第18話
「邪霊学か。また難しい内容を勉強してるね」
「師匠。何か四凶についての資料があれば貸してくれませんか?」
バイト先であるオーウェン師匠の家へと来た俺は部屋の整理ついでにアルベルト先生から出されたレポート課題用の資料を借りようと考えていた。
「いいよ、好きなだけ持って行くといい」
「ありがとうございます。ところで資料はどこら辺にありますか?」
「さて、どこら辺だったかな。最近はあまり調べてなかったから、多分ここら辺に……」
「気持ちはとても有難いんですけど、整理してる側から部屋を散らかさないで下さい」
資料の貸出しを快諾してくれた師匠はそのまま棚に入っていた資料を片っ端から取り出しては床に散らかしていく。資料を探してくれるその気持ちは非常に嬉しいがこのまま部屋を散らかされると仕事が終わらなくなってしまう。
「お、あったあった」
床に紙と本の山が積み上がりそうになってきたのでストップを掛けようと口を開きかけたタイミングで師匠は無事、四凶の資料を発見したようで本棚から何十枚という紙束と古びた本を取り出した。
「これなんてどうかな?内容は闇冥龍アペプスが中心ではあるけれど、結構色々な情報が載っている筈だよ」
「ありがとうございます。助かります」
言いながら俺は師匠から資料を受け取る。興味本位で数枚ページを捲って見るとぎっしりと書き込まれた文章と何かの場所らしき絵があった。何についての絵かは分からないが数ページでこれならばレポートを書く分には問題無いだろう。
「すみません。五日後にはお返ししますので少しお借りします」
「いいよ、そんな焦らないで。君、近い内に学位戦も控えているんだろう?別に直近でその資料が必要になる予定は無いし好きなだけ持っているといい」
「ありがとうございます。でしたら資料は少し長めにお借りします」
師匠の言う通り学位戦の準備も並行して行う必要があるので長めに借りることができるのは有難い。師匠の迷惑にならない以上は素直に厚意に甘えるとしよう。
「にしても派手に暴れたみたいだね。珍しくシグルムが疲れ切っていたよ」
「ちょっとイレギュラーが色々ありまして。正直、久しぶりの古代遺跡探索とあって浮かれてましたね」
「学生なんてそんなものだよ。僕も学生の頃は遺跡探索中に祠を破壊したりして怒られたものさ」
「えぇ、それ大丈夫だったんですか?」
「問題だらけさ。なんか封じられてたらしい精霊は出てくるし、仲間には怒られるしで大騒ぎになったけどまぁ、何とかなったよ」
ハハハと笑う師匠だが、聞く限り遺跡に封じられていた精霊なんて師匠レベルの実力が無ければ大惨事になってんじゃないだろうか…。というかそんな危険な出来事を笑い話にできるのもこの人の実力があってこそだろう。
とそこで師匠の思い出話を聞いていた俺は師匠に尋ねておきたいことがあったのを思い出し、その話題を切り出した。
「そう言えば師匠、邪霊について聞きたいことがあるんですけど良いですか?」
「邪霊との契約についてかい?」
俺の質問を既に分かっていたらしい師匠は考えていた質問の内容をピタリと当てられて動揺する俺を見てやはりといった様子で笑った。
「…………俺ってそんな分かりやすいですか?」
「まぁ、君の現状を考えればね。邪霊について聞きたいと言われた時に契約のことが最初に思い浮かぶのは至極当然のことだと思うよ」
そう言われてみると確かにそうかも知れない。俺も逆の立場で聞かれれば師匠と同様に契約のことが真っ先に頭に浮かぶ気がする。
「で、邪霊との契約についてだけど…。僕はオススメはしないよ、当たり前だけど」
「…………」
ですよね。そりゃ、そう言いますよね。
「明確な法律こそ無いけど、この国じゃ邪霊との契約は禁忌扱いだしね。仮に契約できたらできたで大騒ぎだよ」
「ちなみに禁忌扱いされてる理由って?」
「恐らく講義で聞いたであろうことが全てだよ。契約したら精霊師が発狂することや邪霊戦役と呼ばれる邪霊の契約者が引き起こした戦争の歴史、周囲の人間や精霊を積極的に襲う邪霊の習性。それに闇という属性自体の危険性とまぁ、挙げてくとキリがないね」
「………なるほど」
改めて内容を聞くと確かに禁忌扱いされるのも頷ける話ばかりで、俺でも邪霊ならばと淡い期待を抱いたが……やはり俺如きには到底無理な話だったのだろうか。
「………ロークくんが何を考えているかは敢えて聞かないけれど、何をするにしても今の君では難しいと思うよ」
「……どういうことですか?」
突然の否定の言葉に俺は困惑しながら尋ねる。
何故いきなりこんなことを言われたのか、まるで理解できない。
「精霊師としての在り方の話さ」
「……在り方」
やはり意味が分からない。どういうことだ?
