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薔薇風呂の老女(改訂版)

 部屋を出て真っ先に、わたしは彼から彼女――虹色の頭骨が収められた木箱を受け取った。一応女性である(らしい)ということで、夜などはわたしの部屋に置いておくのがいいのではないかという理屈だ。最初こそ彼女が人骨であるということに驚きはしたが、虹色の頭骨に対して不思議と不気味さや不快感は感じなかった。それは、わたしと彼女が同じめぐりちゃんの所有物であることから来ているのかもしれない。

 わたしも彼女も彼も、ほかのみんなも。全部が全部、めぐりちゃんのためのものなのだ。

「なあ、とりあえず昼飯を食べないか。俺は何だか疲れた……」

 反発する理由はない。わたしは木箱を一旦部屋に安置し、彼と共にダイニングに向かった。途中で窓拭きに精を出すアリス(おそらく、めぐりちゃんに部屋を追い出されたのだろう)に声をかけつつ、隣を歩く同居人の青い縁のメガネをぼんやりと眺めていた。思えばここに来てから彼とこんなに会話をするのは初めてだし、まして並んで食事に行くことなんて前代未聞もいいところ。そんなことを考えながら。彼はわたしの視線に気づいているのかいないのか、ただ廊下の先だけを見つめていた。

「こんにちは! 今日はお揃いなんですね」

 ダイニングスペースに入るやいなや、昼食の支度を行っているアリスがまぶしい笑顔で迎えてくれた。ダイニングテーブルには、すでにふたりの先客が着いている。片方は楼珠さん、もう片方は目を奪われるような美形のお兄さんだ。めぐりちゃんは自分の部屋で食事を摂るから、今の洋館の住人はこれで全部。実はわたしが来たばかりのころはもうひとり男性がいたけれど、彼はほどなくして旅に出てしまっている。

「やあ、花子ちゃん! 今日も僕の次の次の次くらいに愛らしいね」

 輝くような金髪、青みがかった瞳、そして何より王子様のように整った顔立ち――このフィクションのようにきれいな男の人は美ヶ(うつくしがはら)さんと言って、何というか……素敵な王子様とはほど遠い、色鮮やかにうっとうしい人だ。見た目は本当に美しく、とてもわたしの貧しい語彙では表現しきれないほどだが、一度口を開いてしまえばこのとおりの人である。

「こんにちは、美ヶ原さん」

「めずらしく太郎くんも一緒じゃないか。今日も僕より冴えないね!」

「……」

 面と向かって冴えないと言われ、彼のメガネが不機嫌に光った。ともあれ、これもいつもどおりのやり取りである。

颯弖(はやて)くん、今日もうざいわねぇ」

「ははは、楼珠姉さんほどではないですよ」

 こうやって向かいに座った楼珠さんと貶し合いをするのも、まったくいつもどおりだ。わたしは美ヶ原さんの隣、メガネの彼と向かい合って席に着いた。ほどなくしてアリスがお冷の入ったグラスを運んできたのを皮切りに、手際よくテーブルの準備が進められていく。できれば手伝いに入りたいが、アリスが怒るのでやらない。今日の昼食は、ミートソーススパゲティだ。

「そういえば花子ちゃん、お嬢さんに呼ばれていたじゃない。あれ、何だったの?」

 食事を始めてまもなく、ひとりだけお箸を使ってスパゲティを食べている楼珠さんが尋ねてきた。

「ああ、何か変なこと頼まれて。捜し物をしてほしいって、頭蓋骨渡されて」

「あら、頭蓋骨? 相変わらず不思議なお嬢さんだわね」

 短い会話を挟みながら、わたしは淡々と食事を進めていく。麺をフォークに絡めるのって難しいな、とか考えながら、部屋に置いてきたあの頭骨の顔を、自分の丸い頭の後ろの方でぼんやりと思い描いていた。本当にあれは何なのだろう。めぐりちゃんはきっと教えてくれないし、楼珠さんと美ヶ原さんも何も知らない様子だし――。気がかりがあるせいか、さっきから楽しくておいしいはずのこの食事も、いまいち楽しめない。気づけば用意された麺をただ口に運んでいるだけだ。こんな食べ方はアリスに失礼だな、と思いながら。

 わたしは、結局何をしたらいい? 彼女の求めに、どうやって応じたらいいのだろう?

