第597話 獣神ギラン
アレンたちは移動から3日目にして、獣神ギランの神域に足を踏み入れた。
魚神の神域を越えた先には、杉かメタセコイヤの木々と思われる真っすぐと背の高い木々が立ち並ぶ。
『ウオオオオオオオオオオオン』
アレンたちの到着を縄張りにいる者たちに知らせるような遠吠えが聞こえる。
(この神域の聖獣かな。獣神ギランは狼の姿をした神だったかな)
吠えている獣の1体が木々の隙間から見えた。鳥Eの召喚獣が覚醒スキル「千里眼」で確認すると、数キロメートル離れたところに声の主がいた。
10メートルを超える巨大な狼が空に向かって吠えている。
獣神ギランに聖獣が来訪者が来たことを知らせているようにも思える。
「アレン、どう?」
異様な緊張感にセシルが口を開く。
「さあ、セシル。歓迎しているのか分からないが、襲ってくる感じでもない。だが、迎えには来てくれなさそうだ」
吠えるだけ吠えた後、狼の姿をした聖獣は警戒するように顔をこちらに向け、静かに見つめている。
何キロメートルも離れているが、アレンたちの乗る鳥Bの召喚獣に視線の先が合っているように思われる。
「近くで降りよう。アルバハルほど、甘くはないであろうからな」
自らの獣王家の始祖のアルバハルに対しては随分非礼な言動が多かったシアは、相手によって態度を変えるようだ。
「ああ」
空を飛んだからと言って神罰は受けないだろうが、獣人の世界は上下関係が煩いのは間違いないだろう。
『アレン殿よ。獣神ギラン様に真っ先に会いに行くのだ。ガルム様に会う前に挨拶はしておくべきだ』
ギランの神域近くにやってきて、あれこれ寄り道しないようルバンカは言う。
「また頭を下げに行くのか。そうなのか。俺はそういうの得意じゃないんだけどな」
(神界に来て、頭を下げる機会増えた気がするネ!)
「何言ってんの、アレン得意じゃない」
従僕時代を知っているセシルはアレンの言葉を否定する。
前世でサラリーマンを10年以上やってきたが、目上の者を敬ったり、礼節を重んじたりすることが得意かと問われたら「そうではない」と答えるだろう。
前世と従僕時代に、マナーを学びそつなくこなせる程度だとアレンは考えている。
カードの状態で語り掛けてくるルバンカの言葉から、改めてここにやってきた目的を確認する。
「ギラン様にお目通りするぞ。もしかしたら神技をいただけるかもしれぬし」
「たしかに、シア。神器も頂こう」
「アレンは強欲だな」
(えっと、獣神ギランに会う目的はっと)
目的は獣神ギランに会い、最終的には上位神である獣神ガルムに会うことだ。
上下関係の厳しい原獣の園の常識では、ガルムに直接会うのは避けた方が無難な様子だ。
だが、シアの言う通り、ギランに会うメリットがあることをアレンは知っている。
精霊の園では、フォルマールが精霊王エリーゼと大精霊神から神器や神技を貰っていた。
フォルマールはお願いしたら頂けたと言っているが、きっと神との交渉を成功させたのだろう。
1柱の神からだけ、神技、神器をもらうわけではない。
なお、神器は貰う貰うと言っているが、正確には「借りる」であり、その所有まで全て頂けるものではないらしい。
獣神ギランにせっかく会うので、シアの強化のためにも、少々寄り道するのは決して悪いことではない。
アレンは悪い顔が止まらない。
『……すまないが、我も出しておいてくれ』
「ん? そうか。そうだな」
空を飛んで移動しないならルバンカがカードの状態から出ておきたいと言うので召喚する。
意識を共有しているアレンは、ルバンカから何かただならぬ覚悟のようなものを感じた。
『こっちだ。案内しよう』
ルバンカの背を追いながら、アレンたちは移動を開始する。
アレンたちは日の光が漏れる森林の中を進んで行く。
真っ直ぐ進んだ先に山というには小さすぎる丘がある。
高さ1000メートルもない小高い丘の上に、白い板状の石材が1枚乗ってある。
どうやら獣神ギランは、この丘の上の、さらに板状の上にいるようだ。
大精霊神イースレイの住む巨大な山の中腹にあった祭壇に比べたら、よく言えば無駄な飾りもなく荒々しい。
悪く言えば、規模も見た目もみすぼらしい。
(原獣の園に来て、初めての神との対面か。慣れてきたのはおかしいことだけど)
アレンたちは神界に入って、多くの神々に会ってきた。
中には大精霊神や剣神など上位神にも何柱も会うことができた。
丘の上に積み上げた台座の上に、老齢な1体の白銀の狼が横になり、顔だけでこちらを見ている。
(なんだか、「お前にサンは救えるか!」と言われそうだな。っていうかでっかい狼だな)
台座の上の狼ってだけで、前世で見た映画のワンシーンを彷彿とさせる。
そんな白銀の狼は、巨大な1枚岩の上に横になっているが、全長は100メートルを超える。
小高い丘がより一層小さく見える。
アレンたちもギランを見つめ返す。
(神技頂戴よ)
真剣な顔の裏で腹黒い願望が溢れる。
『私の前にやってきた獣人は久しぶりですね。それがアルバハルの末裔ですか』
「はい。お初にお目にかかる。シアと申します」
『……アルバハルの末裔か』
「いかがされましたか」
明らかに残念そうな態度を示すギランにシアが動揺する。
『きっとギルが私の前にやってきてくれる。それが、あのような姑息な手に引っ掛かりおって、邪道など許されるはずがないものを……』
(お? いきなり試練の話にならないのか。何の話が始まるんだ?)
