短編:黒の休日
バレンタインデーということで……。
ノワールとシルヴェスの2人の様子です♪
―――フェリシア城、ノワールの執務室
「さて、と」
ノワールは腰掛けていたデスクから立ち上がり、グーッと伸びをする。シルヴェスは別業務に行かせている為、側にはいない。クゥ、と情けない音が彼から漏れる。時計を見れば午後2時半過ぎ……、時には間食というのも悪くない、と城をこっそりと抜け出す。シルヴェスに見つかると、心配されてしまう。彼女にも甘いものを買って帰ろうと意気込む彼は、ルーカスの店へと赴いた。
―――ルーカスの店
「ルーカス、何か甘いものを食べたいんだが」
涼しげなウィンドベルの音と共に、突然の主の声が聞こえ、ルーカスはギョッとする。《微睡》の構成員の一人、ルーカス・アイギストはフェリシアの城下町で喫茶店兼バーを営んでいるのだ。
「ノワール様、どうなさったんですか?」
何の連絡も無しにノワールが来た為に、急用でもあったのかと杖を手に取り、主人を迎えるルーカス。そんな彼を見てノワールは苦笑した。
「すまない、ただ休憩に来ただけなんだ」
ノワールしかいないことを確認すると、ルーカスは首を傾げて訊ねた。
「秘書様は?」
少し顔をツイと背けるノワールを見て、ルーカスはクスッと笑った。そしてカウンターに戻ると紅茶を淹れる。
「秘書様は時折この店に来るんですよ、酔ってはシクシクと泣いていますし」
そう聞いて驚くと同時に、目つきが鋭くなった。自分が知らないシルヴェスの姿を知っているルーカスに、モヤっとした感情を抱くノワール。
「おや?妬きましたか?」
自分よりも年下の主人のそんな様子を楽しそうに見つめるルーカス。彼自身は利発そうな顔と綺麗な銀髪のスフィンクスの男性である。
「……っ、随分と揶揄ってくれますね、ルーカス」
カウンターの向こう側のルーカスを不服そうに睨むノワール。そんなノワールの前に香り高いカモミールティーの注がれたカップを置く。
「今日は彼女にお菓子でも……、とここで買おうと思ったんですが。別の店を検討しようか……」
プイと顔を背けるノワールだが、その先に思わぬ顔を見つけ固まる。
「ザ……ギ、いたのか……」
ルーカスとの会話を全て聞かれていたのかと思うと、途端に顔を手で覆うノワール。
「クク……、フフフ……ッ!ルーカスさん、いつもコイツの相手してんの?」
案の定、ザギは早速ノワールをいじる気満々である。
「あああぁぁぁ……、あまりに油断していた、まさかあなたがいるとは……」
仲が良い故に容赦の無い言葉の連続である。ザギはケラケラと笑い続ける。
「ノワール、いくらここがお前の秘密基地とは言え、あまりに無防備すぎる……っ、クフフ、ハハッ!」
そんなザギからルーカスに視線を戻し、カウンター越しに恨めしげにぼやく。
「……何故ザギがいると先に言わなかった?」
彼の呟きはもちろんザギの耳にも拾われる。ルーカスは苦笑だけして口を開かず、代わりにザギがニマニマと笑いながらノワールの元へ来た。
「何?ケンカしたの?」
ノワールは思わず憤慨する。
「す、する訳ないだろ!彼女には感謝してもしきれないくらいだ……っ」
そういい終わり、自身でも気づかないうちに頬を赤らめているノワール。彼をひとしきり構い終わった二人がふむ、と考え込む。急に静かになる二人にノワールは居心地悪そうにキョロキョロとする。
「なっ、次は何を企んでいるんだ……!」
警戒するノワールをよそに、二人はじっと彼を見つめる。その視線に耐えかねて、ノワールはカウンターに顎を乗せふて寝の姿勢となる。
「あー、悪かった、悪かったって」
ザギがノワールを宥めると、視線だけを動かして心底不機嫌という顔でザギを見るノワール。
「シルヴェスさんに何かお茶菓子……、ですっけ?」
ザギが食べた食器を洗いつつ布巾で水気を拭き取りながらルーカスは主人に問う。
「……えぇ、そうですよ。時には私が彼女にお茶菓子を贈ったっていいじゃないですか」
拗ねながらボソボソと呟くノワールを見て、可愛らしい主人だ、とルーカスは微笑む。
「まずはノワール様にこちらを」
綺麗に盛り付けられたガトーショコラをノワールの前に置くルーカス。
「素直じゃないノワール様はまずは甘いものでも食べて頭をほぐしてください」
渋々といった様子でガトーショコラをつつくノワール。そして一口食べたところで目を見開く。
「ルーカス、あなた何故こんなところでバーの店主なんてしてるんですか、ケーキ屋として働くといい」
