父の偉業
ヴェラの父、ロボの偉業。
―――ループス城、ヴェラの自室
「失礼します、ヴェラ様」
ノックの後フォルテは主人の部屋に入った。既に日は沈んでから数時間が経っている。ヴェラは手元の本からふと目線を上げた。その目元は少し腫れている。
「……フォルテ」
執事の名を呼ぶ彼女の声は、いつもの覇気がない。フォルテは彼女の呼びかけに何を言うわけでもなく静かに答える。
「はい、ヴェラ様」
ヴェラはふらりと立ち上がると、獣化した。白く艶のある豊かな毛並みの狼となった彼女は、フォルテにピッタリとくっついた。
「おやおや、珍しいですね」
微苦笑をすると、フォルテはその場の床に座った。そのフォルテをクルリと囲むようにヴェラは丸くなって伏せる。
「……私、ダメな狼だわ。力を振るうだけでは何も解決しないとわかっているのに」
シュンと耳を伏せるヴェラ。幼い頃は、失敗をするとフォルテにハグをしていた。いつの日からか、ハグから獣化して戯れるようになった。
「いいえ、そうやって反省できる貴女がダメな狼な訳がありません」
フォルテはヴェラを愛おしそうに見つめる。これほどまでに愛おしい主人を、戦争に向かわせると言うのか、と。そう考えると、酷く哀しくなる。
今だけは、彼女の癒しでありたい、と。
「フォルテ?」
主人に不安げな声で名を呼ばれてハッとする。自分を見つめるその赤の瞳もまた、小さく揺れている。
「父上は、何をあなたに告げたのかしら」
ヴェラは小さく呟く。
「私は、守られてばかりね」
力なく、首を振るヴェラ。フォルテはヴェラの白の毛並みを撫でて言う。
「それが私の役目であり、あなたの笑顔が私の幸せですから。私は貴女の側で、貴女を守ることができて幸せなんです」
ヴェラは不思議そうに首を傾げる。
「本当に?」
その瞳は子供のように純粋で。
「えぇ、勿論。私はあなたの執事ですから」
どんな時も、あなたを支え、守り続ける。かつては使命のように感じていたのに、いつの頃からかそれが彼の願いとなっていた。
「ありがとう、フォルテ」
ヴェラは獣化を解き、立ち上がった。
「ヴェラ様、騎士団演習立ち会いの業務が入っております。表門へ向かいましょう」
フォルテはヴェラをエスコートし、城の外へ向かった。
主に狼と狼犬、加えて純血の犬達が暮らす城下町ループス。城に勤める者もまた良家出身の者が殆どだった。しかし、ロボの改革により、非純血者も見かけるようになってきた。すれ違う使用人達の姿を見て、ヴェラは呟く。
「やはり、父は偉大だわ」
ループス領の史書を読み込むと、父がいかに苦労し、努力して今のループス領を作り上げたかが伺い知れる。
かつてオオカミが、畏怖され、嫌われていたその頃から。ロボは、そのイメージの撤廃に努め、ひた走ってきた。
イヌ達との距離を縮め、手を取った。オオカミしかいなかったループス城に、イヌ達を正規の使用人として雇った。今まで手の回っていなかった古代ループスの民、キツネやタヌキ達との外交を見直し、果ては草食獣すらも使用人として仕えることを許している。
ヴェラの生まれる5年ほど前、カルニボアでは巨大な内戦が巻き起こった。肥沃な大地を独占しようとするロレオーヌにより、アスル川の最も利用価値の高い支流が流れるフェリシアが狙われたのだ。その混乱に乗じて、ループスの広い領土を強奪しようとグリズール領が攻めてきた。
その時、ロボは今のフォルテよりも若かった。洗練された連携をとる四大貴族と、その統率者である自身の父、ウルガーを見た。恐ろしく統率のとれたその連携攻撃は、決して領地を譲るまいという強い信念の上に成り立つものであった。
結果的に、犠牲は最小限だった。フォルテの父、アルディはこの時に亡くなってしまったものの、ウルガーは領土を奪われることなく防衛に成功したのだ。しかし、他者にどう映るかはわからない。その強さは、畏怖となった。力で服従させるままでは、何も改善できない。先の内戦により、力を使い果たしたウルガーは短い隠居生活の後、眠るように息を引き取った。
軍師として、素晴らしい才を持ったウルガーであったが、内政は殆ど臣下に放り投げていたのだ。
新しきループス領主となったロボは、荒れ果てたループスを立て直すべく、領民の高い社会性とコミュニケーション能力を利用することにした。ロボは、外交に長けた領主なのである。そして、オオカミの粘り強いスタミナ同様の根気と努力によって培った信頼を元に、様々な政策を通じて民の為を思う素晴らしい領主という箔がついた。
ロボの娘、というだけでヴェラは十二分に評価されるのである。それに加え、他者を気遣える愛情深い彼女は皆から期待されているのである。
「えぇ、ロボ様は偉大です。この社会性を持つ私達を上手く御し、ここまで生活を安定させているのですから」
ループス領民が内戦の影響を感じないのも全てはひとえにロボのおかげである。
「……、ヴェラ様。フェリシア領主が来週ご来訪されますよ。主に対談はロボ様との安全保障条約ですが」
フォルテがヴェラにノワールの来訪予定を告げる。ヴェラはニッコリと安心したように笑った。偉大な父を見て育ったヴェラは、幼少期をその重圧に押し潰されないように、必死に勉学に励みながらも、お転婆に過ごしてきた。
「わかったわ、フォルテ」
城の扉を開けると、いきなり黒い影がヴェラに飛び掛かってきた。しかし、ヴェラはその影に怯えることなく、挑戦的に笑う。
「……フフッ!」
ロボさんは優れた統率者です。