第二話 武器よおいで3
遡ること、今より十数分ほど前。
アンゲリカは幾人かの将校・下士官を前に、作戦を再度説明していた。
「まず、自分とノラちゃんが話をつけに行って参ります。念のため、自分達が屋内に入ったのを確認したら、周辺住民の避難をお願いします」
将校・下士官達──おそらくはアンゲリカの中隊を構成する小隊の長とその副官は、ノラちゃんと呼称された少女をちらと見遣り、くっくと喉奥で笑う。
──チッ。どいつもこいつも馬鹿にしてくれて……!
嘲笑は極めて不愉快だ。浴びるのは賞賛と出世の通知だけで良い。
ムーラウは不快さに肩を震わせるが、アンゲリカは説明を続けた。
「避難が済み次第、速やかに戦闘態勢に入っておいて下さい。配置は、正面側に中隊本部と第一小隊、勝手口側に第二小隊と第三小隊を」
深く首肯する者、「へ~い」と脱力しきった返事の者。その態度に違いこそあれ、皆異論無い。
「では作戦開始です。皆さんの健闘を祈ります」
「「「了解」」」
将校・下士官達は敬礼し、散開。急ぎ自身の小隊に戻り、配置につく。
ウンフェアツァークトに言い渡された今回の任務。それは二重帝国内で違法に『共産党』を組織した男を逮捕すること。いわば政治的弾圧だ。
彼等からしてみればたまったものではないかも知れない。
しかし共産党とは、労働者の運動によって財産を共同所有し、広く平等を目指す政治組織。細分化された種別はあるのだが、基本的には反王政的で、反体制的である。
未だハブスバルク王家の残るこの二重帝国にとっては、目の上のたんこぶだ。
故に逮捕。危険因子をヴィエナで野放しには出来ない。
アンゲリカは見た目か弱そうなムーラウを伴い、一棟の建物目指して歩を進めた。
目標の建物は今いる十字路を抜けた先のT字路、その突き当りに聳え立つ。
まるで地獄へと一直線に続く道だ。ムーラウには、懸念の一つもある。
「ほ、本当に大丈夫なの⁉」
「人数によりますね。情報では十人から五十人程度と幅広いですし、もし多いようであれば大隊本部に増援を要請します」
「なんで戦う前提なのよっ! それに私が言いたいのはそうじゃなくて! 私達二人でアジトに突っ込んでも大丈夫かってことよ!」
今より入るは、人数が五十人ほどもいるやも知れぬ犯罪者の巣窟。
魔術師とは言え、うら若い女二人で足を踏み入れるなど自殺行為に他ならない。
常人なら躊躇うのが普通。こうも迷い無く突き進めるのは、はっきり言って異常だ。
「大丈夫ですよ。もしもの時は一度退きますし」
「……本当に退けるの? ヘルリーゲルも無いのに?」
ヘルリーゲルとは、二重帝国陸軍が開発した短機関銃のことだ。
正式名称はシュタントシュッツェ・ヘルリーゲル一九一四短機関銃。
機関銃の欠点である銃身の加熱を、魔力を用いた水冷機構で冷却することによって、長期的な連射が可能。更に、『短』という接頭辞からも察せられるように、全長が短い。故に個人携行に容易く、近接戦闘能力も高水準。
塹壕や市街地でその本領を発揮する、魔術師にとっての杖だ。残念ながら今は手中に無いけれども……。
代わりにあるのは、腰に収められた拳銃。アンゲリカは左腰にサーベルも佩いているが、それでも火力不足は否めない。
──警戒心と敵愾心を高める恐れはあるけど、自衛目的だし許してよ……。マジでサイアク……。
心中でつく悪態。だが足は止まらない。
着々と目的地へと向かい、然程時を掛けずして辿り着く。
「ふぅ……ここね」
眼前の建造物。ウィンドボルンに相応しき、ベージュ色の上品な壁色をした五階建て。しかし人だけでなく、建物も見かけによらない。この中には敵が大量に巣食っているのだ。
──よし、気合いを入れるのよ、ノラ・ムーラウ。あなたなら出来るわ!