褒め言葉があまり誉めているように聞こえない為、ルーカスは苦笑する。
「ルーカスさん、ホント器用だよなぁ……、俺ももう少し器用になりたい」
ザギがノワールに同調して言う。かくいうザギは、それほど不器用ではない。むしろ器用な部類だ。
「ザギ、あなたが言わないでいただけませんか?十分器用でしょうに……」
嫌味か、とノワールは呟く。ノワールは器用不器用に関わらず、全ては練習で補うという相当な努力家だ。
「さて、ノワール様。お菓子には贈る際に意味を持つものがあることをご存知ですか?」
首を小さく横に振るノワール。ザギも興味深いとばかりに身を乗り出してルーカスの話を聞く。
「ルーカス、本当に博識になりましたね……」
ノワールはふむ……、と軽く握った片手で口元を隠しながら思考に耽る。
「ルーカスさん、それで?」
早く聞かせろとばかりにザギは先を急かす。
「……、お二人は親友と伺いましたがだいぶ思考回路が全く違うのですね」
苦笑しながら二人の様子を見るルーカス。主人もその友人も自身よりも年下であるためか、余裕を持って接している。
「あぁ、そうだな。ザギは好奇心旺盛だから……」
ノワールがボソリと呟く。一つ一つのことをじっくりと考えるノワールに対し、全ての情報を聞いた上で整理するザギ。タイプが異なるがどちらも智慧者である。お互いの考え方を理解しているが故に思考中には話しかけないのが暗黙の了解である。
「では、お二人とも。ここにある甘味の中から女性へのプレゼントと考えて一つ選んでください」
数種類の茶菓子をカウンターに並べておくルーカス。ザギは渋い顔をし、ノワールは片手で顔を覆う。
「俺にプレゼントを寄越す女にロクな奴がいねぇ」
「基本的にそう言った経験がないな……」
平然と呟く二人の発言にルーカスは顔を引き攣らせる。そして、彼はあくまで平静を装いつつ二人が選ぶのを待つ。
「じゃあ、俺はこれ」
「では、私はこれを」
ザギは色とりどりの飴を、ノワールは上品なバウムクーヘンを選んだ。
「ほう……、面白いですね」
ルーカスは興味深いとばかりにニヤリと口角を上げる。そして二人に解説を始めた。
「まずはザギ様。飴を選ぶとは案外ストレートなお方の模様……、何故飴を選んだのか教えていただいても?」
ザギが首を傾げて言った。
「俺は甘党な上に、飴は長期保存ができるだろ?それに疲れた時にちょうど良い糖分補給なんだよ」
ロマンチックのかけらもない返答に、ルーカスは吹き出し、ノワールもまた肩を震わせている。
「ザギ、あなたどこまでも実利主義だな、ククッ」
ザギがノワールを睨み始めた頃、やっと笑いの渦から抜け出したルーカスが解説を始める。
「クフ……ッ、飴はですね。『あなたが好きです』という意味を持つんですよ。口に入れてから『味を長い間楽しめる』『なかなか溶けない』ことから相手との関係が長続きする縁起の良いお菓子として知られているんです」
そう言われ、ザギは頭をポリポリとかく。そんな親友の反応にノワールはより一層ケラケラと笑う。
「回りくどいお前よりかはずっとマシだ、アホめ」
ザギが小馬鹿にしたように言い放つと、図星を突かれたノワールはプイとそっぽを向く。
「では、バウムクーヘンは?」
ズイ、と身を乗り出してノワールはルーカスに問う。主人が必死になっている姿を見て笑いを堪えつつルーカスは解説する。
「バウムクーヘンは、模様が樹木の年輪に似ていて縁起が良いと言われています。そこから幸せが重なる。幸せが長く続いてほしい。そういった経緯で「幸せが長く続いてほしい」「永遠の愛」と言った意味となりました。ノワール様、あなたも負けず劣らず熱い告白のお菓子を選んでいますよ」
意味を知るにつれ、顔が真っ赤になっていくノワール。それを見てザギは笑う。
「お前、ホント純情だよなぁ……」
整った顔をしているだけあって、同じリビアヤマネコの貴族からの求婚も絶えないというのに、ノワールは一切受けない。それは無意識に、シルヴェスを常に自分の側に置いておきたいという表れなのだ……と納得し、ザギは苦笑する。
「う、うるさいなザギ。ルーカス、それで?他のお菓子はどんな意味があるんだ?」
無理矢理話を逸らすノワールを見て、可愛らしい主人だ、と改めて感じる。
「良い意味を持つお菓子としては金平糖や、マドレーヌ、ドーナツにマカロンなどが挙げられます。金平糖とドーナツは飴と同じような意味を。マドレーヌはあなたと仲良くなりたい、マカロンはあなたは特別な人……、という意味でその意味を理解できる相手に渡すとお互い幸せになれそうです」
