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第二話 武器よおいで4

 ──ホントに、サイアク……ッ!。

 ムーラウは壁によって視界を奪われた恐怖と、突如訪れた衝撃に、奥歯を噛む。そうでもしないと、がちがちと打ち鳴る歯冠の震えが抑えられない。

 極めて怖気立っている。されど、始めは何が起こったのか、全く理解が及ばなかった。

 突然アンゲリカが壁を殴打し、魔術を行使。壁で周囲を覆い、殻に籠ったのだ。

 まるで蝸牛か欧州沼亀だ。もしくはセヴァストーポリの帝政ルテニアか、プシェムイシルの二重帝国軍だ……と、そこでようやく理解した。

 衝撃の原因は砲撃。

 士官学校で幾度か体感した音と衝撃だった。間違いない。


「……どいつもこいつも!」


 行き場ない怒りを噴出。小鹿のような両脚で立ち上がり、鎧戸が如く重たい双瞼を開く。

 すると既に、アンゲリカの張った周囲の殻は解囲済み。故によく見える。

 内臓が内側より破裂したかのように、捲れ上がった十字路の石畳。内容物たる石片は、所構わず周囲に散らばっている。砲撃を受けたのは歴然だ。

 そして呆然自失すること数秒後。痛苦の呻きが鼓膜を震わす。

 音源は、砲撃跡新しい十字路の通りを挟んで向かい側。その建物の陰で横たわる仲間。

 パイクグレーの軍服は、止めどない鮮血で紅く染め上げられ、先程まで壮健だった肉体は、全身に迸る激痛に身を捩る。

 彼が抑えていることからも、砲弾か石畳の破片が腹部に直撃したことは明白。そして、患部を抑えた手の指の隙間からは、腸がだらりと垂れる。


「……っうぇっ!」


 咽頭まで込み上げる吐瀉物。文字通り、吐き気を催す。

 だが、ムーラウは気位が高い。必至になって我慢するが、


「おっ、おええぇええ……!」


 情けなく、足元に吐瀉物を撒き散らした。

 独特の酸っぱい悪臭に厭気が射し、汚れた軍靴に惨めさを覚える。きつく結ばれた涙腺から涙が溢れようと大挙し、自身を更に不甲斐なく感じる。

 戦争とは残酷なもの。頭では分かってはいたが、どこか現実離れした空想のように思えていた。それは、理性が現実を直視することを避けていたのかも知れないし、自身の出世欲が素知らぬ振りをしていたのかも知れない。

