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『いじわる』

 めぐりちゃんの部屋は日によって場所が変わる。そのため、彼女の部屋を訪れるにあたってアリスの案内は必須だった。あるひとりを除いたほかの同居人たちはそろって『主人の部屋の場所は、そのうち聞かなくても判るようになる』と言うけれど、それはどういうことなんだろう。わたしには、この洋館のことはまだよく判らない。

 この洋館は、三階建てのいたってシンプルな構造を持っている。わたしの調べた限りでは隠し階段もないし、屋根裏部屋もない。普通に考えたら、この広くない建物をしらみ潰しに捜せばいつかはめぐりちゃんの部屋に行き着くはずなんだけれど。どういうわけか、わたしと『彼』にはそれさえも不可能だった。

 わたしは、小さな歩幅でちょこちょこと進むアリスの後ろをついていく。廊下を進み、曲がり、戻らず、階段を昇ったような、降りたような――そんな軌跡を描くうち、自分がいまどこを歩いているのか、ここは見知った洋館のどのあたりなのかが、いつの間にか判らなくなってしまっていた。どうしてだろう? アリスはただ廊下に沿って歩いているだけなのに。わたしはいつもどおり、どうしようもなく不安になって、前を歩くアリスの背中に呼びかける。

「ねえアリス、今日はどこなの?」

 すると彼女は、わずかに首をひねって返事をくれる。しかし、こういうときの彼女は、決してこちらを振り返ってはくれないのだ。

「ふふ、一号さん、お嬢さまの部屋の場所は、いつの日も変わりありませんよ」

 そう、アリスはわたしを一号と呼ぶ。

 彼女の言葉に、わたしは混乱する。でも、だってといった言葉が、思わず口を突いて溢れ出してくる――それを遮るようにして、アリスは歩みを止めてこちらに向き直った。言い訳がましいわたしの唇の運動を、彼女の細い人差し指がぐい、と押さえ込んだ。

「ね、わたくしがいつも申しておりますでしょう?」

 にこにこするアリスの視線に促されてみれば、そこはいつの間にか、あのオーク材の扉――めぐりちゃんの部屋の前だった。

「ああ、うん」

 やっぱり、腑に落ちない。

「さあ、お嬢さまがお待ちですよ。扉をお開けしますね」

 立ち止まるわたしの背中を、アリスがやや乱暴に押す。彼女が開けてくれた扉をくぐると、そこにはソファに座るめぐりちゃんの姿と、その隣でたたずむアリス、そしてもうひとり――めぐりちゃんの向かいに腰掛ける、いわゆる『彼』の姿があった。

 背後から、扉の閉まる音と、部屋の外の持ち場に戻るアリスの足音が聞こえる。

わたしは冷たい視線のめぐりちゃんと、部屋の中のアリスを交互に見据えた。相変わらず、この主人の品定めするような視線は苦手だった。わたしは少しでも気を紛らわそうと、彼女のコレクションであるファンシーな調度品やぬいぐるみの数々に目を配るが、それも長くは続かない。

 わたしは思い切って、身体の奥から声を絞り出した。

「あの、めぐりちゃん」

 その声に呼応するように、彼女はゆっくりと首を揺り動かした。薄い唇をわずかに動かし、彼女のか細い声は言った。

「待っていたわ、あなたを」

 部屋の主にして洋館の主である天ヶ瀬めぐりは、銀色に光る髪を胸の前に垂らして気怠げに言った。めぐりちゃん、わたしたちを呼んでおきながらパジャマ姿のままだし、相変わらず血圧が低そうな顔色をしているし、おそらく今日もいつもどおりの彼女なんだろう。そして、こんな彼女に対して見たとおり、思ったとおりのことを言ってしまった日には、わたしは間違いなく寝床を取り上げられるだろう。わたしたちの生活は、あくまで彼女に握られているのだ。

 主は手に持った赤いシュシュで髪をまとめながら、話を続ける。

「見えていると思うけれど、彼にも来てもらったの」

 主、めぐりちゃんは、対になったソファに腰掛ける人物を顎で指し示した。いま現在、わたしに背中を向けて座っているその人物は、ゆっくりとこちらを振り返り――。

「……」

 何も、言わなかった。

「一号さん、零号さんの隣へどうぞ」

 わたしはアリスに促されるまま、零号――、メガネを掛けた同居人の横にそっと腰掛けた。気持ち、カバンひとつ分ほどの隙間を空けるようにして。

 この零号と呼ばれた青年もまた、わたしの同居人のひとりだ。彼はわたしよりほんの少しだけ前にこの洋館に招かれたらしい。おそらく二十歳過ぎくらいのお兄さん(年上の男性の年齢はよく判らない)で、本来ならば敬うべき相手のはずなんだけれど。