挨拶早々に試練の話にならず、シアが知っているだろう会話をギランは進め始めた。
神との会話なので、何か有益なこともあるかもしれない。
シアに会話を任せ、アレンたちは様子を伺うことにする。
「ギラン様もご存じのこと……。あの試合はやはり仕組まれたものであったということですね?」
シアは、死闘を繰り広げたアルバハル獣王国のベク元獣王太子と、ギル獣王との戦いを思い出す。
あまりにも凄惨な殺し合いの末、ベクがギルを殺し、その試合は終わった。
その後、ベクは内乱を起こし、国を飛び出て最後に会ったときは、魔王軍の幹部の1体にズタボロに敗れ、贄にささげられる直前であった。
何かがおかしいとシアは考えていたようだ。
どこで、ベクは道を踏み外したのか。
将来有望であったベクが獣王になると、アルバハル獣王国の王侯貴族も民たちも皆がそう信じていた。
幼いシアは、ベクがゆっくりと変わっていく様を見てきた。
顔つきが厳しいものとなり、命懸けで獣王武術大会にのめりこんでいったように思える。
見上げた先に横たわるギランは、ブランセン獣王国で主神のごとく祀られている。
それは、アルバハル獣王国では獣神ガルムしか獣神はいないぐらいの信仰具合だ。
獣神ギランは、ブライセン獣王国のギルに目をかけ、力を与えたようだ。
なお、獣神ギランは、上位神である獣神ガルムに仕える立場だ。
『すべてを語るつもりはありませんが、拒むのは難しい人ならざる者たちの力によってのものだった。ギルに次いで、ベクの魂の安寧も願うことにしましょう』
「……ありがとうございます。ベク兄様の魂が救われることを願うばかりです。それで魔王軍に狙われた理由があるということでしょうか」
祈りよりも救いよりも今は「真実が欲しい」とシアはギランを見つめる。
『……そうですね。アルバハルの末裔よ。獣神たちは、全てガルム様の血を引いているのですが、アルバハルは特にその血を濃く引いています』
「余はガルム様の血を」
『そう。ガルム様とは切ることはできぬ血縁関係なのです。ベクとやらは、それを利用されたようですね』
「ベク兄さまには、魔王軍に狙われる理由があったということですね。ベク兄さまの心を利用したと」
シアはすでに考えに至っていたようだ。
しかし、「なぜ狙われたのか」理由は分からなかった。
(アルバハルが答えをすでに出していたんだな。ベクは長子、最もガルムの血を濃く引いていた)
アレンは獣のような見た目のベクを思い出す。
獣王の子として生まれたベクは、アルバハルが話していた通りなら、最初から獣王化のスキルを持って生まれてきたことになる。
もっともガルムの血を濃く引く獣人が、魔王軍が画策していた邪神の復活に必要だったのだろう。
何十年も前からの計画と踏みにじられたベクの尊厳に、拳から血が滴るほど握りしめたシアは怒りを露わにしていた。
「余はもっと強くならねばなりません」
『ガルム様に会うための挨拶ではないですか?』
「ガルム様に挨拶するには順序があると考えております。アルバハル家の末裔にも試練を与えていただきたい」
まっすぐ見上げるシアに対して、目を細めその全体を見つめ返す。
『シアさんと言いましたね。なるほど、十分な修羅を越えてきたのか。良い面構えです。そして、貪欲ですね。筋を通した獣人に試練を与えるのも、獣神に課された筋というもの。良いでしょう。私の2つの試練を超えた暁には、そうですね。神器と神技をそれぞれ与えましょう』
(ぶ!? 神技だけでなく神器も来たわ!! 良い神認定やんけ!!)
アレンは心の中で吹き出しそうになる。
神器とは神が信仰を集め、神がその存在を現実のものにするために欠かせない代物だ。
そう易々と手に入るものではないのだが、ギランは試練を超えたら大事な神器を与えると言う。
シアは息を飲み、セシルやソフィーも顔がほころびそうになるが、これからの試練に表情を正した。
皆がこれからのシアの強化に喜びと緊張が複雑に絡みながらも視線を合わせたその時だった。
ギランからの試練はすぐには始まらなかった。
『さて、その前に、正道から道を外した獣がもう一匹いましたね。ルバンカさん、前に出なさい』
『……はい』
シアに対しては見せなかった厳しい目つきにギランは変わっていく。
『最近見ませんでしたが、どうしたのですか? ずいぶん見違えましたね。さらに手を2本も生やしてしまって』
軽い口調で発する言葉には心は一切込められていない。
ギランの目は一切笑っておらず、姿を変えてしまったルバンカを睨みつけている。
『我は、アレン殿の召喚獣になった。この姿はその証です。ギラン様』
(お? いきなり不穏な感じになってきたが)
『獣神ガルム様の恩情を踏みにじり、召喚獣ですか……。ふざけているのですか?』
『決してそのようなことはないです。ただ、興味はなかったというのが正直な感想です』
『ほう、良く言いました。ははは』
ルバンカの言葉がツボに入ったのか、ギランは高らかに笑い出した。
先ほどまでの丁寧な口調までと打って変わって高笑うギランとのやり取りに、アレンは思わず声を出した。
「ルバンカ、もしかして、お前、あの時「ガルム様に許可を取りたい」って、そういうことなのか?」
『何がだ。アレン殿』
「黙って召喚獣になったらいけない理由があったってことか」
ベクが魔王軍に狙われた経緯を聞き、シアが神技と神器を得られる試練に入れる。
そんな雰囲気が一気に緊張感に変わったのであった。