美しく並べたお菓子を綺麗に片していくルーカス。二人が手に取ったものを除く三つを残し、綺麗に片し終えると、口を開いた。
「悪い意味……、といいますか、あまりよくない意味を持つのがこの三つです」
彼の手元に残っているのはマシュマロとクッキー、そしてグミ。
はて、と首を傾げるノワールとザギ。
「マシュマロとグミはホワイトデーのお返しの際には『あなたが嫌い』という意味が含まれるのでお気をつけください」
ザギは悪そうにニンマリと笑い、ノワールはそんな親友を見て深いため息をつく。
「ザギ、お前が何を考えているのか大体わかったぞ、いくら何でも少し失礼じゃないのか……?」
何も話していなくともノワールはザギを嗜める。そんな親友の言葉など知らんぷりしてザギは告げる。
「お返しを贈らない方がよっぽど失礼なんだろ?だったら俺は俺の玉の輿になろうとする女たちに安くすむグミを配布してやるよ」
ザギが苛立たしげに呟く。帝国議会議長の息子、本人は医師。容姿端麗、クールな男となればもう文句はない。彼そのものではなく、その背後にある財産と名誉を狙う女性は数知れない。バレンタインともなればプレゼントが山積みというのは恒例行事なのである。
「……それでクッキーは?」
悪くなった空気を変えようとノワールがルーカスに訊ねる。ルーカスも咳払いをすると、説明を再開した。
「クッキーは、軽い食感から軽い関係…、友人を連想させ、『あなたとは友達』と言う意味を持ちます」
再びウィンドベルがその音色を奏でる。突然の訪問者に三人の視線はドアに集中する。
「ルーカス、なんか甘いものくれ……って。うわ、何?ノワール様?それにその人は?」
入ってきたのはジェニー。三人の視線を浴び、不審げに辺りを見回す。
「あぁ、クッキーならありますが」
ルーカスがジェニーに今説明していたクッキーを手渡す。ジェニーの冷たい表情が和らぎ、すぐさまクッキーを頬張る。かつてネコ達は甘味を感じることができなかったが、長い時を経て甘味を感じられるようになった今、猫達は空前のスイーツブームが到来しているのだ。
サクッと良い音を立ててジェニーの口へと消えていくクッキー。ルーカスはクスッと笑いながら見ている。
「ジェニー、彼がザギだ。ザギ・レナード。私の親友。間違っても興味本位で手合わせなどしないように。彼は豹なので私達などは簡単に力で捩じ伏せられるからな」
サラッと平然とした口調で言うノワールを見て、ザギは苦笑いをこぼす。親友とキッパリと言い切るその信頼故の振り切った紹介の仕方で困惑するほかない。
「よし、名前と顔は覚えた。万が一何かあったらあなたも護衛する」
ザギに何故か自信満々に告げると、ルーカスの断りもなしに店の冷蔵庫を漁るジェニー。
「……信頼関係の上に成り立っているのか?」
ザギが疑問をルーカスにぶつける。
「彼女にしてみれば、私はただの便利な休憩所。時折情報共有などもしているのでお互いwin-winの関係という訳です」
フ、と笑うルーカスはどこか愉しげである。
「ルーカス、今日なんかあったのか?やたらと甘いもののオンパレードだけど」
手に持っているのはドーナツ。既に大きく一口齧られている。ルーカスはそんなジェニーを見てやれやれと吐息をつく。
「ま、意味を知らない人の方が多いので、結局のところ相手が好きなものを贈るのが1番です」
ノワールとザギは成程……、とジェニーを見て深く納得する。
「ジェニー、いくら何でも全て食べようなんて思っていませんよね?いくらあなたの休憩所としての利用を許可していても……」
ジェニーをコッテリと絞るつもりか店の奥に引っ込むルーカス。ザギはそんなルーカスを見て言った。
「なんやかんやルーカスさんて面倒見いいよな……、俺がフラって立ち寄ると試作品です、とか言って洒落たケーキくれるんだぜ?」
ノワールはルーカスを褒められて、素直に嬉しそうに笑って言った。
「彼は器用で努力家だったので最も時間もお金も投資したが……、まさかここまで化けるとは期待以上だ」
ザギもそんな親友を見て頬を緩める。彼の人の才を見抜く力は学生時代から目を見張るものであり、そんなノワールに友人として選ばれたことを嬉しく思っていた。
「ハハッ、お前の友人に選ばれて誇らしい限りだよ」
ザギが小さく呟く。ノワールは彼の呟きを拾うとケラケラと笑った。
「私の鑑識眼のことか?……それ抜きでもあなたは私の立派な親友だ。一度手に入れた友人や部下をそう易々と手放してたまるか」
