小説 小さなカフェの物語(刈谷翔 かりやしょうさんの場合)
刈谷翔さんの場合 小説小さなカフェ
あらすじ
マスターこと、斎藤隆は早期退職をし、念願だったカフェ「カッコウ」を駅前の好物件で出店したが、思うようにお客が付かない有様。
早くもカフェの経営の難しさに直面していたが、そんな彼のもとに少しずつお客がやって来た。
信じられないような身の上話と共に…。
刈谷翔さんの場合は彼の目線で物語が始まっていく。
いつものようにカーテンが開けられ、思わずまぶしさに目がくらむ。
だが、そんな様子は絶対に見せたくはない。
また、「刈谷翔様、目まいあり。」
なんて報告はされたくないから。
いつものモーニングルーティン。
検温から私の病院での一日は始まる。
ついでに私の前を通りすがる形の良いヒップも何とはなしに触ってあげなくてはいけない。
「刈谷さん、いい加減やめなさい!村井さんとか、上原さんにもセクハラやってるんですって。今度やったら院長に報告しますよ。」
「いやね、なんっていうか、モーニングルーティンになってるんで、触らないと申し訳なくって。」
ナースの八神さんとの丁々発止は日常化している。
気が強いんだ、このオバサンナース達。
でもさ、さすがに入って来たばかりの二十歳そこそこの新人のナース近藤さんには手が出せない。
おばさんと違って冗談ではすまなくなることくらいは心得ている。
誓っていうが、こんなセクハラまがいな愚業をしたのは恥じめて。
長年、サラリーマンとして真面目に勤め上げ、通勤の満員電車内でもそんな気持ちになった事なんて一度も無い。
自分で言うのもなんだが愛妻家で有名。
社内でもそれは評判になったほど。
いつも愛妻弁当で昼食に外食なんて数えるほど。
そんな生真面目だった私が突然なぜ、こんな事しなくっちゃいけくなったって。
答えは簡単、気がおかしくなりそうだからさ。
ベテランのナース達も私がわざわざおかしなことをする意味はよく分かっていた。
長くないんだよ、私の命は「余命宣言」とやらを受けているんだ。
あの日はやたらに暑かった記憶と共に鮮明に思い起こせる。
電車を乗り継ぎ、徒歩で「死刑宣言」を受ける事となるこの病院へとやって来た。
一昨年、妻の美代子を乳がんで失くしたばかりなのに、その傷が未だ癒えぬ内のまさかの自身の余命宣言を聞こうとは。
人生は分らん。
美代子が58歳の若さで亡くなってしまって、もう、生きる気力も何もかも嫌になって、何度、後を追ったらいくらか気が楽になるんじゃないかって思ったもんさ。
私達には子供もいなかったから。
美代子は40までは不妊治療を頑張ったがやがてそれは私達夫婦にとって重しとなっていった。
当時の不妊治療はコストも高く精神的にも子供を持てないカップル達に負担となっていく。
が、経済的な問題は降りかかってはいなかったが、精神的にはかなりきつかったのだ。
やがて、私達夫婦の間で知らぬ間に暗黙の了解っていうか子供の話題から離れて行く。
それでも、子供に恵まれ無かったけど十分に幸せに感じていた日々が走馬灯のように流れる。
だが、昨今の日本の事情は超高齢化社会をなんて余計なものを生み出し、得意のモノづくり大国も隣りの巨大な王者にとってかわられる始末。
つまりは、生きにくい国となってしまったんだな、日本は。
外に出ていきマレーシア辺りで老後を過ごそうか子供もいないし、そんな話題をしていた矢先に美代子の乳がんが見つかる。
最初は、小さなしこりだったらしいが、やがてそれは徐々に大きくなっていき、ついに検査を受ける気にとなったが、時すでに遅し。
担当医に「もって、後半年です。」宣言されちまった。
ショックだった。
今の時代、癌なんて完治するものと思っていたのに。
手術も不可能で抗がん剤投与とラジウムなんとか?しかないっと先生は言ってたっけ。
が、意外にも美代子は冷静で半年何が出来るか、旅行にはいけるかいろいろ担当医に聞いていた。
それらの言葉がやたら遠くから聞こえるような気がしたのを記憶している。
二人で相談して何処か旅行にでも行こうかって時にやって来たのが例の「コロナウイルス感染爆発」だった。
おかげで全ての予定が「ぱあ」となる。
「それも運命、悪いように考えたらキリ無いんだから、いいように考えましょ。貴方は忙しかったんだからこの際私の病気にかこつけて少し休んだらいいじゃない。私貴方が思っている以上に元気みたいだし。」
