小さなカフェの物語「颯宋( はやてそう )さんの場合」
あらすじ
私、こと斉藤隆は65歳手前早めの退職をし、駅前の好物件でカフェ「カッコウ」を開店するが、なかなか客足が遠く、苦労の連続。だが、少しづつお客さんがついてくるにつれ、それは私の想像を超えた物語と共にやってきた。いかに、サラリーマンであった時代に世間が狭かったか思い知らされ、やがて、「カッコウ」の店主として成長を遂げる。小さなカフェの小さな成功物語は最終章に突入。
颯宋さんの場合
はや、開店から半年過ぎようとしていた冬間近、晩秋、美しかった紅葉が音も無く落ちていき、人々の心も日光の減少と共に萎えていくようなそんな時期、静かに彼はドアを開け、入って来た。
品の良いロングコート、年の頃なら私と同年代だろうか?
親しみが湧くタイプではないがまた反対に話しやすい方のようにも見える。
そんなちぐはぐな印象を持ったお客は唐突に出現し、私の前つまりカウンターの真ん中で文庫本を取り出し読み始める。
察した私は、暫く黙っていたが「いつものブレンド」と言われてしまった。
「すいませんが、お客様初めてのお越しですね。このカフェは店主が私に代わってしまい。」
すると、突然「すまん。考え事をしていて、新しい方に変わったんですね。前のマスターはどうしたんですか?」
見上げた顔は、思った以上に眼光鋭い。
「よく知らずに引き継いだんですが、喉のご病気が原因で閉店されたまでは聞いております。」
「そうですか、なんか失礼な物言いですいません。」
その言葉に案外と優しい人だとは思ったが、このカフェで沢山のお客と出会い、何気に人を見る目が出来のだろうか、やはり眼光の鋭さは否めない。
「そういやー、マスターおかしな声でしたよ。ものが詰まったような。最後に来たのは1月ごろだから、悪い病気じゃなかったらいいんだけど。貴方、じゃないや、マスター、なにか聞いてますか?」
「すいません。全く知らないですが前任マスターの入れる珈琲の味は知っております。私も2,3度来ていましたから。ブレンドが上手かった。少しでも前のマスターの味に近づくよう精進しています。」
「それ、ちょっと違うんじゃないかな。」
少しむっとしたがお客の話は続く。
「マスターは御自分の味を追求するべきかと、独自のブレントが大切なんでは。そうでなくてはお客さんがつきませんよ。」
なるほどと思ったが同時に当たり前の話だとも。
「マスター僕何やっていたと思う?」
「うううん、そうですね。IT関係の企業にお勤めだったとか。そんな雰囲気があります。」
「お褒めの言葉を頂きありがとう。でもね、僕さ前があるんですよ。」
また、やばいやつが来たかも。
私はたじろいでいた。
「あらためて、お聞きしますが、マスターって呼んでいいですね。」
不思議な圧力を感じたが常連客にはなってもらえそうな淡い期待が心に強く響くが?この人の何とも言えない、なんといっていいかな?服装と中身がちぐはぐだとでもいえようか。
どうしても少し身構えてしまう。
ましてや、前科があるなんて初めて会った人間にはたして簡単に話せるであろうか?
彼、颯宋さんの言葉は続く。
「やっぱり、近づき難いんですね。私、どうやら会った人全員にそう思われるみたいで。慣れっこですよ。」
次第にとぎれとぎれの記憶がよみがえってくる。
そうだ、何かでつまづき、役者を辞めた颯宋だ。
思い出した、薬物疑惑だった、よ、う、な気がする?
