第三話 誰か為に日は射す1
戦争は変わった。我々が若かりし頃に従軍した戦争とは何もかもが違う。
機関銃と鉄条網と塹壕。それらを前にして、最早騎兵は過去の遺物だ。歩兵の武器も小銃ではなく円匙。ただ砲兵のみが雄叫びを戦場に轟かす。
そして、掃射される機関銃と降り注ぐ砲弾。その鋼鉄の嵐の中に英雄はいない。あるのは傷病を抱えた生者と、地獄から解放された死者のみ。
しかしあの戦争には、唯一時代錯誤な戦士が存在した。それは、戦乙女だ。
銃弾を跳ねのけ、砲撃を掻い潜り、敢然とこちらの塹壕に飛び込んで来るその様は、まさにヴァルハラへの案内人と言うに相応しい。
いつからかデウシュ人は、神代の力を手にしていたようだ。
絶え間なく塹壕線を浸透する彼女達を前に、為すすべもなく我々が敗北したのも当然と言える。マルヌでの勝利も、戦乙女を呼び覚ますための呼び鈴にすぎなかったのだ。
再度言っておく。戦争は変わった。これからも永遠に変化し続けるであろう。
そして、最後にもう一つ。
あの戦争は、『戦争を終わらせるための戦争』などではない。
全ての、始まりに過ぎない。
──獄中で記したと思われるアルバート・フォッシュの日記より
◇◇◇
「失礼します。アンゲリカ・ミッターマイヤー中尉であります」
「待っていたよ、入り給え」
窓から月光の射し込む、暗い夜分の廊下。アンゲリカはドアノブに手を掛けて、捻る。
おもむろに押し開くと、そこは天井の照明が弱く、薄暗い執務室。
カーテンは既に閉め切られ、その前の執務机には上官たるウンフェアツァークト。
アンゲリカは執務室内に入り、丁寧な敬礼を一度挟み、口を開いた。
「中佐、何用でしょうか?」
「報告が上がってきてね」とウンフェアツァークト。書類をパラパラと捲り、字面悲惨な報告書に目を通す。
「党首と迫撃砲を取り逃がし、死人が多数。期待していたムーラウ士官候補生は……新米だから仕方ないか。しかし君にしては珍しく、華々しくない戦果だね」
ウンフェアツァークトは残念そうに手を止め、書類を机上に置いた。
今回の作戦の失敗を咎められるのだろうか、とアンゲリカは身構え、頭を下げた。
「ご期待に添えず、申し訳ありません」
「いやね、別に詰問するわけじゃない。こちらにも非はあるわけだし、これで私達から君への期待が薄れるわけではないよ。現に人事は、君の大尉への昇進を決めたようだ」
昇進、それ自体は嬉しい。だが、命を賭け、かけがえのない部下を削っての昇進なのだ。
彼らが帰ってくるなら地位などいらない……。その言葉はそっと胸中に仕舞い込んだ。
「……ありがとうございます」
「それで、君を呼び出した理由なのだが……私は君に、少し感想を聞きたいんだ」
「感想……ですか?」
呼び出された理由であるらしい『感想』。その意図が読み取れず、自然と首が傾いた。
ウンフェアツァークトは机に両肘を置き、髭の前で指を組み、先の言葉を説明する。
「そうだ、君の感じた想いだ。何故君達は負けたのかね? 正直に言ってくれていい」
正直。その言葉に胸がすく。彼女にとって困難な虚言を、一切弄する必要がなくて済むのだ。アンゲリカは原因を、本心から実直に伝える。
「理由は主に三つです。一つは、敵の数が想定より多分にいたこと。もう一つは迫撃砲の存在。最後の一つは……敵に魔術師がいたことです」
「ふむ、同意見だね。しかし、敵の人数を正確に把握しきれていなかったことは、こちらから謝罪しておこう。貴重な人材に多大な被害が生じたのだ、諜報部にもきちんと灸を据えるように言っておく」
ウンフェアツァークトは極めて真摯な態度だ。直接の隷下ではないが、死した彼らも部下であることに変わりはない。一中隊のみで作戦を遂行させたことを、彼なりに後悔しているのであろう。
多少、感傷の情が表情に現れつつも、彼は言葉を続けた。
「それで……迫撃砲に関して、君はどう感じるかね?」
「強力な兵器です。一般兵科は勿論のこと、エーギスで衝撃波は防げませんので、自分たち魔術師に対しても有用な兵器です」
「うーん……と、そうではなくてね。何故あの場に迫撃砲があったのか、ということを聞きたいのだよ。それも君の頭で考えた言葉でね」
敵に迫撃砲があった理由、と。軍属の彼女であれば、大方察しが付く。
おそらく、二重帝国軍から秘密裏に入手したのだろう。
砲撃痕から見て、迫撃砲は小型。しかし腐っても砲は砲だ。比較的火力の低い小銃とは違い、民間に払い下げられることはまず無い。
だが、何事にも例外というのは存在する。今回はそれが、眼鏡の首領とあの魔術師を筆頭に、彼等共産党員に多く退役軍人を含む、という点だ。
コネはあって当然。資金を提供してくれる出資者さえいれば、薄汚れたパイプを駆使して非正規に手に入れることは可能だ。故に、
「軍にいた時分の人脈を用いて、入手したのでしょう」
「とすれば? もう一つ見えてくるだろう」
「……軍内の誰かが横流ししたのでしょう。それも隠蔽の可能な立場……事務方か高級将校、でしょうか?」
「おそらくはね……」
仲間であるはずの軍内の人間が武器を横流し、間接的にアンゲリカの中隊に被害を出したのだ。全く怒りを覚えないわけではない。しかし、感情の鈍化もあってか、憤慨とまではいかない。
微かな遣る瀬無さと、既に慣れた仲間の死を、ほの悲しく感じるのみ……。
「…………」
「怒り……いや、悲しみか。……君は、優しいね」
「……いえ、自分は優しくなどありません。今日だって人を殺すのに、何の躊躇いも無かったのですから……」
「そうか……。……。私が君に同情してしまう前に話を戻そうか、ミッターマイヤー中尉」と名を呼び、ウンフェアツァークトは彼女の瞳を見据える。
「多少脱線したが……次で最後だ。あの魔術師はどんな思いで二重帝国に牙を剥いたと思う?」
少々難解な、ウンフェアツァークトの問い。アンゲリカは沈思黙考する。
──果たして、どんな思いだったのだろうか……。
純朴に国家の安泰を信じれば、魔術師として二重帝国に仕えるのが道理。
敵性存在に正面から相対し、最終的に万難を排する。それが彼女らの役目だ。
しかし、あの魔術師は純朴に国家に尽くすことを良しとはしなかった。
偉大なる思想の元、二重帝国を再建するという崇高な使命を胸に、かつて所属していた二重帝国軍に牙を剥いたのだ。
大いに悩んだはず、大変に辛かったはず。その決断には万感の思いが籠められていたはずだ。それこそ、第四世代魔石の使用者には決して理解の出来ぬ思いが……。
「……『病気』の自分には分かりかねます」
「……。今の君ならそう言うと思ったよ」
「申し訳ありません」
「なに、悪いことじゃない。……でもね、私は君に期待しているんだ」
ウンフェアツァークトは口前で組んだ両手を机の上にそっと置いた。
そして、はっきりと口元が見えるように、言葉を発する。
「だから明日、いや明後日に証拠局内の地下室に行きたまえ。あの魔術師に答えを聞くといい。許可は私が取っておくよ」
「……了解です」




