はじめまして
2
「お前は汚くて醜い。悪い、悪い子だ。」
男の声…?
「誰?」
私は寒気がした。
「自分の醜さがお前には分からないのか?」
「……」
「今に分かる。」
電話が切れた。ひどく動機がした。少し苛立ちもした。母親からの着信に出たはずだったのに、声の主は全くの別人で、醜いだなんて罵倒されて、平静でいられる人間がいるだろうか。私はこわくなって、しばらくの間、ずっと自分の手のひらを見つめていた。
「おい。」
顔を上げると、父親が立っていた。
「ああ。」
私は一瞬何のことかさっぱり分からなくなったけれど、父親の顔を見て色々と思い出した。
「母さんが何回電話しても、お前、でないから、心配したよ。時計見てみろ、もう11時超えてる。帰ろう。」
「うん。」
携帯の時計を見てから、夜はもう11時を超えていることを確認し、その後に着信履歴を見た。履歴1、お母さん。おかしい。奇妙なことが起きてしまった。何回電話をしても応答が無い娘。心配する母。心当たりのある場所を探し回り、娘を迎えにいく父。不思議な電話に震える私。父親の車の中でぼーっとした。雨が降っていた。ワイパーでかき分けられ、規則的に落ちていく雨水を見て、途方も無いいくつもの何故を頭に巡らせた。
何故?
何故ここにいなくてはならないの?
何故?
何故家に向かうの?
何故?
何故甘えは消えないの?
何故?
何故自分の醜さが私には分からないの?
分からないということが醜さなの?
家に帰ると母親がパジャマを着て、ソファで居眠りをしていた。
「ただいま。」
母はゆっくりと目を開けた。
「ああ、おかえり。心配してたのよ。何回電話しても出ないから、家出でもしちゃったのかと思った。」
「うん。」
私は、私と歳が同じ女の子たちや男の子たちと同じように、うんざりせずにはいられない途方も無く長い思春期を迎えていた。あまり家族とは口をきかないようになっていた。話しかけられれば答える。質問にもできる限り答える。だけれどそれ以上も、それ以下も無かった。感謝はもちろんしていたけれど、それを言葉にして伝えるようなことはできなかった。母や父もそんな私のことを分かって、干渉的でない、シンプルな愛を注いでくれていた。許しという形で。
その日はお風呂に入って、いろいろな面倒くさいことを終わらせてから、すぐに眠ってしまった。私は疲れていた。まだ動悸はしていたけれど、していないと思い込むことにした。そうしたらだんだん気が遠のいてきて、私はいつもの夢の世界に戻った。私の本当の住処は夢の中の世界だ。あの頃の私はそう思いこむことで、全てのバランスを保っていた。
3
次の朝、夢から目を覚ますと、近くで蝉が鳴いていた。少し開けておいたカーテンの隙間から、控えめに、遠慮しがちに、優しい黄色い光が部屋に差し込んでいた。動きたくない。頬へ軽くさがり、鼻にかかった自分の髪の毛の匂いを嗅ぐと、シャンプーのいい匂いがして、私は気持ちが良くなった。だけれど、身体は重く、昨日の疲れはまったくとれていないようだった。天井に向かって大きなため息を吐きだした。
ガチャ。部屋のドアが開いた。
「なあ、ドライヤーどこ?」
シャワーを浴びたのか、髪が濡れて、小さい子犬のようになった弟が私に言った。小さい子犬といっても身長は165㎝くらいはあった。私の背を優にこす高さだ。いつの間にか、いつの間にかがどんどん重なっていく。そうやって気づいたときには、いろんなことが変わっているんだ。
「知らない、自分で探せ。」
「うぜぇ。」
弟は軽蔑するような目を私に向けて、部屋から出ていった。ああ、かわいい弟よ。たくましく生きてゆけ。
時計の針は7時30分を指していた。




