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3、伊吹の容認、菫の我が儘



十四歳になった。この頃にはお付きの退魔師も一人か二人の上、私と伊吹が退魔の主体を担うようになっていた。


 また、国営退魔組織の退魔行や模擬演習に出されるようにもなった。組織にもいくつかあるが、田口家と関係の深い“日之本”の演習とかにはよく顔を出している。


 そこで本物の天才に会った。


 対人模擬演習というのがあって、私は伊吹とタッグを組んで並み居る退魔師たちを打ち倒していた。中学生から高校生が参加する事の出来る模擬演習で、有力な退魔師の家系の嫡子たちが傍流の子を引き連れたチームを編成して参加する中私たちはそこそこ上手く立ちまわれていた。


 まず、日本で一般的な術式で使われる索敵術式は妨害法も確立されているけれど、私の【千里眼】を妨害するには野戦で使うような妨害術式だと力不足なので私たちは一方的に相手の位置を知る事が出来たのに相手はこちらの妨害術式で位置を把握出来ない。


 次に、伊吹の使うハリソン魔法は最近出来た術式で、歴史ある退魔師たちは古来より使われた術式を多用するため意表を付けた。


 第三に単純な魔力量で優位に立っていた。特に田口家は魔力量が少ない家系と思われていたのに、伊吹は他の田口家一族の人たちの十倍は大きな魔力があった。そして私は伊吹の二倍の魔力量なのだ。


 国際魔法技術振興推進機関の定義によれば今の伊吹が九千八百、私が二万六百ってところ。ちなみに一ウェストは原基魔術式に充填可能な魔力量になっている。だから量は考慮されてても、質が考慮されてないんだよね。


 それはともかく、伊吹の魔力量だって歴史ある退魔師の家系、それも本家でも五十年に一人の人材に匹敵する。いくら年長の高校生が相手で人数がこっちの倍いても、私一人で他家の四人分の魔力量で伊吹が二人分になるのだから、魔法の撃ち合いだと互角になるのだ。


 その演習があるという事でその日は遠出をして演習場に出掛けていたのだけれど、一人でこの模擬演習に参加した男の子がいた。彼は速水光といい、田口家よりも歴史が短く何と彼のお父様の代から退魔師になったのだという。


「一人だと厳しくないか」

「そうですよ、一緒に戦いませんか」

「ありがとう。でも、大丈夫」


 演習前に誘いを掛けてみたけれど、男の子か疑問に思える中性的な綺麗な顔立ちで微笑んで演習場の何処かへと去ってしまった。


「大丈夫って正気かな? 一人だけなのに」

「うちの曾祖父様のような凄まじい異能持ちかもしれない。油断はしないでいこう」


 伊吹の曾祖父様って見た物は何でも【物質創造】出来て、しかも消費した魔力は後から消費すればいいって奴だっけか。伊吹の場合、いくら魔力の後払いが出来ても拳銃一丁ぽっちだからあんまり旨味ない能力になっちゃってるよね。


「そーだね」


 頭の中で伊吹に失礼な事考えてたのはお首に出さず、私は従順に頷いておいた。


 今回の演習場は狭い上に隠れる場所は凸凹した地形の起伏程度だ。その一キロ四方の演習場で私たち含め六つの集団(一つは個人だけど)が模擬戦闘を行う。死傷者は出せないので、一定の限度はあるけど結構派手に魔法を撃ち放つ人も多い。


 今日は伊吹と相談した結果、隠密重視の戦闘を試してみる事にした。道具の使用は非殺傷のみと制限されているけれど、隠密符を使っちゃいけないとは言われていない。


 まっ、私が独自にアレンジした二種の新型隠密符を試したいだけなんだけどね。


一つは移動用隠密符として作った物。再使用可能で捜索系術式を受けても本人より数メートル左に虚像があると錯覚させる。勿論、虚像を確認された時点で再度同一人物から同一術式を浴びたら露見するし、準備に時間の掛かる大掛かりな捜索術式だと虚像に騙される事すらないだろうけど。まあ再利用可能なリーズナブルな符だし性能には限界がある。


