渋谷八不思議・高架下の男(2)
十月二十七日(日) PM22:00
「はい。というわけで着きました~」
というわけで。
僕たちは今、幽霊が出ては消えるという噂の、高架下にいる。
夏河は僕らの先頭で、その噂の高架を指さしている。
一応、心霊スポットだとか怪しげな噂が蔓延っている場所であるというのに、夏河のテンションは
いつになく高い。
「ゆゆゆ幽霊とかこわくねーし・・・居るわけ無いですしおすし」
そんな夏河とは対照的に、僕の隣でどことなくソワソワして落ち着かないのは月日。
こいつは確か、夏河にこの部に勧誘されて、適当な返事で入部していたハズだが、一日足りとも調査に
参加したことはなかった。
現代裏社会調査部の幽霊部員。こいつが一番身近な幽霊ではないだろうか。
というか、辞めていなかったことに驚きだ。既に退部していたと思うのだが。
「ていうか・・・なんで月日もいるの?今まで全然参加しなかったじゃん」
僕はふと、そんな質問を投げかけた。
「そらあれよ、いつもやってるネトゲが緊急24時間メンテして暇だからさ」
「…ただの暇つぶしってことね」
「まぁ、そういうことになる」
「そこ!ガヤガヤしてたら出るモンも出なくなるでしょ!」
「はい」
いつもよりも真剣な顔つきの夏河に怒られて、僕ら二人はおとなしくすることになった。
こういう時の夏河を邪魔すればどうなるかは、僕も月日も知ってるつもりだ。
「ここで張り込んでる私達のほうが怪しくないですか・・・?」
僕らの一番後ろで隠れるような状態の折原にそう言われ、ふと周囲を見渡す。
この辺りは、暗くなるにつれて人通りがめっきり少なくなる。
幽霊騒ぎなんてものが起こるのも頷ける程にだ。
おまけに所狭しと描かれた悪趣味なグラフィティや、弱々しい蛍光灯の光が、
一層不気味さを漂わせている。
確かに夜の22時に、こんな場所を数人の若者が張り込んでいるなんて言うのは、
どう考えてもそっちのが怪しいだろう。
こんなところを警察に見つかりでもすれば、即アウトだ。
ヘタすれば親に連絡、なんて話になるかもしれない。それだけは何としてでも避けたい。
「確かに、僕らすごく怪しくない?」
「大丈夫大丈夫、傍から見ればナウなヤングの集まりにしか見えないよ」
「いや、ナウなヤングはこんな場所でたむろしないと思うけどね・・・」
もし警察に見つかりでもしたら、一番困るのは親父さんが現役警察である夏河だと思うのだが。
どうやら、今の夏河を止められる術はなさそうだ。
とりあえず、夏河に満足してもらって早々にこの場を去るしか無いだろう。
「とりあえず、どうするの?こんなところで見張ってても出るとは思えないけど」
「うーん、じゃあとりあえず誰か一人があの高架下を歩いて、他のメンバーはそれをここから監視する、って
ことでどう?」
「お、俺はパスだからな」
「う、わ、私も…」
「あ、ちなみに私は幽霊が出るところを撮影しなきゃだし」
驚く程の早さで、この場にいる全員が、あの高架下を歩くことを拒否した。
つまり、残っているのは…僕だ。
「はぁ…なんか貧乏くじ引かされた気がするんだけど…」
「まぁまぁ、幽霊に出会えるチャンスかもしれないよー?あーあー、リーダーである私が行けないのが
残念だなーっと」
「なら撮影は誰かに折原さんか月日にまかせて一緒に行く?」
「え、いえこの仕事はリーダーしか出来ない重要なお仕事だから!リョウタは安心して
高架下を闊歩していただきたい!」
そう言うと夏河は、手提げかばんからデジタルカメラを取り出して、僕に対して親指を立てるのだった。
どうやら3人とも行く気はさらさら無いらしい。
僕は小さくため息をついて、仕方なく高架下へと歩み出すのだった。
夜の高架下は、やはりどこか不気味だ。
闇…陰鬱というか、どこかジメジメとした雰囲気が。そこにはある。
高架下を明るく照らすはずの蛍光灯は、それ自体がうっすらと汚れて、本来の明るさを失ってしまっているし、
