第166話 ネスト①
「陸地が見えてきたわ。ローゼンヘイムが見えてきたわね」
「ああ、予定通りだな」
セシルの声に返事をする。
4日目の夕方になったが、無事にローゼンヘイムの南端らしき陸地が見えてきた。
ソフィーが心配そうに、魔導船に取り付けられた窓ガラスからローゼンヘイムの南端を見つめる。
王城で確認した情報では、女王陛下の安否が分からなかったからだ。
(でも良かった。ネストの街には、火の手が上がっていないぞ)
これから向かうネストの街はローゼンヘイムの最南端の街だ。ここで既に火の手が上がり、煙が濛々と立上っていたら、ローゼンヘイムが完全に魔王軍の手に落ちていることになる。
魔導船はほどなくして、ネストの街に設けられた発着場に着陸する。
発着場に着陸すると、数百人のエルフ達とともに魔導船から降り立つ。
エルフの生徒達は周りを見渡しながら、走り始めた。
(エルフは家族を大切にするらしいからな)
戦争による不安より、家族の安否の不安の方が大きかったのだろう。
発着地に両親が来ていないか探しているようだ。
しかし、ここにはたくさんのエルフがいるが、エルフの生徒達の両親らしき人は見当たらないようだ。
エルフは他の種族と比べても家族の絆を大切にするそうだ。長命で他の種族に比べて子供が生まれにくいのも理由なのかもしれない。
ローゼンヘイムの大きさは中央大陸の3分の1ほどに相当するが、そこに住むエルフの人口は、小国のラターシュ王国と変わらないという。
(すごい数の積み荷だな)
木箱に入った積み荷が発着地に所狭しと置いてある。ローゼンヘイム全体から荷物を全て集めたのかと思うほどの数だ。
エルフ軍の指揮官と思われる者が積み荷の整理の指示をしている。
よく見たら、一部が焼け焦げた木箱もある。戦火を逃れてきたのだろう。
降りた側から馬車が近づいてくる。1人のエルフが馬車から降りて、アレン達の元にやって来た。
「ソフィアローネ様、よくぞお戻りになられました。長老会がお呼びでございますので、どうぞこちらへ」
「……長老達。アレン様、長老会が呼んでいるとのことですので参りましょう」
ソフィーは長老という言葉に一瞬眉を寄せる。
ソフィーは、馬車から降りてやってきたエルフが自分に話しかけてきたので、アレンに向かって言い直す。
皆、乗ってくださいとソフィーが言うので、皆で馬車に乗り込む。
「生徒達はどうするのですか?」
一緒にやって来たエルフの生徒を置いてきてしまった。
「問題ありませんわ。既に集合場所について指示をしておりますわ」
そう言いながら発着地を抜けたところで皆が息を飲む。
馬車の窓から街の風景を見たからだ。
「……ひ、ひどい」
セシルが絶句した。
辺りは野戦病院のようになっていた。
エルフ達が、血だらけのエルフ達を必死に回復している。泣き叫ぶ子供たちの声がいくつも木霊する。
(どこまで続いているんだ。街を抜けても負傷者と避難民で溢れているぞ。避難民だけで100万人以上いるな)
アレンは既に10体の鳥Eの召喚獣を使って、上空からネストの街の全体確認を始めている。
アレンの中で、戦争は既に始まっている。
今や魔王軍は、領土の7割を占領し、さらに進軍しているので、ローゼンヘイムにどれほどの猶予が残されているのか分からない。
時間を浪費すればするほど、被害が拡大していく状況だ。無駄にしてよい時間はない。
恐らく100万単位のエルフがこの侵攻で既に死んでいる。
街の全容を把握したら、そのまま前線までの状況確認に移行する予定だ。
大きな湾を擁した南の要所とあって、ネストの街はかなり大きい。鷹の目がエルフで溢れた街並みを捉える。
怪我人と避難民で溢れ、建物に入らず道端で治療を受けている者、手足が欠損した者など怪我人が大勢いる。
(もう回復できないと見たのか、あまりの重傷者を回復させている余裕や魔力はないと)
回復魔法を使えるものが多いとされるローゼンヘイムにおいて重傷者、負傷者が多いのは、それだけ前線の状況の壮絶さを物語っているような気がする。
あまりに生々しい戦場の様子にショックを受けるアレンの仲間達。
そのまま、街の中央にある大きな木造の建物の前で馬車が停まる。