そう言うのノワールの目は珍しく、貪欲な肉食獣の眼をしている。そう語っていた彼がふと我に返る。
「ハッ!シルヴェスに見つかる前に戻らねば!」
カランカラン……とウィンドベルが音を立て、話題の来訪者の訪問を告げる。
「の、ノワール様?どこへ……!?」
焦った声を響かせるのはシルヴェス。ノワールの秘書兼執事。振り返ったノワールとバッチリ目が合い、両者共に時が止まる。
「よ、よかった……。誘拐でもされていたらどうしようかと……」
相当焦っていたらしく、あらぬ誤解を招いている。ノワールは口をつけていない紅茶をシルヴェスにそっと差し出す。
「すまないシルヴェス、少し休憩に来ていたんだ」
先程の動揺はどこへやら、あくまで紳士的に対応するノワール。
「あ、ありがとうございます……」
ジェニーを連れて戻ってきたルーカスがおや、と言う顔でノワールの様子を見つめる。そして小洒落たメニューを持ってきた。
「シルヴェス、あなたも何か甘いものでも食べないか?好きなものを選んでくれ」
紅茶を飲んで落ち着いたシルヴェスは少し考えると、少し照れくさそうに言った。
「ノワール様の選ぶものなら、私はなんでも構いません」
ルーカスとザギはノワールの反応を見ようと視線を向け、ジェニーは笑いを堪える。
「そ、そうか」
少し目を泳がせるノワールを見て、ルーカスは2人分の洋菓子を彼らの前に置く。
「こちらは……?」
シルヴェスが見慣れぬそれを見てルーカスに問う。
「こちらはマロングラッセと言います。栗をブランデー漬けにしたものです」
ジェニーがそれを見て吹き出しそうになりつつ、必死に堪える。
「ブランデー漬けとはシャレてるな」
「美味しそうですね……!」
数分後、食べ終わるとシルヴェスはノワールに釘を刺す。
「ノワール様、いくら数分の外出とはいえなんの連絡もなしに姿をくらますのはおやめください……」
少し頬を膨らませて怒るその様は可愛らしい。普段はクールビューティーを貫くシルヴェスだが、主人を思う気持ちは誰にも負けない…といったところだろう。
「申し訳ない……、あぁ、それと」
耳をペタンと下げ、反省の意を見せる。そして先程ルーカスからの指導により選んだバウムクーヘンの入った箱を手渡す。
「こちらは?」
シルヴェスが驚いた顔をしつつ首を傾げる。そんな彼女にノワールは微笑を浮かべて言った。
「その……、いつもの礼だ。これからもまた迷惑をかけるだろうが、よろしく頼む」
ザギとジェニーが長い尾をビタンビタンと打ち付け、ルーカスは細かく肩を震わせる。
「フフッ、改まってどうしたんですか?ノワール様が無理をするのはいつものことでしょう?そのブレーキ役が私なんですから」
「でも……、ありがとうございます」
シルヴェスが嬉しそうに柔らかい笑顔を彼に向ける。
「さ、さて。ルーカス、今日はありがとう。代金はここに置いておく。ではまた」
ノワールはまるで逃げるように、シルヴェスを連れて忙しないウィンドベルの音を立てて去っていった。
「ジェニーさん、さっき何で笑ったんだ……?」
ザギがジェニーに問うと、彼女はケラケラと笑った。そしてルーカスの脇腹をどつく。
「痛……、ジェニー、あなた脳筋なんですから少し手加減しなさい」
ぐう、と蹲るルーカスを見て仕方なく放置し、ジェニーはザギに説明する。
「さっきのマロングラッセってのはな、太古の昔の王様がな、お妃様に贈ったお菓子なんだよ。永遠の愛を誓いますってな!クハハハッ、ザギ様やノワール様みたいな上流階級はあんまり知らないと思うけど、一般家庭だと割と民間伝承として伝わってるんだぜ?」
ルーカスがやっと復活してザギに告げる。
「おそらくノワール様もシルヴェス様も知らないことでしょう。先程のチョイスは私の悪戯です」
ルーカスがクスッと笑う。そんな彼を見てザギは安心したように笑う。
「愛されてんなぁ、ノワール」
ルーカスとジェニーが不思議そうに顔を見合わせる。
「あなた達のような人達がノワールの部下としているならば、きっと大丈夫だろうなってな」
そう言われ、二人はドヤ顔をしてザギを見る。
「『微睡』を舐めないでくださいね?なんと言ってもノワール様直々に構成員を集めたのですから」
嬉しそうに、誇らしそうに語るルーカス。ザギはそんな彼を見て微笑した。ふと時計を見ると、一時間以上滞在していることに気づき、荷物をまとめる。
「今日は長居してすまなかった、また来ても?」
そう訊かれ、ルーカスは笑みを浮かべて彼を見送る。
「勿論です。またのご来店をお待ちしております」
happy Valentine!