答えを教えてくれと俺は視線で師匠に訴えてみるが、師匠はどこか楽しそうに微笑むだけで答えてくれる様子が無い。何故だ。
「教えても良いんだけど、やっぱりこういうのは師匠的には自分で気付いた方が良いと思うからさ」
「なら教えて下さいよ」
「すぐに教えたらつまらないだろう?折角だからもう少し悩むと良い。それにほら、もうすぐ話してた学位戦の時間じゃないか?」
「えっ、あっ!やべッ!?」
壁に掛けられている時計へと視線を向ければ確かに予定の時間に迫っている。ここからだとマジで急いで学院に行かないと間に合わない!
「ほら、さっさと行きたまえ。今日の学位戦はしっかり見ておきたいんだろう?答えについてはまた次の機会にでも話そう」
「くッ!今度絶対に聞かせて貰いますからねッ!!」
「ハッハッハッ!悩めよ、少年」
俺は周囲の物だけささっと片付けるとどこぞの悪役の如き捨て台詞を吐きながら部屋を飛び出ていく。背後から高笑いを上げる師匠の声が腹立たしくて仕方なかった。
*****
学位戦は基本的に全ての講義の終わった放課後に実施される。
というのも元々は対戦する学生たちのみ講義の出席を免除する形にして学院側の指定した時間に学位戦を行なっていたのだが、成績上位陣を中心に試合を観戦しようとする学生が溢れ、講義に学生が来ないという状況が多発するようになった為、今ではほぼ全ての試合が放課後に実施されるようになった。
なので午前中の講義しかなかった俺は午後はバイトに充てて放課後に戻ればと考えていたのだが、見事に油断した。
「はぁッ!はぁッ!間に合ったかッ!?」
雰囲気的に試合が始まっている様子はまだ無い。
全力で走った甲斐もあり、どうにか時間に間に合った俺は呼吸を整えながら学院の誇る闘技場へと向かった。
中に入ると途端に喧騒に包まれ、闘技場は祭りでもやっているのかと勘違いしてしまいそうな程、多くの学生たちでごった返していた。
「流石はガレスの試合か」
やはり今日はガレスが戦うということもあってか、二年生や新入生たちを中心に普段よりも多くの学生が闘技場に集まっている。特に一年生に関しては初めての学位戦ということもあってかほぼ全ての学生が集まっている。
これだけ人がいると流石に席は無いか。
新学期一回目の学位戦、加えてガレスが一番手な時点でこうなる事は予測がついていた筈なのに師匠との会話に熱中して完全に出遅れてしまった。
「あ、ローク先輩!」
と諦めて外の中継から試合を見ようかと考えていると喧騒の中で俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。誰かと視線を向けてみると俺に向かって大きく手を振っている、共に古代遺跡を探索した後輩の姿があった
その隣には新入生歓迎会で同じ班にいた目を前髪で隠した少女がこちらにペコリと頭を下げていた。確か名前はメイリーだったはずだ。
俺は見覚えのある後輩たちを目にして挨拶をするべく彼女たちの座る席へと近付いた。
「レイアも学位戦を見に来たのか」
「はい、友達が二回戦に参加するので。それにガレス先輩も試合を行うようなので一緒に見ることができればと」
その言葉に釣られて三つのブロックに分けられた内の一つ、一年生のブロックへと視線を向けると壁際に背を預ける黒い長髪を靡かせる少女がいた。確か彼女も新入生歓迎会で同じ班だった筈だが、あの会をキッカケに交友関係を築けたのだろうか。
だとしたらあの苦痛の時間も無駄では無かったなと思いながら俺は改めてメイリーへと挨拶を行った。
「君はメイリーさんだったよね?覚えているか分からないけど新入生歓迎会の時に挨拶させ貰ったローク・アレアスです。改めてよろしくね」
「は、はい!メイリー・ノートスです!あのローク先輩に名前を覚えて頂いて光栄ですッ!ここ、こちらこそよよよろしくお願い致しますッ!!」
「あの、そこまで畏まらなくても大丈夫だから顔を上げてくれ」
ガチガチに緊張した様子で頭を下げるメイリーに俺は引き攣った笑みを浮かべながら言う。気付けば周囲からの視線が集まっている上に新入生に頭を下げさせているこの状況は間違いなく余計な噂を流される。一刻も早く顔を上げて欲しかった。
「ほら、メイリー。先輩もああ言ってるし、顔を上げて」
「で、でもあのローク先輩だよ!?」
「大丈夫だよ、そんな礼儀を気にする人じゃないから。私なんか失礼な態度取ったけどこうして仲良くさせて貰ってるし」
あの古代遺跡の探索の一件からレイアの俺に対する態度は軟化しており、今では数少ないというか唯一の会話ができる後輩となっていた。と言っても学院で会ったら挨拶する程度の関係ではあるが、それでも後輩と仲良くできるか不安に思っていた俺からすれば喜ばしい関係だ。
というか、メイリーの俺に対しての怯えよう酷くない?また俺の知らないところで何か変な噂が流れてるのか?