ムーラウは自身を激励し、心を奮い立たせた。やや手軽だが、準備は万端。
気組を籠めた右手で、腰の腰嚢より大豆ほどの小さな石──魔石を取り出す。
指先に摘ままれた魔石の色は白濁色で、触感は硬質。ぱっと見、何かしらの鉱物だ。
しかし、ムーラウはそれを──飲み込んだ。
「……ごくっ」
異物感が非常に強く、咽頭が削られる感覚を覚える。最悪の喉越しだ。
だが魔石が無ければ、魔術師など特別な教育を受けた兵士に過ぎない。
魔石とは、魔力を魔元素へと変じる変換器なのだ。どれだけ不味かろうと、摂取は必須。必要不可欠な行動である。
仕方なく魔石を胃に落としたムーラウ。嫌悪感に顔を歪ませた。しかし、横のアンゲリカは無表情で嚥下。第四世代魔石を摂取した人間の感情が乏しくなるのは知っている。だが、こうも機械的な表情で飲み込むのは意外だ。
気になり、彼女に聞こえるように、呟いた。
「はぁ……マッズ。いや、ホント美味しくないわ~」
「ですね。エーギス」
彼女はほんの少し目線をくれただけで、そのまま詠唱。
人間の水晶体程度では確認できない、対弾の盾を眼前に張る。
そして──コンコン。彼女は手の甲で、すぐさまノック。
「失礼します」
「いや無視⁉ い、いや完全に無視って訳じゃないけど、ほぼ無視でしょこれ! 一仕事終えたら麦酒を飲もうとかあるでしょ普通!」
半ば懇願するようなツッコミ。アンゲリカが「何故でしょうか」と首を傾げるや否や、
「誰だぁ?」
扉が開かれ、一人の青年が顔を出す。アンゲリカは極めて事務的な口調で、
「共同陸軍省証拠局の者です。ヨシップ・ブロズさんに用があって参りました」
「なっ⁉ ……いやいや、いないぞ!」
男は大仰な身振りで否定。当然だ。何処かの誰かさんでもない限り、実直に答えるはずもない。
そして、いつものアンゲリカなら言葉通りの意味合いで受け取り、手ぶらで帰りそうなもの。しかし、ウンフェアツァークトも彼女とはもう長い付き合いだ。察している。
「すみません。確認しておけ、と上官に言われたので……失礼しますね」
一度会釈し、彼女は扉を無理に開く。男は触れこそしないものの押し留めようとするが、止めること能わず。アンゲリカは自身の家を踏み歩くが如く、ずかずかと踏み入った。
一階の通路に存在する扉を全て開け放ち、内容物の顔面を視認。
対象がいないことを確認するなり、ムーラウ以外の男達も引き連れて、階上へ。
そして二階に存在するとある一室で、彼女の凶行は一度鳴りを潜めた。
「あっ……いましたね」
見つけた瞬間、他室より多少豪奢な室内へと突入。
骨董品の木机に腰掛ける眼鏡を掛けた三十手前の男性と、その横にいる黒髪ポニーテールで秘書風の女性に対峙する。
「自分は共同陸軍省証拠局の『コーデリア』と申します」
アンゲリカは、コードネーム交じりとは言え、端的に自己を紹介。
その右腕には上半分を黒、下半分を黄で染めた腕章が一枚。
すぐ後ろには、怯える小動物みたく背に隠れるノラちゃんが一匹。
周囲には、国家権力の登場に肩に力を入れる社会主義者(犯罪者)が多数。
しかし一切物怖じしない。それは対峙した相手も同じ。
「それで、証拠局が何の用だ?」
堂々と椅子に腰掛けた男の声音は重低。腹の底にまで響く。
眉間に皴の寄った目付きは、凄まじいほどに険しい。堅気とは到底思えない。
ムーラウは、眼前の男の武人肌を柔肌に感じ取り、居竦んだ。その頭の中では何度もウンフェアツァークトへの恨み辛みを垂れ流しつつ。
──いやいやいや。思いっきり囲まれてるし、このおっさん何か怖いんだけど! てかこれのどこがコミュニティ・レクリエーションなのよッ! 確かにクソ怖い吊り橋みたいな艱難辛苦を共にすることで、友情や愛情は深まりかも知れないけど……!
今すぐ感情の赴くままに地団太を踏みたい。そのまま逃げ出したい。
しかしこの事務所、高さは二階で場所は隅。下層への階段まで最も遠く、背後の窓から飛び降りるのも危険極まりない。まさに退っ引きならない。
故に彼女の頼みの綱は、頭のおかしい上官殿のみ。そして、その上官殿は用を告げる。
「自分達の用件はたったひとつです」
「ほう……言ってみろ」
「あなたを逮捕することです」
瞬時。十数名の殺気隠せぬ視線が突き刺さる。
──いやもう、馬鹿馬鹿馬鹿! 馬鹿でしょこいつ! もっと平和的に、段階を踏んで主旨を告げるでしょ普通!
