第103話
「くッ!?」
アぺプスの放つ爆音の咆哮に怯みながらもロークが剣を構えると、空から黒い霧に覆われた巨大な尾がこちら目掛けて振り下ろされる。
反射的に回避しようとしたロークは直後に周囲に倒れている人々がいることを思い出し、行動を回避から防御へ切り替える。
「うおおおおおッ!」
思いっ切り地面を踏み込み、剣精霊と自らの全身に大量の霊力を流し込んで強化を施すと迫ってきた尾を受け止める。
「ぐぅッ!?」
鈍い音が響いた直後、剣精霊を伝って凄まじい衝撃が身体に走る。
「ハハハッ! 四凶の一撃を正面から受け止めるとか正気かいッ!?」
「うる……ガハッ!」
アぺプスの攻撃を回避せず正面か受け止めたロークをホーンテッドは爆笑する。
この状況、仮にも四凶と恐れられる伝説の邪霊の一撃を様子見もせずに受け止めようとするなど正気の沙汰では無い。
対するロークはそんなホーンテッドに言い返そうとするが、奥から込み上げてくるものを抑えきれず口から血を吐き出す。
「ぁぁぁぁあああッ!!」
全身が激しく痛む中、ロークは気合の声を上げながら何とかアぺプスの尾を押し返そうと力を込めるが、まるで動かない。
それどころか逆に押し込められる一方で気づけば立っていることさえままならなくなる。
『……ギ……ギギッ!』
「……ッ! 頼む。もう少しだけ———」
『…………』
更に追い打ちとばかりに四凶の尾を受け止める剣精霊が悲鳴を上げはじめるが、今のロークにはそう言って霊力を送ることしかできない。
「……ぐぐッ!」
———マズい。本当にマズい! このままでは確実に潰されるッ!
そう思いながらロークは必死に頭を回すが打開策はまるで思い付かず、いよいよ身体に限界がくる。
圧力に耐えられなくなって肘が曲がり、膝が地面に突く。
———クソッ! 身体が……ッ!
歯を食い縛りながら力を込めるが、やはり押し返すことは叶わず、そのまま尾に圧し潰されかけようとした———まさにそのタイミングだった。
極光が空に煌めいた。
『……ッ!?』
「おや」
尻尾と黒い霧が視界を遮られていた為、ロークはしっかりと確認することはできなかったが、恐らく光の霊術が放たれたように見えた。
だが、それよりも大事なのは今の光によって明確にアぺプスもの尾の圧力が弱まったという事実だ。
「……ッ! はぁああああッ!」
この瞬間を見逃せば絶対に死ぬと思ったロークはここぞとばかりに一気に力を込め、アぺプスの尾を持ち上げ、そのまま思いっきり剣を振るう。
『……ッ!』
アぺプスの鱗は硬く、傷を付けることは叶わなかったが、それでも何とか尾を弾くことに成功したロークはその場に膝を突きながら呼吸を整える。
「はぁッ! はぁッ! …………。ただの一撃で……この様か……」
ただ尾の一撃を防いだだけだという全身の力が抜けてしまっている。可能であればこのまま倒れ込みたい気持ちを抑え込みながらロークはアぺプスを睨み付ける。
これまで高位の邪霊とはそれなりに戦ってきたつもりだったが、この邪霊は文字通り格が違う。威圧感、霊力量、霊力の禍々しさ、どれを取っても他の邪霊たちとは一線を画している。
「……マズいな」
頬に冷や汗が流れるのを感じながらロークは呟く。
今は援護があったからどうにかなったが、あのまま何も無ければ確実に圧死していた。
けれど、だからと言って逃げれば倒れている人々の命はまず無いだろう。
なら戦うかと言われれば、その場合は自分の命が無いだろう。
———これ、詰んでないか?
