第114話
ビブリア廃神殿から現れた三つ首の黒龍、アジ・ダハーカは雷の如き咆哮を轟かせると二対の翼を羽ばたかせ、アぺプスとホーンテッドの真上に君臨した。
『…………』
「……ぁ……ああ……」
「………」
————クソ、復活を許しちまったッ!!
アぺプスとはまた別種の邪悪さを放つその巨体を前にしてレイアは絶望の声を漏らし、ロークはその隣で静かに唇を噛み締める。
「魔龍アジ・ダハーカ……」
「ハハハッ! 四凶が二体、壮観だねッ!」
ゼルが険しい表情でその名を呟く中、ホーンテッドは二体の邪霊に視線を向け、愉快だと言わんばかりの様子で笑う。
———どこが壮観だよ。
ロークはホーンテッドの発言を内心で毒付く。
状況は最悪だ。
倒したと思っていたアぺプスは健在であり、封印されていたアジ・ダハーカの復活まで許してしまった。
敵の戦力が大幅に増加した一方で、こちらは先程のアぺプスとの死闘で満身創痍に等しい。
現状、こちら側でまともに戦えるのはヴァルハート様だけだろうが、あの人もホーンテッドとの戦闘で相当消耗している筈だ。
仮にこのまま戦ったところでこちらに勝ち目は無い以上、どうにかしてこの場から逃走を図る必要があるが………。
『……クク……ハハハハハハッ!』
「……ッ!」
響き渡る高笑いに思考を中断して顔を上げたロークは身体を揺らす三つ首の黒龍に視線を向ける。
『やはり外界は気持ちがいいなッ!』
『………』
久しぶりに結界の外に出たということもあって興奮した様子で声を漏らすアジ・ダハーカにアぺプスが煩わしそうに唸り声を漏らす。
『……ん? 懐かしい気配がするかと思えば駄ヘビじゃねぇか。お前も出てきていたのか』
『相変わらず喧しい奴だ。その邪魔な頭二つを落としたらどうだ?』
『アァンッ! やんのか、駄ヘビッ!?』
『望むところだ、三つ首』
四凶たちの威厳の欠片もない言葉の応酬にロークは思わず呆れかけるが、そんな思いも次の瞬間には跡形もなく消え去ることになる。
「ひッ!」
「……ッ!」
二体の四凶の戦意が高まると共に黒い霊力が溢れ、ロークたちに向かって津波のように勢いよく迫ってくる。
「……くッ!」
既に肉体的にも精神的にも限界なレイアを何とか庇うべく前に出ようとするが、しっかりと身体を動かすことができず無様に倒れ込んでしまう。
———クソッ! ちゃんと動いてくれッ!
まるで言うことを聞かない自分の身体にロークが苛立っているとゼルが素早く二人の前に移動し、迫ってきた霊力を受け止める。
「ぐッ!」
「お父様ッ!」
「問題無いッ! そのまま下がってろッ!!」
ゼルはロークたちに見向きもせずに叫ぶと右腕に金色の炎を纏い、そのまま解き放つ。
放たれた金色の炎は迫ってきた霊力を押し返し、そのままアぺプスと睨み合うアジ・ダハーカに向かって迫っていく。
『………』
けれど炎は直撃することはなく、その直前でまるで見えない壁に衝突したかのように四散してしまう。
「そう易々とはいかないか……」
『………』
ある程度想定していた結果とはいえ、いとも簡単に攻撃を防がれたことにゼルが顔を顰める中、アジ・ハーカの首の一つが動いた。
ゆっくりとこちらに向けられる銀色の瞳。
その瞳が淡い光を放ったかと思うと「あ……ぐ……」「クソッ、身体が……ッ!」と辺りから苦悶の声が漏れた。
「……ッ!?」
その声を耳にしたロークは慌てて周囲に目を向けようとして、身体が全く動かないことに気付く。
———何だ? 身体が全く動かねぇ。
「金縛りの霊術か……」
先程まで多少なりとも動いていた身体が全く動かなくなったことに困惑しているとオーウェンの呟きが耳に入る。
ロークが視線だけで周りを見るとゼルとオーウェンを除く仲間が地面に倒れ込んでいる姿が確認できた。
———あの一瞬で俺たちに霊術をッ!