ソフィーが馬車から降りると、辺りがざわざわとし始める。王女の帰還に街の人達が気付いたようだ。
中には手を合わせ拝み始めるものもいる。次期女王と言われるソフィーの存在の大きさを知る。
「さあ、アレン様、こちらです。フォルマール、長老たちはどこにいるのですか?」
「は、直ぐに調べてまいります」
ソフィーが街の惨状を知りながらも、気丈にフォルマールに指示を出す。時間がないという認識をソフィーも共有しているようだ。
すぐにフォルマールが戻ってくる。
案内しますと先導され、建物の奥にアレン達も入って行く。
こちらですと開かれた扉の奥には、12人のよぼよぼのエルフが座っている。
「おお、ソフィアローネ様。よくぞお帰りになられました」
大きな会議室のような場所に通されると、よぼよぼのエルフの1人が歓喜の声を上げる。
しかし、ソフィーは広い会議室を見渡し、
「女王陛下はどこですか?」
「え?」
「どちらに居られるのですか?」
「も、申し訳ございません。我らも退避をお願いしたのですが」
「では、やはり前線に居られるのですね?」
「は、はい」
すると、ソフィーはこの状況に激怒する。
「じょ、女王陛下無くして、何故おめおめとここにいるのですか!!!」
よぼよぼのエルフ達がその言葉の剣幕の激しさに震え上がる。
「も、申し訳ございません。ソフィアローネ様」
(女王がいないのに、長老会だけが避難していることに怒っているのかな?)
エルフの国は女王がいるが議会制だ。国家の運営に関わることは12人からなる長老会で決めているが、女王はそこで決められた事項への拒否権を持っている。
女王がいない中、ここに1人も欠けることなく長老がいることにソフィーが激怒してしまった。長老と呼ばれるエルフの1人が必死にソフィーを宥める。
「それで、女王陛下はどうされたのですか?」
「女王陛下は現在、ティアモの街にとどまって戦っておられます」
(ティアモは聞いたことあるぞ。かなり大きな街の1つだな。そこが最前線なのか?)
授業で習った、ここネストより北部にある大きな街の1つであることを思い出す。
位置的にローゼンヘイムの北部から7割を占領されたなら、そこが最前線なのは分からないでもない。
「やはり、まだご無事なのですね」
「あ・・・そうですね」
長老のエルフが言葉を濁す。
「どうしたのですか? 答えなさい」
「戦況でいえば、ティアモはもって数日です」
長老達は無念の表情で答える。現在の最前線の要所は数日で陥落するという。
ここには長老会のエルフ以外にも高位の軍人、将軍と思われるエルフ達がいる。
大きなテーブルには地図が広げられており、攻め滅ぼされそうなこの状況をどうすべきか話し合っていたようだ。
ソフィーは、鎧を身に纏った将軍と思われるエルフに、数日で陥落するというのは本当かと目を向ける。
負傷した将軍のエルフは、目をつぶり頭を下げる。
(この将校も大怪我を負って避難しているのか。さて、時間もなさそうだし、ソフィーも好きにしていいって言ってたな。部外者だが呼ばれたことだし、割って入るぞ)
「ここにいるのは、戦火を逃れた避難民と、戦場から撤退した負傷兵だけということですね。そして、最前線の街はあと数日で陥落し、その街にいる女王の身が危ないと」
アレンは会話の内容と鳥Eの召喚獣により確認した街の状況をまとめる。
「「「え?」」」」
横で傍観していたアレンが言葉を発したので、皆がアレンを見る。
「こ、この方はもしや」
「そうです。精霊王様が予言した救世主様です。ローゼンヘイムのために来ていただきました」
ソフィーが、アレンが会話に入ったことでやっと落ち着いたようだ。
アレンに申し訳ありませんと頭を軽く下げてしまうので、首を振り問題ないと態度で示す。
「こんな少年が、精霊王様の……」
片腕を失った将軍が訝し気にアレンを見る。
アレンの見た目は決して強そうには見えない。
アレン達は、侵攻の進んだローゼンヘイムの街ネストに到着した。
待ち受けていたのは万単位の負傷兵に、戦えない避難民だった。
(さて、状況は分かったから、優先順位を立てて行動に移さないとな)
「アレンといいます」
アレンは当たり前のように、傷ついた将軍とよぼよぼのエルフ達に名乗ったのであった。