「今のはあの王女様かな? 相変わらず厄介な子だな」
「……ミーシャ」
煩わしそうに呟くホーンテッドの言葉を聞いてロークは僅かながら希望を抱く。
ミーシャやガイル先生が既に動いてくれているのだとすれば住民の保護はどうにかなるかも知れない。
問題はそれまで自分一人で耐えられるかということだが……やるしかないだろう。
「……ふぅ」
「おっ?」
ロークは息を吐きながら依代を取り出し、限界が近い剣精霊をしまう。そして代わりに依代内で封じられている別の精霊を呼び出そうとして気付く。
———これは。
依代の中で封じた精霊たちが暴れているのを感じる。
封印を破るほどの暴れ方ではないが、この様子では呼び出した瞬間、簡易契約を結ぶ前に逃げ出されてしまうだろう。
「それなら———」
ロークは思考を切り替えるとこの状況下でも問題無く簡易契約を結べ、且つ事態を好転させられる可能性が高い最も強力な精霊……否、邪霊を呼び出す。
「来い、クロッ!」
『……〇#◇$ッ!』
「へぇ……」
依代の中から現れたエイのような姿をした邪霊、クロはそのまま上空を旋回するとロークの側に着地し、そのまま簡易契約を結ぶ。
そんなロークたちの様子を見ていたホーンテッドはどこか興味深げな声を漏らす。
「ユーマから聞いてはいたけれど、確かに邪霊を使役できているみたいだね」
「だったら何だ?」
「ますます僕たちと共に来た方が良いと思うよ」
「殺しかけておいて言う台詞じゃないな」
さっきの自分がしたことを忘れたのかと思いながらロークが言うとホーンテッドから「器が小さいなぁ」と呆れた声で返される。
———何も小さくねぇよ、ざけんな。
「そんな小さなことじゃなくてもっと大局を見た方が良い。これから俺たちが作ろうとしている世界はその力を扱う上で生きやすい世界だよ? そんな世界に足を運べる貴重な機会をみすみす逃すつもりかい?」
「別に望んでいないしな」
ロークはホーンテッドにそう言い返すと目に見える対象を視認しながら術式を組む。
「俺は自分の力が発揮できる世界よりも、たった数人だろうとありのままの俺を認めてくれる人が生きている今の世界の方が何十倍もいいね」
「ッ!」
そう告げると共にロークは霊術を発動させ、近くに倒れていた住民たちを重力操作で遠くへと運ぶ。
「あくまで他人優先、見上げた根性だな。アぺプスッ!」
『…………』
「……ん? あれ?」
霊術で周囲の住民を安全な場所へ素早く避難させ、クロに防御を任せようと考えていたロークはホーンテッドとアぺプスの様子がおかしいことに気付く。
見ればホーンテッドが指示を出すも、アぺプスは知ったことかと言わんばかりに空に佇みながら光の霊術が飛来した方向に視線を向けている。
どうやらアぺプスはホーンテッドに指示に逆らっているようだった。
「おい、ちょっとッ! まさか、まだ霊力を求めるのかッ!?」
————まさか、制御できていないのか?
