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幻想の文字列(改訂版)

 黒。灰色を経てのちに白。

 色のない世界から醒めると、そこは見覚えのあるソファの上だった。隣には彼が、似合わないメガネを拭きながらゆったりと腰掛けている。対になった向かい側のソファからは、この洋館の主、天ヶ瀬めぐりが紅茶をすすりながら、まるで品定めするような視線を投げかけている。

「あれ? めぐりちゃん?」

 見れば主は数日前に会ったときのようなパジャマ姿ではなく、おろしたてらしい白いフリルシャツと深紅のリボン、同じく深紅のフレアスカートをまとっている。傍らには部屋の中のアリスと部屋の外のアリス。ここは紛れもなく、わたしたちの知っているめぐりちゃんの部屋だった。

「やっぱり家主の仕業か……」

 名前の知れない彼は、何か得心のいったように楽しそうに笑っていた。めぐりちゃんはというと、彼の笑いにもまったく動じていないかのように、目を閉じて静かにお茶をすすり続けている。

「あなた、何言ってるの。この館で、私が関知していないことが起こるわけないじゃない」

 めぐりちゃんは片方のアリスに命じて、足元から何かを取り出させた。それは見覚えのある観音扉つきの木箱――虹色の頭骨、彼女の収まっている木箱だった。めぐりちゃんが扉を開くと、そこにはわたしの膝の上にいたはずの彼女が何事もなかったかのように佇んでいた。

「まあ、あなたたちのおかげでおもしろいものを見ることができたけれどね。数日間楽しかったと、彼女は言っているわ」

 めぐりちゃんは、ほんのわずかだが目を細めて笑う。

「特にそっちのあなた、彼女を連れて、いろいろやっていたみたいじゃないの。屋根裏探検とか、裏口探しとか、宝探しとか。おとなしい娘かと思っていたけれど、意外とおてんばなのね」

 唐突に自らの行動をばらされ、わたしは顔が熱くなるのを感じた。全部見られていた? いや、めぐりちゃんの言葉を素直に受け取るなら、めぐりちゃんは虹色の頭骨と話すことができるというのだろうか。つまりそれは、めぐりちゃんが最初からすべてを握っていたということで。

「まあ、結局俺たちは家主の手のひらの上でしか生きられないっていうことだよな。家主のそういうところは嫌いじゃないよ」

「あら、人聞きの悪い。私はあなたたちに頼みごとをして、あなたたちがそれに応じてくれた。それだけじゃない」

 それってつまり、どういうこと?

 この場でただひとり、わたしだけが状況を吞めていないようだ。

「あなたたちに捜し物をしてほしかったのは本当よ。ただ、それが私のための行為ではなかっただけ」

 めぐりちゃんは観音扉を閉じた。ぱたりという控えめな音が、主の部屋という彼女の世界に響きわたる。さっきから、めぐりちゃんと彼の会話は難しくて、わたしにはいまいち理解できない。かといって、下手に口も挟めないし――わたしは結局、黙って耳を傾けているしかなかった。

「あなたって、大人のくせに細かいこと気にするのね」

 冷たく笑うめぐりちゃんと、弄ばれた悔しさがあるのか、話しているうちにどんどん熱くなる彼。その様子を見てか、お茶のお代わりを用意しに行っていた方のアリスは、彼にだけアイスティーを差し出した。その顔は半笑い。さすがメイドさん、ただこんなところで気遣いを発揮しても意味がないと思うけれど。

「そうさ。どうせ頭が固くて器の小さい大人さ。何とでも言えばいいだろう。ただ、ひとつだけ教えてほしい。君が俺たちに捜させた『幻想の文字列』――あれ、本当は何だったんだ?」

 その瞬間、主の眠そうな目がぱっちりと開いた。

「あら」

 彼女は不思議そうに、あるいは困ったように眉をひそめる。何事かと思いきや、次の刹那にその視線は、何とわたしを射抜いていた。

「それならこの子が一番よく知っているはずだけれど」

「えっ、わたし?」

 素っ頓狂な声が上がる。部屋中の目玉がこちらを向く。わたしは居心地の悪さを感じながら、ただただ逃れるように身を縮めることしかできなかった。

「この子が、私の望む正解に一番近付いてみせたんじゃないかしら。謎解きゲームはあなたの勝ちでいいわよ」

「え? な、謎解き?」

 意味が解らない……。わたしがめぐりちゃんの求めに応じることができていた? それって、どういうことだろう。混乱するわたしをよそに、彼と主はすべてを理解した顔で見つめ合っている。