 もう一つは完全隠匿符として作った。再使用出来ないし使うとその場から動く事も出来ないけれど、その代わり携行可能な符としてメイドイン私の中での最高性能を目指した。


 演習開始のラッパの音が響いた瞬間、伊吹が煙幕符に魔力を通して対光学対魔力の目くらましを展開。その隙に移動用隠密符を使う。移動用隠密符は予め同調設定を行っておけば、使ってる人同士は見えるようなる。これも密かによく出来てる点と自負してる点。


 一キロ四方は広いように見えてそんなでもない。【身体強化】した足なら、数分で隅から隅まで駆け抜けられるし、ここには障害物はないのだ。全速力で動き回れるだろう。


 演習は経験を積むためやるのであって勝つのは二義的な価値しかないけれど、今回の隠密性の実証にはなるべく長く生き残る必要がある。


 といっても、正面から堂々と戦う目的で参加した人たちだっているのだ。そういう人たちは私たちを発見して腕試しをしたくて仕方ない事だろう。


 現に退魔師四人組が十数メートル先の窪地に隠れてこっちの様子を伺ってたもんね。だから煙幕張ってから隠密符を使い、場所を移動しないと駄目なのだ。いくら隠れてても面制圧されては敵わない。


「へへへ。あの四人組私たちがいきなり消えてびっくりしてるよ」

「どうする。奇襲するか?」

「ううん。性能知りたいし、残りの退魔師たちのところにも行ってみよう。あの人たちの探知能力がヘボなだけかもだし」


 こうして私たちは他の退魔師を目指して移動を始めた。そんなに広くないから、次の集団はすぐに見つかる。


 退魔師三人組で、演習相手を探して周囲を索敵中らしい。さあて、こっちに気がつくかな? と、思ったらいきなり倒れた。


「どうしたんだろう」

「あいつだ」


 伊吹が焦ってる?


「あそこにいる。見つからなければいいが」


 あれってさっきの速水って人じゃん。でも、倒れた人たちから何十メートルも離れてるよ。


「一瞬であそこに移動したんだよ。本気を出さずにあの速さでは、正攻法で勝ち目はないぞ」

「え、伊吹は見えたの」

「僅かにだがな」


 伊吹よりずっと速いって訳ね。もし今日隠密符使ってなかったらどうなっていたのかな。


「まずい! 完全隠匿符を使え!」

「え、う、うん!」


 私が完全隠匿符を懐から出し、発動させた瞬間。速水光が私たちの目の前に移動してきた。う、うわ。本当に速いや。目の端で常に捉えてたのにこっちに来た挙動すら分からなかったよ。あそこからここまで二百メートルはあったのに、まるで瞬間移動みたい。


 完全隠匿符は一枚しかなく、伊吹と身を寄せて使うしかない。移動用隠密符は使用していても符が赤く変色するだけなのだけれど、隠匿符を使うと符に触っている人へ半透明半球状の結界を形成する。この結界が狭いので私たちは身を寄せ合って隠れている。