困惑するホーンテッドの様子を見ていたロークは今更ながらアぺプスが封霊石から現れていたことを思い出す。
アぺプスの威圧感にビビッて気付くのに遅れてしまったが、その事実はアぺプスはホーンテッドと契約を結んでいないことを示す何よりの証拠だ。
つまり、あのアぺプスは……。
—————簡易契約か。
そもそも四凶と簡易契約が結べることにも驚くべきことではある。
けれど精霊契約と簡易契約とでは天と地ほどの差がある。今、ホーンテッドがアぺプスを制御できていないことが良い証拠だ。
「クロッ! やれッ!!」
そしてこの隙を逃す理由はない。
ロークは人々を安全な場所に運ぶ傍らでクロにホーンテッドへの攻撃指示を出す。
『□●@%ッ!!』
クロは主人の指示に意気揚々と応じると周囲の瓦礫を浮かせ、躊躇いなくホーンテッドに向けて放つ。
「……ッ! ちぃッ!」
「…………」
アぺプスに話し掛けていたホーンテッドは勢いよく迫ってくる瓦礫を視認して会話を中断すると、ヴラドと共にその場から跳躍して瓦礫を回避する。
「四凶の力をもっと見たかったが仕方ないな。ヴラド、やるぞ」
「…………」
「ヴラド?」
「…………」
「……あの、ヴラドさん?」
戦場にホーンテッドの場違いに困惑した声が響き渡る。
見ればホーンテッドがヴラドに何度も声を掛けているが、ヴラドは沈黙を貫き何の反応も示さない。いや、反応を示さないというよりはそっぽを向いている。
よく分からないが、アぺプスとヴラドに無視されている今はホーンテッドを倒す絶好の機会である。
「クロッ! 抑えるぞッ!!」
『☆〇×ッ!』
「ぐはぁぁああッ!?」
粗方の住民たちを退避させ終えたロークはここぞとばかりにクロと共に霊術でホーンテッドを圧し潰しに掛かる。
「ぐッ!? ヴラド、ヤバいッ! マジヤバいからッ!」
「…………」
地面が砕け、膝立ち状態になりながらもロークたちの霊術に耐え続けているホーンテッドは、自分だけしっかりと霊術を回避したヴラドにそう叫ぶ。
「どうしてそんな無視するのッ!? あんなにご飯食べさせてあげたじゃんッ!?」
「…………」
「何がそんなに不満…………あ、嫉妬!? もしかして嫉妬なのかヴラドッ!?」
「………」
相変わらず無言を貫くヴラドだが、ホーンテッドのその言葉に彼女の身体がピクリと反応する。そしてホーンテッドはそんなヴラドの反応を見逃さなかった。
「悪かったッ! けど、いつだって俺の一番はお前だ、ぞヴラドッ!!」
ヴラドが自分を無視する原因を突き止めたホーンテッドはそう叫ぶ。
「ッ!!」
そんなホーンテッドの様子を見ていたロークは霊術を掛け続けながら走り出す。
二人の信頼関係が修復される前に叩く。
ホーンテッドもロークのそんな思惑に気付き、焦燥感に駆られながら相棒に向けて必死に叫ぶ。
「分かったッ! お前が前にハマったデラックスパフェを一週間ずっと食わせやるから許し———」
「眠ってろッ!」
ホーンテッドの言葉を遮り、拳を握り締めたロークはそう叫びながら殴り掛かかる。
霊力を纏った拳が動けないホーンテッドの顔面を捉えようとした直前で、地面から生えてきた無数の杭に妨害されてしまう。
「……ッ!」
「ちぃッ!」
更に追い打ちを掛けるように幾つもの杭がロークを刺さんと襲い掛かり、後退を余儀なくされてしまう。
「くそッ! 仕留められなかった」
『×%■〇ッ!』
クロの側まで引いたロークは千載一遇の機会をふいにしてしまったことに悔しげに顔を歪める。
対するホーンテッドはというと、ヴラドの協力を得てクロの霊術を力尽くで破ると深い安堵の息を漏らしていた。
「ふぅ、危なかった……」
「…………」
隣で何か言いたげな視線を向けるヴラドに、ホーンテッドは「悪かったよ」と呟きながらその小さな頭を撫でる。
「ただ、今回は俺も真剣なんだよ。何が何でも今回の作戦は成功させたいんだ、分かってくれるか?」
「…………」
