第662話 シアの夢①
シアが5歳ほどの幼児となり、その横では聖獣になる前のいかつい30歳前後のルバンカがいる。
『これはなんだ。ガルム様のお力によるものか……』
『おそらくだがそのようだな。余の過去をお前に見せたいのか………』
つい先ほど、拠点用魔導具のベッドの中で眠りについたことは何となく覚えている。
獣神ガルムの神殿で何日も寝泊まりをするのだが、自らの記憶を見透かすかのように過去の思い出が夢となって現れたようだ。
『シアの過去だと? ここは神殿、ああ、鑑定の儀というものか』
※当時のシアも会話するため、獣帝化していないシアも含めて、2人のセリフには『』をつけます(5年以上先に書籍化された時のためのハム男、心のメモ)
衣装から察するに今は5歳の鑑定の儀のようだ。
ここはアルバハル獣王国で10年以上昔の話、シアは5歳の時、王城側に設けられた獣神ガルムの神殿で鑑定の儀が行われていた時だ。
ルバンカはアレンの記憶と共有しているので、水晶や漆黒の板から、すぐにこの儀式が何なのか分かった。
「シア様! やりましたぞ 拳獣聖とはすばらしい!!」
鑑定自体は既に済んでおり、漆黒の板に銀色の文字盤で鑑定結果が表示されている。
今よりも若干若い壮年のルド隊長が自分のことのように喜んでいる。
シアとルド、そして獣神ガルムを祀る獣人の神官たちがいる。
幼少期の体に戻ったシアと獣人のルバンカが後ろから見つめている。
『む? 我らのことは気付かれぬし、触れもしないと』
『ほう』
鑑定の儀が進む中、幼少期のシアの体に触れようとするが、手はシアの体を通り抜けてしまう。
見るだけで干渉できないこの状況に、ガルムは何をさせたいのか、シアとルバンカは首をかしげる。
涙を滝のように流し、まるで自分のことのようにルドが喜び、その周りでは神官たちが拍手しながらシアの才能を讃えてくれる。
1000万人に1人の割合で誕生し、中央大陸では剣聖に匹敵する貴重な才能だ。
「ふふ、そうか?」
幼少期のシアは自然と笑みが零れるし、声も嬉しそうだ。
『このころの方が可愛げがあるな』
『やかましいわ』
ルバンカの素直な感想にシアがツッコミを入れる。
「では、獣王陛下にこの素晴らしい鑑定の結果を伝えなくては。たしか、今日の謁見の儀にまだ時間が間に合いますぞ」
この場には父はいなかった。
鑑定の儀には王族は立ち会えない決まりだとシアは記憶している。
結果、両親に鑑定結果を伝えに行かないといけない。
まずは謁見の間にいるムザ獣王に対しての報告が必要だ。
「お、わ、分かったって。余はもうそんなに子供では……。そんなに走るでない!」
ルドはシアをお姫様だっこして、一気に走り出すのだが、シアの苦言は耳には入らないようだ。
まるで我が子の成長を喜ぶ父のように、巨大な体を揺らして走り出した。
神殿を飛び出し、ルドが床石を揺らしながら王城の中に飛び込んでいく。
そのまま、役人たちに謁見の儀への参加を申請し、「鑑定結果の報告」とあってすぐに許可が下りた。
その後、ムザ獣王での謁見の間の映像が飛んでいく。
『視界が切り替わっていくぞ』
『変な感じだ』
シアが驚き、ルバンカからは不快そうな言葉が漏れる。
背後で様子を見ているシアとルバンカは移動しなくても良いようだ。
パラパラと画面が切り替わっていく。
途中でムザから試練を与えられていたベクが、Aランクの魔獣アルバヘロンキングの頭を両手で掲げ上げて登場する。
ゼウも何事かとベクの行動に驚いていた。
『そうよな。この日はベク兄様にとっても人生の分岐点であったな。久々にベク兄様に会えると思ったのだがな」
