第304話 開戦
1年と数ヶ月ぶりに魔王軍による侵攻をドワーフの将校が告げたため、謁見の間はもう一度騒然とする。
今のところ、バウキス帝国は魔王軍の侵攻について常勝無敗でやってきたはずだが、それでも不安が一切ないわけではないのだなとアレンは思う。
「この状況で魔王軍ですか。規模はどれくらいでしょうか?」
ヘルミオスがバウキス帝国の将校の言葉に反応し、尋ねることにする。
「例年と変わりないと聞いているので、総勢200万ほどになるのではないのか?」
「それは、無視できない数だね」
皇帝との謁見がエルマール教国からの救難信号、そして魔王軍侵攻の報せと続いたため、自然と流れは軍議へと変わっていく。
魔王軍との戦争は、まず中央大陸から戦端を発する。
魔王軍のいる「忘れ去られた大陸」に最も近く、中央大陸領土の一部が魔王軍領になっているのが理由だ。
ギアムート帝国領側に魔獣たちが集まってきたところで、開戦を予想する。
例年通りの規模であるなら、ギアムート帝国領側の北部には100万体前後の魔獣が結集するので、斥候部隊を配置しておけば直ぐに察知できると言う。
魔王軍侵攻の動きを察知した場合、伝達の魔導具を使い、戦争の開始を伝える仕組みは出来上がっている。
なお、バウキス帝国やローゼンヘイムに侵攻する魔王軍は「忘れ去られた大陸」から海洋運搬用の魔獣に乗って直接進軍してくる。
そのため現時点では、中央大陸の動きを踏まえて、魔王軍はバウキス帝国やローゼンヘイムにも攻めてくるだろうという予想の域を出ない。
ただし、この予想が外れることはほとんどない。
魔王軍としても、3大陸を同時に叩いて協力し難くしたい思惑があるらしい。
中央大陸では、魔導船や斥候担当の兵が常に魔王軍の状況を監視しているのだが、魔王軍から最も狙われる危険な役目だと聞いている。
魔王軍は斥候を見つけると我先にと襲ってくるので、斥候はかなり危険な任務となる。
「今じゃないといけなかったんでしょう」
「む? 今だと?」
アレンの言葉に、ゼウ獣王子が疑問の声を上げる。
「魔王軍としては、エルマール教国で起きていることはどうしても成功させたいのでしょう。だから、魔王軍は侵攻する、と」
「なるほど。神器を使い何かをしたいということか。それに、今攻めれば来月から始まる転職制度も邪魔できるな」
「はい。それもあって、この時期の侵攻になったと考えるのが妥当です」
最初はシア獣王女を心配し取り乱したゼウ獣王子も状況を理解する。
来月には転職用ダンジョンの運用が開始される。
魔王軍としては、敵側の強化が図られる前に叩きたい。
しかし、去年の戦争で軍が大きく消耗している。
アレンとそのパーティーが徹底的に魔王軍を叩き数を減らしたからだ。
兵数を確保して攻めるとしたら、今が一番の好機だったのかもしれない。
「困ったね。この数の魔王軍だ。さすがに無視して助けには行けないかな」
ヘルミオスも苦しい状況だと言う。
「むう、そうだな」
ガララ提督もそうだ。
ヘルミオスもガララ提督も、戦争が起きれば常に一番の戦果を上げている。
ヘルミオスは最前線で最も敵を殲滅する。
ガララ提督は自らも最前線にいながらも、軍の最高幹部として軍の指揮も行う。
今回も例年通りの規模の軍勢が攻めて来るとなると、その2人が抜けることで同盟軍に多くの犠牲が出てしまうことになる。
