第二話 武器よおいで2
──あぁ、なんていい空なんだろう。
少女ムーラウは空を振り仰ぎ、心中で独り言ちた。
小さな尻臀の下、灰色の石畳みは、腹部に伝播するほど冷たい。
大変に軽い背を預けた、橙に塗装された五階建ての建造物は、頗る硬い。
頽廃派では無いため、全く感興をそそられない。
しかし漠々と、広大無辺に広がる雲一つない蒼穹。これは別だ。
肌寒い春風を突き貫けて暖光を運び、天蓋のようにこのウィンドボルンを優しく包み込む。文才か画才が雀の涙ほどでもあれば、筆を執ったやも知れない……。
ま、今そんなことしてたら多分死ぬけど。
「おらあああぁぁぁ! 死に去らせ民族主義者共ッ‼」
「出て来いッ! テメェらの偉ぶった頭をぶち抜いてやるよ!」
木霊する殺気溢れる怒声と、響き渡る殺傷力溢れる銃声。
身を隠した街角の奥、とある一棟の窓々からは絶え間なく銃弾が撃ち込まれる。
銃弾は通りの壁を幾度も穿ち、荒れ狂うように地面を跳弾。恐怖を心に射し込む。
陰から少しでも身を出せば、春風通しの良い穴を生じるのは必定。最悪だ。
ムーラウは怒りに任せて、癇声で激昂する。
「なんでなのよっ! なんで、こんな状況に置かれてるのよ!」
「自分達と彼らが敵対しているからでしょう」
淡々と答えるのは右隣のアンゲリカ。建物の端ギリギリに張り付き、駆動音の五月蠅い短機関銃を握り締めている。その淡褐色の双眸は、弾丸の往来激しい通りを睥睨。ムーラウには一瞥もくれない。
「いや、そういうことじゃなくて! 防禦隊って陸軍証拠局内の組織よね! なんでこんなドンパチやってるのか、って聞いてるのよ!」
「王家と二重帝国に刃向かう者が多いから、でしょうか?」
すっ、と一瞬だけ身を出し射撃。銃口より数発放ち、再度壁際に隠れる。
直後、「大丈夫か!」と心配する敵の叫び声。命中を確信する。
「この調子なら増援は間に合いそうですね」
「いや、もう! 違うッ! 証拠局って情報収集する組織よ! それが何でヴィエナの街中で戦闘してるのよ!」
ムーラウは犬歯を剥き出しに、問い掛けた。
明らかに怒りの矛先をぶつける相手を間違えている。上官に楯突くことは軍規では絶対悪。魔術師学校でも万死に値すると叩き込まれた。しかし、アンゲリカに八つ当たりでもしなければ、恐怖心が抑えられないのだ。
一方、後頭部に幼声の大口径弾を受けたアンゲリカ。口を開かず、手慣れた手付きで腰の弾薬盒から箱型弾倉を取り出す。短機関銃の弾倉を素早く抜き、新たな弾倉を確と装填。抜いた弾倉を弾薬盒に収め、警戒態勢に戻る。元より適当に聞き流していたのであろう。声帯は震わない。
都合、代わりに答えたのは、ムーラウの左隣にいたレルジッチ少尉だった。
「この防禦隊は元々、大戦以前から活発だったセルビジャ人の抵抗運動を抑圧しようとして、組織された部隊だ。戦後に改組されたあとも、こうして証拠局内の実働部隊として、日々王家のために励んでるんだよ」
「チッ、任官先を間違えたわ! 証拠局なら、安全に出世できると思ったのに……!」
「邪な考えだな……。俺はてっきり、王家への忠誠の篤さから防禦隊に任官してきたのかと思ったのに」
「んなわけないでしょ! 王冠領軍と戦争したばっかの帝冠領陸軍も、マギヤロク人のいる共同陸軍も、どっちも絶対に嫌だから証拠局に入ったのよ!」
呆れるレルジッチに対し、喧しい癇癪を起こす少女。
だがそのとき。向かいの建物の窓が銃弾によって、バリンと鋭い音を立てて割れる。
「ひぃっ!」とムーラウは反射的に頭を抱えて、団子虫みたく小さくなった。
「気を付けてくださいね、ノラちゃん。自分達魔術師にはエーギス(防弾)がありますが、ガラス片は普通に刺さりますから」
「も、もう、本当にサイアク……っ!」
──何でこんなことになってるのよっ!
頭を守ろうと、危険は去ってくれない。
目を瞑ろうと、銃声と怒声は止まない。
ただただ募る恐怖、汚れる衣服。上官が目の前にいなければ、脱走兵の仲間入りをしていただろう。
「ノラちゃん。何故頭を抱えて悩んでいるのか、自分には分かりませんが、大丈夫です。増援が来るまでの辛抱ですから」
アンゲリカは語気強く言い放つ。感情の抑揚乏しい口前だが、不思議と頼り甲斐がある。ムーラウは彼女を心底頼りに、翡翠色をした信頼の眼差しを向けた。
が、そのとき。
ポンっ!
とワインボトルからコルクを抜栓したときのような、軽い音が耳朶に響いた。
銃弾蔓延る通りに於いて、独特の音階だ。
しかし、ムーラウとレルジッチは注意を払わない。
当然だ。前線以外で聞くことなど無いのだから──迫撃砲の音など。
「テラ(土)ッ!」
瞬時、アンゲリカは唐突に壁へと鉄槌打ち。ムーラウの頭上に衝撃を加える。
しかし、無意味だ。悔しさに壁を殴ったところで意味は無い。
……彼女が魔術師で無ければ、の話だが。
壁が痛みに悶えているのか、ごぽごぽと泡立つ。
そして直後。壁が変形し、烈火の如き怒涛の勢いで、文字通り伸びる。
三人の頭上に強靭な傘を作るが、まだ止まらない。
歪な曲線を描きつつ、重厚な殻となって三人を飲み込んだ。
壁に生えた馬鈴薯のような形をしたそれは所謂、特火点。
降り注ぐ砲撃から歩兵の身を守る、近代戦の盾だ。
その真暗な殻内。説明のない突然の出来事にムーラウとレルジッチは呆気に取られていた。張本人アンゲリカは二人に目もくれず、ひとり安堵に愁眉を開くが、そこへ──砲撃が命を奪いにやって来た。