 だが、今なら分かる。

 戦争は英雄譚で語られるような、希望に満ち溢れた存在ではない。ましてや、愛すべき隣人などでは決してない。忌み嫌うべき、人類の持病だ。


「はぁ……はぁ……!」

「おいおい、大丈夫か⁉」


 左隣にいるレルジッチは心配してくれる。非情なこの場において、心配してくれる仲間、というのは大変に心強い。だが、同時に悔しくもある。


「だ、大丈夫よっ!」


 無理して気丈に振舞い、レルジッチの声を振り払った。

 そうして意志強き気節を、砲弾に捻じ曲げられた精神に再装填。

 袖で口元を拭うと、右隣の中隊長・アンゲリカに視線を飛ばす。

 見ると、彼女は至極冷厳。顔色一つ変えず、腰嚢から魔石を取り出す。

 当然口に含み、喉を上下。短機関銃のレバーを一度引き、ちらと左腰の軍刀を見遣る。


「……よし。レルジッチ少尉、自分は突撃します」

「真ですか、中尉殿⁉ 増援はお待ちにならないのですか!」

「おそらく先程の迫撃砲は足止めです。本命は──」


 再度。軽快な音が、ポンッ! と、東洋の鼓のような音色で打ち鳴らされる。

 しかしアンゲリカは歯牙にも掛けない。短機関銃を掴む手が、微かに握力を増したのみ。

 そして、直後。敵のアジトの向こう側で爆音が轟く。

 轟音は大音にして、腹の底で反響。しかし、胃を含めた肝を冷やそうと、敵の怒声と銃声が音量を増す。


「──勝手口側でしょう。逃がすわけにはいきません」

「我々はどうしますか」

「中隊本部は衛生兵の指揮下、負傷者の手当てに注力してください。ですが第一小隊には突撃命令を。第二小隊と第三小隊の救援に向かいます」


 指示を受け、レルジッチは「了解」と敬礼。周辺の伝令達に内容を口頭で下令する。

 伝令達は深く首肯し、心中で指示を反芻。使命感に背を押され、路地を抜ける。

 一方、衛生兵は額に脂汗を滲ませ、怪我人に応急処置。自身の役目を全うする。

 だが、唯ひとり。ムーラウのみは手持無沙汰。アンゲリカに自身の役割を問う。


「わ、私は何をすれば……!」

「何も期待はしていません」ばっさりと切り捨てるアンゲリカ。

「……ですが。もし気概があるのであれば、付いて来てください。最初の実戦にしては些か手厳しいかも知れませんが、仲間を助けるには一人でも多くの戦力が必要です」

「わ、分かった……っ!」


 ムーラウは震える指先を懸命に動かし、腰の拳銃を引き抜く。

 小さな両掌でしっかり把持すると、決意を瞳に宿した。

 大変に健気だ。見た目が少女であるとは言え、精神は誇り高きデウシュ人ということか。


「いい表情です。では──行きますよ!」


 瞬時。アンゲリカは建物の陰より敢然と身を乗り出し、石畳を踏み駆ける。

 その両脚の勢い凄まじく、一陣の疾風のよう。

 踏み鳴らされる軍靴の音さえ、後方へと置いていかれる。


「来たぞッ! 魔術師だ! 準備しろ!」


 迫り来るパイクグレーの死神に、声を荒げる窓の敵兵。

 意味がないとは知りつつも、脳天目掛けて金属の弾丸を撃ち放つ。

 そうして銃弾という名の矛はアンゲリカの不可視の盾へと、激しく正面より衝突。

 だが経験論的に、銃弾が敗北するのは火を見るより明らか。

 彼女の眼前で殺傷力たる速度を失い、ただの鉄屑へと変じる。


「くそ! 来るぞ、来るぞ! 思想と同志に命を捧げる準備はいいか!」


 窓々で射撃していた社会主義者達は、近接武器片手に持ち場を離れた。

 既にアンゲリカと建物の距離は十歩程度。突入されるのは必死。故に魔術師を狩る唯一の方法──近接戦闘を展開するつもりだ。

 彼等は急いで部屋を出、階段を下り、刃物や農具を手に扉前の通路に集結。荒々しい呼吸のまま、今か今かと待ち侘びた。そして見据える扉が、アンゲリカに蹴破られた瞬間、


「イグニ(火)!」


 通路は炎に包まれた。


「うわああああぁぁぁぁ!」

「た、助けてくれええぇぇ‼」


 彼女の突き出した左掌の先から地獄の業火が解放。

 瞬く間に通路中を猛炎が埋め尽くし、幾人もの火達磨を作り出す。

 判別出来ぬほど身は黒く焦げ、金切り声の絶叫だけが通路中に木霊。藻掻こうにも酸素は無く、逃げようにもアンゲリカの短機関銃が発火炎を噴く。

 鳴らされたのは二十の発砲音。

 その原因たる短機関銃の弾は通路を走り、障害物の生命を剥奪する。小さな悲鳴の後、弾倉が空になる頃には、既に息をした人間は誰もいなかった。

 ──終わりか。にしても、扉が開いている。既に逃げられたか。

 焼死体には眼もくれないアンゲリカ。その両眼は開かれた勝手口の扉だけを見詰める。

 酷薄だが、致し方あるまい。部下の命が掛かっているのだ。

 それに、戦場に於いて騎士道や武士道など、無意味で無価値。一切れのパンやナイフにすらならない。辛うじて道徳性を正しく照らすランプになる、といった程度。持つだけ塹壕での荷物になる。