目で見る事も、魔力で探知する事だって出来ないはず。それなのに、速水光は何かを探るかのように頭をキョロキョロ動かしている。


「気のせいだったかな」


 辺りに目を配っていた速水光だけれど、やっと納得がいったのか何処かへと消えてしまった。


 時間にして十秒もなかったと思う。それなのに、私は蛇に睨まれた蛙のように体が震えてしまっていた。あの人……あの人は桁違いだ。


「大丈夫か?」


 震える手に伊吹の手が重ねられる。それで何となく安心したような気持ちに満たされたけれど、実質何の解決も出来てない。そもそも戦える相手には見えないよ。


「は……はは。あの人凄かったね」

「凄いなんて枠に収まるかどうか。あれは、あれに勝てる人間がいるかどうか……一人で戦うような相手じゃないな」


 伊吹も同じ思いを抱いていたようだ。そう言えば、手が重ねられた時伊吹もちょっと震えていたような気がする。やっぱりあれは異常だよね。


「あれだけの相手の目を誤魔化せたんだ。完全隠匿符の効果はお墨付きだな」

「あ、そっか」


 あの人、魔法の一つも使わないでこっちに気付いていた。感覚で魔力を感じ取れたんだ。そんな超感覚者相手でも私の符は効果があるんだ。


「えへへっ。じゃあ今日は私のお手柄だねっ!」

「そうだな。自分は合図を出した程度だからな」


 それから私たちを何をするでもなくただ手を取り合い身を寄せ合って辺りを警戒していた。私も伊吹も、速水光への警戒心を解けなかった。


 製作者の私から見て、この隠匿符の出来はお父様のそれに負けていない。でも、あの人相手に二度目が通用すると自信を持つ事が出来ない。


 じきにあの人は私たち以外の退魔師を戦闘不能にするだろう。その後、捜索に全力を尽くしたあの人から逃れられると思えない。


「打って出ようよ。このままじゃ隠れて見つかって終わりだよ。そんなの情けないよ」

「あれ相手だと、一矢報いるのが精一杯だな」

「それでもいい。やろうよ」

「……よし。考えがある」


 伊吹の作戦はこうだ。速水光はこの場に疑念を持っていたので、もう一度訪れる。そこを攻撃するしかない。




 案の定、五分を少し超えた頃に速水光は戻ってきた。距離は三十メートル。


「伊吹」

「やるか」


 繋いでいた手を離し、伊吹は速水光の方を向き、私は移動用隠密符を一人発動させる。


「発射!」


 完全隠匿符の中からハリソン魔法コード3197【電子砲】を伊吹が放つ。亜光速の一撃、威力も十メートルのコンクリートを撃ちぬいてしまう程。しかも、隠匿符のおかげで察知されていない。


 だけど、戦果を確認せず私たちは動き出す。伊吹は着弾したであろう地点へ【身体強化】して駆け、私も移動用隠密符を使用しながら【身体強化】し走る。


「今の奇襲、危なかったよ」

「その割には余裕だな」


 駄目だったか。でも、それは想定通り。伊吹が格闘戦に持ち込み、時間を稼ぐ。


「体術は相当なものだね。だけど【身体強化】の修行を怠っているのかな」

「それは魔力任せの魔力馬鹿だと自己紹介しているのか?」

「ははっ、きっついなあ。でも挑発したって無駄だよ。もう一人の仲間のための時間稼ぎだろうけど、見えてる。後ろだ!」


 やった! 虚像に引っ掛かった! えい! 私は振り返った速水光の頬に指を突き立てた。


「えっと? 何?」


 突き立てた指を見て、戸惑っているらしい。ふうん、凄く強いけど人間味はあるようだ。


「降参だ。だが、一発は体に当ててやった」

「いえーい!」


 ハイタッチ! 私たちは満足した。速水光はどうかな。怒ったりしないかな。


「ははっ。仲がいいんだね。俺は速水光。君たちは?」


 よかった。呆気に取られていた表情は無邪気な笑みに変わった。


「私は遠見菫。こっちは田口伊吹だよ……ですよ」

「いいよいいよタメ口で」

「むしろ敬語を使ってもいいぞ。菫は中学二年で自分は一年。確か、速水も中一だったな」

「あ! 年上だったんですか!」

「もう、それはお互いなしでいいでしょ!」


 しばらく会話していると、何か仲良くなってしまった。特に伊吹とは意気投合している。


「実は囮があるって分かってたんだけどね。囮の作り方が上手いせいで本物の菫さんを囮って判断しちゃったんだよね。自信満々に囮を背に置いて指で突かれてちゃ、俺ザマアないなあ」