「……おはようございます」

「……おはよう」

 今日も気まずい。

 どうしてか、なんでなんだろうか、わたしたちはそういう普通の関係を築くことができていなかった。彼、このメガネの人の反応は今日もそっけない。ちゃんと見てはいないが、おそらく彼はわたしと目を合わせることもせず、最低限の音を発してふたたびそっぽを向いて黙ってしまった。まるで、わたしに興味関心がないとでも言うように。そんな態度をとられていい気のする人間はきっとこの世にいないだろう。わたしはそういう正当性のある理由で、この年上の男性のことがあまり好きではなかった。わたしはソファの上で、もう少しだけ彼との間隔を空けた。

 めぐりちゃんは傍らに待機しているアリスを呼びつけ、何かを耳打ちすると、改めてわたしたちの方へと身体をねじった。それと同時に、彼女のすべてがこちらを向く。ほかでは見たこともないような銀色の髪、青白い肌、やや赤みがかったブラウンの瞳と、そこに宿る諦観をたたえたような冷たいまなざし。パジャマ姿で多少の寝癖がついているのが残念なところではあるが――ここで出会った誰よりも色素の薄い彼女は、間違いなくこの洋館の中で最も鮮やかな存在だった。

 めぐりちゃんはゆっくりと空気を吸い込むと、再び唇を揺らしてつぶやいた。元から声が小さいこともあるけれど、わたしは彼女が何かを話そうとするたび、その一挙一動から目が離せなくなる。今だってそうだ。肌の青白さに似つかわしくない、不思議と赤くて潤った口唇と息づかい、ゆっくりとしたまばたき、それに連なりおじぎをするまつげ。そして、ワンテンポ遅れてようやく漏れてくる甘い声。それは芯を持たず、いつ聞いたところでどこか頼りない。

「人が揃ったところで本題に入りましょう。実は、あなたたちに頼みたいことがあるのよね」

 めぐりちゃんは小さくあくびをして、改めてわたしたちを一瞥した。それとほぼ時を同じくして、部屋の奥に消えていたアリスがアイスティーの入ったグラスを三つ、カトラリーに乗せて運んできた。首から上には、満面の笑顔。

「はぁい、お待たせいたしましたぁ」

 しかし、ご機嫌な様子でアイスティーを卓に並べる彼女を見る主の顔は、非常に険しい。

「アリス」

「はい、お嬢さま」

「私が頼んだのは、お茶の用意じゃないのだけれど」

「……」

 アリスの顔に、動揺が走った。彼女はしばし主と見つめ合ったのちに糊で貼り付けたような笑顔を見せて給仕を再開する。なるほど、どうやら間違いを認める気はないらしい。

「どうぞ、春摘みの茶葉を水出しにいたしました」

「アリス」

 めぐりちゃんは、しらを切るアリスにすかさず言葉のナイフを突き立てる。

低く鋭い主の声に気圧されたのか、さすがのアリスもこれ以上の抵抗は見せなかった。

「はい、お嬢さま」

「解っているわね?」

「はい……」

 アリスは空っぽになったカトラリーを押して、部屋の奥へすごすごと戻っていった。そんな彼女の背中は普段のサイズ感に輪をかけて小さく見える。

「悪いわね、すぐに持ってこさせるから。ええ、すぐによ」

 めぐりちゃんの言葉通り、アリスはほとんど間を置かずにわたしたちの前に戻ってきた。今度の彼女はあのカトラリーではなく、観音開きの戸がついた小さな木箱を胸の前に抱えた姿だった。見慣れないそれに、わたしと(おそらく)彼の視線が釘付けになる音がする。

「それは?」

 彼が、静かに問いを投げかけた。

 それを受け止めためぐりちゃんが、アリスに命じて木箱をテーブルに配置させた。めぐりちゃんは木箱の扉を開け、わたしたちに中身が見えるようにくるりと回転させた。突然現れた思いがけないそれに、わたしたちはそろって言葉を失った。

