第172話 精霊王②
エルフの女王の膝の上に乗って眠っているのはモモンガではなかった。
モモンガの姿をした存在のその正体は、亜神に達したと言われる精霊王ローゼンであった。
『僕に何か用?』
(寝言を言う精霊王は小動物だった件について)
モモンガの姿のまま、当たり前のようにアレンに話しかけてくる。
並び立つエルフの将軍達が息を飲む様に、精霊王が直接会話することは少ないのかなと思いつつ話を進めることにする。
「はい。まずはお礼を言わせてください。魔力回復リングを作っていただき、ありがとうございました」
(まあ、勇者が条件付きで渡してきたがな。その件については黙っておくとしよう)
精霊王は、勇者の話から察するに召喚士であるアレンの存在を予見していた。そして、わざわざ魔力回復リングを作ってくれたようだ。
『ああ、この前のことか。どういたしまして。勇者にお礼を催促されたからね。はは』
(多分勇者は俺に会う少し前に督促に行ったんだろうな)
アレンを大会に引っ張り出すために、勇者はわざわざローゼンヘイムまで魔力回復リングを取りに行ったのかと思う。
「その上で、精霊王様にお願いがございます」
『ん?』
アレンの仲間達は、精霊王の存在や見た目を当たり前のように受け入れるアレンと精霊王の会話を、呆然とした様子で眺めていた。
エルフの女王も、この広間に並び立つ将軍達も同じだ。精霊王に会いたいと言ったので何だろうと思って聞いていたが、その理由が分かり、声こそ出さないが驚いてしまう。
アレンが精霊王に会わせてほしいと言った理由は、願い事があったからだ。
「今現在、我々はエルフの方々と共に魔王軍と戦っています。もし、ローゼンヘイムを救った暁には願いを叶えていただきたいと、そういう話でございます」
そういってアレンは精霊王に頭を下げた。
『ほう、僕にエルフを救った礼をしろと?』
「はい」
なるほど、と言いながら、モモンガの見た目のまま精霊王は顎を触り始めた。
アレンは、学長からの要請を聞いてここまでやって来た。
「そうですか」と当たり前のようにやって来たが、学長に礼など求めていない。
そもそも学長にはアレンが欲しがる物を用意できないからだ。
アレンにもいくつか欲しいものはある
・魔石
・お金で買えない武器防具
魔石はこれから先、魔王軍から回収する予定だ。1つでも多くあった方がいいが、大した権力を持たない学長が準備できる魔石の数など高が知れている。大きく損失を被ったローゼンヘイムに魔石を頼むつもりもない。
お金で買えない武器防具はS級ダンジョンに行って手に入れる予定だ。学長などでは用意できないだろうし、女王にはローゼンヘイムの秘宝みたいなものがないか後で声を掛けてみるが、そこまで期待はできない。
それよりもっと確実に、そして期待できる相手が目の前にいる。小動物の姿をして女王の膝に乗っている。
(ずいぶん早かったな。エルフの部隊を中央大陸で無理やり助ける予定ではあったんだが)
精霊王が亜神と聞いて、エルフに貸しができる状況が揃ったなら頼みたいことがあった。
『僕じゃないとできないこと? なるほど、ちなみにどんなことだい?』
「仲間全員をヘルモードにしていただきたい」
「「「え? ヘルモード?」」」
アレンはこの異世界に来て初めてヘルモードという単語を口にする。
アレンと精霊王の会話を前かがみになって聞いていた誰もが分からず、復唱してしまう。
『ん? へるもーど? あれ? んん?』
精霊王は、すぐには理解できなかったようだ。顎に手を置いて視線を中空にやって考え事をする。
「はい、ヘルモードでございます。神の試練の難易度を100倍にする例の理です」
『ああ、あれね。人々に与えられた試練の度合いの話ね』
一瞬理解できなかったが、精霊王はヘルモードについて知っていたようだ。
「そうです。私のパーティーメンバーは、神の試練の難易度が低すぎるために成長の上限に達してしまいました。さらなる成長のために、皆のモードをヘルモードに変えていただきたい」
『ああ、そういうことね。ちょっと確認してみるよ』
そういうと精霊王は固まってしまう。
(なんだか剥製になったように見えるな。って)
「へぶ!」
「ね、ねえ、精霊王様にそんなにあれこれ言って大丈夫なの?」
後ろにいたセシルに首根っこを掴まれる。
「たぶん大丈夫じゃないかな? 駄目ならエルフ達は止めると思うし」
丁寧な会話はしているつもりなので、アレンの物言いが失礼に当たるなら、精霊王に対するマナーを教えていないエルフが悪いと思っている。
『創造神エルメア様に聞いてみたけど駄目だった。モードは絶対に変えられないんだって』
「エクストラモードもダメってことですか?」
ノーマルモードの試練10倍のエクストラモードもあったが、触れずにヘルモードの話をした。