数枚の画面の切り替えでベクとの再会が済まされシアは残念だった。
シアはこの謁見の儀で、シアが鑑定結果を報告した後、ベクが試練の達成結果をムザに報告した。
ベクが獣王武術大会への参加を表明し、ムザがそれを許可した。
獣王との謁見の場面が数枚の写真映像で終わり、シアは自らの私室の一角へと移動する。
ここは王城の中でも、王族たちが住むエリアで、シアの部屋は別にあるのだが、その隣の部屋にルドと共に足を運んだ。
『……ふむぅ。久々の再会よ』
『ん? この先に誰がいるのだ?』
『母上だ』
『仲が良くなかったようだな……』
『そういうわけではないのだが、……まあ、すぐに分かる』
明らかに嫌悪感のある表情にルバンカは色々と察しながらも『実の親子では?』と疑問符が顔に浮かび上がる。
「シア様?」
この当時のルドもルバンカと同じく、目の前で固まるシアに疑問の声を投げかけた。
「分かっておる! そう、せかすではないわ!!」
幼少期のシアも扉の前で一瞬ためらってしまう。
コンコン
「どちら様で……」
「余だ」
ノックすると、警戒するように女中の虎の獣人が扉を少し開け、隙間からシアを見た瞬間に全開にした。
「これはシア様! ルド隊長と御揃いでもしかして……」
シアの明るい表情で何をしに来たのか分かったようだ。
「ニルよ。母上はいるのか?」
シアと同じ虎の獣人で、女中長のニルが口を開こうとしたとき、奥からシアを呼ぶ優しい声が聞こえる。
シア共々、目の前の女中ニルには随分世話になった。
扉を開けると、虎の獣人の騎士や女中たちが数名いるのだが、シアとルドを見て警戒心が解けたようだ。
「もちろんです。シアよ、あまりこの部屋に足を運ばないのはいかがかと思いますよ」
「母上」
奥にはドレスに着飾ったシアによく似た虎の獣人がいた。
ムザ獣王の妃であり、シアの母であるミアだ。
見た目だけではなく、名前もよく似ている。
最初は母が私に似た名前を付けてくれたと思っていた。
だが、自らの名に意味があることを知るのに時間はそこまで必要なかった。
あまりに重い名をつけてくれたなと今では毒づくこともある。
「それで、鑑定の儀の報告に来たのでしょう。どうだったのですか?」
背筋の伸びたキリリとした表情のミアは、5歳の娘にも緊張感のある丁寧な口調で話しかけてくる。
鑑定の儀は獣王族にとって神聖な儀式だ。
権力のある獣王族が横やりや改善が入らぬよう親族は鑑定の際、足を踏み入れられないようになっている。
信のおける立会人を設けて鑑定をするのが通例なのだが、それが幼少のころから護衛兼お世話係をしていた獣王親衛隊長であったルド将軍だ。
さらに、謁見の間には獣王がいたのだが、ただの妃でしかないミアは広間に入る資格はなく、このように足を運んで報告を態々しないといけなかった。
謁見の間で獣王の横に座っていた獣王妃は、ベクとゼウの母親だった。
「それはもう……」
「ルドよ。あなたは黙っていなさい。私はシアに聞いているのです」
肉食獣の厳しい目をルドに向ける。
ルドに比べたら体は二回りも小さいミアであるが、体全身を使って威嚇する。
「……申し訳ございません」
ルドが一歩引いて、シアが一歩、ミアに歩み寄った。
「母上、私は『拳獣聖』の才能がありました!」
ルドが涙して喜び、謁見の前でもムザ獣王が久々に褒めてくれたことがシアの自信になっていた。
幼少期シアの中で止めに入ろうとするのだが、それは叶わぬことであった。
「な!? なんですか、それではゼウと同じ程度の才能じゃないですか……。たったその程度の才能で何を勝ち誇っているのですか!! その程度の才能で次期獣王になれるとでも思うてか!!」
