侍女マーサ②
アサヒは、同じ階にある隣の客室の扉をノックした。
どうやら誰もいないようだ。扉の横には使い込まれた革製のトランクが一つ置いてあり、おそらくそれは侍女マーサの荷物だろう。
そのまま中央階段を挟んで反対側にある寝室へ向かった。
そこは元々リオが使っていた部屋なのだが、今日にも屋敷の主であるヤヨイに引き渡す予定だ。
部屋の扉は開いたままだったので、アサヒはそっと中を覗き込んだ。
すると、小テーブルを運んでいたランディと目が合った。
「おう、アサヒじゃないか!よく眠れたか?」
「ランディ、おはよう。おかげさまでよく眠れたよ」
部屋へ入ると、窓際でレースのカーテンを付け替えている侍女の姿が見えた。
魔法を使い、カーテンのリングを器用に嵌め込んでいく。
こんな魔法の使い方もあるのか。
カーテンを付け終え振り返った侍女がアサヒに気付いた。
床はカーペットなので足音が響くことはないが、もしそうであったなら良い音で響きそうな歩幅と姿勢で、アサヒの前までやってくると、ピタリと静止し、深くお辞儀をした。
「ヤヨイ様付の侍女マーサと申します。今日からこちらで勤めさせていただきますので、お見知りおきくださいますよう、お願いいたします」
「マーサさん、顔を上げてください…!」
アサヒは丁寧な挨拶に慌てふためいた。
「私はアサヒといいます。リオの善意でこの屋敷でお世話になっています。このふたりはハナとタロです。こちらこそ、よろしくお願いします」
足元からハナとタロがひょっこりと顔を出した。
「ハナだニャ。よろしくニャ」
「ぼくはタロです!」
ふたりを見たマーサは強い衝撃を受けたかのような驚きぶりで動きを止めた。
「マーサさん…?」
「いえ、あまりの、その…愛くるしさに…」
「ニャ?」
「くッ…!!!」
「マーサさん、大丈夫ですか?」
「問題ありません」
「ぼくは強いです!」
「くッ…!!!」
「ちょっと、マーサさん、大丈夫ですか!?どこか苦しいですか?」
「……いえ、お気遣いなく」
マーサは口元にハンカチを当て、呼吸を整えた。
(もしかしてマーサさんは動物が苦手なのかな…)
アサヒの勘違いをよそに、マーサはしばらくして正気を取り戻した。
「アサヒ様は幼いながらにとてもしっかりされておりますね。それにハナ様、タロ様も大変お利口でいらっしゃいますね」
「あ、ありがとうございます。あの、私も何かお手伝いしたいのですが…」
「では、これから窓を清掃しますのでお手伝いいただけますか?」
「はい!」
アサヒはマーサについていき、様子を見ていた。
「マーサさん、窓拭きに水を汲んできますか?」
「いえ、必要ありません」
そう言うと、マーサは窓から1メートルほどの間隔を空けて手をかざし、
「『クリーン』」
と唱えた。
アサヒは一瞬の出来事に何が起こったのか分からず、ピカピカ輝くガラス張りの窓をまじまじと見た。
「マーサさん、魔法が得意なんですか!?」
「はい。といいましても、私が得意なのは生活魔法の類ではありますが。先程の魔法は火魔法、水魔法、風魔法を組み合わせ洗浄、殺菌、除湿を行いました」
「すごい…」
マーサの生活魔法は、これまでアサヒが思っていた魔法とはどれとも違うように思えた。
「マーサさん、私もやってみてもいいですか?」
アサヒはそう言うと、部屋の中心に立ち両手を広げた。水魔法で洗浄、火魔法と水魔法で殺菌、火魔法と風魔法で除湿をイメージして…
「『クリーン』」
アサヒが魔法をかけると、目に見えて部屋の中が明るくなったようであった。その効果はマーサの比ではなく、床、壁、天井、ランディの服に至るまで、室内の全てに魔法がかけられ、チリ一つ落ちていない滅菌された空間となっていた。
「アサヒ様…あなたは一体…」
「マーサさん!この魔法はすごいです!いつも泥だらけで帰ってくるハナとタロにも使えそうです!他にも役立つ生活魔法があるんでしょうか?教えてもらえませんか!?」
マーサは魔法が成功し興奮冷めやまぬアサヒの姿に、くすりと口角を上げた。
「私で良ければ、いつでもお教えしますよ」