 故に、その事実を大戦で痛いほど知った彼女が、慈愛に手を差し伸べることはない。

 顎を引き、襟を掴んで立て、口元を覆う。簡易な火煙の吸引対策をし、勝手口目指して炎を中を突き進んだ。


「……! ……っ!」


 熱は心身を炙り、煙は視界を徐々に奪う。至極不快だ。

 アクア(水)の魔元素で魔術を発動し消火、それが最善の安全策。しかし時間は掛けていられない。靴底の焼け爛れた肉の感触も、階上で聞こえる絶望の哭声も、今は無視。

 ただ只管に火炎の道を駆け、短機関銃を手に勝手口の扉を抜けた。


「ぷは……っ!」


 淡褐色の瞳に再び映る、ヴィエナの荘厳な街並み。

 彼女は昏い太陽光を身に浴びて、襟から手を離し、肺胞に入る新鮮な酸素に安堵。軒先でT字状に分かれた道路、その全てに顔を向ける。

 左手側には、こちらへと駆け寄る味方。ライフルを抱き、喊声を発する。

 正面には、蕭然とした静けさ。砲撃跡生々しく、一切の変化が無い。

 そして、右手側。そこでは軍服姿の死体を越えてゆく、敵が視認出来た。

 おそらく左の味方は彼等を必死に追っているのだろう。ならば況や、上官たる自分が見逃せようか。

 ──確実に追い付いてみせる!

 アンゲリカは逡巡することもなく、瞬時。弾倉を装填しつつ、敵の背を追う。

 鍛え抜かれた体力で確実に彼我の距離を縮め、慣れた手付きで弾倉を交換した。

 しかし、走りつつも短機関銃を構えた同時。運悪く、敵の集団は左へと舵を切る。

 裏路地の方へと歩を進められて、照準は獲物を見失ってしまった。

 短機関銃は駆動音を立て、悲しげに咆哮する。だが無論、諦観を覚えるには早過ぎる。

 アンゲリカは歩みを止めず、我を忘れて駆け寄る。背後の仲間の声に背を押されているかのように吶喊し、曲がり角で急制動。敵の消え行った裏路地に、両眼と銃口を向ける。

 裏路地は暗澹としていて、暗い。しかし、闇夜で蠢く三つの陰が、


「「死ねええぇぇェェ!」」


 鋭利な武器を振り被り、狂気を孕んで迫り来る。

 彼等は殿であろう。勇敢にも命を差し出し、防禦隊から時間を稼ぐつもりだ。

 死ぬつもりは毛頭ないのであろうが、されど、死ぬる覚悟で進む。

 ──思想のためにこうも命を賭せるとは……。

 自分が何のために武器を取って塹壕に入ったかなど、感情と共に遠い過去に置いてきた。現時点で思い出すことは不可能。故に彼等が至極眩しく思える。だが、その光を奪うのが彼女の役目。

 アンゲリカは射撃場で的を射るように、動揺ひとつ無く引き金を絞る。

 パンパンパン! と手早な三連射。ひとりに一発ずつ、的確に敵の胸元に小口径弾を叩き込み、動きを確実に鈍らせる。しかし、足を止めたのはひとりだけ。

 二人はアドレナリンに後押しされ、仲間のために魔術師狩りを為そうと円匙シャベルを全力で振り下ろす。

 頭皮をも抉るであろう二振りの攻撃に、アンゲリカは意外にも頼れる短機関銃から両手を離した。左足を後方に下げ、腰を落としたかと思えば直後。

 大地を砕かんばかりの踏み込みで二人の間隙を抜け、人の動体視力を遥かに凌駕する速度で抜刀。通りすがりに、左側の敵兵の脇腹を切り裂く。

 飛び散る血飛沫を左半身に負ったかと思えば、髪を振り乱し反転。回転の勢いのままに、もう一人の背後に刀創を奔らせる。


「おがっ……!」「……ぐああぁぁっ!」


 両者共に傷は深手。鮮血という人間にとっての石油を失い、木偶の坊と化して、どさっと無様に斃れ伏す。

 アンゲリカは紅みを帯びた白刃を空で再度振り、べっとり付着した鮮血を払う。地面に一条の紅線を賦色するが、血は完全に払いきれない。しかし、薄くなった血濡れは白刃に融和してその輝度を増し、陶然たる情趣を感じさせる。