(それで言うと、俺もローゼンヘイムの参謀だからな。だからと言って、連合国がある大陸を1つ見殺しにするわけにはいかないぞ)
アレンはローゼンヘイムの重鎮として「参謀」の立場にいる。
この立場に助けられた場面がある中で、ローゼンヘイムを無視してエルマール教国を救済するという選択肢はない。
エルマール教国の状況を予想する。
何十年も魔王軍に攻められ続け要塞で防衛線を敷くことができるローゼンヘイムと違い、エルマール教国はそんなことはないだろう。
エルマール教国は今まさに滅亡の危機に陥っているという恐れがある。
その危機は連合国全体に広がり、そして大陸を超えて広がるかもしれない。
アレンは鳥Aの召喚獣による瞬間移動ができる。
鳥Aの召喚獣の「巣」を駆使して、ローゼンヘイムとエルマール教国2つを救う方法を模索する。
(行けるだろ。今なら、魔獣たちを圧倒できるはずだ。3ヵ月かけて戦い易い戦況は作ったはずだ)
BランクどころかAランクの魔獣に対しても圧倒できるAランクの召喚獣がいる。
現在もローゼンヘイムで50体が魔獣殲滅作戦を敢行中だ。
竜Aの召喚獣なら超再生もあり、魔王軍のAランクの魔獣の攻撃をものともしない。
昼夜を問わず、魔王軍の残党を殲滅しながら、ローゼンヘイム領内の安全地帯を広げ続けている。
そして、戦争を圧倒的有利に運ぶ虫Aの召喚獣も現在10体活動させている。
アレンは、虫Aの召喚獣こそ魔王軍との戦争のために作られたと確信している。
召喚レベル8になり、全ての魔獣をローゼンヘイムから一掃したとは言い難いが、随分数を減らせたと思う。
長年ローゼンヘイムを魔王軍から守ってきた最北の要塞は、先の戦争で一度陥落してしまい、現在復興の最中ではあるが、戦争に使うにはもう十分なはずだ。
破壊されてまだ修復できていない箇所には、金銀の豆を使うことで魔獣を近づけさせないようにもできる。
問題ないと自分に言い聞かせる。
(本当に大丈夫なのか)
今回エルマール教国で炎の柱が上がったことから、フレイヤの持っていた火の神器が使われた可能性が高い。
そして、魔獣と化した神官や街の人々から、魔王軍は何か大きなことをエルマール教国、もしくは連合国で行おうとしている。
火の神フレイヤの信仰が減り、何十年も前から神器を奪おうとしていた。
邪神教の教祖は何十年も前から連合国で邪神教を広めてきた。
今回の件が火の神フレイヤの神器を使った何かであるなら、どれだけ魔王軍が今回の件に時間と力を掛けてきたか。
絶対に失敗できない故に、魔王軍はギアムート帝国への侵攻も同時に開始した。
アレンの中で不安が過る。
もし、召喚獣に任せてエルマール教国を助けに行ったら。
しかし、予想以上の戦いを強いられ、ローゼンヘイムに置いた召喚獣を仕舞わないといけない事態になったら。
勇者ヘルミオスのいるギアムート帝国や、ガララ提督率いるゴーレム部隊のいる帝国軍と違い、ローゼンヘイムは最強の精霊使いガトルーガでさえ星3つの才能しかない。
去年の魔王軍からの侵攻で、エルフに多くの犠牲が出たため、いまだ兵数が回復したというには程遠い。
どちらを犠牲にしたらよいのか、アレンは思考の渦に入る。
「ふむ、レペよ。お前は何のために、獣王国から出てきたと言ったのだったか?」
何が最善策か模索するアレンをゼウ獣王子がずっと見つめていた。
そして、目をつぶり何かを決断した。
目を見開き、楽術師レペに尋ねる。
(ん? 何の話だ?)