「それもそうだな、」
だが、そんな状況は長くは続かず、風呂場で美代子は貧血の為倒れてしまい、そのまま入院となり、抗がん剤治療が始まる。
闘病生活は想像を超えた苦痛を伴い、脇で見ていた私は吐き気に襲われる彼女の背中をさする事だけがやっとで。
時折、看護師がやってきて様子を見ていき、私に状況の報告を求めるのみで終了。
もう、なすすべがないのか?そんな思いにとらわれていると、必ず担当医がやっいくる。
それは、不思議とタイミングが良く、その時は運命みたいなものがあるなら信じられた。
その時の彼女と私の願いはただただ「家に帰りたい」の一言。
こんなにも治療が辛いないっそ二人で…。
何度もおかしな考えにとらわれていた時にある有名作家の本に出会い死について真剣に考える機会となった。
その有名作家も余命を宣言されて残された時間をいかに有効に生きるかを真に読者に問うていたが。
結果はご本人の中でも確固たる答えは出ずに医師の余命どおりに亡くなってしまった。
「人は何故生きるのか、何故生まれてきたのか、が問題ではなく、いかようにも、ものの捉え方によって変わってくる。故に自身の思うがままに生きるのが大切なのかもされない。」
そのような内容だったような。
当たり前の事だとも思ったが、何故か納得でき、言葉が心にストンと落ちていくのを感じた。
やはり、作家は言葉のマジシャンだとつくづく考えさせられた。
やがて、彼女の病の進行は確実に進んでいき丁度余命宣言を受けてから半年目で亡くなった。
訪問看護、介護、診療等を上手く使いなんとか家での最後を迎えるに至る。
眠る様に亡くなっていったのがせめてもの救い。
思えば沢山の方々にお世話になった。
感謝の思いにとらわれる。
話が飛んでしまったが、私自身に戻らせて頂く。
病名は発見が難しい「すい臓癌」で美代子が受けた余命宣言と同じであと半年の命らいし。
母方の祖母が「すい臓がん」で亡くなっていたから遺伝なのかも知れないな。
が、今の所痛みもないし自覚症状がほとんどない。
ただ、時折目まいに襲われるのみでこんなんで癌だなんて誰だって想像つきゃしない。
担当医に言われるがままに即入院し闘病生活に突入、やがて、例の八神さんとの丁々発止のモーニングルーティンに至る。
治療が進むにつれ吐き気や倦怠感に襲われ始め、子供に恵まれなかった私には頼れる人がいない状態。
コロナ禍でお見舞いに来る人もいなく、ナース達の存在だけが心の支え。
だがらこそ、彼女たちに悲しい顔や辛い顔はしたくはない。
時に、抗がん剤投与の辛さで何度か彼女らのお世話になったが、いや、常にナース達がいなくっては、トイレさえいけない有様。
情けなかったが背に腹は変えられず。
お恥ずかしい話だが、一回だけだが深夜、部屋で失敗した時にも嫌な顔一つせずに黙って後始末してくれた。
回りにも私の排泄物の異臭がし、迷惑をかけたのに、でも、モーニングルーティンは止められない。
今朝の犠牲者はベテランの村井看護師。
検温の為に仕方なく私に近づかなくてはいけない。
隙を狙って、ヒップを触ってあげたら、な、なんと「刈谷翔さん出禁!で・き・んです!!」
デカい声で怒鳴られた内容は病院の出入り禁止だった。
「未だかつて病院の出入り禁止なんて聞いたことないです。」
勇気を出し絞るような声でいったら、キイっとした顔で睨まれた。
おっかなかった。
それ以来私とベテランナース達のモーニングルーティンは終了。
いっくらなんでも、病院出入り禁止じゃさすがに余命宣言を受けたわが身でも生きた心地がしないからさ。
おとなしくしていたが、そんな折主治医からの一時退院が命じられた。
「やっぱ。出禁になったわ。」心の中で思っていたが嬉しかった。
退院準備をしていた様子を静かに見守っていたナース八神さんは「もう、帰ってこないでね。」笑っていたが、目の奥にある光を私は見逃さなかった。
もし、この世に天使がいるならこの人達の存在だと思ったが、相変わらずの私は「村井さんから病院出入り出禁になったからな。」
二人で笑い合った。
二週間程度の一時退院を許された私はなんとは無く駅前を歩いていると、カフェ「ホライゾン」の跡地で新しい店が開いているのを見つけた。
たしか、マスターが扁桃腺を患っているって聞いていたが、まさか閉店したのかな?
