【閑話】異世界へ転生~ヤヨイ編~⑤
ヤヨイは、いつしか人々から『精霊の森』と呼ばれるようになった森に屋敷を構え、2年ぶりに湖へと足を運んだ。
「ビャッコ、近くにいるのでしょう…?」
湖の奥の茂みから、あのときのホワイトタイガーが現れた。
ホワイトタイガーの周りには精霊たちが飛び交い、その軌跡に舞う光で毛並みがきらきらと輝いている。
ヤヨイはビャッコに近寄り、額と額を合わせ、同時にふたりとも目を閉じた。
「解除」
従魔の契約が解除され、ホワイトタイガーとの繋がりが切れた。
お互いに、心のどこかにぽっかりと隙間ができたような、寂しいような、物足りないような、そんな気持ちになった。
「会いにくるのが遅くなって、ごめんなさいね…ビャッコ」
(結果がどうであれ、あなたが一縷の望みを与えてくれたこと、感謝してもしきれないわ…)
「私は…聖獣の契約者として、ふさわしくないわ。だけど、あなたさえよかったら…私と友人になってはくれないかしら」
ビャッコは目を細め、こちらを見ている。
「私たちは、とっくに友人であろう」
ヤヨイはほっとし、微笑んだ。
(ありがとう、ビャッコ)
それからヤヨイは、住まいを森の屋敷に移した。
息子夫婦が領地視察と言っては頻繁に隣街を訪れ、リオを屋敷に預けにくる。
「やぁ!やぁ!」
リオが庭で剣を振り回し、騎士の真似事をしている。
「やぁ!魔物め!やっつけてやる!」
「あら、リオは将来、騎士にでもなるのかしら?」
リオはこちらを向き、コクンと頷いた。
「僕は、お祖父様のような、立派な騎士になります!」
「ウィルのような…?」
「お祖父様は、とても強かったと聞きました!」
リオは目をキラキラと輝かせる。
「そう…そうね。ウィルはとても強かったわ」
「僕も、もっと強くなります!」
「ふふ。そうね」
(ウィル…
リオが、あなたのようになりたいそうよ)
ゆっくりと月日は流れ、ある日、珍しい客がやってきた。ヤヨイの兄のロンである。
「ロン兄様!こんなところまで、どうなさったの?」
「なんだ、ヤヨイ。元気ではないか」
「えぇ、お陰様で。私ももういい年ですし、ゆっくりさせていただいておりますわ」
「そうか。もう十分ゆっくりできたな?」
「…?ですから…」
「王国騎士団総長がお呼びだ」
「…何かありましたの?」
魔物が発生したのだろうか。
「そうではない」
「では、なんなのですか?ロン兄様にしては、結論を先延ばしにして…」
「俺も、可愛い妹が塞ぎ込んでいないかと、ずっと気掛かりだったんだ」
「そうですか」
「杞憂だったがな。つまりだ、お前はこんなところで隠居するには早すぎる!分かっているのか。今なお、この国で最強の魔術師はお前なんだ。少しは国の役に立て!」
「な…!!藪から棒になんですか!」
ロンはヤヨイの顔をじっと見た。
「…ヤヨイ、戦の最前線に立てとは言わない。若手の教育者として、魔術師団に戻ってきてはくれないか」
ヤヨイはロンの突拍子もない話に言葉も出ない。
「話はそれだけだ。お前と違って、俺は俺で忙しいのでな。王都で待ってるぞ!」
そう言うと、ロンはさっさと馬に乗り森を発った。
(信じられないわ。それだけ言いに、何日もかけてここまで来たのかしら…)
ヤヨイは、騎士団総長の依頼であっても、すぐに結論を出すことはできなかった。
(ウィル…私にもまだ、できることがあるのかしら…)
ウィルの最後の言葉を思い出した。
(「君の思うままに」…)
「君の思うままに、やってみたらいいじゃないか」
そんなウィルの声が聞こえた気がした。
ヤヨイは王都へ発つ準備を始めた。
(いつだって、あなたが背中を押してくれるわ)
それからヤヨイは魔術師団の特別団員として、若手の育成に尽力した。ヤヨイの育てた騎士や魔術師は精鋭部隊として活躍し、その中には、団長まで登り詰める者も出てきた。
教え子たちも巣立ち、ヤヨイは今が退くタイミングだろうと、退職を願い出た。
「ずっと働き詰めだったんだもの。長めのバカンスをいただいてもいいでしょう?」
王国騎士団の団長たちは、ヤヨイの教え子なのだ。もはや、ヤヨイに意見できる者はおらず、ヤヨイは旅立った。
何か月も音沙汰のなかったヤヨイから、突然、騎士団総長の元へ手紙が届いた。要約すると、『そろそろ帰ります。これからは精霊の森でゆっくりと過ごします』という内容であった。
騎士団本部は急いで人員の配置の見直しや団長たちへの通達などに対応した。
皆を振り回したことなど知る由もなく、ヤヨイは一年ぶりに帰国すると、王都ではなく森の屋敷へと戻った。久しぶりに帰った我が家だが、なにやら人の気配がする。
ガチャ…
屋敷から、洗濯物を抱えた少女が出てきた。
黒目、黒髪の幼い少女。
「あらあら、ここは私の家のはずなのだけど……」
(この子は、もしかして…)
遠い記憶が呼び起こされる。
もう、うっすらとしか思い出せない、短くて儚い『ニホン』の記憶。
病室の白い天井を見つめる毎日。
(一度でいいから、友だちとおしゃべりしたり、お出かけしてみたかった…)
これは、確かにヤヨイの記憶であった。
(なんてことなのかしら…
今になって、前世の夢が叶いそうよ…)
「ふふ。せっかく良いお天気なんだもの。お庭でお茶でもどうかしら?」
ヤヨイは『アサヒ』と名乗る少女の顔を覗き込み、にこりと微笑んだ。