 いつの間にか、フォークを持った手が止まっていた。

「――ちゃん」

 わたしは、所有物として持ち主のめぐりちゃんに応えなければならない。そのためには、一体どうしたらいいのだろう?

 わたしが主人のために悩むのは、所有物、持ち物としてごく当然の感情のように思えた。

 わたしは――。

「花子ちゃん!」

「えっ」

 美ヶ原さんの声で、はっと我に返る。膝の上の違和感に導かれてみれば、そこには麺やミートソースが腿から膝にかけてぼたぼたとこぼされた、ひどい光景が広がっていた。ライトグレーの膝上丈のスカートはもちろん、そこから露出した肌や白いテーブルクロスにも被害が広がっている。

「あっ……ごめんなさい」

「大丈夫かい? 何だかすっごい顔してたけど」

 隣に座る美ヶ原さんがおしぼりを差し出しながら、心配そうに眉をひそめている。美ヶ原さんだけではない。楼珠さんとメガネの彼も、みな一様に心配そうな視線をわたしに向けている。それに気づいた瞬間、わたしは自分の姿が恥ずかしくて、居ても立ってもいられなくなった。

「一度、お風呂に入ってきれいにした方がいいんじゃないかしら」

 楼珠さんが立ち上がる。

「私、準備してくるわね。颯弖くん、キッチンからアリスを呼んできて。太郎くんは雑巾の用意ね」

 わたしは駆けつけたアリスと楼珠さんに最低限歩ける状態に整えてもらってから、恥ずかしさを振り切って風呂場に向かうことにした。ここの住人たちのやさしさだろう、男性陣もいろいろと見ないでいてくれた。本当に、わたしは同居人には恵まれていると思う。

 洋館の風呂場は、ダイニングキッチンと同じ一階に配置されている。住人用の風呂場はひとつしかないが、脱衣所と浴室のつくりは広めであるため、三人くらいまでなら同時に入浴ができる。でも、アリスは『のっぴきならない理由』とやらで絶対に一緒に入浴してくれないし、楼珠さんはすごい長風呂ゆえに最後に入りたがるため、実際に彼女たちと一緒に入ったことはない。男性陣はもちろん論外。なお、普段はじゃんけんで入る順番を決めて使っている。

「汚れ、落ちるかな……。ごめんねアリス……」

わたしは汚れてしまった服を脱ぎ、いつものように洗濯かごに投げ込んだ。丁寧に拭いてもらったものの、ソースをこぼした膝のあたりが何だかむずがゆかった。

「うーん……」

 だめだ。

 先程のことを思い出しては、頭をぶんぶんと横に振る。さっきからそんなことを何度も繰り返している。いろいろと手伝ってくれたアリスは笑ってフォローしてくれたけれど、晒した恥をあっさり忘れられるほどわたしも簡単じゃない。

「うう……頭を冷やそう……」

 お風呂で水でもかぶったら、少しは気が紛れるだろうか。わたしは浴室の扉を勢いよく開いた。その瞬間、湯気に乗った甘い薔薇の香りが鼻をくすぐった。思いがけない良い香りに、わたしはしばし混乱する。そして奥の浴槽にはこれまた、思いがけない人物が浸かっていたのだ。

「あれ、楼珠さん?」

「あら、いらっしゃい。あなたを待っていたのよ」

 真っ赤な薔薇をたっぷりと浮かべた浴槽に、楼珠さんが肩から下をしっかりと沈めていたのだ。いつの間にか姿が見えなくなったなと思っていたら、まさかこんなところにいるとは。よく見れば濡れた髪の毛にタオルまで巻かれている。どうやら彼女、先んじて薔薇風呂をエンジョイしながらわたしが入ってくるのを待っていたらしい。