 どこか儚げな彼女立ち姿も相まって、大変に美しい。まるで、女吸血鬼カーミラ

 その伝承通りか、更なる生血を求め、彼女は刀身紅い軍刀を右手に裏路地を走り出した。

 ──迫撃砲は既に止んだ。雑兵は問題外。でも、魔術師には苦戦するかも知れない。もし相手が自分を止めるつもりならおそらく──……。

 暗鬱とした路地の冷たさに思考を冴えさせ、黴臭い石畳を何度も踏みしだき、漆喰の剥がれた建物の角を二度曲がる。すると眼前……追い付いたことを確信する。


「ここから先は行かせないぞ、セルビジャの龍」


 目の前に立ち塞がるのは、頬に裂傷創を有するひとりの女性。右手にはナックルダスターの付いたトレンチナイフ、右手には無機質な拳銃を持ち、背後で開けっ広げにされた潜孔マンホールの門番を務める。


「退いては、くれませんか?」

「無理な注文だ。この二重帝国を再建する、という大義名分の下、お前をここで足止めする義務がある」

「そうですか……残念ですね。上官からは『魔術師がいた場合、捕縛が望ましい』とは言われていますが……もしものときのこと、覚悟しておいて下さい」


 ちゃ、と朱色輝かしい軍刀を脇構え。目の前の魔術師に対し、臨戦体勢に入る。

 女魔術師は眉根を寄せて感覚の刃を研ぎ澄まし、龍へ一応の警戒。目下にねだる上司のように、提案をひとつ投げ掛けた。


「なぁ……本当に仲間に入らないか? お前に良心が残っているなら分かるはずだ、この二重帝国が守るべき人道と近代国家としての軌道を踏み外していると」

「…………」


 駁そうと心中で魔術師の批判を書き起こすが、同感故か反駁の論で声帯は震わない。よって、アンゲリカの返答は無言。魔術師は主張を続ける。


「気高きセルビジャの龍よ、我々はお前を必要としている!」と、女魔術師は片腕を伸ばし、真剣な瞳でアンゲリカにトレンチナイフを向ける。

「この愛すべき祖国のため、我々の部隊に参加せよ!」


 彼女は愛国心を強く握り締め、国のために戦いに身を投じているのだろう……。立派だ。それに是非は兎も角、何かを信奉し突き進む姿は、闇夜の光源のようだ。

 眩しい魔術師の精魂に、感情の鈍化した心は憧憬を覚える。だが、


「……すみません。自分には……決めかねます」


 至極申し訳なさそうにアンゲリカは謝罪。二度目の交渉も決裂した。


「……そうか。まぁいい。……自我を取り戻す前は私もそうだった」


 女魔術師は、眼前の戦争の被害者に同情の念を感じ、悲しげに呟く。

 アンゲリカは彼女の最後の台詞が心に引っ掛かったが、問い質す暇無く、


「神よ、二重帝国を護り給え」


 拳銃の発火炎を目にした。


「……ッ!」


 迫り来る弾丸。しかし既に慣れた小さな金属塊を前に、一切の恐怖は無い。

 拳銃弾が失速するや否や、大胆不敵にも足を前に繰り出し、首を狩りに突撃する。


「いいぞ、セルビジャの龍! ジークフリートを越す龍殺しを成し遂げて見せよう!」

「……無理ですよ」


 元より距離は遠くない。足を数歩踏み出せば、軍刀の間合いの内。

 アンゲリカは俊敏な足捌きで、その数歩を一瞬で詰める。而して、魔術師は近間。

 制動の勢いを刀身に乗せ、右斜めに鋭い斬撃を紫電一閃──

 ──キィンッ! 