『まもなく学位戦、第一回戦を開始します』
と一年生の間にまた変な噂が流れているのではないかと懸念を抱いている内に学位戦開始を告げる放送と共に合図である鐘の音が闘技場に鳴り響いた。
「ローク先輩、良ければ一緒に見ますか?」
「相席しても良いのか?」
「はい。丁度、隣は空席ですし構いません」
学位戦を生で座って観戦することができるのは非常に助かる。ここは後輩の厚意に甘えるとしよう。
「ありがとう。そしたら隣、失礼する」
「はい、どうぞ」
地味に「ひぇっ」と悲鳴を上げたメイリーの反応にショックを受けながらも俺は視線をガレスの試合へと向ける。
既にガレスと対戦相手は精霊を顕現させており、お互いに出方を伺おうとしているのかそれ以上の行動をせずに睨み合っているが……。
———アイツ、魔剣抜かない気か?
ガレスに関しては腰に帯びている魔剣に手を掛ける様子が無い。今回の試合では魔剣を使わずに精霊と霊術のみで戦うつもりなのだろうか。
「あれ?ガレス先輩、剣を抜かないんですか?」
「みたいだな。まぁ、何かしら意図があるんだろうけど……おっ、動いたな」
先に動いたのは相手の学生だった。その背に炎を激らせどこか虎を彷彿とさせる姿をした精霊は主人の指示に従って吠えると同時に人一人を裕に呑み込めるであろう火球をガレスへと向けて放った。
無論それを素直に喰らう訳もなく、ガレスとベオウルフは迫り来る火球をそれぞれ危なげなく左右に躱すとそのまま相手に向かって突っ込んでいく。
「やれ、ベオウルフ」
ガレスの指示の下、今度はベオウルフが駆けながら咆哮を上げた。ベオウルフの咆哮と同時にベオウルフとガレスの間を遮るように巨大な氷柱が生え、そのまま地面を這うよう相手へと迫っていく。
「ぐっ!」
相手は迫り来る氷柱の群れを前にして顔を顰めるとガレス同様に精霊と左右に分かれるようにして回避行動を取る。お互いの姿は氷柱によって見えなくなり、一時的にではあるが、精霊と完全に分断される形となった。
そしてその状況こそがガレスにとっての狙いだったのだろう。
「氷牙剣」
ガレスは霊術によって氷の片手剣を生み出すとその手に掴み取り、相手に向かって素早く斬り掛かった。相手も手に火球を生み出して迎撃の態勢を取る。
相手の対応は悪くない。寧ろ咄嗟の判断にしては見事なものだろうが残念ながら相手が悪かった。ガレス目掛けて解き放った炎は一瞬にして真っ二つに斬り裂かれるとそのまま勢いを落とさずに迫ってきたガレスによって首元に剣を突き付けられる。
そもそも精霊師自身の身体能力の高さだけで言えば恐らくガレスは二年生の中でも一、二を争う身体能力の高さを誇っている。精霊と分断されて精霊師同士のサシでの勝負になった時点で相手の勝ち目は潰えていた。
加えて相手の契約精霊はというと主人の危機を察知こそしていたが、氷柱によって援護を妨害された上にベオウルフによる妨害も受け、まともに動くこともできずに氷柱の前でベオウルフに押さえ付けられていた。
完全に戦略負けである。
「終わりだね」
「…………」
呆然とした様子の相手にガレスはそう告げながら氷剣を消すとそのまま二年ブロックの試合の終了を告げる合図が鳴り響いた。
開始から十分も経たずに終了したあまりにも早い試合展開に闘技場で観戦していた学生たちから驚愕と称賛の声で一際賑やかになる。
「す、凄いですね」
「本当にな」
信じられるか?学院の序列上では俺、一応アイツより強い扱いなんだぜ?
ガレスが試合相手じゃ無くて良かったと内心で安堵しながら俺は他の試合へと意識を向けた。