「あれは菫の自信作だったからな、騙されても仕方ないさ。普通なら魔術式でも使わないと気付くことすらないだろう。確か、一ヶ月掛けて作ったんだったな」

「そーだよ。あれ作るの大変だったんだから! 効果は抜群だったけどね!」


 歩いているうちに演習終了後の合流地点に到着する。ここでは大人の裁定官が演習結果を元に判断を下し、戦術の善し悪しを語ってくれるのだ。


 体育祭で使うようなテントが広げられパイプ椅子が整然と並んでいて、そこでは十数人の男女が先に着いて私たちの到着待ちをしていた。


 ただ、いつもの背にナイフを隠し持ちながら笑顔で会話する雰囲気じゃない。私たち、というよりは速水光へ露骨な嫌悪の目線が向けられている。


「速水か」

「新参のくせに身の程知らずが」


 そんな言葉がそこかしこから漏れ聞こえてくる。私たちの帰りを待っていてくれた和代様も居心地が悪そうだ。


「俺、あっちの席に座るよ。じゃあな」

「待て。せっかく会ったんだ」


 速水が弱々しく笑って去ろうとしたのを止めたのは伊吹だった。


「でもさ……」

「気にするな。田口家だって大した歴史なんてない」


 歴史はなくても田口家の勢力は巨大だ。遠見家の分家扱いされてるけどね。それはそれとして、遠見家と田口家を相手にするなら東日本を敵にしかねない。


 伊吹の一言で悪口の類は鳴りを潜めた。険悪な視線まではどうしようもなかったけれど、いくら旧家でも田口家に悪感情を持たれると退魔師界で居づらくなるからね。


 解散後、一人で十キロ離れた駅から帰ろうとしていた速水を車に乗せてあげる。


「何か色々ありがとうな」

「気にしないでいいよ! ね?」

「ああ、それにしても速水ほどの力が注目を浴びない訳がないのだが。今まで何をしていたんだ?」

「実は今までは親父と一緒に退魔業やってたんだけど、退魔師なんて周りにいないから世間を見たくて親父に無理言って今日の演習に参加させてもらったんだ」


 散々な結果だったけどねと苦笑する速水。


「失敗したなあ……手加減するようには言われてたんだけど」


 悪口言っていた人たちの気持ち、ちょっと分かるかもしれない。他家の子も幼い頃から遊ぶ暇も惜しんで頑張って今の力を手に入れたのに、それをあっさりと打ち破ってしまうんだから。


 私たちは運が良かっただけなんだと実感する。


 その後連絡先を交換したり学校生活について話しあったりしながら速水を駅まで送り届けた後、私たちは近所のホテルで一泊する事になる。


「んー、うちの洋館より狭いね―」

「そうだな。でも自分は和室でしか過ごした事ないから新鮮だな」

「ああ、田口家和室ばっかだもんね」


 借りた部屋は寝室と居間に分かれていて寝室にはベッドに二人がけのソファと42型テレビ、居間にはソファ三脚と机、テレビ、観葉植物が置いてある。浴室は寝室から入れるようになっていて、シャワーと浴室が別で更衣室も付いている。私の部屋より狭いのに、伊吹と和代様も同室だから余計に狭苦しい。


「それに、ベッドが一人分しかない!」

「私は警護役ですので、ソファで十分です」

「自分も今回は護衛兼役だから和代さんと交代で寝る」

「えー! それじゃ申し訳なくて私が寝れないよ! このベッド大きいし一緒に寝よう?」

「そう言われましても、遠見家のご息女と同衾は流石に……」

「無茶言ってやるなよ。和代さんが迷惑するだろ」

「ソファで寝たら首痛くするよ? 風邪引くかも!」


 何で二人共ため息付くのさ。


「こっちは遠見家の一人娘を預かっている身なんだ。丁重に扱わないとお小言を貰うのは和代さんだ」

「どうか私たちの事はお気になさらず」


 おかしいよ。私の方が伊吹より年上なのに、護衛される? 逆でしょ! 私が守る立場だったじゃん!


「は?」

「え、何意外そうな顔してるの伊吹。私お姉さんなんだよ?」

「確かにそうだが、戦闘面に限れば自分の方が上だろう。大人しくベッドを使え」

「それを言うなら【千里眼】使える私なら侵入者もいち早く察知出来るんだから護衛向きだよね!」

「分かった分かった。それよりシャワーで汗を流した後、夕食にしよう。予約は入れているんですよね?」

「ええ、ここのレストランに予約済みです」

「ちょ、ちょっと!」


 バックパックを持って別の部屋へ向かう伊吹を止めようとする私の手は、和代様に抑えられてしまった。


「殿方の湯浴みを邪魔するものではありませんよ」


 別に見ようとなんかしてないよ!