「そうか、それじゃあ、この女子高生の言うとおり――」

「そうよ。幻想の文字列、それはね」

 めぐりちゃんは、そこで言葉を区切って黙り込んでしまった。彼女の視線は相変わらずわたしを射止めている。まるでわたしに答えろと言っているようだった。それならと、わたしは覚悟を決めて息を吸った。考えろ、否、思い出せ。虹色の頭骨と過ごした数日間を。回れ、わたしの頭。虹色の脳細胞。ここに来る直前、裏庭で何をしていた? それを思えば、おのずと答えは明らかだった。主の仕掛けた、回りくどくて趣味の悪い謎解きゲーム。その美しい回答を、いじわるで美しい天ヶ瀬めぐりに叩きつけてやろう。

「それはわたしたちのなくした大切なもの。わたしたちの名前――」

 その言葉はするりと、羽のように空を舞った。羽を拾った主は、小さな子供のようにあどけない笑顔を見せて、弾んだ声で叫んだ。

「正解!」

「…………」

 爽快感はほとんどなかった。主の願いに応えるという重責は、最低限達成できたはずなのに。わたしは冷めた自分の反応が不思議で仕方ない。一方でめぐりちゃんは上機嫌だ。主人はわたしを指してこう言った。

「本当はあなたたち自身に『それ』を思い出してほしかった。だから満点はあげられないけれど、及第点は十分にクリアしているわ。気分がいいから、特別にあなたの名前だけは返してあげてもいいわよ」

 めぐりちゃんの言葉を聞いて、彼は悔しそうに頭をかく。

「くそ、どうりで思い出せないわけだ。やっぱり家主の仕業なんじゃないか」

「本当に細かい男ね。そんなことはどうだっていいじゃない」

 彼とめぐりちゃんは、どこか楽しそうに言葉をぶつけ合っている。わたしはどうやら、わたしだけはどうやら、失っていた自分の名前を返してもらえるらしい。このまま黙っていれば大切なものが戻ってくる。宙ぶらりんから解放される。こんなにうれしいことはないはずなのに、浸れないのはどうしてだろう? わたしは目を閉じ、胸に手を当てた。わたしは、どうしたい? 教えて、『わたし』。

 応じよう、自分に。

「――いらない。いらないよ、めぐりちゃん」

 わたしだけが宝物を手に入れる、そんな結末は望んでいない。主は怒るかもしれないし、彼は呆れかえってしまうかもしれない。もしかしたら、とんでもないわがままかもしれない。それでもよかった。どうせご褒美をもらえるなら、わたしはわたしの気持ちをご褒美として通したかった。

「わたしが謎を解けたのは、みんなやこの人のおかげだから。それに、与えてもらうより自分から取り返しに行った方がかっこいいじゃない?」

 四人は目を見開いたまま固まっている。ほどなくして彼は口をぱくぱくと、アリスたちは口元を押さえてくすくすと、めぐりちゃんは立ち上がってすたすたと、それぞれの反応を見せ始めた。

「お前、お前――!」

「ふふ……一号さんてば」

「本当に、一号さんはおもしろい……」

「そう!」

 足早に傍らまで歩み寄ってきためぐりちゃんが、わたしの手を取って強引に立ち上がらせる。彼女の目はきらきらと輝き、普段より幾分か幼く見えた。

「私、あなたが気に入ったわ。裏庭でお茶の続きでもどう? ああ、メガネのあなたも、ついてきていいわよ」

 めぐりちゃんに手を引かれ、わたしたちは部屋を出た。軽やかな彼女の足取りが微笑ましく、新鮮に映る。ひどい主人だけれど、わたしたちはこれからも彼女と過ごそうと心に誓った。


 不思議とその日以来、主の部屋までの道のりが判らなくなることはなくなったのだった。


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