脳内で罵詈雑言を浴びせかけ、現実では情けなく縮こまる。
証拠局の執務室内で見せた威勢はどこへやら。彼女も所詮は新米少女(洟垂れ小僧)ということか。思想に命を捧げた社会主義者の前では、借りて来た猫にすぎない。
「逮捕……逮捕、ねぇ。セルビジャ人にするように、躊躇なく殺さないのか?」
「抵抗するのであれば戦闘も已むを得ません。場合によっては、命を落とす可能性もあります」
部屋に満ちた、ピリピリとした一触即発の空気感。アンゲリカの白い肌にも、沈勇を焼き焦がすような敵意が感じ取れる。
しかし彼女は揺るぎない。自身の技前と双頭の鷲を信じ、腹を据えて、呼吸を整える。
首領らしい男は、その豪胆さに口の端を吊り上げた。
「……フッ。その理屈で言えば、セルビジャ人は皆、抵抗したのだろうな。それも事前に逮捕を告げられたあとで」
「……。いえ、セルビジャ人による民族主義運動は鎮圧が最優先事項となっています。勧告無しでの戦闘行為が大いに認められています」
「ほほう、正直だな」と男は喉奥で笑う。
「やはり第四世代魔石の影響で嘘を付くのは難しいか、セルビジャの龍──アンゲリカ・ミッターマイヤー」
驚きの短剣に胸を刺される。されど、眉一つ動きはしない。
波風立たぬ平常心のまま、疑問を二つ呈する。
「……何故私の名前を? それに、第四世代魔石に関しての情報は軍部の機密情報のはずです。あなたが何故軍の機密を知り得ているのでしょうか?」
「お前が誰かは一目見て分かった。龍と言う名に相応しい堂々とした態度、無理矢理サーベル風に拵えた長柄の東洋刀。戦間期の英雄、アンゲリカ・ミッターマイヤーに他ならない」
欧州大戦時におけるアンゲリカの名声は、軍属であれば一度は耳にしたことがあるかも知れない。しかし、『聖女』や『塹壕の姫』とまで呼ばれた英雄達と比べれば、一歩劣る知名度。民衆は知らない。故に、男が従軍していたのは確実だろう。そして、
「魔石に関しては……彼女に聞いた。彼女は──魔術師だ」
男の横に毅然と立つ秘書風の女性が、魔術師であるのは確実。
「まさか防禦隊に入隊しているとは思いもよらなかったぞ、セルビジャの龍」
女の年の頃は二十前半ほど。頬の深い裂傷跡が大変に痛ましく、アンゲリカを知っていることからも、六年前の欧州大戦か三年前の冠領戦争に参加した魔術師であろう。
その感情の灯は潰えておらず、発狂もしていない。察するに第五世代魔石の世代か。
「……羨ましいですね」
ぽつり。感情の雫がこぼれる。しかし呟きに過ぎず、誰の耳も潤わない。
彼女は一人、心中で悲しげな表情を湛え手錠を取り出した。
「それでは、否応なく逮捕させていただきます」
一歩、右足を前に出すアンゲリカ。男は低声で制止する。
「ふぅ……待て。話を聞いてくれないか?」
「何を仰ろうと、決して見逃しはしませんよ」
「いい。俺はただ、お前という存在に興味がある。逮捕される前に、お前に問うておきたいことが幾つかある。それぐらいは許してくれ」
獲物を啄む鷹みたく、鋭い眼光。アンゲリカは……不思議と許していた。
「分かりました。ただ……少しだけですよ」
「フッ、いいさ。感謝する」
──えっ⁉ 意外ね……。この馬鹿上司なら絶対、話も聞かずお縄を頂戴すると思ったのに。天変地異でも起こるの?