 ホテルのレストランで食事の最中、和代様が携帯を手に席を抜けた後申し訳無さそうな顔をして伊吹へ話しかけて来た。


「伊吹。ちょっと来てくれないか」

「分かりました」


 しばらくして戻ってきたのは伊吹一人だけ。


「あれ? 和代様は?」

「急に用が出来たとの事だ」

「ふうん、どんな用事なの」

「それは部屋に戻ったら話すよ」


 あまり口外出来ない話って訳ね。退魔師関連なのかな。和代様の事が気がかりで、さっきまで美味しかった食事もすぐに済ませてしまいたくなる。


 コックさんには悪いけれど出された料理を手早く食べ終え、ホテルの最上階にある部屋へ戻る。


「それで、どういう事情なの?」

「和代さんの友人が厄介事に巻き込まれてしまったらしい。そして、この事は誰かに話が漏れてはまずいようだ」

「厄介事って?」


 命に関わるような危険が待っているのかな。だとしたら、下手に隠し事にしていてもいいのだろうか。


「心配するような話じゃない。田口家の名を持つ和代様にちょっと顔を出して欲しいというだけの事だ。いてくれると交渉で有利になるらしい」


 ふうん、あんまり深刻そうなお話には聞こえないね。田口家の威光を借りたいって訳なのかな? お仕事の契約とかなのと私が聞くと、伊吹は黙って似たようなものだと頷いた。


「友人なんだが、ここで契約を取り逃すと今後の生活に関わるとの事だ。だが和代さんが菫の護衛を抜けだした事が露見しても責任問題になる。この事は自分との秘密にしてくれないか」


 お世話になっている和代様が困っている。そして私が黙っていればお咎めはない。


「うん! 私も秘密にしておくよ!」


 えへへ、それはそうとこれは遊ぶチャンスなんじゃないの伊吹! ああ、もう何年も遊んだ記憶がないなあ。今日は楽しくなりそうだね!


「よかった。それじゃ自分は居間にいるから、何か用事があれば呼んでくれ」

「え……」


 私の返事を聞かずに伊吹は扉を閉めて私を寝室に置いていった。


 は? ちょっと伊吹? せっかく二人きりになれたのに何もなし? 信じられない! ドレスコートを着ているし、こうなったら……。


「伊吹! 今からデートだよ!」


 寝室の扉をバーンと開けて、伊吹に堂々と宣言してやる。


「は?」


 うん、伊吹もレストランから戻ってきたばかりなのでジャケットを羽織っている。私もまだお父様に買って頂いたワンピースでお洒落してる。このまま出掛けて大丈夫だ。


「さ、行こう?」

「馬鹿を言うな、ただでさえ護衛が半端者一人しかいない。外になんか出れないよ」


 ケチだな。伊吹は外に興味がないのかな。


「ちょっと夜風に当たるだけでも駄目? まだ七時前だよ? このままホテルに缶詰なんてつまらないよ」


 ソファーに座る伊吹の首へ後ろから腕を回す。うんと言ってくれないとこのままぶら下がっちゃうぞー。首が大変な事になるぞー!


「……ちょっとの約束を破るなよ?」


 私がこれからやる事はもう今の体勢から薄々察しが付いているであろう伊吹は割りとすんなりオッケーしてくれる。


「やったー! ありがとう伊吹!」

「ははは……」


 ホテルが大きな駅間近に建っていた事もあり、外は物凄いたくさんの人がいた。ゴールデンウィークも影響してるのかな? 視界の範囲内だけで何百人も歩いているなんて信じられない。村だと暗くなってから車で外を見ると人なんて全然いないのに。


それに夜なのに明るい。人工の灯りがそこかしこで光り輝いていて眠らない街といった感じ。人工の灯りと言っても外灯がたくさんあるんじゃない。お店やイルミネーション、ネオンの光だけで眩しすぎるくらいに明るい。


「うわー、何かワクワクするね!」


 修学旅行も大人の人が常に離れなかったから、伊吹と二人っきりだと何か束縛から解放されたような気分になる。心が浮き立って自然とスキップしてしまう。


「ここらへんを歩くだけだぞ。あまり遠出はなしだ」

「うん、分かってるよ! まず駅のデパート見てみようよ!」


 デパートの中は学校の何倍も広くて多種多様な商品が並んでいる。百円均一で何でも売っている店もあれば、何万円とする装飾品と幅が広い。


「こんなに一杯物が並んでるのって、何か圧倒されちゃうね」

「ああ、人も商品も物凄い数だな」


 何かを買うよりもデパート全部を見て回ってやろうと案内板を覗くと、物を買うだけじゃなくて、映画鑑賞もゲームで遊ぶことも出来る施設まで入っている。ゲームセンターって、どんな施設なのだろう。日本ではカジノって禁止されているよね?