虫の死骸だろうか…なにやら黒い塊が、数えきれない程付着している。
そして、まるでここだけ周囲から切り離された空間かのような、冷たい静寂。
一歩、また一歩。僕の足音だけが、異様に大きく反響していて、この場に僕しかいないことを
改めて実感させられる。
外の音と言えば、車が走るような音や、バイクの稼動音みたいなものが、何かフィルターを通して聞くかのように
こもっている。
…多くの人がこの高架下を避ける理由が分かる気がする。
幽霊が出なかったとしても、ガラの悪い輩に絡まれたり、何かしらの犯罪に巻き込まれそうだ。
ぐるぐると周囲を見渡しながら歩いていると、そのうちあっけなく出口まで辿り着いてしまった。
「・・・ゴールしちゃったけど。何にもでないな」
当たり前と言えば、当たり前なのだが。
僕は向こう側に居るであろう夏河に電話をかけて、どうするのか指示を仰ぐことにした。
「はーいこちら夏河。どうしましたか、どうぞ」
「えーこちら敷島。出口につきました、どうぞー」
「何か異変はありましたか、どうぞ」
「いえ、特に異変はありません、どうぞ・・・ねー、この話し方しないとダメ?」
「あはは、ごめんごめん。とりあえず、そのまま戻ってきて~」
「了解」
僕は電話を耳に当てながら、そのままUターンし、今きた道を戻り始める。
当然ながら、折り返しても周囲の雰囲気は先程と変わるわけもなく。
何の異変もなく、ただただ歩き続けているとそのうち呆気無く外で出てしまった。
ただひとつ違うとすれば、高架下から出てきた瞬間の僕を、夏河がぱしゃりとデジカメで
撮影したくらいだ。
「なにかあったー?」
「いんや、何にも出てこなかったけど。とりあえず僕しかいなかったよ」
「むむぅ、やっぱりそう簡単には出てこないか~」
異形の存在との遭遇を待ち望んでいたであろう夏河は、どこか悔しげだ。
その後ろから安心したような、そしてどこか得意げな表情をした折原が、ひょっこりと顔を出した。
「ふっふっふー。ほーら、やっぱり幽霊なんて非科学的なモノ、居ないんですよ。」
「ぐぅ・・・まだ居ないとは限らないし!そもそも、幽霊っていうのは・・・」
そんな得意げな折原にカチンと来たのか、拳を握りながら幽霊とか何かを語ろうとしている夏河。
今にも口論に発展しそうな二人を放置して、月日は僕が出てきたばかりの高架下を、
目を細めてじっと見つめながら、言う。
「んで、あの高架下なんかあったのか?」
「いや・・・特に気になるものはなかったよ。とりあえず電気は所々切れてるし、長年掃除されてない部分とか
壁とかあちこちにグラフィティが描かれてて汚いなーって思ったけど。」
「ふーん。雰囲気から出た噂ってカンジかねー。まぁそんなモンだとは思ったけど。」
「気になるなら一緒に行ってみる?」
「ええ・・・やだよ。なんでよりによって野郎と一緒に行く必要があるんですか・・・お前ホモか!?」
そうして、僕ら4人はガヤガヤとしていると、先ほどまでめっきり人気がなかった高架下から、白いジャンバーを羽織ったおじさん――60代くらいだろうか――が、一人ジョギングをしながら出てきたのだ。
突然の出来事に僕ら4人全員が、淡々とジョギングをしているおじさんを静かに見守っていた。
「リョウタ」
突然、夏河が僕の名前を呼ぶ。
その瞬間から、どこかイヤな予感がしていた。
このまま聞かなかったフリをするわけにもいかず、僕は恐る恐る返事をする。
「ん?」
「あのおじさんに、幽霊についてちょっと聞いてきてくれないかな」
「ええ・・・僕が行くの・・・」
「ほら、もしかしたら何かわかるかもしれないし・・・急がないとおじさん行っちゃう!」
「えぇ・・・ていうか今日働いてるの僕ばっかなんだけど・・・」
先ほどから僕ばかりが貧乏くじを引かされているような気がするが、
夏河に急かされ、仕方なくジョギングおじさんを追いかけた。
「うっお・・・あのおじさん意外とはっや・・・」