 魔術師は左手のトレンチナイフで軍刀の一撃を見事に防ぎ、路地に火花を散らす。

 だが、力ある両手剣とか弱き短剣、二人の膂力の差からも押し負けるのは自明の理。


「ぐおっ……!」


 魔術師の身体は左下から押し上げられるように、確かな安定を失う。

 焦りに歪む表情、右に寄った重心。その一瞬の隙をアンゲリカは見逃さない。

 彼女は軍刀から両腕を離したかと思えば直後。魔術師の襟と袖を瞬時に握す。

 無理に襟を捲る左掌、袖を下方に引く右掌、そして目と鼻の先まで迫る全身。

 魔術師の体勢の整わぬ内に、彼女の体重が集中した右足を自身の左足で刈り、驚きに満ちた全身を硬い地面に投げ倒す。


「がは……っ!」


 背骨が石畳に叩き付けられる、尋常ならざる衝撃。内容物である肺の酸素は出口を求めて気道を暴れ回り、口腔からその激しさのままに吐き出される。

 アンゲリカはその隙に、握力緩まった魔術師の左掌からトレンチナイフを奪取。その柄の感触を手に馴染ませながら、仰向けに苦しむ敵を見下ろす。


「勝敗は決したも同然です。諦めて降伏してください」

「はっ……! がはっ! 断る……ッ!」


 藻掻き苦しみ後ずさり、膝に気合と力を入れ、懸命に起き上がる女魔術師。

 二人の戦闘能力は天と地ほど、征服者コンキスタドール先住民インディオほどの差がある。それを痛みと引き換えに知ってなお、魔術師は立ち上がる。

 勇敢、否……蛮勇だ。


「……拳銃を棄てて下さい」

「無理な注文だ……。これを捨てたらお前を倒せなくなるからな……!」


 女魔術師は荒い呼吸に背を上下し、雲泥が如き筋力と技量の差に嗤った。

 相手はセルビジャの龍とまで呼ばれた塹壕の英雄。その実力が二つ名に見合うほどのものであることも、先の数瞬で十二分に理解した。敗北の二文字がその強大な影を伸ばす。

 しかし、勝機が完全に潰えたわけではない。

 防弾の魔元素・エーギス、その不可視の盾は魔術師との間に間隙を有する。そこへ銃口を伸ばし、ほぼ零距離に近い位置からの射撃であれば打倒することは可能。

 自身の可能性を信じ──前に出る。


「うおおぉぉ!」


 アンゲリカは強力無比。その背後には、増援の魔術師らしい少女まで見える。

 失敗すれば二対一だ。敗北は決定的なものとなる。勝負は一回きり。

 骨が軋むほどの握力を右腕に籠め、震える脚の筋肉に鞭打って全力で駆けた。

 だが、アンゲリカに対して右腕を伸ばした瞬間。

 斬り上げられた電光石火のトレンチナイフによって、手首の筋肉と健が断裂する。


「うぐっ……が、がぁあ!」


 決河の勢いで溢れ出す血液と右腕の感覚。

 しかし、銃口は既にアンゲリカの盾の内。

 力の限りを尽くし右腕を前に突き出すが──拳銃は手から滑り落ちた。


「そ、そんなっ……!」


 カンっ。金属特有の無機質で甲高い落下音。

 同時に女魔術師の膝は、石畳に崩れ落ちた。

 アンゲリカの重たげな淡褐色の瞳はそんな彼女を一見。血潮に煌めく軍刀を拾い上げると、陰鬱な路地に言葉を落とした。


「……あなたを拘束します」

「お、お願いだ……! それだけは、それだけは……」


 俯いているため表情は見えないが、悲嘆していると見て間違いない。

 しかしアンゲリカは無情にも、彼女の希望を低い声音で断ち切る。


「いえ、これも規則ですので」

「お願い……あそこに行くくらいなら死んだほうがマシだ……」


 魔術師が呟いた指示語が示す対象が思い当たらず、疑問を感じる。

 だがそれを呈する前に、幾人かの部下が駆け付けた。


「中尉殿! 大丈夫ですかい!」

「問題ありません。それよりもあのマンホールの先を追ってください」

「はい!」「了解」と軍服姿の男達はライフル片手に赤錆びた梯子を降りていく。


 それを横目に、息を切らすムーラウはアンゲリカの背後に声を放つ。


「崩れる街と転がる死体……ゴヤの絵画より最悪の光景ね」

「ですね」

「……あんた、こんなことをずっと続けてきたの?」

「はい」アンゲリカは振り返ることなく、一言。

「……仕事、ですから」


 時は新帝国歴五十四年四月。

 アンゲリカの感情に小さな灯火が照った。

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