「あなた、それにあなた。あなたたちにお願いよ。『彼女』に関して、あるものを捜してほしいの」

 めぐりちゃんが彼女と呼んだそれは、赤や青、黄色、緑色。とにかく鮮やかで色とりどりに染まった、人間の頭蓋骨だった。

「めぐりちゃん……?」

 わたしは頭蓋骨――虹色に染まった頭骨の正体を主に問おうとするが、肝心な言葉は一切出てこなかった。これは何? 本物? いったい、どうしてここに? 聞きたいことは山ほどあった。でも、その言葉たちのどれもが、わたしの小さな胸から上には決して出てこられない様子だった。

わたしは不安になってようやく彼の顔を見るが、彼もまた、わたしと同じような曇った表情を返してくれるだけだった。目の前のグラスの氷が、からりと音を立ててこの場の不穏を煽る。わたしは、さっきよりもっと怖くなって彼から目を逸らす。怖い。彼のことも自分のことも、どうしてかとても怖い。だからもう、目をつぶってしまおう。

 今のわたしたちは、何だかまるで鏡のようだ。

「彼女は、私の大切な人なの」

 真っ暗闇の朝の中、めぐりちゃんは静かに語り始めた。心なしかいつもよりやさしげな声――と思えたのはほんの瞬き程度の間だけで、次の言葉からは、すっかり普段の彼女に戻っていた。

「――ああ、ややこしいから、要点だけ言うわね」

 あまりの切り替えの早さに、わたしのまぶたもびっくりして開いてしまったらしい。本来の朝の光が、目の奥にじんわりとしみた。

「彼女にはある言葉が刻まれているの。でも不思議なことに、たまに彼女自身がそれを隠してしまうようなのよ。あなたたちには、隠された言葉を捜して、私に教えてほしいわけ」

 めぐりちゃんは、そう言っていとおしそうに木箱を撫でる。大切な人、虹色の頭骨、彼女、文字列、隠す。骨自身が? 意思を持って? 目を開けてもなお、わたしの混乱は一向に解けそうにない。だから、わたしたちは主に、こう返すことしかできない。

「は、はあ……?」

「何よ、あなたたちも、ここでの不思議現象にはさすがにそろそろ慣れたでしょうに」

「そうかもしれないけど……」

「それなら、ちょっと不思議な人骨くらいで怯えないの。何も、勝手に動き出したりするわけじゃないんだし」

 状況に呑まれた情けないわたしたちに、めぐりちゃんは不満そうだ。しかし、そんな彼女にとっての満点対応を求められてもさすがに困るわけで。わたしとめぐりちゃんの不毛な押し問答が始まったところで、隣の人――メガネの彼が口を挟んだ。

「……それで? 家主、俺たちはこの――えーと、彼女? に対して何をしてやればいいんだ?」

 さっぱり判らないと彼は言う。めぐりちゃんは、そうね、と前置きした上で彼女の木箱の扉を閉じる。そしてどこかうやうやしい様子で木箱を持ち上げ、その手をわたしたちに向かってずい、と突き出した。

「何でもいいわ。彼女を預けるから、煮るなり焼くなり茹でるなり、好きにしてちょうだい。大丈夫、並大抵のことでは壊れないから」

 わたしたちはもはや、次々差し出される主のとんでもない言葉に対して、ただ首肯することしかできなかった。ちなみに、食べるのだけはお腹を壊すからやめておけ、だそうだ。

 わたしたちはその後もめぐりちゃんの重ね重ねとんでもない言動に付き合わされ、ようやく解放されたころには壁掛け時計の針がランチタイム手前まで進むほどになっていた。おかしい、わたしたちが呼ばれたのは朝も一番だったはずなのに……。

「ちなみに、捜してほしい言葉のことを、私はこう呼んでいるわ」

 そういえば、そのとんでもない会話の最中、何杯目かのアイスティーをいただき(これは、間違いなくたいへんおいしいお茶だった)、そろそろこの部屋からの脱出のタイミングを探り始めたとき、主は唐突にこう言った。

「幻想の文字列」

 その耳慣れない不思議な言葉が、わたしの頭蓋骨の奥深くに突き刺さったような、そんな気がした。

 そんなあれこれを経て、いよいよ本当に部屋を出ようとすると、いつの間にかソファに寝転がっためぐりちゃんがわたしたちの背中を捕まえた。

「ああ、最後にひとつ、いいかしら」

 わたしたちは振り返る。そこには、にやりと口角を吊り上げためぐりちゃんがいた。

「あなたたち、仲悪いの?」

 わたしと彼は、彼女の問いを肯定も否定もできなかった。

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