アレンも思考を戻し、ゼウ獣王子の話を聞く。
「あん? そりゃよ…って!? おいおい、まさか!?」
レペは何かに気付く。
ローゼンヘイムのシグール元帥によって、楽術師レペは無理やり連れて来られた。
しかしここはバウキス帝国、元々聞かされていた国ではない。
「ゼウ獣王子殿下、もしかして、我らが」
レペの言葉使いを諫めようとしていたホバ将軍も大事なことに気付く。
「そうだ。少々遅れたが、どうやらローゼンヘイムに魔獣が出たらしいぞ。ローゼンヘイムとの約束を果たす時が来たようだな。余が先陣に立とう。ついてまいれ」
十英獣はローゼンヘイムでエルフたちでは倒せない魔獣が出たので助けてほしいと請われてやって来たことになっている。
既にその件については、獣王も嘘であったことは知っている。
それでもゼウ獣王子は、十英獣全員を見て、ローゼンヘイムに行くことを宣言した。
「あの、大変助かるのですが、よろしいのですか?」
「よろしい? 何の話だ」
「いえ、獣王陛下が呼んでいるのでは?」
アレンとしては助かる話だが、ゼウ獣王子は獣王に呼ばれている。
そして、シア獣王女の安否も心配だ。
まさか、こういう提案をしてくれるとは思ってもみなかった。
「余は獣王陛下にどうすれば、次期獣王になれるか伺った。その結果受けたのがこのS級ダンジョン攻略の試練だ」
「え? はい」
一瞬何の話か分からない。
しかし、ゼウ獣王子はそのまま話を続ける。
「王族とは決断をしていくもの。余は自らの判断で、試練を受けた。当然、次にどこに行くかも、余が判断する。余は決して獣王陛下の駒ではないのだ」
獣王子は指示など関係ないと断言する。
アレンも仲間たちもそして周りの誰もが息を呑む。
あまりの勢いで、十英獣たちが姿勢を正す。
「それは申し訳ありません。助かります」
アレンは頭を下げお礼を言う。
「ふっ。どちらが危険だ?」
「え?」
「エルマール教国とローゼンヘイムだ。どちらが危険とアレン殿は予想する」
「間違いなくエルマール教国でしょう。現状で何が起きるかも分からない状況です」
魔王軍はこの時のために準備してきた何かをしでかそうとしている。
ローゼンヘイムへの侵攻が通常のものになるなら、明らかに危険なのはエルマール教国だ。
きっと単純な戦争では済まない状況だ。
「では、余は楽なローゼンヘイムで魔王軍と戦うとしよう。厳しいエルマール教国は任せても良いか?」
「……はい」
流石にアレンも一瞬声が詰まる。
ゼウ獣王子は、アレンの力を最大限評価し、エルマール教国とローゼンヘイムの両方助けようとするアレンがエルマール教国に集中できるよう図った。
しかし、それだけではない。
ここには多くのバウキス帝国の貴族が、アレンとゼウ獣王子の会話を聞いている。
自ら、アレンより弱いと公言する今の発言に、大国の王族として外聞が良いはずがない。
そんなことはどうでも良いとゼウ獣王子はアレンを見つめる。
「必ず助けてくれ」
「はい。全力で」
「助けてくれ」という言葉には、ゼウ獣王子の妹であるシア獣王女が入っている。
しかし、それは口にしなかった。
獣王子として、国を救うため個人の想いを殺した。
「どうやら、私らはゼウ獣王子の愚連隊に巻き込まれてしまうようだな」
これは占うことができなかったと占星術師テミがニヤリと笑った。
「次はローゼンヘイムかよ」
「貴様、何だその態度は!!」
ため息交じりに楽術師レペが言うので、ホバ将軍が憤慨する。
それを見て、他の十英獣が爆笑してしまう。
誰も魔王軍に怯える者はいないようだ。
十英獣に血がたぎっていく。
「そういうわけで、皇帝陛下。我らは、ローゼンヘイムを救いに行くため、ここで失礼したい」
「そ、そうだな。達者で行かれよ」
ずっと、玉座で固まっていた皇帝ププン3世が突然話を振られ、首を縦に振ってしまう。
「アレン殿。では、どこから行こうか」
「そうですね。では、こうなるとは予想できなかったので、一旦S級ダンジョンの拠点に戻って荷物をまとめましょう。ヘルミオスさんとガララ提督はどうしますか?」
大量の荷物がまだ拠点にある。
この謁見が終われば、S級ダンジョンにまた通う予定だったからだ。
このまま転移する予定だが、ヘルミオスとガララ提督はどうするのか問う。
「僕たちもお願いするよ」
「いや、俺らはいいぞ。この魔導盤があれば、あとはこっちで賄えるからな」
ガララ提督とそのパーティーは大したものを置いていないので、S級ダンジョンの拠点に行かなくてよいと言う。
「では、さきほどの部屋を転移先に指定してありますので、後程支援物資を送ります」
「いつの間に作っていたんだよ。だが助かるぜ」
魔力の種や天の恵みなどの支援物資を後で部屋に送るので使ってねとガララ提督に言う。
勝手にバウキス帝国の王城の一室に転移用の「巣」を作っているので、抜け目ない奴だなとガララ提督はため息をつきつつも礼を言う。
「では皇帝陛下、失礼します」
「ぬ!? え」
アレン、ヘルミオス、ゼウ獣王子の3パーティーが謁見の大広間から消えた。
目を丸くする、皇帝と並び立つ貴族たちを置いてけぼりにした。
アレンたちが魔王軍の侵攻とエルマール教国の救難信号を受け、行動を開始したのであった。