通りゃんせ(3)
***
深夜4時。
高校の制服に身に包んだ三人の女生徒が、綺羅びやかなネオンで彩られたカラオケ店から、
夜とも朝とも言いがたい、薄暗い外へとぞろぞろと出る。
周囲に人影は無いが、三人共そんなことなど気にもとめず、ガヤガヤと騒ぎながら
脚を絡まるようにして、頼りなく歩き始めた。その様子は、まるで酔っぱらいか何かのようだ。
暫く歩いていると、ランニングをする男とすれ違う。
その男を見て、グループの中のひとりが、笑った。
「ねえ、ちょっと見た?今の男、キモッ!」
「ちょっとやめなって、聞こえるよォ?」
「アハハハハ」
一人は二人に、二人は三人に。
最初に一人の笑い声に釣られるかのように、それぞれが、無遠慮にゲラゲラと笑い始めた。
見下すような蔑むような、そんな嗤い声で、周囲は満たされる。
「…だろ」
馬鹿笑いにかき消されそうな中、まじる声。
「お前ら…」
先ほどと変わらない、ぼそぼそと話す声。
「…今」
声。
「俺の…こと…」
先ほどよりは少し大きさな声。
「…見て……」
その声は徐々に大きくなっていた。
しかし、話し方を変えたわけでもなく、声の大きさを上げたわけでも無かった。
それはまるで、伝える側と、伝わる側の距離が徐々に縮まっているかのような。
そして。
「わらっただろ?」
その声は、三人のすぐ後ろで。
ぼそぼそとした、けれど、恨みがこもったような声。それが、それよりもはっきりと聞こえて。
三人は一度に振り返る。
そこには、先ほどすれ違ったはずの男が立っていた。
***
僕は未だ、生放送をそれとなく眺めていた。
それも馬鹿らしくなって、パソコンチェアに腰かけたままの姿勢で、両手を組み、
手のひらを天井にぐっと伸ばした。
もう寝るつもりではあるのだが、少しだけツイッパーで何か面白いネタがないか、確認しておこう。
普段のツイッパーのタイムラインには、どうでもいい内容のツイるで埋め尽くされている。
それにしても、今夜はいつとなく賑やかだった。
何かあったのかと気になって、タイムラインに投稿されたツイるを読み漁った。
そして、わかったこと・・・。それは、”ある話題”が、ツイッパーを賑わせているということだった。
その話題とは――。
ネットユーザーによって「地獄ドライブ事件」などと、ふざけた名を付けられた
18日の深夜から早朝にかけて起こった、あの不審死についてだ。
その事件に関係していそうな画像を、何者かがツイッパーに投稿したらしい。
若干興味を引く内容ではあったものの、その画像の投稿主は、既にツイッパーから
退会処分にされており、事件に関係していそうな画像も、そのユーザーについての情報も、何もかも。
ありとあらゆる情報が、すべて見れなくなっていた。
時すでに遅しか、と思ったが、その画像を見て保存したユーザーがいるらしく、再びツイッパーにアップロードされていた。
他にも、投稿主が画像を貼った時の”魚拓”―スクリーンショットというものだ―が、出回っていて、
誰でも簡単に閲覧できるようになっている。
僕も恐る恐る、その画像リンクをクリックした。してしまっていた。
画像を表示する、ほんの数秒の読み込みの間が、じわじわと、恐怖を煽っているようだった。
マウスを持つ手から、嫌な汗が吹き出す。
そんな中、画像が表示されて――僕は、「それ」を、目にしてしまう。
ハッと、息を飲んだ。
「それ」は───早朝に撮られたのだろうか。
薄暗い中、あられもない姿で、草むらに横たわる女性の姿の写真だった。
全裸に近い姿で、不自然に黒いジャンバーを羽織るかのように身に包んでいた。
その瞳からは、生気は感じられない。大きく開かれた瞳はひどく充血していて、まるで何か
ホラーを見ている気分にさせられた。
肌は、まるで血が通っていないかのような粘土色をしている。
それに何より不自然なのは、腕。
肩から前腕にかけて、ぐにゃりと180度捻れていた。
恐ろしくなった僕は、画像をすぐさま閉じた。……見てはいけないものを、見てしまったと、後悔をしながら。
汗ばんだ手でマウスを握ったまま、数秒間フリーズする。
……あの画像は、一体なんなのだったのだろうか。
先ほどの画像のことを思い出すような行動はしたくないものの、あの画像が地獄ドライブ事件と、
どう結び付いているのか。そんなことが気になって、僕は詳細を調べようとキーボードを叩き、
