暗闇で蠢くもの
十月二十八日(月) PM4:30
渋谷の中にあるネットカフェ「あるふぁ」。
長時間の滞在でも格安で済む上、ドリンクバーや軽食、パソコンと様々なサービスをしている
この場所には、様々な理由を抱えた人間が足を運んでくる。
午前0時を過ぎたとしても、その客足は途絶えることを知らない。
深夜だからと言って、決して楽な仕事ではない。
こんな時間でも、いつものように自動ドアが音を立てて開いた。
アルバイトの店員は、入ってきた相手を見ることもなく、扉が開くのを合図に「いらっしゃい」
と声をあげた。
「あの、すいません」
「あーはいはい、どのタイプの部屋がよろしいでしょうか。只今のお時間なら、どのタイプも
開いてますが--。」
「ああいや、そうじゃなくて」
「…はい?」
幾度と無く繰り返してきたマニュアル通りのやりとりを、今日初めて遮られたことにより、
アルバイト店員は初めて相手の姿を見た。
意外なことに、疲れた様子のサラリーマンか何かだと思っていた相手は、
ネズミ色の作業服を身に纏っており、さらに意外なことに二人組だった。
その様子から、どうやらサービスを受けに来たという訳では無さそうだ。
「いやぁ、ここの店長にPCのメンテナンスを頼まれていまして。」
「ああ、そうなんですか」
ふと、こんな早朝にPCのメンテナンスなんてするものなのかと考えたが、自分は所詮アルバイトだ。
店長から任せられたと言っているのだから、自分が下手に考える必要もないだろう。
何も口出しせず、全て任せてしまえばいいのだ。そう思い、とりあえず話を合わせることにした。
「えっと、すいません。店の奥入らせてもらいますね」
「ああ、どうぞー」
言うが早いか、二人組の一人が店の奥へと進んで行く。
もう一人の男は、何やら分厚いマニュアル本のような物をアルバイトの店員に見せながら
二人でスタッフルームの奥へと進んでいった。
店の奥へと進む男は、ゆっくりと、まるで自分の気配を誰にも悟らせないように歩く。
半分くらい歩いた所で、静かにポケットの中から何かを取り出した。
それは薄暗い店内でもはっきりと分かるほど黒光りしていて、先端と思わしき部分に張り付いている
銀色の金具は、危なげにぎらついている。
スタンガン。
パソコンのメンテナンスとは、あまりにもかけ離れた凶器を手にした男の足取りに一切の迷いもなく。
目的の部屋の前まで辿り着くと、無遠慮にドアを開いた。
だが、そんな張り詰めた空気は一瞬にして緩んだ。
目的の人物がいると想定していた部屋は、単なる空き部屋でしかなかったからだ。
情報が間違っていたのだろうか。
--いや、違う。個室に着く前に消えたのだ。
その証拠に、机の上に置かれているコーヒーカップはまだ暖かみを残している。
確かにこの部屋に、先程まで何者かが居た。
そして、その何者かは恐らく、目的の人物だ。
逃げられた。
そう男は悟ると、手にしている黒光りするそれをポケットにしまい込み、片耳にはめてある
イヤーセットをとんとん、とんとんと規則的に叩いた。
その信号は、スタッフルームの奥へとアルバイト店員と共に消えたもう一人の男へと発信されていた。
「ああ、メンテナンスが終わったようなので私たちはこれで。今後ともご贔屓に。」
信号を読み取ったもう一人の作業服の男は、アルバイトにそう言うと
帽子を取り律儀に一礼して、店を後にした。
*******
「おはよー」
その言葉の主が誰なのかと気になって、机に預けていた頭をあげた。
僕の視界の先にいたのは、夏河。大方予想はついていたけれど。
軽い挨拶とともに、彼女は僕の隣に座る。
朝から絶好調と言った様子の夏河とは真逆の調子の僕は、彼女が座るのを見届けると、
軽く「んー」とだけ答えて、再び机の上に突っ伏して瞼を閉じる。
「なんかダルそうだね。徹夜でしょー。ゲーム?それともブログ?」
「んー」
夏河が話しかけてくるも、僕は答える気力すら沸かず、今度は突っ伏したまま適当な返事だけを返す。
疲れているというのももちろんだが、僕の頭はあるコトで一杯で、それどころではなかった。
「元警察」。
彼は一体何者なんだろうか。
昨日見たあの映像は。目的は。
家を出て、学校に着くまで、そして、こうして教室で突っ伏すまでの間に考えたことはそればかりだった。
忘れようと思っても、頭に焼きついた疑問の数々は、しつこく僕に付きまとう。
興味もないような曲のフレーズが延々と頭のどこかで鳴り響いている時のような感覚。
それに僕は少し苛立ちを覚え始めている。
昨晩のこと。
あれから僕は、「元警察」に、更に詳しく話を聞こうとした。
僕の理解力をとっくに超えていて、マジックの種明かしだけが先送りになっているような
もどかしさや歯がゆさばかりが募っていく中、「元警察」は、突然黙り込んだかと思えば、
何も言わずにチャットルームからログアウトして姿を消してしまったのだ。
僕は彼が再び現れることを信じて待っていたが、結局それ以降チャットルームにも、
νちゃんにも現れることはなく、気がつけば朝の7時。
つまり僕は一睡もせず彼を待っていたのだ。身体がだるいのも当たり前のことだった。
昨日の動画。突然のログアウト。νちゃんねるに書き込まれる怪文章。
盛大なイタズラか?それにしては、少々手間がかかりすぎてはいないか?
