私は、気持ち悪いから。(7)
十月十九日(土) AM9時32分
土曜日。休日の朝。
昨日の夜、喫茶カッツェで夏河と共に時間を潰し、解散した頃には21時を回っていた。
そのまま帰宅し、ネットサーフィンなどで深夜まで時間を潰して、
明け方に襲い来る猛烈な睡魔に身を任せ、昼ごろまで惰眠を楽しむという、
典型的な昼夜逆転生活を送る予定だったが、ひとつの電話が、
そんな怠惰な生活を許してはくれなかった。
「んー・・・」
眠い。寝たのは5時頃だっただろうか。
まだ全然寝足りない事を、身体が脳に告げている。
休日なのだから、時間など気にせず寝ていたいのだが、電話は相変わらずけたたましく
着信音を鳴らし続けている。
あと10秒ほど無視を決め込み、それでも鳴り続けているようならば、仕方ないが出てやろう。
僕はそう決めて、音から逃れるように、暖かな布団の中に潜り込んだ。
が、着信音は相変わらずけたたましく鳴り響いていた。
あと7秒。
あと5秒。
あと・・・
10秒のカウントダウンの前に、ケータイの着信音のあまりの五月蝿さに我慢できず、
うう、とだらしない呻き声をあげつつ電話を手に取った。
「・・・もしもし」
「もしもしじゃなーい!今日学校ある日だよ!」
電話に出るなり、聞き慣れた声がスピーカーから鳴り響いた。
あまりの五月蝿さに、瞬時に耳から電話を離したが、それでも十分聞こえている。
夏河の声だった。
「え、今日って・・・」
ふと、カレンダーを見る。10月19日、土曜日。
そういえば、今日は講義がある日で、別の日が振替休日となる予定だっただろうか。
急いで机に置かれたデジタル時計に目を移す。
時刻は9時半過ぎ。本来ならば、とっくに講義が始まっている時間。
とどのつまり、大遅刻だった。
「あー・・・ごめん、用意して行くよ。多分2限くらいになると思うけど」
それだけを伝えると、電話を切ってベッドから降りる。
休日だと思っていたのに、学校に行く必要がある事を今更思い出して、気分はいつも以上に重く、
面倒くささがこみ上げてくる。
まるでそんな精神面に比例するかのように、身体にもどっと眠気が押し寄せた。
「朝ごはんはもういいかな・・・とりあえず学校に急ぐか・・」
僕はとりあえずボサボサの頭を整え、急いで部屋着を脱ぎ、私服に着替えた。
最低限の準備を整えて、家から出たのだった。
****
「おそーい」
ゼエゼエと息を切らし、夏河の隣の席についたのは講義終了10分前の事だった。
「まさか今日が講義ある日だと思わなくて・・・」
「昨日、明日の講義終了後ねって言った時、普通に返事してたからちゃんと把握してるのかなー
って思ったら、居ないし、来る様子もないまま先生きちゃうし」
そういえば昨日、夏河と「明日の講義終了後」だなんて約束をしていたのを思い出した。
明日が休みの事を忘れて言っているのかと思っていたが、どうやら忘れていたのは自分の方だったらしい。
流れる汗を拭い、未だ整わない息で、僕はハハハと笑って流した。
「で、約束だけどさ、僕は普通に宣伝するだけでいいんだよね?」
「ふっふっふ。それで構わないよ・・・。あとは私に任せたまえ」
一日経っても相変わらず自信満々な態度を崩さない夏河を見て、不安と期待が入り交じる。
どうやって勧誘すべきか、ふと思考を巡らせていると、キーンコーン、とチャイムの音が教室に鳴り響いた。
どうやら講義は終了のようだ。
そのチャイムの音と共に、ずっと話していた先生は黙り、片手に持っていた本をぱたりと閉じた。
「んじゃ、今日は4限で講義終了だから。それからなっちゃんを待てばいいんだよね」
「うん、私も4限で終わりだけど。4階のエントランスで待ち合わせね」
僕は立ち上がり、リュックを手に持って夏河と別れる。
次の講義は・・・3階の教室だ。
****
午後の4階エントランス。
講義を終え、友人と談笑する学生や、小説を読んでいる学生。
