第765話 最後の選択
アレンとメルスが魔王軍の様子を伺う状況に食堂は静まり返った。
自らを守るために立ちはだかってくれたおかげでホマルの代わりに攫われたルプトに対して、王妃はとても心配そうに天空大王の側で、アレンの表情を伺う。
魔王軍の謁見の間では、ふざけた態度のキュベルに対して、クワトロの特技「追跡眼」の視界の端から魔王の声が聞こえる。
「ふざけるのはよせ。それでルプトで良いという意味をもう一度、余に説明せよ」
(ん? なんで俺が見ていることを分かって態々、魔王軍が内部の作戦を教えてくれるんだ。助かるけど、ワザとか。じゃあ、何故?)
魔王軍のキュベルには邪神教の教祖の際、神殿に乗り込んだら上位魔神たちに囲まれ、脱出不能の罠に掛けられた。
プロスティア帝国では、結局魔王軍の作戦が、アレンたちの行動の先を行き、邪神を復活させてしまった。
今回、騒動の回答を伝えるような行動に罠にかけられるのではと疑わしくなってくる。
だが、第一天使ルプトを今から救い出す為に魔王軍の城に乗り込むには準備があまりにも足りず、また転移もできない状況でどれほど時間がかかるか分からない。
アレンの思考を待つこともなく、再度、くるりと回った後、魔王に向けて跪いた。
『はい。第一天使は他の天使とは違い、上位神以上の力を得て、永遠に近い命と力を得ています』
「そういう話だったな。最も神に近い人間と貴様から何度も聞いたな。そして、お前もその1人だ」
『まあ、今回は僕のことは置いておいて』
「ふむ」
『で、今回第一天使になったホマル君は残念ながら豊穣神に力を与えられた。もしかしたらと思って様子を見たけど、残念ながら「遠い」んだよね。ケルビン君は大精霊神だし、戦神の力を得たメルス君でもギリ良かったんだけど……』
(遠いだと。やはり与えた上位神の神力に関わる話なのか)
アレンの推察の結果とキュベルと魔王の問答が、自らが考えた「答え」の可能性にどんどん近くなっていく。
「……メルスを殺したのは貴様であろう。キュベルよ」
魔王がキュベルに対してツッコミを入れる。
火の神フレイヤの神器を奪う際に、第一天使だったメルスはキュベルと戦い命を落としている。
『まあ、あの時は神器を奪うことが作戦の最優先事項だったんで仕方なくですね』
「どうだかな。それでルプトが最適だと?」
『はい。双子で生まれたメルスは戦神が神力を籠め、ルプト君は「創造神エルメア」が神力を与えたからね。まったく、このことをマーラから情報を聞いた時は驚いたよ。そ、そんなマーラが今回の作戦に命を懸け……。ううっ』
キュベルが仮面越しに涙を拭くそぶりを見せた。
アレンはメルスに今の会話を確認する。
「本当か? ルプトは創造神様からの神力を貰っていたのか?」
『……ああ。お陰で人間界に行くのは私の役目。神界の神々への調整はルプトがやっていたな』
アレンは横にいるメルスに問うと小さな声で肯定する。
どうやら第一天使はメルスであったが、その分ルプトが創造神の側に置かれて可愛がられていたらしい。
『魔王ゼルディアス様は邪神を食べ、自らの肉体が不安定になっている。それは魔王様の理が「今世」に引っ張られているから……。古代神の力を継いだ第一天使を食べれば、安定は取り戻せるはずです。そして、これからたくさんの神を食べ、今まで以上に成長し、ゆくゆくは創造神を取り込み、新たな「理」を創造する。全て僕の計画のとおりなんです』
(これがキュベルの目標。魔王軍の計画か)
眼を血走らせながらキュベルが跪いたまま自らの願望を語る。
キュベルの素顔を隠す仮面をもってしても、内側から溢れる狂気は隠しきれない。
アレンはようやく魔王軍の目的が何なのか真の目的を知ることになる。
「……こいつを食らえばこの不安定な邪神の力を完全に我が物にし、エルメアを食らえるというわけだな?」
『そうです。今の魔王様の肉体ではエルメアと随分遠いです。今のまま吸収できたとしてもただではすまないでしょう』
キュベルの答えを聞いて階段の上にいた魔王が冷徹な言葉を口にした後、ゆっくりと階段をカツカツと降りてくる。
(やはりルプトを食べるためか。まだ大陸も見えないぞ)
特技「追跡眼」の視界の端で、魔王の足元が見え始めた。
アレンは魔王軍がルプトを攫った理由に「食べるため」という選択肢を排除していなかった。
魔王軍との激戦のため、地上の鳥Aの召喚獣の「巣」はラターシュ王国のロダン村が中央大陸唯一だったが、そこから転移用の鳥Aと索敵用の鳥Eの召喚獣を30セット60体が、北上して、魔王がいると言われる「忘れ去られた大陸」を目指している。