それらしい情報を探りはじめた。
ネットに上がっている情報から判断するに、どうやらさっきの全裸の女が、死んだ男二人と一緒に居る所を目撃したという話や、監視カメラにそれらしい人物が映っていたということ。
また、この女の家族や友人らは「大人しく目立たない女の子で、柄の悪い男との付き合いは考えられない」と証言したこと。
つまり、友人としてあの車に居た訳ではなく、何か犯罪に…詳しく言えば、夜道一人で歩いているところを、脅されて強姦されかけていた、というのが、一番有力な説のようだ。
遺体には、それらしい液体が付着していなかったことから、未遂のまま、「何か」が起こった。
それが今回の地獄ドライブ事件である。
その「何か」とは…なんなのだろうか。
考え事をしながら、僕が開いたいくつものインターネットブラウザのウィンドウを閉じる、そんな
作業をしている時だった。
閉じようとしたウィンドウは、先ほどまで見ていた生放送を表示していた。
閉じようとした。しているけれど、僕の手がぴたりと止まって、動かない。
見てる。見ている。見られている。
女だ。
女が、こちらを、じっと見ていた。
先ほどまで動画の中で一人、五月蝿いほどの会話を広げていた女は、何故か黙っている。
一言も話さずに、ただただ、僕を、こちらをじっと見ていた。
それは不気味なほどに。
黙って、こちらをじっと見ているのだ。
こちらを・・・こちら側を、見ている。今もなお、見ている。
もちろん、僕が見られているわけではなくて、カメラを見つめているのだ。
そんなことはわかっている。…でも、その女の目はまるで、僕を睨みつけているようで。
何かを見透かしたようで。何もせず、何も話さず、何もしないで…ただただ、僕をじっと、見ていた。
気持ちが悪くてしょうがなくて。それなのに、僕の視線も、自然に女へと吸い寄せられて、離れない。
女の様子は、とてつもなく不気味に感じた。
画面に映っているのが、先ほどまで動画を見ている多数のユーザーたちと、
談笑していた女と同一人物であるようには思えなかった。
「ふーんふーふーん・・・・ふーふふふーん・・・・」
静まり返った中、女は突然俯くと、鼻歌を歌い始めた。
それがなんの曲だったのかよくわからなかったけれど、その鼻歌が進むにつれて、
それがなんの歌なのか、すぐに分かった。
分からないはずがなかった。
そのメロディは、どこでも聞き覚えがあって。
最近は少なくなってきたけど、信号機にも使われていて。
子供の頃から、聞き覚えがあって。
さっき・・・・そう、ほんの4時間前に、聞いていたんだ。
―――「通りゃんせ」。
女が歌っている鼻歌は、まさに通りゃんせそのものだった。
僕は、女の歌が進むに連れて、どんどん気分が悪くなって、吐きそうになる。
猛烈にこみ上げる嘔吐感。早くなる心拍数。心臓は今にでも壊れそうなほど鼓動を早める。
止まらない。息ができない。気持ちが悪い。
何だ。何なんだ。この偶然の一致は、いったい何なんだ。
女は、そんな僕のことなど構いもせず、未だ鼻歌を歌いながら、ゆっくりと立ち上がった。
手が震える。マウスを握る手は、グショグショに濡れていた。
けれど、見なくてはいけない気がして。ぼくは再び、画面に目を向ける。
何を考えたのか…女はベランダに立っていた。
その女の家はマンションか何かのようで、先ほどまで女が座っていたすぐ後ろはベランダだったようだ。
カーテンで隠れて分からなかったが、今はカーテンも、ベランダへの引き戸もすべて、開けっ放しにされている。女はフラフラと、おぼつかない足取りで、ベランダに立っている。
瞬間、脳裏に嫌な予感が浮かんだ。
この、夢のような…狂ったかのような状況では、どんな想像も、起こり得そうで怖かった。
それでも、なにもできずに僕は、ただただ女の行動を見つめることしかできない。
女は例の「通りゃんせ」を未だ、歌いながら。
ベランダの手すりに登って、そのまま――飛んだ。
それはまるで、あたかも普通の行動のように、何の迷いも見せず・・・飛んで、落ちた。
死に対する恐怖も、迷いも、困惑も・・・何も、そんなもの一切見せずに。まるで、機械か何かのように。
いやに静まり返った中、止める者がいなくなったカメラは、延々と、ベランダと、室内を
映し続けていた。