 行ってみると、とても騒々しい。騒々しいけれど不思議な機械がたくさん並んでいて、遊んでいる人たちはみんな楽しそうだ。一体何をしているんだろう。


「面白そう! やってみようよ!」

「残念だが時間切れだ。さ、帰るぞ」


 そう言って腕時計を私に見せつける伊吹。その針は確かに九時を指し示していた。いつのまにか二時間も経過していたんだ。


「ええー、残念だなあ。でも、約束だもんね」


 私たちが何かに巻き込まれでもしたら、和代様の立場がないもんね。


「だけどさ。お菓子とか買ってくくらいはいいよね」


 私がニヤリと悪っぽく笑ってみせると、伊吹も釣られて微かに微笑む。


「ああ、コンビニだったか? そこに寄ってみるか」

「ようし、行こう!」


 コンビニに入ると見たことのないお菓子がたくさんあったので手当たり次第にプラスチック製の籠へ放り込み、これまたプラスチックで出来た薄い袋へ詰め込んでもらいホテルへと持ち込む。何だか伊吹に誘導されてチョコレート菓子ばかり買わされたような……?



「じゃがいもを薄切りにしたお菓子にスティック状にしたお菓子。どれもこれもコマーシャルでは見てたけれど食べるのは初めてだね」


 味付けが濃くて油っこい。うーん、正直期待外れ。長年ずっと食べられないか期待し続けてたから、期待値を上げ過ぎてしまったかもしれない。あ……でも、手が、手が止まらない。あまり美味しくはない。でも口から味が消えるのが口惜しい。不思議―、喉も乾いてきた。コーラ飲んじゃおっと。


「へえ」

「ちょっと伊吹! そのチョコ全部食べたの!?」

「ん? あっ、悪い。うっかりしてた」


 私がスナック菓子を多種少量ずつ味比べしている合間に伊吹は多種多量のチョコレート菓子を空にしてしまっていた。


「信じられない! 何箱食べたの?」

「まだ五箱だが」


 食べ過ぎ! こういうお菓子って体によくないんでしょ……伊吹お腹壊さないよね? ちょっと不安になってきた。


「食べるのやめやめ! テレビでも見てみよう? あ、トランプとオセロと将棋と囲碁などなども取り揃えてますよ!」

「よくそんな詰め込めたな」

「じゃーん! さっきコンビニで見つけたの!」


 何と両手を合わせたサイズのプラスチックケースにオセロと将棋と囲碁とか色んな駒とそれぞれの紙製盤が入っていて、ケースの上に紙製盤を置いて遊べる優れもの。


「へええ、駒が指より小さいな。お、磁石を組み込んで簡単にずれないようにしてあるのか」

「凄いよね。これに比べたら私の家にある無駄にでっかい将棋盤が霞んで見えちゃうよ」


 やっぱり時代は小型化だよね。ただこの小さな将棋の駒だと気持よく音を立てられないから一長一短だ。




「ふああ……もう十一時だね」

「もう寝た方がいい。眠そうだ」


 唐突に眠気が襲ってきたのでどれだけ時間が経ったのかと思い壁時計を見ると、ホテルに戻ってから二時間が経過していた。


おかしいなあ、普段は十二時まで起きていても全然平気なのに。はしゃぎ過ぎちゃったかな。


「自分は居間に行くよ。この部屋でゆっくり眠るといい」

「待って」


 こんな機会滅多になかったのに、伊吹は何でもないように終わらせようとする。


「伊吹、こうしているのって長い事なかったよね」

「そうだな、三歳くらい以来……十年以上も一日一、二時間しか二人きりになれる機会がなかったな」

「うん。貴重だよね」

「こんな菓子類を食べたのなんて初めてだな」

「うん。楽しかったね」

「今回はたまたま人が出払っていて和代さんしか付いてこなかったが、次からはこうはいかないだろうな」

「うん。もうないよね」

「おやすみ。また明日だ」


 だからもっと長く一緒にいよう。そんな私の気持ちを知っているだろうに、散らかしたお菓子もおもちゃも綺麗に片付けた伊吹は寝室から出て行った。


「はあ……おやすみなさい」

「きっと、また機会はあるさ」


 扉越しに伊吹の声が聞こえた。



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