第4話:襲撃
戦闘シーンがあります。あまり残酷な描写にはなっていないつもりですが、苦手な方はご注意を。
荷駄は長い列をなして山道を登っていく。稜で更にオストマルク兵が護衛としてついた。彼らだけでも二百人という商人と商品の護送にしては類を見ない大部隊である。
風彪はカルマに従って列の中ほどを歩いている。カルマが雇った護衛たちは皆ここに集まっている。風彪の目から見ると、装備はまちまちだが前後を進むオストマルクの正規兵より精鋭が揃っている。それは、カルマの商人としての成功を示していると言えた。
護衛たちの中でもレルガは頭一つ抜けている。少々荒っぽく映るその所作や言葉遣いにも隙を感じさせない。それでいて柔らかい。必要以上の気負いがない。
一時、学問に志したことがあるらしく知識は存外豊富だ。だが決してそれに依りかかっているわけではなく、また気さくでさっぱりした気性にくるまれて、知識人によく見られる人を軽く見下すような態度にはならない。どこか相手に安心感を与え、警戒心を解いてしまう。
稜を出て三日目、突如として空がかき曇り、叩きつけるような雨が降り出した。
「ついてねぇ」
レルガが馬車から笠を取り出した。
時折あたりに白い閃光が走る。遠くに雷鳴が轟いている。一行は無言で歩み続けていく。
岩肌が左右に迫り、道が狭くなる。地面はぬかるんで歩きにくい。さっきまでは十人ほどが横に並べるだけの幅があったが、今はその半分もない。
もし、自分がこの一団を狙うならこの瞬間を狙うだろうと何気なく思った時、崖の上に稲光の中に浮かぶ影を見た。
「レルガ」
振り向いて後ろを進むレルガに声をかける。
「何だ」
「賊だ。崖の上に潜んでいる」
途端にレルガの穏やかな顔が真剣になる。
「本当か?」
「一瞬だが姿を見た」
「なら間違いねぇな」
手で合図すると護衛たちは無言で得物を取り出す。
「ラルフ、飛燕を出してくれ」
弦を張り、矢を受け取る。林昭は緊張して顔が強張っている。
「棒が滑るぞ、手に何か巻いておけ」
そう言いながら袖を裂いて両手に巻き付ける。
まだ何も起こらない。カルマも馬を下りて歩いている。武術の心得が無いなら賢明な選択だ。馬上では身を隠す場所がない。
警戒心から列の真ん中以降の速度が少し落ちた。前方の兵は変わらない速さで進んでいる。前との間隔が開き過ぎではないか、そう思った時、雷鳴とは違う響きを耳にした。
前後に分断された。同時に伏兵が牙を剥く。崖の上から矢の雨を浴びせられる。護衛の兵たちはほとんど落ちて来た岩や木の向こう側だ。こちらに残ったのは五十人にも満たない。
「円陣を組め!下がるぞ!」
レルガはカルマを守りながら後退しようとしている。こうなると下がるしかない。崖の上にいる賊を射落とすことは出来るが、一矢放てば隠れてしまうだろう。
下がろうとして振り返った風彪の目に飛び込んで来たのは、雷光に浮かび上がる人馬の群れだった。百はいるだろうか。
矢嵐は激しさを増す。もうすでに十人近く負傷した。後ろからもゆっくりと敵が迫ってくる。こちらは荷駄があるため素早く下がれない。それがもどかしい。レルガと自分が先頭に立ち、五十人で小さくまとまって走れば百ほどの敵を突破することなど造作もない。
荷馬車が一台横転した。後続の足も止まる。馬車は重い上、ぬかるみに足を取られ、立て直しがきかない。これを好機と見たか後方の賊軍が突撃を始めた。
ここで初めて風彪は弓に矢をつがえた。二本、三本と続け様に放つ。最初の一矢が馬を駈って踊りかかる頭領の喉を射抜き、続けて放った矢は最前列の兵を貫き通した。
今度はゆっくり引き絞って、十分の気合いと共に打ち出す。その一矢は一人を貫き、二人目に突き刺さってようやく止まった。一人目は仰向けに、二人目は前のめりになって泥の中に倒れた。しかし賊徒は怯むこと無くこちらへ迫り来る。
「レルガ、荷はあきらめろ」
周囲の喧騒に負けじと声を張り上げる。敵を突破するなら今しかない。この瞬間にも敵兵はこちらとの距離を詰めている。
「トラキア殿、どうなさるつもりか」
カルマだ。やはり荷を諦めきれないのか、それとも道の向こう側にいる兵をあてにしているのか。
「稜へ引き返す。命があれば荷はまた揃えられる。今ならまだ間に合う。全員で駆ければ」
「しかし…」
とまどっている暇はない。それでもカルマは首を縦には振らない。敵兵は目の前に迫っている。決断を下す前に戦闘が始まった。
乱戦になれば弓は使えない。棒を握りしめる。
一人目、大上段にふりかぶって叩きつけようとするその戟が落ちて来る前に、懐へ飛び込む。左手一本で突きをくれると、右に風を感じて飛び退く。大振りを外して隙の出来たところへやはり突きをくれた。
