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第5話:過去

 かつて、クーパーは‘風家軍’あるいは‘風の騎士団’と呼ばれる集団の一角を担っていた。風家軍は、かつて大陸の東北に存在していた‘かい’という国に仕えた軍閥である。独自の領土を持ち、国家に対して納税の義務を持たず、ただ忠誠のみを求められる。その軍は長きに渡り大陸最強の軍と呼ばれ、恐れられた。

 クーパーが風家軍の将の一人であった頃、風家軍を指揮した棟梁を風洪という。神速の騎馬隊を率い、また弓を執っては岩をも射抜き、槍を執っては天下に並ぶ者無し、と言われた猛将である。数々の戦で戦功をあげ、それにより従来の領土に加え、えいという土地を与えられた。それ以降は贏洪えいこうと名乗る。

 大陸東部では小国の乱立する、いわゆる乱世が続いた。風家軍はその荒波の中で隗を守り通して来た。‘風’の旗、翻るところ常勝ありと言われ、また歴代の棟梁の中でも贏洪は特に神将として今でも畏敬されている。

 贏洪は加えて義に篤く、一度約定を交わせば違えることは一切無いとされ、‘百金を得るも贏洪の一頷いちがんを得るに如かず’とまで言われた。大金を手に入れるよりも贏洪の‘分かった’といううなずき一つの方が価値があるというのだ。

 風洪が贏洪と名乗るようになって間もなく、大陸暦一五九二年帝国の東方進出が始まる。北方の雄と言われた累、皓王の頃から続く名家、(さん)などが相次いで滅ぼされていった。

 隗は帝国の東方進出の際、一戦も交えずに帝国に降伏してしまう。自治領としての存続を選んだのである。風家軍もそれに従い領土、規模を縮小して帝国軍に組み込まれることとなった。元々贏を含めて五城程度の領土を有していた風家軍は、これにより本拠地、慧丘けいきゅう一城を領するのみとなり、四軍合わせて五万あった兵力も二師、合計五千と十分の一に減った。

 軍、師は共に兵力を表す単位であり、一軍は一万二千五百人、一師は二千五百人である。一軍は五師で構成され、一師は五旅で構成される。なお一旅は五百人である。これが部隊の最少単位ということになる。

 また四軍は格の上位のものから中軍、上軍、下軍、佐軍と呼ばれる。それぞれに将と佐将がおり、一般にはその八人がその集団における政治的な指導者でもある。ただし風家軍の場合はその限りでなく、内政や外交にたけた者は軍の将や佐将でなくとも政治的発言力を有していた。簡単に言えば能力主義ということであろう。

 クーパーは風家軍が縮小される前に佐軍の佐将を務めていた。席次としては軍の中で八番目、主だった指揮官の中では最下位である。その理由はやはり規律に反した行動や短慮であったが、その真っ直ぐな性格と武勇を贏洪に愛されていた。

 隗が帝国に降伏し、風家軍の兵を奪われ、しかも帝国の下で働かねばならなくなった時、諸将が無言で帝国に従う中、彼は一人だけ声を大にして不満を訴えている。帝国の犬になるくらいなら解散しようとまで言った。

 クーパーに限らず東方に住む人々の帝国に対する感情は芳しくない。今まで東西は互いに干渉しないという暗黙の了解があったのに、帝国がそれを一方的に破ったという意識と共に、先祖ではなく一人あるいは一つの神を信仰する西方の思想を受け入れ難いということがその主な理由である。

 東方では国の主や功のあった臣下は宗廟そうびょうまつられる。つまり神として信仰の対象となる。また、一般庶民の中にも先祖を神として祀る、いわゆる先祖崇拝が浸透している。

 一方、西方では神は唯一絶対であって他にはないとされる。そのため先祖崇拝は認められない。従って、降伏して自治領となっても祭司は細々と行わざるを得ず、また抵抗して滅ぼされてしまうと宗廟そのものを破壊されてしまう。信仰の対象を否定されて帝国を恨む者も決して少なくない。

 クーパーはだから東方の人々の気持ちを代弁したとも言える。結局風家軍を離れることはなかったが、帝国の指揮下に入っても不服を唱え続け、贏洪もまたそれを黙認していた節がある。誰も当時の状況に心から満足してなどいなかった。

 心の内はどうあれ、風家軍は五千になっても勝ち続ける。数の減少によって全軍を騎馬で構成出来るようになり、機動力は格段に増した。斥候を放ってもそれが本陣に報せをもたらす前に急襲をするその様はまさに‘風’であった。

 その‘風’の中にあってひときわ精強と言われたのが赤騎兵である。贏洪が直接指揮を執るいわば親衛隊、兵士の服装、鎧の類から旗に至るまで赤に染め抜かれている。精強といわれる風家軍の中でも特に選りすぐられた軽騎兵である。五百で万余の軍に匹敵するとさえ言われた。

