ついに出た!ドチャクチャエロイノスキー作『業(カルマ)とセックスの穴兄弟』を官能の文豪、やましたちつろうが初解説!!
それは対談インタビュー中の出来事であった。
ーとなると自身の文章は些か教科書通り過ぎると仰る訳ですね。
山下膣郎:そうなるな、「魔法にかけられて」は広い読み手を意識した作りにしたし、実際に手応えもある。私としては後半の強いメッセージ性をいかに伝わりやすくするかという点、ここに注力した。つまり裏を返せば、誰でも読める、分かるような教科書のような硬い文章になったということだ。
ーそれはある種、文筆家の宿命とも言える部分ですね。その狭間で揺れながらも確かなモノを仕上げる手腕は流石でした。
山下:私は世辞でも何でもまともに受け取るたちでね、素直に喜んでおこう。所で君はドチャクチャエロイノスキーの新作は読んだかね?
ー『業とセックスの穴兄弟』ですよね。ええ、仕事柄もちろん読ませて頂きました。彼はロシアでもトップクラスの文筆家ではありますが、今作は少し読み手を突き放す描写が多く理解に苦しみました。
山下:はは、君はまだ至っていないようだね。まぁ仕方あるまい、彼は時としてこれでもかというほど読者を突き放す。冒頭の読者を難解な言葉で侮蔑する部分も、淫靡な表題もその典型例だ。しかしこれにくじけてはいけない。彼はそれすらも計算に入れて文を作り上げる。その点私とは対極の存在といっても良いかもしれないね。
ーなるほど、確かにその通りですね。しかし、人と人との繋がりを説いて置きながら、莞爾嘘を取り巻く環境の劣悪さを前面に押し出した書き方は読み手を選びます。
山下:はっはっは、君は若いね。気持ちは分かるがそれではエロイノスキーの手に握り潰されてしまっているではないか。掌に立つなら華麗に踊らねばなるまい。あの話は主人公に感情を入れてはならないのだ。ただ書き手の言う事実を淡々と受け入れる事が重要だ。莞爾嘘が爺にされた仕打ちと意味も分からず教えられた唯一の言葉。莞爾嘘が本当に心を許した際に愛を込めて出した唯一の言葉。どちらも同一でありながら、受け取り手次第では如何様にも変質してしまう。これは言語は受け取り手に依存した不完全なコミュニケーションであることを明確に示している。そしてその脆弱性はザンビアの経済学者ンデェロ・ゲロデーロの「通信による意思疎通の破れ」によって昨年提起されたが、まさにエロイノスキーも本稿でその本質を改めて浮き彫りにさせたと言えるであろう。これはまさしく文筆家にとってもう1つの宿命、ともいえる。私にとっても耳が痛いがね。
ーなるほど、勉強になります。確かにエロイノスキーは昔の話であれどもコミュニケーションは受け取り手に依存していたという事実を置いた上で、言葉や感情などの表層ではなく、心を持って接するという深層の部分を大切さを説いています。そしてその後の部分は、人と繋がる方法とその大切さが非常にわかりやすい言葉で書いてあり、理解に苦労しませんでしたね。
山下:その部分は非常に平易でそれこそ道徳の教科書のような内容だ。確かに心を込めねば言葉たるまい。それはわかる。しかし心を込めた莞爾嘘は切り捨てられた。つまりここは疑わねばならぬ。冒頭で読み手を突き放した書き手が最後に教科書的な文章を書くだろうか?あれほどまでに莞爾嘘に厳しい仕打ちを与えた書き手が人との繋がりをくどいほどまでに勧める文章を書くだろうか?
ーーそう、この違和感は彼が計画的に作り上げたものと考えるのが過去の作品から見るに妥当だろう。ならばこの違和感から彼は何を伝えたかったのか。君はどう思う?
ー非常に難しいですね...
山下:私はね、人を信じることだと思うのだよ。言葉は受け取り手に依存した不完全なコミュニケーションである。それは揺るぎない事実で、しかしそれを用いなければ莞爾嘘のように呻くか身振り手振りといった効率の悪い意思疎通しかできないのも事実。そして彼はこの横たわった事実を改めて目の前にして、それでも人と繋がりたいという欲望が人にはあるという事実を影として映し出したのだ。その上でどうしても必要なのが、人を信じること。コミュニケーションの脆弱性によって莞爾嘘のような運命を辿るやもしれぬ、けれども信じねば言葉を発せぬ。どれだけ心を込めても、だ。しかしこのコミュニケーションの脆弱性は人を信じるという事でのみ乗り越えられる、いや過去人々はそう乗り越えてきた。この隠された叡智を彼は伝えたいのだ。実際、私はすでに信じ切っている。何故ならば私は文章を書く際は読み手を、傲慢にならない程度には信じているし、君のインタビューにもこうして答えている。まぁさらに言えば、エロイノスキーの新作を用いてこう長々と講釈を垂れているのも、彼の小説家としての才能や文章力を信じているという事に他ならないのだけれどね。君もそうだろう?
ーその通りですね。私も山下先生を信じているからこそ、このように踏み込んだインタビューが成立する...ドチャクチャエロイノスキーはまさにロシア文学きっての奇才といって差し支えありませんね。
山下:まったくの同意だ。話が飛んでしまったね、そろそろ私の新作の話に会話を戻そうかーー
インタビュアー:マライン=ケイムスコー
文芸誌「性癖」精選対談集(中出文庫 2019年12月)より抜粋