山賊にしてはなかなか動きがいい。訓練された軍としての動きになっている。
一人がレルガの背後を衝こうとしたのを見て駆け寄り、その頭を砕く。振り返り様、伸びてきた槍を払うと小さく横に薙ぐ。
「悪ぃ。助かったぜ」
敵の数はいっこうに減らない。レルガは大刀を縦に使っている。薙げば二、三人一度に斬れるが隙を作る。あまり大きな動作は見せられない。が、その戦い方に風彪は彼の強さを看て取った。力押しだけではない攻めもできる。
味方は二手に別れて戦っている。横転した馬車を中心にして防御の陣を張っている者と、乱戦の中に身を置き敵の勢いを削がんとする者。前者の中で林昭が奮闘しているのを見て、風彪は安堵した。あの様子なら自分が倒れるまでにやられはしないだろう。負っている傷も浅いものばかりである。
討っても討っても減らぬ敵に対し、こちらはほぼ半分ほどに削られた。相手は決して無理に押してこようとはしない。あくまで一兵ずつ確実に討とうとしている。しかしこちらをレルガや風彪を中心に奮闘し、そう簡単に崩れる気配はない。うまくいけば分断された兵と合流するまでしのぎ切れるかもしれない、と風彪が思い出した時、鼓を乱打する音が戦場に響き渡った。
「な、あれは…」
レルガの視線を追う。その先には黒馬に跨り、漆黒の具足に身を固めた騎馬武者が一騎。構えているのは槍でも大刀でもなく、戦斧。
「よりによって‘大斧’のクルーニーだ」
雷鳴と共に‘大斧’の姿が浮かび上がった。風彪は息を呑んだ。
――まさか。そんなことがあるのか。
その出立ちに見覚えがあった。
棒を手に駆け出す。遠くに聞こえる林昭の、レルガの制止を振りきって敵陣に飛び込む。突然の攻撃にも相手にたじろいだ様子はない。よく訓練されている。やはり‘大斧’は思った通りの人間なのか。
左から槍が、右から戟が突き出される。ほぼ同時、息の合った動作だ。下手に受ければ後続に刺される。風彪はぬかるんだ大地を力の限り蹴りつけ、跳躍した。二人の頭上を軽々と飛び越える。
予想外の動きに第二段の対応が一瞬遅れる。一呼吸ずれた相手の踏み込みを流して首を打つ。ちらりとあらぬ方へ曲がったその首を視界に収めながら、風彪の足は止まらない。
一度崩れたかに見えた隊列は立ち直っている。また同時に斬りかかってくる。今度はしかし、避けることはしない。小さく薙払って突き出された槍を払うと正面を塞ぐ兵だけを突き倒す。
すでに何箇所か斬られて血が滲んでいる。それでも立ち止まることはしない。
急に道が開いた。
「雇い主を置いて一人だけ逃げようったってそうはいかんわい」
いつの間にか‘大斧’が馬を下りている。地面にその戦斧を突き立てて、ただ一人突っ込んできた傭兵を待ち受けていた。
「わしとやり合うか、ここにいる手下どもになぶられるか、二つに一つじゃ。選べ」
四方を完全に取り囲まれている。崖の上からも何人かこちらを狙っているようだ。
「いいだろう。しかし、お前に俺が斬れるのか?ローグ=クーパー」
男の目が驚愕に見開かれた。
「貴様、今何と…」
「俺が勝ったら手下どもは引き揚げるのだろうな」
言いながら棒を泥の中に突き立てる。
「待て」
その声を一顧だにせず、剣を抜いて斬りかかる。首を狙った斬撃は戦斧の柄に弾かれた。勢いに任せて更に突きを繰り出す。相手が切っ先をかわして下がろうとする。間髪いれず今度は真正面から剣を振り下ろす。
またも柄に阻まれたその剣に渾身の力を込める。そうして相手と押し合う形になった。いわゆる鍔迫り合いの状態である。
「俺は風彪だ」
再びクーパーの顔に驚きが走る。
「な、にっ…」
「薪を割るのにそんな大きな斧はいるまい、と言ったのがつい昨日のようだ」
微かに顔をほころばせてみせた。クーパーが斧を引いた。
「風彪…様。生きておったのですか」
「父上の無念を晴らすまで死にはせん」
クーパーは戦斧を放り投げて泥中に座りこんだ。周りに泥が撥ねる。相変わらず雨は弱まることを知らない。二人の会話は雨音に遮られて他の者には聞こえない。
「お前こそ、何故山賊などやっている。父上は略奪や殺戮は一切禁じておったはず。返答次第ではここで斬る」
厳しい表情をして見下ろす。クーパーの顔がはっと上がる。
ローグ=クーパーというのは本名ではない。‘ローグ’とは‘ならず者’といったほどの意味である。彼は粗暴でしばしば軍令や軍律に背いたので、いつの間にかこう呼ばれるようになったのだ。
「それは」
「どうした。申し開きをしてみろ」
クーパーはしばらくうつ向いていた。やがて顔を上げると、ゆっくりと語り出した……
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