 だが、風家軍は強すぎた。帝国上層部はその力が反乱に加担することを恐れるようになっていった。

 表向き、帝国の占領政策にさほどのほころびは見えていない。帝国は自治領同士の待遇に差をつけることで、対立を煽り結束を防ごうとしたのである。いわゆる分割統治である。

 が、彼らは自分たちの政策に安心してはいなかった。実際に帝国の支配から逃れようとする運動は各地に見られ、小競り合いも起きていた。そこに風家軍が加われば反乱軍は核を得、多くの都市が帝国に反旗を翻すことは火を見るよりも明らかである。

 そして、大陸暦一六○七年冬、これが風家軍にとって長い冬の始まりとなった。

 風家軍は帝国の昌攻略に先鋒として参加、その神速と武勇を如何なく発揮したが、戦況は膠着状態に陥る。帝国軍は風家軍が生んだ好機をことごとく逃し、あろうことかその責任を風家に押し付けた。

 風家はその埋め合わせとして、呂湖谷りょここくへ敵を誘い込むという任務を与えられる。風家軍が佯敗してそこに昌軍をおびきだし、前後を遮断して火を放ち、昌軍を壊滅させる作戦である。

 呂湖谷は両側を絶壁に囲まれた難所である。谷底はもともと湖であったが、あるとき湖に水を供給していた泉が涸れ、干上がってしまった。今では赤茶けた地面に草木は生えず無惨な姿を晒している。谷の幅は狭いところから広いところまで様々で一定しない。その地面は半ば黒く染まっている。

 風家軍は見事、昌軍の別動隊三万を呂湖谷に引っ張り込んだ。そして───


 クーパーは我が眼を疑った。前方を今しがた崖の上から落ちて来た岩石が塞いでいる。自分たちが通り抜けるまでは落とさないはずだ。何故だ。

 その時、障害物に火矢が降り注いだ。本来火などつかぬはずの赤茶けた岩は、瞬く間に紅蓮に染まった。油がかけられていたのであろう。

 裏切られた。憤怒がクーパーの全身を駆け巡った。不当な扱いを受けながらなお耐え、帝国のために今まで不本意ながら己が武を振るって来たその代償がこれか。

 遠く本陣から反転を命ずる鼓が聞こえる。この期に及んでも贏洪はまだ、まだ帝国に忠節を尽そうというのか。呆れた。だが、そんな棟梁だからこそ彼は帝国の下についても風家軍を離れなかった。そうして筋を通そうとする贏洪がたまらなく好きだった。

 結局、自分も贏洪も変わらない。ただ真っ直ぐに生きようとして来た。どちらも正しいと思う。隗が帝国に服したから帝国に仕えるのも、祖国を‘国’でなくしてしまった帝国を怨むのも。しかしやはり、こんな日が来るなら死んででも贏洪に風家軍解散を、あるいは亡命を決意させるべきだった。

 とは言え、決定権は棟梁のもの。贏洪の決めたことには逆らえない、逆らわない。ここで贏洪と共に死ねるならそれも悪くない。死ぬ方が飼い殺しにされるよりましでもあろう。そう考えると腹が据わった。 相変わらず心の中は煮えたぎっている。本当なら、風家軍全軍で帝国相手に暴れ回りたい。岳東から帝国を追い出してしまいたい。

 もう自分の春秋は終わったかと思うと、胸の中を索漠とした風が吹いて行くように感じた。もう終わってしまうのか。

 クーパーの頭にこれらの思いが去来したのは、ほんの一瞬だった。想いが心を通り過ぎた頃、合図を受けた麾下の軍勢と共に反転していた。 次の瞬間、総攻撃を命ずる鼓の乱打に重ねて真紅の閃光が走った。贏洪の赤騎兵である。クーパーも負けじと雄叫びをあげ、戦斧を振りかざして突っ込んで行く。

 クーパーの後ろに続くのは黒騎兵。その様は馬、甲冑に至るまで全て漆黒の闇に染まったかのよう。風家の騎馬隊唯一の重装騎兵である。機動力では少々遅れをとるが、ぶつかった際の衝撃は風家軍の中でも赤騎兵と一、二を争う。縦列で敵陣を貫く赤騎兵が紅い稲光なら、横に広がる黒騎兵はまさしく黒き津波。

 津波が昌軍をまさに呑み込もうとしたその時、両側の崖から火矢が戦場に降り注いだ。クーパーは、そこで信じられないものを見た。

 火矢の突き刺さった大地の周りが明るい赤に染まっている。誰もが見たことのある色、炭火の色だ。

 赤がどんどん大地を埋めていく。黒く染まっていた地面は、かつて湖の底に沈んでいた石炭だった。細長い谷の両端では地面の黒がやや薄い。自然と両軍は谷の中央から離れようとする。

