短編 とある前日譚
―――ロレオーヌ領、首都デファンスの宮廷
「ラヴィ!何をボサっとしてる!」
ヒィ!とラヴィは上司の言葉に竦みあがる。どうしてライオンていうのはおっかないんだろう……、そんな風に呑気に考えながらラヴィは書類をかき集めると威勢の良い返事をした。
「ゴメンなさい、今行きます!」
彼の上司の女性のライオン……、アリッサ・クラウゼは、常に周りに目が行き届くスーツが非常に似合うキャリアウーマンである。ラヴィはもう少し柔らかい雰囲気になればいいのに、などと考えながらアリッサの後を追う。彼が纏うのはスーツではなく局員の制服である。
どこまでも真っ直ぐな彼は曲がったことや小賢しいことは決してしない。小さな嘘すらつけない不器用な男である。
「全く……、お前はもう悪知恵でも使え。仕事に真っ直ぐ打ち込む気概はある癖にどうしてそうも昇進とかに無頓着なんだ」
チョコチョコと自分についてくるラヴィを呆れた様子で呟くアリッサ。そんなアリッサに対してラヴィは眩しい笑顔を向ける。
「宮廷直属の役人になれたってだけでホント嬉しいんです!」
ラヴィの無邪気な笑顔を見て、アリッサは面食らう。
「オレ、要領悪いですから……、それに今の仕事、すっごく気に入ってるんで!」
彼持ち前の俊足とその真っ直ぐな姿勢は配達員として非常に相性がいい上に、クライアントに対して好印象を持たせている。その点に関しては右に出るものはいないほどに。
「……ハァ、お前が気に入っているのなら仕方ない」
素直で愚直な後輩は、アリッサにとって貴重な癒しともなっている。ラヴィはアリッサの言葉を聞くと、さらに目を輝かせてアリッサを見つめる。
「アリッサ先輩!愚直に頑張ります!」
「(頭を使う仕事はできなくても、誰かの役に立ってると思えれば、嬉しいんだ。今日は久しぶりにみんなと会える、だから精一杯頑張るんだ)」
普段以上に張り切って仕事をしたせいでアリッサにあらぬ疑いをかけられるとは知りもしないラヴィであった。
―――フェリシア領、フェリシア城下町劇団ホール
「主演男優賞受賞のヘンリー・サルバトスさんです!今日もお美しいですね!」
カラカルのリポーターの女性が高めの声で謳い文句を朗々と読み上げる。飛び交う観客席の女性達の黄色い嬌声。響くシャッター音。皆が纏う服は豪奢なドレスや上質なコートに背広……、この場に集う人々は皆一流である。
「(あぁ、この世界はなんて騒がしいんだろう)」
ヘンリーはそんな内心とは裏腹に、リポーターの紹介には美しく微笑み、数多の女性のハートをいとも容易く射抜く。彼はサーバルキャット。耳が非常に良いネコ科の民だ。かつて獣だった頃は、風の音が大きすぎると狩りができないほどに。
彼は小さく目を伏せる。その内心は、自信への卑下でいっぱいである。
少し繊細なだけで。
表情が儚く優美だなんて。
スタイルだって、サーバルキャット特有なだけ。
「(僕自身は、そんなにすごい奴じゃない)」
憂を秘めたその瞳を見た観衆は、彼の内心などつゆ知らずに嬌声を上げる。その様を見て、ヘンリーは再び微苦笑を浮かべる。自分を見て、喜ぶ人がいるのならば、と。誰かの役に立つのならば、と。
「(それならば、 舞台に立ち続けよう。こんな僕でも誰かの役に立てるのなら)」
彼の脳裏に浮かぶのは個性的だが優秀な友人達。
「(僕だって、ノワールやザギやラヴィに負けてはいられないじゃないか)」
彼は友人達に思いを馳せながら、明日の飲み会を待ち遠しく思うのだった。
―――フェリシア領のとある病院…
「ザギ先生、お疲れ様でした!明日お食事などいかがですか?」
同じく豹の看護師が目を輝かせてザギを見つめる。
無理もない、彼は医者であると共に帝国議会議長イソティス・レナードの息子である。欲張りな女性からすれば金も権力もどちらも手に入る優良物件だろう……。
そんな提案にザギはにっこりと笑って答える……ことも無く、無愛想な顔で拒絶する。
「無理だ、他を当たれ」
彼が素気なく求愛を振り解くと、立ち去り際に「顔とスペックは最高なのに……」と舌打ちが聞こえてくる。
彼は自身の肩書きに誘われる女達を毛嫌いしている。他人を表面上でしか見ない者達を、彼は昔から知っている。その醜さも、その愚かさも。
「さて、と」
ザギは記録を付けたことを確認し、時刻を見ると既に9時半を回っている。彼は独り身で動きやすいからと言っていいように使われるのも考えものだ、とため息をつきつつ灰色のコートを羽織って病院を後にする。
「もうひと踏ん張り、か」
自分の体などそっちのけなノワール。
本来の自分を決して見せないヘンリー。
自分はバカと言って無茶を平然とするラヴィ。
位ある地位にいる父。
ザギは、彼らを守り、助けたくて医師となった。
金や権力の為じゃない。
そんな何者にも代え難い仲間との飲み会が明日だ。
あぁ、ノワールは無理してないだろうか。
ヘンリーは心を病んでいないだろうか。
ラヴィは生傷を作っていないだろうか。
同じカルニボアに暮らしていても離れている友人に思いを馳せ……、自身を照らす月を見上げる。
「(大切な、友達なんだよ、お前らは。
だから、明日は飲み明かそう。踊り明かそう)」