第286話 最下層ボス①
「おいでになったぞ」
「まじかよ。噂は本当だったのか」
「すげえぞ! って押すな。誰だ、俺を押した奴は!?」
冒険者の朝は早い。
すでに日が昇ってそれなりに経つので、活動中の冒険者たちでごった返している、というわけではない。
なお、ここは1階層のダンジョンの中なので、その日の光もディグラグニが作った幻だ。
最初は5日前に生じた冒険者の目撃情報だった。
冒険者が、アレンたちがダンジョンに入る様を目撃した。
その目撃情報は瞬く間に噂となり、その翌日には、その噂が事実だと知る多くの冒険者が生まれた。
そして、真実を知った冒険者が更に噂を拡散していく。
どうも、とんでもないことが起きているらしい。
万を超える冒険者がこのS級ダンジョンの1階層で生活している。
そんな冒険者たちが大きくざわつき始めた。
ドワーフの中には、ガララ提督の仲間ではないが、結構な頻度で酒を飲む者もいる。
ガララ提督の仲間たちに関係の近いドワーフが、噂が事実であると教えてくれた。
ゼウ獣王子は獣人の取り巻きが多い。
その数は数千に及ぶ。
毎月のように獣王国から送られてくる獣人たちが、いきなりダンジョンに入って死なないよう、ゼウ獣王子やその側近たちが世話をしてくれたからだ。
ゼウ獣王子のお世話をしていた獣人が、これから起きることを自分のことのように酒場で自慢する。
冒険者たちはS級ダンジョンを攻略するものだと考えなくなって久しい。
攻略がどうのこうのと思わなくなるのは、ダンジョンに入る前、酒場などで同種族の経験者から話を聞いたら直ぐに気付く。
ここはダンジョンを攻略するところではない。
必死に生き延びてお金を稼ぐところだ。
夢も希望も無い現実を教わる。
疑問に思っていた冒険者も、攻略のことなんてすぐに忘れて現状に馴染む。
そんな心の奥底にしまい込んでいたものすら、目の前の光景から受ける衝撃で、その全てを忘れさせてくれる。
そうだ。
今日なのだ。
今日はS級ダンジョンが攻略される日なのだ。
その噂や言伝で聞いたことが事実であることを確認するため、多くの冒険者たちが神殿の前でごった返している。
そして、噂が真実だと冒険者たちが悟る。
目の前に噂の中心となる者たちが歩いてきている。
その迫力に心臓を握られるほどの衝撃を受けた者がいる。
S級ダンジョンに入る資格のある屈強な冒険者たちが、神殿の前で万を超える人海を作っている。
そんな人海が、誰かが言ったわけでもないのに自然と割れ、そこに道が出来ていく。
4パーティー、40数名に達したアレンたち一行が神殿に向かい歩いて行く様を、大勢の冒険者たちが固唾を飲んで見つめる。
「噂は本当だったのか。ガララ提督が、最下層ボス攻略のために勇者ヘルミオスと手を組んだという話は。すげえよ。すごいことになっているぞ!」
ドワーフたちが目を輝かせて、ガララ提督のパーティー「スティンガー」の歩き様を見つめている。
去年のダンジョン祭で見てしまった絶望の光景を、今目の前にある希望の光景が塗りつぶしていく。
すると、興奮するドワーフの横にいる人間が口を挟む。
「何を言っているんだ。勇者ヘルミオス様が攻略に向けて、各国の有志に声を掛けたんだよ。さすが、我らが英雄だぜ。冒険者のために情報を提供してくれるだけじゃないってことだよな!」
「な!? なんだと!!」
勇者ヘルミオスは、魔王軍から世界を救い、そして冒険者のために貴重な情報を提供し、多くの命を救った。
ここにいる万を超える冒険者の共通認識だ。
その認識から彼らは、これだけのパーティーを集めたのは勇者ヘルミオスの力と信じて疑わない。
ドワーフが自らの言葉を否定されて怒りそうになるが、そんな気持ちは一瞬で萎えてしまう。
既にギアムート帝国からやって来た冒険者には、ヘルミオスのパーティーが歩む勇壮な様しか見えていない。
A級ダンジョンを5つ制覇した歴戦の冒険者たちが、少年のように目を輝かせてヘルミオスを見つめている様に、ドワーフは責めることを諦める。
そんなギアムート帝国からやってきた冒険者を鼻で笑う獣人がいる。
「ふん。これだから中央大陸の人間どもは。見よ、あの勇壮な十英獣たちを。貴様らは本当の獣人の力を知らんのだ」
「なんだと!? お、おい」
「ホバ将軍の横にいらっしゃる方こそ、未来の獣王陛下であるゼウ獣王子殿下だ。獣人のために、このダンジョンで指揮先導してくださっていたが、陰でこのようなご準備をしてくださっていたとは。アルバハル獣王国を! いや、世界を動かしておいでだ!!」