「え、えーっと……」

「ほら、さっさと洗っちゃいなさい。気持ち悪いでしょう?」

 楼珠さんに促されるまま、わたしは湯椅子に腰掛けてシャワーノブを捻った。少し熱いお湯が、頭のてっぺんから流れて背中をつるつる伝って落ちる。今回だけ特別よ、そう言って楼珠さんが特別に使わせてくれた高そうなシャンプーとボディソープからも、ほんのりと薔薇の香りがした。このまま、素敵な香りと一緒にわたし自身も排水溝の中へと流れていけないかな。決して叶わぬことを思いながら、わたしはそそくさと全身を洗って浴槽に移った。

「花子ちゃん、もっとこっちに来なさいな。隅っこで膝なんか抱えて、窮屈じゃないの」

 ゆったりした浴槽の隅っこで背中を向けているわたしを見かねて、楼珠さんは呆れたように言った。広いお風呂がもったいないわよと笑う彼女に、わたしは首を横に振る。

「誰かとお風呂に入るなんて、久しぶりで」

「そう? 私は少し前まで、しょっちゅうお嬢さんと入っていたけどね」

 楼珠さんは、後ろから抱きつくようにしてわたしの身体を自分の方に引き寄せた。彼女の身体の柔らかさと、見た目よりもずっと強いその力に、わたしは逆らうことができない。それに何よりも、彼女の語る主の話にすっかり興味を奪われてしまったのだ。

「めぐりちゃんと? うそ!」

 楼珠さんはわたしの頬に顔を寄せ、甘くやさしく微笑んだ。

「あの子、案外寂しがりなのよ。まあ、最近はあんまりお声がかからないけれど――あのとき、ちょっとやりすぎちゃったかしらねぇ」

 あの主に何をしたというんだ。気にはなるけど、やりすぎたことの詳細については深く突っ込まないことにした。大人には、こういう適度な距離の取り方こそ必要なんだと誰かが言っていたから。

 それからしばらくの間、わたしと楼珠さんは適温のお湯の中でのんびりと会話をしながら過ごした。めぐりちゃんのこと、ほかの同居人たちのこと、いろいろなこと。にこにこ笑う楼珠さんは、いつものような派手なお化粧をしていなくても十分にきれいだった。同時に、わたしは自分の貧相な見た目が恥ずかしくなった。首から上も、下も、何もかも。きれいと言えば、めぐりちゃんだって、アリスだってそう。みんな、わたしより輝いて見えるんだ。

 楼珠さんは、さっきから濡れたわたしの髪を手櫛でゆっくりと梳いてくれている。わたしは不意に、彼女のやさしい手つきに甘えてしまいたくなった。

「楼珠さん――わたし、めぐりちゃんにどう応えたらいいのかな」

 水の声に混ざって、不安が漏れていく音がする。

「学校でもいつもわたしよりきれいな子がいて、わたしより賢い子がいて――こんなわたしを、どうしてめぐりちゃんみたいなきれいな子が選んだの? めぐりちゃんはわたしに、何を求めているの?」

 視界がぼやけていく。水面の薔薇の花びらが、わたしの顎を伝う雫に打たれて沈んでいった。

「花子ちゃん」

「わたし、怖いよ。わたしきっと、何にもできないもの」

 そこからは、何も言えなくなった。そんなわたしを楼珠さんは、ただ黙って慰めてくれていた。わたしが落ち着くまで、ずっと。わたしは彼女のやさしさがうれしかったし、今この瞬間はただそれにすがっていたいと思った。ただ同時に、やはり自分にないものを持つ彼女に対して引け目を感じていたのも事実だった。

「あのね楼珠さん」

 どれくらい経っただろうか。

「――わたし、楼珠さん……ううん、なんでもない」

「そう?」

 困ったように笑う彼女に申し訳ないと思いつつ、わたしはまだその言葉を発することができなかった。

 ――わたし、楼珠さんみたいに素敵な女の人に、なりたいな。

 風呂から上がる間際の楼珠さんは、わたしと歳が変わらないほどに若返って見えた。


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