「その顔は思い出されたんですね。私若いころ役者やってましてね。颯宋と申します。芸名じゃなくって本名でデビューしたんです。小さなタレント会社でしたけど、毎日が充実してたな。あの頃。」
「思い出しました。妻と一緒に主演されていた映画、(岬より)観ました。あれは良かった。サスペンスものかと思いきや、最後は泣かせる。颯さんの演技素晴らしくって妻と一緒に泣きましたもん。」
それでか、俳優さんだったから?身に着けているものと本人のギャップを感じたんだ。
「役者やってたんだけどね。この職業は自分があって無いような仕事。役に入り込むと実生活との区別がつかなくなる。そうでなくっちゃできっこないんですよ。役者という仕事はね。ご覧になられた(岬より)でも危ない高利貸しの役だったでしょ。」
「そうでしたね。たしか、取り立てに行った家族を救う為に結果命を狙われてしまう。複雑な印象の役でした。難しかったでしょ、演じるのが、普通の神経じゃ無理でしょう。」
「いや、案外とそうでもなかったんだ。」
「え?確か日本アカデミー賞の主演男優賞もらったんじゃなかったかな?」
気が付いたら気軽に話している。
思った以上に話しやすい。
「現実感がないほどやりやすいんだ。反対に普通の役、例えばサラリーマンとか、マスターの様なカフェ店主の役とか。あ、失礼しました。決してディスっている訳では。何処にでも居そうな人間ほど深みがあるってことで無礼を許していただけるかな。」
「何を仰っているんですか。面白いお話聞かせて頂いてるのに。」
「ありがとう。じゃ、ついでにもっと話してもいいかな?時間大丈夫?」
「ええ、他にお客さんも来なさそうですし。」
「僕、薬の関係で俳優辞めたって言われたでしょ。あれ、はめられたんですよ。前科があるって言ったでしょ。すぐには無実が証明できなくってね。だから、一時前科者になったってわけ。だからさ、人間不信にもなってしまった。信じていたある人に裏切られてね。その時分、僕、海外での仕事の依頼がきて、でもさ、小さなタレント事務所だったから、それ困ったんだよね、事務所的に。僕の儲けが事務所のほとんどの収入だったから、上の人間がある筋に頼んでね。吸っていたシガーに薬物混入されたんだけど、そのシガー吸っていた写真を取らせてさ、警察に直行。そく逮捕。だって、家にあるシガーにも混入されてしまっていて、全部仕組まれていたんだが、無実の証明は難しいっていうけど本当だった。シガーを専用の電子加湿器つきのキャビネットに入れる時に当然僕の指紋も付いてるし、キャビネットには鍵が掛かっていたし、そりゃ疑われるわ。よくできたシナリオさ。」
「でも、颯さんシガーって先が円いからどうやって薬物混入出来たか素人の私にはとんと分かりません。」
「シガーは専用のパンチで先をぐるぐるって回してそこに火をつける、そこから混入されたらしい。家のキャビネットに3本パンチで開けたシガーが見つかって僕の指紋もばっちりさ。でも、誓って僕は薬物なんてやってなかったんだ。尿からも検出されなくってさ、結局は何度か僕の留守中、マンションの防犯カメラにあの人が映っていたんだ。当時にしては珍しいけど防犯カメラがあるマンションだったんだ、でね、「あの人」で勘弁してね。名前なんか言いたくないんだ。思い出したくもない、あの人なら僕のバッグから家の鍵を盗んで合鍵作る事も可能だった、あの人には家で何度かシガー振舞っていたし、キャビネットのシガーに薬物混入出来たわけ、でね、警察が近くの合鍵作る専門の店に彼の写真をもっていったら店主が僕ん家の合鍵を作ったって証言した。それで晴れて無罪になったけど、いったん有罪の疑惑が付いたんでなかなか仕事が回らず昔っから興味があったそれこそシナリオ作家になった。名前も変えて表舞台から身を引く形を取らざるおえなかった。嫌味な話だね。ある意味神様のシナリオ通りだったかも、そこそこ売れてなんとか生活できてるんだもん。不思議な話さ。」
「そんなことで役者人生が台無しになるなんて、世の中無慈悲ですね。文章能力があったから今の颯さんの生活が成り立っているって訳ですか。人のうわさも四十五日ってよく聞きますがいったん張られたレッテルを剥がすのは並大抵の苦労ではなさそうだから…。」
「でもさ、シナリオの仕事をくれたのは知り合いの先輩だった、詳しくは言えないけど、助けてくれる人もいたってことさ、最初は小さな舞台の仕事だったけど案外と評判良くって、次々依頼が舞い込んだ時は主演男優もらったよか嬉しかっんだ。」
「そうですか。」
次第にこの一見風変りな人間に何とも言えない親しみを感じ始めた。
おそらく才能にも運にも恵まれた人生だったんだろうが、努力を惜しまない人だろう。
顔に自信があふれている。
「じゃ、マスターまたくるね。」
そういってシナリオライター颯宋さんは店を出ていった。
思えば、このカフェにはいろんな人が来てくれて、それぞれの人生を彩るまるでそれは例えるなら万華鏡のようなおとぎ話。
気付けば、「カッコウ」はたくさんの人と思い出話で溢れかえっていた。
力の限り、このカフェを続けて、人々の思いに寄り添えるマスターになりたいと心から願う!