相手はジョギングをしているおじさんだろうと軽く考えていたのだが、僕と相手との距離が
縮まる様子はなく、甘い考えなのだと思い知らされる。
日頃から運動をしていなかった我が身を恨みながら、なるべく早く、早くと己の足を急かす。
すでに呼吸のタイミングは乱れ始めていて、少しばかり息苦しい。
圧倒的運動不足。
最後にこんなに全力で走ったのは、いつ頃だろうか。
「あ、あのっ・・・」
息も絶え絶えに、前を走る必死に声をかける。
「ん?」
恐ろしいことに、おじさんは自分とは対照的に、一切顔色も変えず呼吸も乱れていない。
涼し気な顔で今まで走っていたのだ。
どれほどに体力がないのかをつくづく思い知らされながら、僕はポケットに入れたハンカチを
こっそり取り出しておじさんに見せた。
「あの、これ・・・貴方のでは?」
「いんや・・・違うけど?」
もちろん違う。これは僕のハンカチだ。近くのスーパーで適当に買ってきたやつだ。
これは話を切り出すための。単なるでまかせでしか無い。そう、口実だ。
「そうですか・・・さっき、走ってらっしゃるのを見て・・・落とされたのかと」
「いやはや、悪いねぇ。追いかけてくれたのに」
ガハハ、とおじさんは笑う。
何気ないやりとりの中でも、まったくといっていいほどに苦しそうな様子はない。
「すごいですね・・・僕、追いかけるのに必死で、もう呼吸もあがってて」
「いつもここらへんを1時間程ジョギングしてるんだよ。体力づくりにね。
ここ10年ほど、ずっとさ」
「10年!?すごいですね・・・僕なんかそんなのムリです・・・」
「ハッハッハ。キミも漢なら体力作りをしたほうがいい。
冬は寒中水泳とかやってるから丈夫なのよ。」
「なるほど・・・」
相手は体力に自信があったのか、とても気前よく話に答えてくれる。
聞き出すのならば、今だろう。
「あの・・・この辺、暗くて人気とかないし危なくないですか?
幽霊が出るって話も聴くんですけど」
「幽霊?・・・ハッハッハ、知らんなぁ。言ったとおり、10年ほど
この辺をジョギングの道にしてるけど、そういうことは一切ないよ。まぁ、噂だろうけどね」
「そうですか・・・すいません、長く引き止めてしまって」
そう言って、僕は軽く頭を下げた。
おじさんは僕のことを気の良い青年とでも思ってくれたのか、軽く手を降ると、そのままにこやかに走り始めた。
やがておじさんが走り去って見えなくなるや否や、僕を突っ放した3人が僕の元へとかけ出してきた。
「どうだった?」
「なにも。10年前からジョギングをしてるけど、そんな話は聞いたこと無いってさ」
「なるほどなー。ていうかさ、あのオッサンが幽霊騒動の原因なんじゃね?
ほら、あのオッサン白いジャンバー着てたし」
月日がボソリと言ったその一言は、幽霊を誰よりも望んでいた夏河の心に深々と突き刺さった瞬間だった。
「うう・・・」
夏河はがっくりと肩を落とし、皆が解散ムードになった時だった。
僕の後ろで何か音がして、僕は立ち止まった。
ピーという短い電子音。そして、ガガガ・・・と。
身近で聞いたことがあるとすれば・・・昔のパソコンが似たような音を発していたような気がする。
そう、ダイヤルアップ音だ。
なぜそんな音がこんな場所で?
僕は疑問を感じ、ゆっくりと振り返る。
人気のない、仄暗い高架下。
心もとない明かりのせいで、まるで口をあけて待ち構えているかのような、その入り口で。
真っ白な服を着た人影が佇んでいた。
男か女かは判断できない。というか、本当に人間なのだろうか。
それは人らしさのない…まるで、何かマネキンか何かが佇んでいるかのようだ。
生気が感じられないというのは、こういうことを指すのだろうか。
ふと。僕がまばたきをした、その瞬間に…目の前に居たはずの白い人は…消えていた。
それは、逃げ出したとか、走りさったとかそういったものではなく…まるで、
最初からそこに居なかったかのように…消えた。