先ほどのルドに向けたものとは全く違う厳しい叱責をシアに向けた。
様子を見ていた女中のニルも思わず身をすくめてしまう。
長兄で獣王太子であったベクは星4つの拳獣王、ゼウは星3つの拳獣聖の才能があった。
「も、申し訳ありま……」
あまりの衝撃に謝罪の言葉が出てこない。
幼少期の多感な時期もあって涙が自然と目から溢れてしまう。
「泣いてはなりません!」
「へ? え?」
「泣くなと言っている! 獣王は決して泣きはしない!!」
とうとう怒鳴り散らされてしまった。
周りの女中や騎士たちも止めに入ることはできない。
「何もそこまで……」
「ルドよ! 誰が口をはさんで良いと言った!! 私は獣王の妃であるミアであるぞ!!」
「いいえ、それはあんまりでございますぞ!」
ルドの太く低い声がシアを包み込む。
だが、ここにきてルドは目の前でガタガタと震えるシアを守るため、今度は一切退くことはなかった。
元獣王武術大会優勝者のルドは槌獣王の才能がある。
ルドの態度の変わりように、この場に何人か護衛の騎士も待機しているのだが、力の差は歴然で誰も動ける者はいない。
「……まあ、良いでしょう」
ミアが引いたため、ルドはゆっくりと目を瞑り軽く頭を下げ非礼を詫びる。
「シア様、大丈夫ですか? まだ、報告があるのですがお任せしても大丈夫ですか?」
「もちろんだ……。母上、ルドは獣王親衛隊の任を解任されました。私の配下となったのです」
「ま、まあ!! それは素晴らしい。それは真ですか!!」
「はい、私の最初の部下です!」
今度は表情が一変して、ミアはパンと大きく両手を合わせ、歓喜の表情に変わった
「シアのため、この命捧げる覚悟はできております」
ムザ獣王はシアの才能が拳獣聖であったことを知り、その場でルドの獣王親衛隊隊長の任を解いた。
そして、完全にシアの側近を命じた。
シアの初めての配下はルドだ。
獣王武術大会総合優勝者にして、獣王親衛隊隊長で、軍を動かす場合は将軍を任せられていたルドを最側近に命じた。
将来有望な獣王子が、このような形で優秀な者を世話係兼護衛として側近にすることは多い。
だが、末子に対する待遇としては格別なもので、シアの未来にとってとても良いことであった。
「決してベクに負けてはいけません。いいですね。あなたの中にはバリオウの血が流れているのですよ。それはこの『ガルレシア』大陸を統べるに相応しい血なのです」
いつも言いなれたかのようにミアはシアに言い聞かせる。
「はい。母上」
肯定するしか答えようがなかった。
自らの名がなぜ「シア」とつけられたのか、知らないふりをすることはできない幼少の頃を送っていた。
それはあまりにも大きな母から子への期待であった。
「それでこれからは配下を集めると言うことで良いのですね?」
「え? はい」
一瞬困惑したが、ミアがこのように言ってきた場合、シアは反射的に肯定するようになっていた。
ルドが側近になると言うことは、シアは晴れて自らの私設兵を持つことができることも意味する。
「いいですね。この王城は魔境と思いなさい。1人では決して立ち行かないことも群れを成せば全てを手に入れる力となるのです。傾きかけたバリオウ獣王国の再建も叶うと言うもの……」
「ミア様、そのような発言を王城でするのはいかがかと……」
ルドが思わずミアの言葉を遮って、この場にいる女中や騎士たちを睨みつけた。
ルドにすごまれ首を必死に横に振り、口外しないと態度で示す。
「……申し訳ありません。聞かなかったことにしなさい」
一切反省などしなかった。
ネコ科特有の瞳を細め、ミアは野心を隔すこともなくニヤリと微笑むのであった。