ムーラウは横目で異常性の塊の表情を窺う。しかし、至極普段通りだ。長睫毛は垂れたままで、感情は壊死。
なら何故、と原因を思料するが、結論が出る前に男が重々しく話し始めた。
「西の帝冠領、東の王冠領、南の共同管理地。大戦後の講和会議で併合した旧セルビジャ王国領も、全て含めたこの二重帝国をお前はどう見る?」
「君主制の資本主義国家……」と発し、直後。「いえ」と否定。
「民族主義運動の盛んな、多民族国家です」と、アンゲリカは言葉を紡いだ。
「……そうだ、よく分かってるじゃないか。流石民族弾圧に一日の長があるだけのことはある」
一日の長。その言葉が引っ掛かるが、今は無視。彼の言葉に耳を傾ける。
「そうだな、俺がこの国を一言で現すなら……『諸民族の牢獄』だ。二重帝国という枠組みの中で、完全な自治を持たない複数民族が犇めき合っている。しかも民族主義運動を弾圧されて、な」
男の言い放つ現実。それまで縮こまっていたムーラウが、声を荒げる。
「ち、違うわ! 民族主義運動は兎も角、完全な自治は与えているわ! だからマギヤロク人を中心とした王冠領が存在するのよ!」
王冠領の起源は、マギヤロク人が自治を求めたことに端を発する。
始め、帝国の支配階級たるデウシュ人は、自治を与える気は毛頭無かった。
しかし五十年前、帝国は他国との戦争に完膚なきまでに敗北。国家の改造を迫られ、仕方なく自治を与えた。しかして誕生したのが、デウシュ人を中心とする帝冠領とマギヤロク人を中心とする王冠領、そしてこの二重帝国だ。
故に自治は存在する、とムーラウは言いたいのであろう。しかし、
「なら何故三年前の冠領戦争が起こったのだ? マギヤロク人は大戦後、二重帝国からの脱却を求め、完全な独立を成し遂げようとしただけではないか。なのに、帝冠領軍と共同陸軍は彼等を叩き潰し、あろうことか王冠領軍を解体した。これがお前の言う自治か?」
「ど、独立と自治は別物よ!」
「確かにそうだな。その二つは全く異なる。だが、何故自治的に行動したのを咎められる謂れがある。与えられた自治に則って行動するのは罪か? デウシュ人に都合の良い自治しか認めていないのではないか?」
反駁は不可、啖呵は反理性的。ムーラウは悔しそうに下唇を強く噛む。
悔しいが、彼の言うことは事実だ。自治の根本たる集団の自己決定権、その範疇は憲法や国家の枠組みに囚われている。逸脱すれば、それは独立。
だが、国家を構成する一地域の独立を認める国など、まず存在しない。領土と人民、産業力、対外戦争遂行能力。それらを著しく衰えさせるからだ。
故に自治という形で妥協する。だが、自治に則って独立を求めた場合はどうであろうか。独立することは正義か? それとも不正義か?
結論を出すことは極めて難しい。だが、ムーラウにも一つ確かに分かることがある。
──悔しいけど、独立運動を武力で弾圧するのが正義とは……言い難い。
デウシュ人で尚且つ軍人である彼女の感情は、マギヤロク人の独立など認めていない。
だが、士官候補生たる明晰な頭脳は、一つの視点を盲信するほど愚かではない。
感情と知性の鬩ぎ合い中。答えも出せずに、ただ口を噤んだ。
「『雄弁は銀、されど沈黙は金』。お前が馬鹿でなくて助かる。さ……少々脱線したが本題に戻ろう、ミッターマイヤー」
アンゲリカは何も発さない。傍から見れば、呆然と濁った瞳を向けているだけだ。その感情は読み取れない。だが、男は勝手に話を続けた。
「親デウシュ的な民族はいざ知らず、セルビジャ人は根強い抵抗運動を続けている。戦争の疲弊が抜ければ、ここにマギヤロク人が加わるであろう。そうだな……お前は民族主義運動についてどう思う?」
「悪……とは、断定出来ません。ですが、彼等の気持ちも分かりません」
「というと?」
「自分に共感性が欠如しているのも、要因のひとつなのかも知れませんが」と、アンゲリカは自身が只人と異なることを前置き。口より出ずるは、残酷な一言。
「独立すれば、滅ぶのは目に見えているからです」
「ほほう!」男は快哉を叫ぶ。彼は心底愉快そうに彼女の発言を深く味わった。
「同感だ、ミッターマイヤー。いや、ミッターマイヤー女史。この二重帝国の周辺諸国は強大にして、欲深い。第四共和国に支配地域を奪い返され国情不安定な第二帝国、賠償金問題から金に飢えている帝政ルテニア、他にも富国強兵のための新領土を狙う小国共……」