『そうだね。厳しそうだよ。亜神に過ぎない僕では、聞き入れてもらうのは無理そうな感じだな。はは』
(亜神は神界で立場が低いと)
「それは残念です。では別の願いに変えてもいいですか?」
『僕のかわいい子達を救ってくれるなら。僕に叶えられる願いなら叶えてあげるよ。はは』
「私のパーティーメンバーをより上位の職に転職させていただきたい。職業の変更ですね。例えば剣士を剣聖にするみたいな感じです」
モードの変更ができないなら、職業を変更させてほしいと言う。
その言葉を聞いた途端、それまで余裕があった精霊王の表情が、厳しいものに変わっていく。
無言の圧力がこもった視線が正面からアレンを捉えるが、アレンは一切動じず、真っ直ぐ精霊王を見返す。
そんなアレンの態度に、精霊王は脱力してため息をついた。
『ふう、次は職業変更か。君はあれだね。神の理の中にいるんだね。エルメア様も気にかけているわけだ』
「え? 私のことを聞いているのですか?」
『うん、結構前から聞いているよ。何でも、魔王になろうとしたから慌てて更に上位の召喚士を作ったって言っていたよ。そのとき星6個にするつもりが間違えて8個にしてしまったって言っていたよ。忠告もしたのに召喚士から変更してくれないし困ったってさ。はは』
(なるほど、召喚士が星8個なのは神の操作ミスだったのか。もうずいぶん昔のことだが、確かに「本当に召喚士でいいの?」みたいなメッセージが出たような気がするな)
なんだか召喚士誕生秘話というか裏側のような話を聞いた気がする。
「そんなことがあったんですね。それでいかがでしょうか? 人間には厳しいですか?」
とりあえず誕生秘話はいいから、できるかどうか教えてほしいと思う。多分転職はできる気がするので、モード変更の次に話をしてみた。
何故なら、このエルフの国にはずいぶん回復魔法の使い手が多い。
誰かが増やしているとしか思えない。きっと神の領域にある者がエコひいきで才能を与えているのだろう。
『人間にはって、痛いところをついてくるね。エルメア様が苦労するわけだ。はは』
(やはり、こっそりやっていたのか。まあエルフの国は人口が多くないし、子供が出来にくいからな。多少増やさないと国が崩壊すると)
困ったねと精霊王が頭を掻く。
「それでは、聞き入れていただけますか?」
『う~ん。才能のない者に与えることと、元々ある者をより上位にすることは違うからね。対価もなしには厳しいかな』
「それでは、ローゼンヘイムを救うということは対価にならないと」
『僕の力では厳しいかな。ローゼンヘイムを救う事を対価に入れてもまだちょっと足りないかな。例えば対価に寿命を貰うとか、そんな話だよ』
(寿命か。なるほどなるほど、それは悪くないぞ)
皆が、職業を変えるのに寿命を寄こせと言う精霊王の言葉に息を飲む。命と引き換えにしないといけないほどの大事だということだ。そんな中、アレンだけがその言葉の意味を正確に理解する。
「では、成長の上限に到達するまでに経験した全てを支払うということでどうでしょう?」
(ほら、寿命とはこういうことだろ。これからの余命ではなく、今まで費やした経験や時を払うのも同じことだろ?)
『え? いいの? 全てを失ってレベル1になるけど』
「それで対価を支払ったことになるなら問題ありません。剣術など職業以外のスキルはそのままなのでしょう?」
すると、精霊王は再度固まってしまう。何かを確認しているようだ。
『分かったよ。それで問題ないよ。ただし職業の難易度を1つ上げるのが限界かな。それでも星5つは無理だよ』
(よし、星4つまで上げていいのか?)
「ありがとうございます」
『ちなみに分かっていると思うけど、ここにいなかったり後から入ったパーティーメンバーでは無理だからね』
(ちっ、メルルも後で転職させようと思ったのに)
「そんなことはしませんよ」
『ちなみに僕は心が読めるからね。はは』
「それは失礼しました。ですが、これだと私自身は何も手に入りませんね」
アレン自身の褒美は無いよと言う。今の話はずっとパーティーメンバーの話だった。
『だから心が読めるって。ミュラだっけ。始まりの召喚士君の妹に星1個の才能を与えるというのでどうかな? 才能がないんでしょ? どの才能がいいかは、また今度聞くよ……』
会話を早く終わらせたいのか、精霊王がアレンの心を読み始めた。かなりウトウトしており、すっかりおねむのようだ。
あまり人と長時間の会話をすることはできないのかもしれない。
「ありがとうございます、精霊王様。では、ローゼンヘイムを救うため全力を尽くしたいと思います」
(そういえば、俺も眠かったな)
『うん、必ず助けてあげてね……』
精霊王がもう一度呟いて、女王の膝の上で眠りに就いた。
こうしてアレンと精霊王との会話が終わった。ローゼンヘイムを救う対価として、仲間達の上位職業への転職を約束してもらったのであった。