ヴラドは普段からは考えられないような真面目な頼み方をするホーンテッドを暫く見つめた後、やれやれと言わんばかりにため息を漏らすと黙ってその手を掴んだ。
「ヴラドッ!」
ホーンテッドは口角を上げて相棒の名を叫ぶと応じてヴラドはその姿を赤色の剣へと変化させる。
「血刀・戒罰ッ!」
「クロッ!」
紅い輝きを放つ剣を見て危険を察知したロークはクロに対して素早く防御の指示を出す。その直後、赤色に染まった波状の斬撃が飛来し、クロが展開した障壁と衝突する。
『☆●#@ッ!!』
やがて二つの霊力はやがて弾け、周囲に存在している建物を破壊していく。
「ハハハ、簡易契約でこの強さとは流石だッ! かつてあの人が従えていただけはあるッ!」
「アンタ、クロのことを知っているのか?」
まるで昔からクロのことを知っているかのような口ぶりにロークが眉を顰めながら問うとホーンテッドは頷く。
「ああ、よく知っているとも。クロだとかいいう変な名でなく、本来の名もね」
「な———ッ!?」
ホーンテッドの発言にロークが驚きの声を漏らした直後、上空でアぺプスの雄叫びが聞こえ、再び眩い光がガラテアを照らす。
「はぁあああッ!」
『ガァアアッ!』
何事かとロークとホーンテッドが戦闘の手を止めて頭上を見上げれば霊装を纏ったミーシャがアぺプスとの戦闘を始めていた。
「やっとやる気を出してくれたか」
どこか安心したように呟くホーンテッドの頭上で、ミーシャは純白の翼を広げるとアぺプスに対して光の霊術を放つ。
幾つもの光線が黒く染まった空を駆け巡りアぺプスへと迫っていくが、彼が纏う黒い霧によってその全てが阻まれてしまう。
「あれはッ!」
「アぺプスの纏う闇はあらゆる攻撃を無力化する。あの程度の攻撃じゃアぺプスにダメージを与えることはできないよ」
ホーンテッドがそう語る間もミーシャは一切臆することとなく、今度は槍に霊力を纏わせると肉弾戦を仕掛けた。
「フッ!」
素早く突き放たれる槍撃。その穂先に宿る霊力は先程の霊術に込められていた霊力量を遥かに上回っており、あの一撃ならばアぺプスの防御を貫くことができるのではないか。
そんなロークの思いとは裏腹にミーシャの槍撃がアぺプスに届くことは無かった。
アぺプスはミーシャの槍が届く直前でその身を翻らせると黒い穴のようなものを生み出し、その中へと潜って姿を消してしまった。
「これはッ!」
『シャァアアッ!』
予想外の出来事に驚くミーシャの頭上から咆哮が響き渡り、彼女が顔を上げれば空中に出現した穴から踊り出たアぺプスが口を大きく開ける姿が視界に入った。
「くッ!」
咄嗟に翼を羽ばたかせ、アぺプスの突進を回避することに成功したミーシャだったが、その直後に振るわれた尾の一撃を躱すことは叶わなかった。
その巨体に似合わない俊敏な動で尾を薙ぐアぺプスに対してミーシャは咄嗟に槍に光を纏わせながら力強く振るう。
「………ッ!!」
「はぁッ!」
放たれたミーシャの槍撃は轟音を響かせながら尾の一撃を何とか弾き返すことに成功し、その光景を見たロークは流石だと歓声を漏らす。
けれど流石に無傷という訳にはいかなかったらしい。先程に比べてミーシャの動きが明らかに悪くなっている。
「他人を気にしている場合かッ!?」
「しまっ!」
ミーシャに気を取られていたロークはこちらに急接近してくるホーンテッドへの反応が遅れてしまう。
クロは咄嗟に霊術を放とうとしているが、僅かにホーンテッドの剣が届く方が速い。
———やられるッ!
ロークが覚悟をした直後、身体をぬめりとした感触が包み込み、そのまま後方へと思いっきり引っ張られる。
「うおッ!?」
「チッ、何をボケっとしてやがる」
そのまま地面に乱暴に放り投げられたロークは、受け身を取りながら苛立った声を上げる人物へと視線を向ける。
「オーグン……」
そこには舌打ちを漏らすオーグンとその契約精霊であるクラーケンの姿があった。