男は胃の底から汲み上げられた溜息を一つ。
「そんな腹を空かせた狼共の中心に、民族の自立なんて金にもならない大義名分を掲げた羊が、群れを離れてみろ。一瞬で餌になる。目に見えている」
「…………」
「故に民族は統一されねばならんのだ。それもデウシュ人やマギヤロク人といった一民族ではなく、二重帝国の『国民』として、だ」
意気厳然たる態度。決意に満ち溢れた瞳はアンゲリカを捉えて離さない。
「ならば結論だ、ミッターマイヤー女史。最後に一つ聞こう。俺が共産党を結党した理由が分かるか?」
アンゲリカは重々しく、されど淡々と問いに答えた。
「……共産党の名の元に民族という括りを打破し、二重帝国を収斂する……でしょうか?」
「大正解だ! 流石だ、やはりお前には才能がある」
嬉しくも無い正解と賞賛だ。とは言え、アンゲリカは彼の話を聞き入っている。本当に嬉しくないのなら、この場で彼の両腕に手錠を嵌めればよい。
そうしないのは、彼女の耳が彼の話に夢中だから。理由は皆目見当もつかない。
男はそんな彼女を目に、机に身を乗り出す。卓上にて腕を組み、提案を持ちかける。
「ミッターマイヤー女史。ここからは提案なのだが……入党しないか?」
明らかに対象を誤った提案。体制側、それも感情の鈍化した軍属に対しての勧誘が無意味とは、言うに及ばない。常の彼女ならば鎧袖一触し、手錠か拳銃を握りしめる。
それほど、有り得ない提案だ。……しかし、彼女の口は開かない。
「お前ほどの人間なら気が付いているはずだ、ミッターマイヤー女史。大戦後、この国は国家の進むべき軌道から脱線した。待ち受ける終着駅は、大国による分割支配か、百年以上は確実に続く民族紛争だけだ!」
揺動を失ったはずの心が、何故か揺り動く。
「正しいレールに戻すには、『国民国家』としての再統合、そして一党独裁体制による盤石な国家支配が必要だ!」
蛍が如き感情の焔に、イデオロギーの油が注がれる。
「分かるだろ、ミッターマイヤー女史! この国は変わらねばならんのだ。いや、変えねばならんのだ! 俺達は二重帝国という仕立屋を、仕立て直さなければならんのだ! そのためにも、俺はお前が欲しい! お前という力が、知性が。魅力を発して止まないのだ!」
身を焦がすほどに激し過ぎる、男の思想的求愛。是非は兎も角、人の精神を滾らせる重油か薪炭、いずれにせよ燃料の類であることは確実。故に彼女の心も焚き付けられる。
現出するのは同調か、怒りか、はたまた愛国心か……。だが、色は分からずとも、燃料を注がれた感情の焔は、徐々に火勢を増して燃え盛る。
そして、赫灼たる眩光を放った──しかし。
「……『私』には賛同できない。それは……私がデウシュ人だからなのかも知れない」
敢え無く仲違い。アンゲリカは男を振った。
男は「ふむ」と一言。眼鏡の位置を整える。そして、
「……致し方あるまい。交渉は決裂だ」
それと同時。部屋の入り口扉に、斧や短剣を手にした男性達が顔を出す。
魔術師の二人には一瞬で理解出来た。明らかな魔術師対策だ。
──人数は十人ほど……厄介だ。
防弾用魔術、所謂エーギスの魔元素は防弾のみしか行えない。ルクス(光)を応用した盾で防ぐことも出来なくないが、如何せん人数が人数だ。
いかに剣術に秀でていようと、こうも戦力差があっては負けることは必然。故に、
「ノラちゃん!」
「……え⁉」
彼女は飛んだ。それも比喩ではない、彼女は正しく二階から飛んだのだ。
ムーラウを抱き込み、その背で窓を割って──
「うわあああぁぁぁ‼」
耳元で鳴り響く、警笛のようなムーラウの絶叫。
落下の勢いは凄まじく、一つになった二人は大気を掻き分ける。
まるで、翼を溶かし尽くされた墜落者。堕ちる先が海でない分、彼よりも死に易い。たとえ死を免れようと、怪我を負うのは必定。
そして身動きの取れなくなった獲物の末路など、想像するに難くない。……だが、アンゲリカは優秀だ。これしき、灼熱の太陽には及ばない。
「……っと!」
接地の瞬間。彼女は身体を捻りつつ倒れ込み、衝撃を全身に分散。
更にそのまま後転し、怪我の可能性を完全に振り払う。
而して数回転後。髪を振り乱しつつも機敏な動きで膝を立て、ムーラウを横抱き。
一息に抱え上げると、中隊本部目指して駆け出した。
「敵の抵抗あり! 全員、戦闘準備を!」
そして、市街地戦が始まった──