ケータイゲーム機で遊んでいる学生など、様々な目的の人間が集まり、この時間のエントランスはとても騒がしい。
窓ガラスから外の様子がよく見える、壁側の席でぼっーと外の景色を眺めていても、
時折、周囲のバカ笑いや大声が耳に入ってきて、少々鬱陶しく感じる。
自販機で買ったマックスコーヒーを片手に持ちながら、相変わらず外をぼーっと眺めていると
トントン、と肩を叩かれる。
ふと振り返ると、夏河の人指し指が僕の頬をくいっと押す。
肩を叩くフリをして人差し指を立てていたらしい。
僕は少々面食らいつつ、相変わらず元気な様子の彼女の名を呼んだ。
「なっちゃんか、ビックリした」
「ふふー。どーしたの、ぼーっと外なんか眺めちゃって。」
「たまには良いモノだよ。ぼーっと外を見るのもね。」
「ふーん。よくわかんないなぁ。」
そんな事をいいながら、夏河も僕が見ていた窓をじっと見る。
が、さほど面白くなかったようで、すぐに視線は僕の方に戻った。
「こほん・・・さてさて、作戦決行の時間だよー。ほらほら、気合入れて!」
「え、ああー。うん」
僕は夏河に促され、ゆっくりと椅子から立ち上がる。
が、勧誘の事を考えると、やはり気は重い。
折原のあの様子からして、簡単に「部活に入ります」だなんて言うとは思えないのだが。
重い足を引きずりながら渋々付いて行っている僕とは対照的に、夏河は鼻歌交じりで意気揚々と
僕の前を歩く。
しばらく歩いてついた先は、前と同じ5階の一つの教室。
前と同じように、教室からは電気一つ灯っていないことが分かる。
夏河が教室のドアを勢い良く開く。
教室の中はやはり明かり一つと持っていない様子で、そんな中で一人・・・
教室の一番奥の隅の席で、静かに小説を読む、長い黒髪や、その風貌から
落ち着いた雰囲気のある、女性の姿があった。
「キャッ!?」
だが、前とは違ったのは、部屋を開けた瞬間、折原冬佳・・・彼女が、
小さな悲鳴のような声を上げたかと思えば、
さも驚いたような様子で、こちらを見ていたことだった。
「あ、ごめん・・・驚かせちゃったかな?」
勢い良くドアを開けた夏河も、折原の様子に気づいたのか、部屋に入るなり謝る。
窓から入る夕日の、わずかな光だけが周囲を照らす教室内は、当然薄暗い。
そんな中にいる折原の顔はよく見えないが、きっと驚いていた表情をしているだろう。
だが、本人はそんな様子を悟られたくないのか、コホン、とひとつ咳払いすると
まるで先ほどのリアクションなどまるでなかったかのように、普段どおり落ち着いた様子で、
僕と夏河の二人に声をかけた。
「ああ、いえ、こんにちは。あ、時刻的にいえばこんばんはのほうが適切ですかね・・・あはは。」
「こんにちは・・・あ、電気つけるね」
僕はそういうと、壁際のスイッチを押す。
くぐもった音がしたあと、2、3度短い点滅を繰り返して、教室内は闇から開放される。
「今日はどうされたんですか?」
・・・来た。
ぎりぎりと胃が痛み始めた。
緊張と、不安がグチャグチャとかき混ぜられたような、そんな感覚が、脳内でじわじわと広がる。
だが、やるしかない。
「あのさ・・・えっと、なんか部活、入ってる?」
「いえ・・・入ってませんが」
「それならさ、その、ウチの部活入らない?・・・現代裏社会調査部って名前なんだけど」
「現代裏社会調査部・・・?聞いたこと無い名前ですね」
当然、知るはずがなかった。
そもそもウチはまともに部活申請すらしていない。できていないのだ。
この学校では、部活を作るのに最低3人の部員が必要となる。
夏河は何度も先生に部として認めてもらうために、しつこく申請届けを出していたのだが、そううまくは
いかなかったらしい。
「まぁ、部員は二人だけだしね」だなんて言えるはずもなく。
ただただ、笑ってその場を凌ぐしかできない。
「まぁその、色々な不思議な噂を解き明かしたり、都市伝説を調べたりとかする、部活・・・多分」