ルプトが攫われ半日ほどあったため、ギアムート帝国の帝都上空を通過し、中央大陸を抜け、現在は海上を各組で分かれて広がりながら飛んでいる。
これから30組が大陸のどこかにあると言われる魔王の根城「魔王城」を探し出し、ルプトを救出しなくてはいけない。
だが、そもそもキュベルたちが転移して魔王城に移動したため、ここがそもそも「忘れ去られた大陸」でのやり取りかどうかも分からない。
『ルプト!!』
メルスがいても経ってもいられず、手の平を置いていたテーブルを蜘蛛の巣状のヒビを生じさせながら立ち上がる。
「ひ、ひい!?」
あまりの形相に王妃が震え、声を漏らしてしまった。
そんな状況でも淡々と階段を降り、特技「追跡眼」の視界が魔王の胸部付近から下を捉えている。
『ウアアアア……』
『ングアアア……』
魔王は半裸な上半身、下半身には漆黒のパンツを履いており、内側は赤、外側は漆黒の外套をはためかせている。
長い髪は灰色と赤色が斑となり、はだけた腹部には邪神を食らった後遺症なのか、いくつもの人面瘡が皮膚の下から無数にうごめき、絶望の表情を見せ消えていく。
『ふん、貴様は魔王の糧となるのだ。感謝するのだな』
ルプトに向かって魔王軍総司令オルドーは跪いたまま言葉を発する。
そのまま巨躯のオルドーは、手のひらに乗せたルプトを差し出すように、跪いたまま腕を伸ばした。
『んんん……』
会話を聞いていたルプトが手足に呪詛の書かれた拘束具で身動きが取れないまま、必死に身をよじり逃げ出そうとする。
意識朦朧としながらも、必死に抵抗しようとするが、拘束具の効果で動くこともままならないようだ。
『ったく、何時までここにいなきゃいけないんだよ』
「ここがこうしてこうで、こうじゃな……」
バスクは魔王たちの会話に興味がないのか、どれだけ天井が高いのかボーッと仰ぎ見て不満を漏らしている。
シノロムはブツブツと呟きながらキューブ状の時空管理システムを弄りながら何やら呟いている。
この絶望的な状況にルプトを助けようと思う者は誰もいなかった。
ガシッ
魔王は飼っている鶏か、活餌の魚を捕まえるような自然な動きでルプトの顔面を掴み、そのまま腹に向かって手繰り寄せた。
グパッ
魔王の腹はへその部分から横一文字に大きな亀裂が入ったかと思ったらギザギザの歯が不規則に並ぶ大きな口が開く。
ルプトの頭部でも丸飲みできるほどの巨大な口は、腹が空いているのか、新たな獲物が近づいたと言わんばかりにだらだらと涎を垂らす。
絶望して両目から涙を流すルプトは、意識があるままをそのまま魔王の大口に運ばれていく。
口の上部の鋭い歯がルプトの額に当たりそうになったところで、キュベルがようやく口を開いた。
『……魔王様、ちょっと待ってほしいんだ』
「なんだ? こんな時に」
首から上が特技「追跡眼」の範囲外のため表情まで見えないが、魔王は明らかに不快そうに口にする。
『このまま創造神エルメアより力を与えられし第一天使ルプトを食らえば、流石に神界は動き出すと思うんだ。人間界にいてもただでは済まないでしょう。魔王軍もアレン君たちのせいでかなり痛手を負ったしね』
『むう……。たしかに』
キュベルの神界と戦える状況にないという言葉に、魔王軍総司令のオルドーも同意する。
オルドーとキュベルはどうも仲が良くはないようなのだが、この話には賛同するようだ。
「なんだと、これを食うのを待てと言うのか? 軍をここまでボロボロになったのはお前らの指揮に問題があったのであろうが!」
静かに怒りだした魔王はとうとう体ごとキュベルに向けてしまった。
そのキュベルは背後のシノロムに体を向ける。
『シノロム所長。奪ってきた時空管理システムはどうだい? 今ある魔王城の管理システムと同期させられる状況にあるのかい?』
「ば、馬鹿を言うな!! あんなに急がせるから儂の開発した機材のほとんどは転移できずに置いてきたわい!」
『やはりね。それにはどれくらい時間が掛かりそう?』
「時空管理システムと儂のシステムの融合には10日は時間が欲しいわい!! これじゃあ、当初の計画どおりの運用にはほど遠いぞ!!」
キュベルの確認に黙っていたシノロムが吠えるように答えた。
時空管理システムの転移をあまりに急ぐあまり、持ってきた転移機材のほとんどを失ったとシノロムは声を荒げる。
