首謀者たちの夜
非致死性兵器【ひちしせいへいき】
相手を死傷させることなく無力化する兵器である。ノン・リーサル・ウエポン(non-lethal weapons)とも呼ばれる。
催涙スプレーなどもこれらに含まれる。
「さすがにこういった店のブラックは美味いな。缶コーヒーとは大違いだ」
真っ黒なスーツに身を包んだ男は一口、コーヒーを啜って言う。
コーヒーカップの中身をまじまじと眺めるその男は、30代後半と言ったところだろうか。
だが、その若さに似合わぬ、どこか厳かな雰囲気を持っている。
「新垣さん、缶コーヒーなんて飲むんですか」
コーヒーカップを持つ男の向かい側に座る男が、口を開く。
こちらは50代前後と言ったところか。顔のシワや、白髪、白くなった髭などが目立つ。
「俺だって缶コーヒー位は飲むさ。…それで?実験の方はどんな感じなんだ。
向こうからのシロモノは。」
「はい。こちらが、ここ数ヶ月のデータです」
カバンをごそごそと探り、分厚いファイルを取り出すと新垣に渡す。
そのファイルに挟まれた数十枚の紙をぺらぺらと捲って内容を確認すると、新垣は不敵に笑った。
「なかなか面白い結果じゃないか。」
「どうでしょう、結果的には」
「ああ…こいつは使える、面白いシロモノだってことが分かる。
こんなに面白いモノだとはな。」
「それを運用できたとして…どうするつもりです?」
「…聞きたいか?」
それまでファイルに向かっていた新垣の視線は、突如男に向けられる。
その目は鋭く、威圧的だったが、白髪の男はそれに動じないと言った様子で、
短く「ええ」とだけ返した。
新垣はその様子を見てほくそ笑むと、持ち上げたままのコーヒーカップをゆらゆらと揺らした。
中の真っ黒な液体が、カップに合わせて揺れる様をじっと眺めながら、新垣は口を開いた。
「文明ってヤツは今まで進化を続けてきた。今だって、目を見張るスピードで進化し続けている。
まさにバケモノだ。そんなバケモノが平然とはびこるこの世界で、どういった兵器が求められると思う?」
「兵器…」
「大量殺戮兵器?いいや、違うな。そんなモノは既に時代遅れだ。どの国もそんなこととっくに
気づいているさ。核や銃火器で身を固めてながらな。
…今の時代に求められるモノ。それは誰にも気付かれず、誰一人として傷つけず、殺さない。
しかしながら目を見張る制圧力のある兵器だ。」
「非致死性兵器…ですか」
男がそう言うと、新垣はコーヒーカップを持ち上げたまま、男の方を見て愉快そうに笑った。
「ふっふっふ、昔からこの類の兵器は考えられていた。実戦で使われたこともあった。
だが残念なことに、どれも確かな結果は得られなかった。」
「それも、これまではな。」
新垣はそれまで持ち上げていたカップを再び口元まで運び、音を立てて啜った。
「で?ヤツの方はどうなっている?」
「それなんですが…未だ見つかりません。渋谷のネットカフェを転々としているらしく、
穏便な形で居場所をつかむには、もう少し時間がかかるかと…」
「徒に時間をかけるなよ。奴を放置しているといずれ痛い目に遭うのは俺たちの方だ。」
「はい」
突如、新垣のポケットに入れられたスマートフォンが鳴り響いた。
新垣はコーヒーカップを置き、耳にイヤホンを指して、着信応答ボタンを押して答えた。
「新垣だ。…ほう。それの始末は任せる。あまり大事にするなよ」
*****
エレベーターが目的の階についたことを知らせる、チーンという短く無機質な音が、古びたビルの内部に
谺する。
古臭いエレベーターがゆっくりと開くと、女子生徒二人がおどおどとした様子で中から出てきた。
ビルの内部は人気がないどころか、雑貨ビルだというのに、見渡すかぎりシャッターが
降りているばかりだ。
冷たいコンクリートの壁のあちこちにはスプレーの落書きがあり、中を照らすライトは