じゃあ、あれは真実だと言うのか?まるで出来の悪いオカルト話じゃないか。
「元警察」は僕をからかっている可能性だってある。
彼はどこかで騙されている僕の様子を見て、笑っているんじゃないか?
もしくは本当に狂人の類で、僕を自分の妄想に引きこもうとしている?
「こらー、ぼーっとしない!」
「!?・・・痛たたたたッ!」
不意に頬に痛みが走った。
夏河が、不機嫌そうに僕の頬を抓っていた。
「ふふふ。目が覚めた?」
「うん…おかげ様で…。」
「素直でよろしい」
ふふふ、と満足そうに笑った。
文句のひとつでも言ってやろうかと思っていたが、僕は夏河のそんな様子を見て許してしまう。
夏河のマイペースさのおかげか、僕の思考は少し落ち着きを取り戻していた。
「昨日は残念だったよねー。結局幽霊は出てこなかったし。…まぁでも、七不思議なんてそんなもの
だよね…あれは八不思議だけど。」
「なっちゃんはどうなの?本当に幽霊見たいの?」
「そりゃあ当然。本物って一体どんなカンジなのか会って確かめてみたいじゃない。
ホラーの幽霊って人間を襲って呪い殺すけど、現実の幽霊ってどうなんだろうってね」
「よく言うよ…。実際出たらきゃーきゃー悲鳴を上げて驚いて逃げて行くでしょ。それか、僕を盾にしたりとか。」
ふと、昨日の高架下で見た”何か”を思い出す。結局、僕が見たあれは見間違いなんだ。
”疑心暗鬼”という言葉の通り、幽霊の噂を気にしすぎたせいか、見間違えてしまったんだろう。
人気のない真っ暗な場所ならば、雰囲気にのまれて物音や影の一つ一つを
怪奇現象じゃないかと疑いたくなる気持ちも分かる。元々幽霊騒ぎがある場所ならば尚更だ。
「ひっどーい。そんなことしないよー、で、次の八不思議だけどさ」
「あ、諦めてなかったんだ?八不思議。二つともデマだったし、もう懲りたと思ったけど。」
「甘い甘い!人から人へ語られれば、嘘や尾びれがついちゃうのは当然。
でも、八不思議のひとつやふたつは、本物かもしれないじゃない。むしろ、そっちのほうが現実味あるね」
「このまま行くと、全部デマって可能性が一番高い気がするけどね。」
「うーるーさーい!とりあえず終わったら部室に集合すること!」
夏河は頬をつねる行為が今の僕にどれだけ効果的なのか知ったのか、再び僕の頬をぐいぐいと抓った。」
「いてててて…ちなみに、次はどれを調査するの?」
抓られすぎて熱を帯びている頬を労るように、撫でながら夏河に問う。
「ふっふっふ…。聞きたい?」
僕が八不思議に興味を示しているのが嬉しいのか、夏河はどこか上機嫌になっている。
「うん」
「しょうがないなぁ、特別に教えてしんぜよう。次の調査はね。”幽霊路上ライブ”だよ」