もし、このパーティー全体のリーダーは誰なのか聞かれたら、それはゼウ獣王子であると答えるように、アレンは仲間たちに伝えてある。
ダンジョン攻略だけが目的ではない。
確実にゼウ獣王子が、獣王になって貰わないといけない。
バウキス帝国を背負うガララ提督としても、中央大陸で魔王軍と戦うヘルミオスとしても、中央大陸への侵攻を唱えるベク獣王太子を獣王にしてはいけない。
これは、去年の戦争で酷く傷ついたローゼンヘイムも同じ認識だ。
5大陸同盟は本当の意味で1つにならなくてはならない。
今回の攻略はそんな大事な未来を見据えての戦いでもある。
全ての種族が1つになるなんてことは考えてもいなかった冒険者も多い。
種族が変われば、どこか別の世界の住人だと思っているからだ。
しかしそんな常識が、この瞬間だけ、この場を共有する者たちだけの中では変わったのかもしれない。
「けっ。全部アレンがやったんだろうが」
周りの冒険者たちが誰もアレンのことを口にしないことにドゴラが憤りを感じる。
ダンジョンでの情報を提供すると決めた時から、ドゴラだけはヘルミオスの名前を使うことに反対していた。
アレンが頑張って情報を必死に集めて提供したのだから、アレンこそ称えられるべきだと考えている。
ドゴラは本当に真っ直ぐな性格をしている。
そこに、情報の整理に協力したドゴラ自身の活躍については一切触れていない。
しかし、1人でも多くの命を救うため、1日でも早く情報を提供するためなら、ヘルミオスの名前を借りることが確実だと言うアレンの言葉に無理やり納得した。
今はそれ以上に納得できないようだ。
誰もアレンのことなんて目に入っていない。
ローゼンヘイムの王女がアレンのパーティーにいるという認識でしかない。
「ドゴラよ」
「は、はい。ドベルグさん」
そんな悪態をつくドゴラに剣聖ドベルグが声を掛ける。
いつも、庭先で稽古をつけてくれるドベルグから急に声を掛けられたので、膨らんだ怒りが一気にしぼんでいく。
「安心しろ。英雄とは隠せるものではない」
「は、はい」
「人々が英雄を求めるからだ」
ドベルグはどこか遠くを見るようにドゴラに語り掛ける。
「そうですか」
何十年と戦いに生きたドベルグの短い言葉がドゴラの中に響いていく。
「ドゴラよ。お前もそうだぞ」
「ほ、本当か! 俺も英雄になれるのか!!」
ドベルグに褒められてドゴラの顔が一気に明るくなる。
その様を見ていたキールが、単純を通り越して正直という言葉が似合うなと、ドゴラを見ながらため息を溢す。
アレンたち40数名の一行の行く手を遮る者はいなかった。
誰も神殿に入るための行列を作らず、道を開けてくれる。
お陰でいつもより早く5階層に移動できた。
「ここが、5階層か」
「話で聞いていた通りだな。このまま前に進めばよいのだな」
ヘルミオスの言葉にゼウ獣王子が返事をする。
ヘルミオスとゼウ獣王子はここに来たのが初めてだ。
(演習でやっておくべきだったか。いやその時間があれば、再トライに時間をかけたいからな)
アレンたちは最下層ボスに全員で参加することができるが、アイアンゴーレムからミスリルゴーレムまでは、1パーティーで参加するしかない。
全部のパーティーを完全に解散させる方法も取れるが、そこまで大きなメリットはないだろうという判断をここにいる全員と一度している。
皆で決めたことなので、アレンも一瞬過ぎった考えを振り払う。
なお、作戦が無理だった場合は、何度かトライする時間はあると考えている。
ヘルミオスには1回無理だったら、もうやらないと言っていたが、ガララ提督に最下層ボスの話を聞いて考えが変わった。
最下層ボスの情報を聞く前の約束など無効だとアレンは考える。
そんなアレンの考えを余所に、一行はゼウ獣王子を先頭に全員で前進をしていく。
『こんにちは。私は最下層ボス転移システムS505です。メダルが4枚ずつ台座にはまっています。ここにいる4パーティーでの最下層ボスに挑戦しますか?』
「うむ」
『では。4パーティーのリーダーは「ゼウ獣王子と十英獣」を率いるゼウ=ヴァン=アルバハルでよろしいですか?』
今話しかけているゼウ獣王子が、この40数人のリーダーになると言うことで良いのか、キューブ状の物体が確認する。
「そうだ」
『すぐに最下層ボスのいる間に移動しますか?』
「ああ。飛ばしてくれ」
すると、視界が一気に変わる。
何かが動く動力音が遠くの方で聞こえてくる大広間だ。
100メートル以上離れたところに立つ朱色に輝くゴーレムがいる。
(よし、話で聞いていた通りだな)
最下層ボスは100メートルの大きさはありそうなヒヒイロカネのゴーレムであった。





