」
仲間外れにされたリリーが不満そうな表情を浮かべているが、残念ながら今回の用事に彼女を連れて行く訳にはいかない。
俺がそう言うと彼女は変わらず不満げな表情を浮かべ続けていたが、それでも納得はしたようでそれ以上追及をしてくることは無かった。
「よし、それじゃ俺は少し用事ができたから失礼するわ」
「ローク、僕は放課後どうすればいい?」
「とりあえず、校門前で待っていてくれ」
「分かった」
ガレスの返事を耳にしながら俺はベンチからゆっくりと立ち上がると目的地へと向かうべく歩き出した。
「どこ行くの?」
去り際、首を傾げるリリーに俺は足を止めると振り返りながら質問に答えた。
「バイト先」