『なるほど……。ルプト君を攫うのに魔王軍は大いに損耗し、神界の神々とどれだけ戦えるかってことだね。この場を覗き込むアレン君たちはきっと僕たちにすぐにでも戦いに挑んでくるだろうね。戦いも厳しいものなるだろうし、時空管理システムはまだ完全に僕らの手の中ではない……』
ここまで言ったところで魔王は納得したのかゆっくりとルプトの頭を掴んだ手を離した。
「またお預けというわけか。だが準備は怠ってはいけないな。余は油断しない……」
魔王はようやくルプトを掴む手を無造作に放し、どこまで納得したのか、降りてきた階段を上がっていく。
キュベルがゆっくりと床石を靴底で叩きながら歩き出した。
どこへ向かっているのか、キュベルの表情が特技「追跡眼」ではっきりと見えたためすぐに分かった。
(俺たちにこの会話も全て聞かせるとは)
アレンが今の状況を必死に理解を進める中、キュベルがバスクの背後へ向かい、追跡眼の視界にはっきりと入った。
『そういうわけなんだ。僕たちは僕たちの計画のため、あと10日間、ルプト君を食べるのは待つことにした。今まさに魔王城に向かっているかもしれないけど、忘れ去られた大陸の中央にあるよ』
キュベルはあと10日間、第一天使ルプトを食べるのを待つと言う。
さらに、魔王城の場所まで教えてくれる。
「……罠だろ。敵が今の弱点を口にするなんて」
アレンは仲間たちに聞こえるように自らの考えを声に発する。
『罠じゃないよ。いつも選択を間違えて僕にはめられているアレン君に最後の選択になるだろうね』
特技「追跡眼」は覗き込むだけで会話が成立するわけではないのに、まるで完全に心を読むように会話が続いていく。
「最後の選択だと?」
『ただ、アレン君はずっと僕の作戦の手の中にいた。どのような戦略を練り、どれだけ手を打っても無駄に終わると予言しておこうか。僕はみんな分かっちゃうんだ。じゃあ、10日後の10月1日に会えるのを楽しいにしているよ。1秒でもその日が過ぎたらルプトは魔王に食べられちゃうから遅刻したら駄目だよ』
あまりにも具体的な日付を指定してくる。
「ルプトを奪還するため10日後に攻め入るか、すぐに攻め入るのか選択しろってことか」
『そうそう。ああ、さらに裏をかいてそれ以外の日にするかもしれないね。もしくはルプト君を見捨てるとか。でも、これだけは約束しよう。ルプト君を食べたら君らに勝ち目はないよ。じゃあ、しっかりみんなで相談して決めるといいよ』
アレンの思考を読むようにキュベルが仮面越しに笑みを漏らす。
魔王軍との戦いは参謀キュベルの立てた計画のため、常に後手に回っていた。
アレンが、何が正解か思考を巡らせようとする中、キュベルが視界を振り払うような仕草を見せた。
そこで、クワトロの特技「追跡眼」は全て解除されたようだ。
魔王城内の視界がオルドー、バスク両方の特技の効果が消えてしまった。
前のめりになっていたアレンが深く椅子に腰かけたところで、ソフィーが声を上げる。
「あ、アレン様、いかがされたのですの。ルプト様は無事でしょうか?」
既に仲間たちがアレンのテーブルの周りを取り囲む中、アレンはようやく、今の状況を口にする。
「魔王軍は魔王を強くするためにルプト様を攫った。邪神を食らったように……ルプト様を食べるためにな」
「そ、そんな!?」
「だが、10日は魔王軍の作戦のために、今はルプト様を食べられないようだ。10日後までに助けに来ないと食べられてしまうぞと言いたげだった」
「何だその都合の良い話は! 嘘ではないのか! 10日も待てば、取り返しのつかないことになるのではなかろうな!!」
ソフィーに次いでシアが魔王軍の行動を予想する。
「ああ、罠であるのは間違いない。だけど……」
(俺たちのやるべきことを決めないといけないということか)
集まる視線に答えるように仲間とこれからのことを話さなければいけないと思う。
鎮魂祭の翌日、突然現れた魔王軍によってメルスの双子の妹の第一天使ルプトが攫われた。
これは魔王軍の人間界どころか神界を見据えた世界征服の1歩であった。
仲間たちが不安そうに見つめ、メルスが怒りに身を包む中、アレンはどのような決断をするのか。
魔王軍との激しい戦いの予感が食堂となった王都ラブール内の会場を満たすのであった。
12章が完結しました。ご愛読ありがとうございました。
13章「魔王城の攻略と攫われた天使」更新再開は5月22日(木)からです。
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