電球が切れかけているのか、カチカチと鬱陶しく点滅を繰り返している。
「ここかーブログでやってたのー。すっごい、こんな場所だったんだ…」
「もうなにここコワイってー。早く出ていこうよ」
「えー、ユッキー、もうコワイの~?」
「そんなことないけどぉ…」
「ウッソだー、泣きそうな顔してるよー」
二人の女子生徒は、まるで肝試しのように、恐る恐るといった様子で通路を進んでいく。
後ろの方にいた女子生徒の一人が、細々とした弱々しい声で、前を歩いている相手に話しかける。
「ねぇ…足音、聞こえない?」
「え、足音…?」
話を聞いた女子生徒が、耳を澄ました。
この場所が、騒々しい渋谷に建っているビルだと思えない程に静かな中…こつこつと、
規則的な音が微かに聞こえた。
こつ、こつ、こつ、こつ、こつ…足音は次第にこちらに近づいているような気がした。
こつ、こつ、こつ、こつ…。
「だ、誰…?」
二人の女子生徒が、足音のする方向をじっと見る。
電球が消え、明かりのない通路の先から、男がこちらに歩いてきていた。
「おやおや。」
男は怯えた様子の女子生徒二人を見るや否や、それだけ言った。
「…困りましたねぇ。ここは立入禁止のはずなんですが。」
男はどこまでも無表情で、二人の顔を見る。
ギロリとしたその視線は、どちからと言えば睨むと言ったほうが相応しい。
「あの、すいません…来たの、まずかったですか?まずかったなら謝ります、その…
私たちすぐ出ますから…。」
女子生徒の一人が、気まずそうに、そして怯えた様子で言う。
二人共逃げる機会を伺うかのように自分たちの後ろ…エレベーターを横目で見ていたが、
男はそれを許さなかった。
二人いる女子生徒一人の腕をぐっと掴むと、無表情のまま言った。
「いえ、大丈夫ですよ。」
「ッ!?」
それは突然のことだった。
どこから来たのだろうか。いかにもガラの悪い男たちが、女子生徒二人の後ろから、口をハンカチで無理やり
塞ぐ。二人とも抵抗するが、それはすぐに止まり…気を失ったのか、ぐったりと頭を垂れる。
「そのまま寝かせておいてください」
ぐったりとした様子の少女二人を見て、男は言った。
ガラの悪そうな男たちは、少女たちをゆっくりと地面に寝かせる。
無表情な男はポケットからスマートフォンを取り出して電話をかけ始めた。
「小野です。新垣さん、すいません。ビルに二人の女子生徒が入っていたようで。ええ、ええ…
分かりました。失礼します」
手短に用件を終わらせて、スマートフォンを耳から離すと、画面を操作し、
再び耳元へと当てる。
繰り返されるプッシュ音を聞きながら、男は地面に倒れている少女の元へと歩み、しゃがむと、
女子生徒の背中まで伸びた髪の毛を撫で始める。
そして何度か撫でた後、その髪を掴み、髪の匂いを嗅ぎはじめた。
ガラの悪そうな男たちは突っ立ったまま、その行為を眺めていたが、気にはしていないようだ。
「夜分遅くにすいません。小野ですが。ええ、こちらで動物の死骸が…ええ。
大型犬なんですが。そちらで破棄させていただいて宜しいでしょうか。…ええ。
黒いゴミ袋に入れておきますので、匂いなどは無いと思います。はい、よろしくお願いします。
それでは、失礼します。」
電話を切ると、男は立ち上がった。
「この二人の少女をゴミ袋に入れて、例のごみ処理場に捨てておいてください」
「はい」
ガラの悪そうな男たちは少女二人を抱えて、エレベーターを降りていく。
男も、その場から立ち去ろうとした、その時だった。
地面に落ちた、一つの紙。
男はそれを見逃さなかった。
少女を抱きかかえた時に落ちたものであることを男は確信する。
ひょいと紙を拾い上げる。
そこには、”東京渋谷・雑居ビルAの怪の調査!そこで見たものは・・・”と書かれていた。
それまで無表情だった男の顔が、ニヤリと笑った。