不思議な思いと共に自然と足が向く。
気が付くとドアを開け店内へと誘われている。
やっぱ、マスターが変わっている。
しかし、コーヒー豆の良い香りが私の鼻孔を刺激する。
狭い店内だがカウンター席以外は満席だ。
満席って言っても四人掛けのテーブルが二組とカウンター席のみ。
黙ってカウンターに座ると、気のよさそうな60代と思われる男性が話しかけてくる。
「こんにちは、初めての方ですよね。 私、カッコウ という名でカフェやらせてもらっています。斎藤と申します。前のマスターみたいに上手い珈琲お出しするよう頑張っています。できましたら、マスターとお呼び頂ければと思います。」
幾分とかたぐるしい感じを受けたが、笑顔が良い。
なんとは無く、話してしまいたくなって、いやね、身の上話っていうものをね。
妻、美代子の乳がんで見つかった時は発見が遅れてしまい、僅か半年で亡くなって未だ、傷がいえぬ時期に今度は私自身の「すい臓がん」が見つかり美代子同様あと半年と「死刑宣言」を受けたことやつい最近までの入院生活の話など。
思えば、30分以上話しただろうか、他にもお客がいたし、午後の3時過ぎであまり忙しそうに見えなかったのを良いことに一気に語ってしまっていた。
すると、私の話を聞き入ってくれていたマスターが自身の経験を話してくる。
「私の妹は子宮がんで、すいません、お名前お聞きするの忘れていました。差し支えなかったら教えて頂けませんか。」
「刈谷 翔っていう年齢のわりに翔って名前ナウいでしょ」
私は少しだけ笑顔になっていた。
あのベテランナース達にはおそらく見せれなかった程の自然な笑顔だったかも知れない。
ま、鏡を見たわけじゃ無いけどね。
マスターの話は続く。
「妹も主治医にもってあと半年って言われたんですよ。でね、一応オペするって決まって、おなかを切ってのです。腹腔鏡じゃないです。でね、オペの途中で主治医が待っていた妹の旦那んとこ来てね、癌全部取り切れませんでしたって言われてね。例のオペの時の服を来てオペ室に入って説明を受けたんですよ。勿論妹の腹は開いてままで。ま、諦めてくださいって話かな。でもね、妹あれから5年になるんですが元気に生きてますよ。彼女曰く、癌細胞は誰の身体の中でも毎日できている。自然免疫で癌細胞が消えていってるんだって。この前、とうとう「寛解宣言」受けてきました。治ったんですよ。完全に。こんな事もあるんですから、決めつけない方がいいんじゃないでしょうか?生意気言ってしまいました。でも、私、寿命は医者が決めるんじゃないって思っています。神様が決めてるんじゃないかって思ってるんです。」
なるほどと思った。
確かに、余命どおりに亡くなる方だけじゃない。
「マスターありがとう。俺も数値が良くなるのを期待してるよ。」
笑いながらいう事じゃないが。
「じゃ、生きていたらまた来ますね。」
と答えた。
「生きていますって、数値だって良くなっているかもですよ。自然免疫バカに出来ませんよ。」
ありがとうの言葉を残し私は「カッコウ」を出た。
久しぶりの外出のせいか、なんだか「うきうき」してくる。
珈琲も上手かったし、入院生活をしていた頃に味わったことの無い心と身体の軽さを感じ、もしかしたら、あそこの珈琲なんか変な薬入ってるんじゃないか。
それほど体調が良かった。
マスターの言う自然免疫の作用は本当なのかもしれないな。
明るい気持ちで歩きながら例の場所に自然と足を運んでいた。
ある日、美代子と一緒にこの道を通った折に、沢山のランドセルをしょった子供達を見かけこの児童養護施設の存在を知った
この細い道の先に、都が運営する児童養護施設がある。
私と美代子には子供がいない。
どちらかが先に逝ってしまい、残された方が財産を使い切らなかった場合は弁護士を通し匿名でこの児童養護施設に全額寄付するようにしてある。
子供に恵まれなかった私達のたった一つの願い。
後半年と余命宣言を受けてから三か月が経ち一時退院も許可されひょっとすると数値良くなったんじゃないかな?
もし、マスターが言ったことが本当だったら、いや、ありえない話じゃない。
結構な割合で私も聞いている。
見放された患者が生きてるって話。
生還率の低い「すい臓がん」ってだけで、諦めていただけかも知れない。
それに、なんか「カッコウ」の珈琲飲んでから力が湧いてくる。
あそこの珈琲は目に見えない何かが潜んでいるのかも。
癌と診断されてこれほど体調が良いのは初めてだ。
次の検査で数値が良くなってあのベテランナース達八神さん、上原さん、そして私に「病院出禁宣言」を下した、あの村井さん達に一泡吹かせてやりたい。
「まだ、生きますよってね!」
知らぬ間に笑顔になっていた。
そんな私の脇をランドセルや鞄を担いだ子供らが通り過ぎる。
まだ、少し、先になるかもしれないな。
この子達に私と美代子のプレゼントを送れるのは。