 クーパーも攻撃を指揮しながら少しずつ右へ右へとその位置をずらす。かなり谷の崖に近付いた時、戦の始まりになった音を再び耳にした。岩が落ちて来た。一つ一つの直径は人の背丈ほどもある。

 逃げ場は、なくなった。中央にいれば焼け死ぬ。端にいれば押し潰される。両軍共、戦どころではない。兵たちは武器を捨てて逃げ惑っている。風家の兵たちも動揺を隠し切れない。

 贏洪はどうなったのか。クーパーは赤備えの集団を探した。一人の部下が声を上げる。前方左手、敵の大将旗の下。確かに敵将を貫く槍が見えた。

 突然、馬が棹立ちになった。乗り手が飛んだ。落ちた。もう一度立ち上がる。地面が明るい。剣を抜く。自らの足で駆ける。周りに立っているものは無い。

 天から矢がそこに吸い寄せられていく。その影が崩れ落ちた。その音が、なぜかとても大きく響いた。

 はっと振り向くと岩が自分めがけて落ちている。喉に、熱いものが込み上げてきた。喝と戦斧を振り上げる。かち割ってやる。そう思った。全て叩き潰してやる。


 その後、どうなったか覚えていない。気がつくと、寝台に横たわっていた。家の主がクーパーは玄関に倒れていたのだと告げた。

 あれからどうやって落ち延びたと言うのだろう。倒れていたときに掴んでいたのは戦斧のみだったという。馬も無かったらしい。聞けばここから呂湖谷まではかなりの距離があるようで、主人は歩けば二日はかかると教えてくれた。

 二ヶ月ほどその家で傷を癒していた。その間に帝国では呂湖谷での戦に参加しなかった風家軍の人間も捕らえられ、処刑されたと聞いた。未だに見つからない何人かは帝国が捜しているということだった。その中にはクーパーの名前と共に風彪ふうひゅうも挙げられていた。

 その家は呂湖谷での戦から二ヶ月の間に昌領から帝国領になっていて、いつ官吏が踏み込んで来るか分からない。幸いにも主人はクーパーの存在を隠し、かばってくれた。

 それでもやはり限界があった。屋敷の外は敵だらけである。懸賞金欲しさに密告するものが現れないとも限らない。家の前で倒れていたクーパーを目撃した者も何人かはいようし、戦斧を得物にしている者はそういない。もはや捕まるのは時間の問題であった。

 そこで主人は逃亡先としてこの辺りにある山塞を紹介してくれたのである。何でもその頭領は昔冤罪で処刑されそうになったのをかばったとかで親交があるという。

 それから今までずっとここで暮らしている。時には食べていくために荷駄を襲ったりもしたが、護衛の兵以外は殺さない。また護衛がつくような大商人だけを獲物にしている。二人、三人で組んで山越えするような行商には、少なくともクーパーが来てからは手を出してはいない。


 ……本当じゃ。信じてくれぃ」

 風彪は考え込んだ。クーパーの言うことに嘘は無いのだろう。クーパーとしてはどうしようもなかったに違いない。ただ風家軍の一員であった者が落草していた、ということには耐えられなかった。

 かつて父から武とは民のために限って使うものだと教えられた。贏洪はそれを生涯守り通した。その腹心が今こうして民に刃を向けている。

 だが、自分がいつまでも山にこもっておらず、もっと早くに下りていたら。落草を防ぐことは出来なかったにしても、クーパーはこんなに長く惨めな思いをする必要はなかったのではないか。いつの間にか居心地のいいあの場所で、自分に甘えてはいなかったか。

 今から思えば口にこそ出さなかったものの、鄭範ていはんにしてもきっと歯がゆい思いをしていたのだろう。それを自分は見ていたのか、見ようとしなかったのではなかったか。

 鄭範は山中で暮らしている間、何度となく外の世界を教えてくれようとした。ある時は自ら、ある時は手の者を使って。もしかしたら、自分はその外の世界が怖かったのかもしれないとも思う。広い、未知の世界が。

 結局、皆が様々な形で苦労している間、自分は修行と称してその苦しみや恐れから逃げていたのだろう。山中で過ごした二十年の少なくとも半分は逃避に過ぎなかったのだ。クーパーを責める資格など風彪にありはしない。

 「もういい、クーパー。苦労させたな。済まなかった。もう一度風家に力を貸してくれるか」

 クーパーの目に光が灯った。雫が頬を滴り落ちる。雨はいつの間にか上がっている。太陽が雲間から金色の輝きを見せている。

 「はっ、喜んで……」

 もう一度空を見上げると、太陽は流れる雲に隠れてしまっていた。決して明るいとは言えない。どこまでも灰色。しかし、それでもところどころ青空が覗いている。

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