企画三題噺「チューニング、ブラックホール、ビタミン剤」
「チューニング・ブラックホール・ビタミン剤」 担当:ぢょ
バンドマンは眠れない。
高校までは、そりゃ、どいつもこいつも暇だったし、同じ学校内に居るやつであれば、練習なんていくらでも都合が合う。
朝帰りの延長にある夜帰りの後、最悪のタイミングで単位の取得状況が届いた。まずい。一学期からこれは、まずい。そりゃあ品行方正とまでは行かないだろうが、それなりに真面目な大学生やるつもりだったのに。どうしてこうなった。
ドアを閉めると、背中のギターが一気に重みを増す。疲れと疲労と身体的ストレスでめまいが…って全部一緒じゃねぇか、頭の方もかなりパーだ。頭痛がしてきた。
食欲も無いので、ビタミン剤を水道水で煽る。順調に健康で文化的な最低限度な生活が自分の手からこぼれ落ちていくのを感じながら、普通の生活への憧れなのか、何に嘆きたいのかもよく分からないまま嘆息をした。たった一人の家主に荒らされた部屋は、缶コーヒーの空き缶で足の踏み場がない。誰だこんな部屋にしたのは。俺か。そうか。
あぁ、死にたい。好きな時間に寝られりゃ俺はもう幸せだよ。他には何にもいらねぇ。嫌だなぁ、嫌だなぁ、もうよく分からん理由で一晩中吐き続けるのはごめんだ。
学校も学部もバラバラな大学生バンドの世界、時間が合わないのでスタジオは0時から6時に入る。5人中4人が都合が合うなら、お前講義サボれよみたいな同調圧力が必然的に生じる。ブラックだ。完全にブラックだぜ。頑張り屋は社畜に、正直者はニートにされちゃうぞ☆
連日徹夜でも、本番は容赦なくやってくる。
今だって、チューナーを取りに来ただけで、休んでいる時間も余裕もない。
ガラじゃないんだよなぁ、もっと正直に、適当に、なんとなく日を重ねていきたいはずなのに。辛いよ。辛い。
――まぁ、続けるんですけどね。
ゆっくり、悲鳴を上げる体をゆっくり丁寧に立ち上がらせる。背負ったギターはやっぱり重い。ベースならもっと重かろう。膝がちょっぴり笑い出して、つられて噴出してしまう。
さぁ、バンドマンの、夜明けだぜ。
陽は落ちているけれど、冴えないアパートの扉を開けると、漏れ出す光が輝いて見えた。
舞台裏。ニヤニヤしながらチューニングを済ませる。愉快な仲間達はみんなクマだらけだ。ドラマーは腕に力が入らないとか言って笑ってやがるし、ベーシストはストラップが切れたとかいってなんか爆笑してる。ボーカルはガラガラ声でがん゛ばろ゛う゛ぜぇ゛!とかなんとか言ってる。こんなんでいい演奏ができるもんか。バカどもめ――
―――愛してるぜ
小さな冴えないステージが、スポットライトで灼き尽くされる。どこにでも居る冴えない奴が、楽器を―弦を、撥を、喉を引っ提げて、この瞬間だけは太陽になる。
逃れられるもんか。逃れられるもんか。この瞬間のために、この瞬間があるから、全部を投げ打って、忘れて、懸けてこれるんだ。
太陽だって、逃れられない。無限の求心力。どこまで行っても引き付けられ続ける、惹きつけられ続けるブラックホールが、ここにある。
バカでいいよ。俺は、バカでいい。この瞬間の俺は、間違いなく、世界と繋がっているから。
音楽が、途切れる。
目の前に居る人々が、手を叩いている。
その行為が意味するところは今は忘れてしまったけれど、きっとおれは幸せなんだろう。