多分、というのは、自分すら何をする部活だったのか分からなかったからだ。
こんな長ったらしい名前をしていても、やっていることはほとんど遊びと変わらない。
最初はまともに調査し、ウワサ話や都市伝説について調べたり、情報を集めたりするものの、
途中から飽きて遊びに移ったりなど、本来の目的を達成できた事のほうが物珍しい。
「えっと・・・」
限界だった。
「とりあえず、怪しい話を調査したりする部活ってことですか?」
「あー、そうそう、そんな感じ」
「うーん・・・ごめんなさい。面白そうではあるんですけど、入るかどうかってなると
ちょっと微妙かもしれないです。それに、私なんかが入ってもあまり役に立てないと思います。
だから、ごめんなさい。」
バッサリと。
清々しいほどに、断られた瞬間だった。
折原は、困ったような、申し訳なさそうな表情を浮かべつつ、丁寧にお辞儀をする。
二度目の限界を感じた。
「だ、だよね・・・いやいいんだ」
「ふっふっふ」
僕がなんとなく話をしめようとしていると、先ほどまで僕の後ろで黙りこんで
状況を見ていた夏河が、不敵な笑みを浮かべて僕の隣まで来る。
「折原さん、怖いんだ?」
夏河は唐突に、そんな事を言い出した。
「えっ」
「この前私の言ったこと、全部ありえないって言ったよね。」
「あの、本の話ですか?・・・そうですね。ありえないと思います。私は、科学的根拠のある
話しか信じません。」
二人の中で、なにかまた、ただならぬ空気が巻き起こっていた。
「ふふふ・・・私、今回面白いネタを掴んだんだー。それについて調べに行こうと思うんだけど」
黄色の手提げ鞄から、ひとつのファイルを取り出す。
様々な新聞の記事の切り抜きや、Webサイトから印刷したモノを切り抜いたものが挟まった、
スクラップブックだった。
夏河は手早く、その真ん中あたりのページを開いて、折原が座っている席の机に置く。
「心霊MAPその21 雑居ビルの怪談!?」と大きな文字が表示された、ひとつのウェブサイト―何かの
ブログだろう―をカラーで印刷した紙が貼られていた。
「ん・・・なになに。」
記事にはこう書かれてていた。
”とある渋谷の雑居ビルの9階は誰も使っておらず、様々なガラクタが置かれて、
倉庫がわりになったスペースがある。
その雑居ビルというのは、もともとボロボロで、人気がせいか、あらぬ怪談話が多く存在している。
筆者である私が聞いたのは、
”雑居ビル10階にて、深夜0時きっかりに写真を撮ろうとすると、どこからともなく歌が聞こえてくる”
という怪談話だ。
ある日、とある若者のグループの中で、その雑居ビルで肝試しをしようという話になった。
9階まで登ったが、特に何の怪奇現象もなく、最後に全員で記念撮影をしようと、
手元のスマートフォンを起動して、いざカメラを向けるとどこからともなく歌が流れ始めたのだ。
あまりの恐怖に、その若者たちは逃げ出したという。”
「・・・」
読んだだけでも分かるほど、なんとも嘘臭い話だった。
「ふふーん。このネタを調べに行こうとおもいまーす。幽霊なんて存在しないんだよね?
だったら一緒に来て、幽霊なんていないってことを証明してほしいなぁ」
夏河は、まるで折原を挑発するかのような態度。いや、違う。
挑発しているのだ。
「な、なんで私が、そんな場所に・・・」
対する折原はと言えば、そんな夏河の態度に怒ることもせず、スクラップブックの切り抜きをまじまじと見つつ、折原は口を開いた。
その口振りは、どこか先程より自信なさげに感じる。
「えー。でも、怖くないんでしょ?」
「そ、それは・・・」
「わ、分かりました。私もついていきます。幽霊なんてそんな非科学的なモノ、いるわけ
ないじゃないですか…っ!」
ついに折原も観念したのか、恨めしげに夏河を睨みつつも、夏河の提案に乗るのだった。
こちらを向き、夏河はニヤリと笑う。
こうして、3人の肝試しは幕を開けたのだった。