ゼルやオーウェンが動けているのは恐らく霊術に抵抗ができたからだろうが、既に自分を含めて余力のない仲間は見事に動きを封じられていた。
『おっと、二人に弾かれたか。思ったよりやるな』
『お前が鈍っただけだろ』
『ぶち殺すぞ、テメェッ!?』
「はいはい。お二方、久しぶりの再会に興奮するのも分かるけど、ここは一旦落ち着いて貰えるかな?」
再び殺気立つ二体の間に割って入ったホーンテッドはそう言って落ち着くように告げるとアジ・ダハーカに視線を向ける。
「それに貴方は復活したばかりなんだ。本調子じゃないのは当然だろ?」
『…………まぁ、そりゃそうか』
憤っていたアジ・ダハーカはホーンテッドのその指摘に納得した様子で頷くと『なら早速、霊力を補給したいんだが?』と口を開く。
「ああ、それなら貴方が万全の状態で戦えるようにとっておきの相手を用意しているよ」
『……それは、あのガキのことか?』
「……ッ!」
その言葉と共にロークに向けられる六つの瞳。
アジ・ダハーカから放たれるあまりの重圧に圧し潰されそうになりながらもロークは何とか気を保つと、その目を鋭くして睨み付ける。
『…………』
そんなロークの様子をアぺプスがどこか興味深げに眺める中、「いや、残念ながら彼じゃないよ」とホーンテッドの返答が耳に入る。
『それなら、相手は誰なんだ?』
「実はちょっと呼ぶのが面倒でね。申し訳ないんだけど、君に頼んでいいかな?」
『あぁ? 面倒臭ぇな』
気怠げな様子ながら頼みに応じるアジ・ダハーカを確認したホーンテッドは素早く地面に剣を突き刺す。
『んん? コイツは……』
ホーンテッドが剣を突き刺した地点を中心に地面に広がる赤色の輝きを放つ陣、それを見たアジ・ダハーカは六つの目を興味深げに細める。
「何かは分からないが、放置するのはマズそ———ッ!?」
『……ッ!』
「クロッ!?」
直感的に放置するのは危険だと判断したゼルが妨害に動こうと試みるが、先んじて上空を浮遊していた邪霊、クロが行動を起こした。
陣が現れた瞬間、半ば反射的にクロは霊術を行使。
まるでその陣を発動させてはいけないとばかりにクロは周囲の瓦礫をありったけ持ち上げると、その全てをホーンテッドに向けて放った。
『邪魔だ』
『ッ!?』
けれど放たれた大量の瓦礫はアジ・ダハーカの呟きと共に放たれた風の霊術によってその全てが粉微塵にされてしまう。
『少し大人しくしていろ』
『……ッ!!』
勢いよく地面に叩き付けられるクロの身体。
放たれた技は重力操作の霊術であり、自らの扱う技によって動きを封じられたクロは地面の上で苦しげに藻掻く。
「クロッ!」
「煌炎牙ッ!」
クロが反撃を受けている間に動いたゼルは両腕を上下に広げると共に獣の牙を彷彿とさせる金色の炎がホーンテッドの足元と頭上に現れる。
『汚濁の冷水』
けれども金色の炎がホーンテッドを包み込む前に彼の周囲に現れた黒い水が迫ってきた炎を掻き消してしまう。
「クソッ」
「あれは……召喚陣か?」
放った霊術を防がれたことでゼルが舌打ちを漏らす中、ホーンテッドの足元に展開されている術式を確認していたオーウェンがそう呟く。
「召喚陣って、まだ何かを呼び出すつもりってことですか?」
「……そうなるね」
オーウェンの肯定にロークはその顔を歪める。
アぺプスの復活、信頼していたアルベルト先生の裏切り、そしてもう一体の四凶であるアジ・ダハーカの復活……ここまでの出来事だけで既にキャパオーバーだというのにこれ以上、何をするつもりなのか。
『もういい、後はこじ開ける』
「了解、任せたよ」
その言葉と共にホーンテッドの召喚陣はアジ・ダハーカの側へと浮かび上がり、放つ光がより強くなっていく。
『ハッ、心地の良い禍々しさを感じるな』
『…………』
楽しげに術式を起動させるアジ・ダハーカを横目で見つめるアぺプスはどこかつまらなさげな様子で喉を鳴らす。
対極的な四凶たちの反応に訝しむ間もなく、召喚陣に刻まれた術式が起動しバキバキと鈍い音を響かせながら空間に裂け目が現れる。
「……? この感じは……」
裂け目の向こう側から放たれる気配にロークがアジ・ダハーカと同様にどこか懐かしさを覚えていると中から一人の少女が出てきた。
「———」
美しい少女だった。
年齢は十代前半といったところだろうか。幼さと妖艶さを併せ持つ整った顔立ちに、黒いドレスに覆われた年齢に見合わない成熟した肢体。
そして———背中から生えた蝙蝠を彷彿とさせる黒い羽。
人も精霊も邪霊も、その場にいた誰もが裂け目から現れた少女に目を奪われていた。
「あの子は……」
「人……じゃないのは確かだが」
「精霊……いや、邪霊か? しかし、それにしては気配が……」
人、精霊、邪霊そのどれとも違う不気味な気配を漂わせる少女に周囲から困惑の呟きが漏れる中、宙を歩く彼女は周囲を一瞥した後、その視線をロークへと向ける。
途端に少女の顔に満面の笑みを浮かび、ゆっくりと口を開いた。
「やっと会えたね、お兄ちゃん」




