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第1話:下山

 残酷な描写は全篇に渡って無いように書いてはいますが、物語の性格上そういう場面もないとは言えませんし、そう感じる方もあるかもしれません。そのときはどうかお許しください。

 いつまでもここにい続ける訳にはいかないことは分かっていた。それは、ここに来たときから決まっていたこと。ただ、師匠と暮らしたこの村を離れられず、なんとなく二十年目の春を迎えてしまった。

 春風に木々がかすかにざわめく。山の風はまだ少し冷たい。囲炉裏の火は絶やせない。

 ふらり、と外へ出る。家というほどのものでもない、夜露をしのぐいおり。たったそれだけでも、彼にとってはかけがえのないのないものであった。

 何かの気配に気付いて振り返る。

風彪ふうひゅう

 声の主の姿は見えない。いつもそうだ。彼が姿を見せることはあまりない。ただ気配だけでその存在を主張する。いるのに、いない、矛盾した言い方だが彼にはそれが当てはまるのではないかと風彪は思わぬでもなかった。

鄭範ていはんか、お前がわざわざ来るとは。何があった?」

 鄭範は風彪に大陸の情勢をもたらす間者たちの長だ。滅多に自らここまで出向いてくることはない。そういう時は決まって何か大きなことがあったときだ。風彪はあまりいい気分がしない。

「この秘境も今日で終わりだ」

「何が来た?しょうか?」

 この村は今のところ特に税の徴収など受けてはいないが、昌という王国の領内にある。その昌は今、大陸最大にして唯一の帝国、第三帝国との戦争の最中である。

 奥地にあるこの村に戦火が及ぶことはなくとも、戦費を少しでも捻出ねんしゅつするため、昌が役人を派遣するというのはありそうなことだった。

 こんなこと他の村人は知らない。昌や帝国すらおそらく知らない。風彪がそんな僻地へきちにいながら外のことを知っているのは、鄭範達の働きのおかげだ。

「いや違う。山賊、流賊というべきか」

「山賊ごときの報せをおまえが持ってくるのか?」

 おかしい。それは、この村にとっては事件であるにしろ、鄭範がわざわざ持ってくるようなものではない。鄭範の答えを待ったが、返事は返ってこない。都合の悪いときはすぐ黙る。

「まあいい、なぜここへ来る?」

 一瞬の間があって答えが返ってきた。

「もちろん、食料のためだ」

「それにしたって、こんな山奥へ来ることはあるまい」

「知らん。俺がやるのは事実をつかむところまでだ」

「いいだろう、あとどれくらいで村に着く?」

「二刻(一時間)ほどだろう」

「分かった」

 師匠が死んで三年間、人に武器を向けることはなかった。それも今日で終わりのようだ。名残惜しくもあったが、それとは違う気持ちもまたあった。

 いつもと静けさの中、風だけはいつもと同じようにふいている。木々が、かすかにざわめく。その音は、自分の思いに似て揺れていた。


 家に戻って自分の背丈と同じくらいの棒を手にとる。なんの変哲もないただの木の棒、これがずっと風彪の得物だった。にぎるところが黒ずんでいる。この棒を、師匠と共に切り出したのはいつだったろう。

 むこうが登って来そうな場所に見当をつけて山を降りて行く。この土地の人間でない限り登れるような場所など知れている。

 近くにいるはずの鄭範に声をかける。

「こっちだな?」

 沈黙が返ってくる。たぶん間違いないのだろう。どうやら鄭範は手出ししないつもりらしい。

 森の中で腰を下ろして待つ。切り株がところどころにあって、時々村人たちがすわるために切り株の口をととのえているのだ。そういうところにすわって目をつむると、森の声が聞こえる。

 急に森の気配が変わった。ずいぶんがさつな気配だ。森がざわつく。思っていたより遅かった。賊の中にはかなり組織的なものもあるらしいが、どうやらそういうてあいではないようだ。立ち上がって方向を確認すると、一息に集団との距離を詰める。あと二十歩ほどのところで相手が武器を構えた。

「何だ、お前は?そこをどけ」

 答えずにただ真っ直ぐ相手を見る。声を出したのが首領だろう。たいした腕ではない。他の者も武装はばらばらで、前にいる何人かだけがまともな武器を持っていた。それでも所々かけているのが遠目からも分かる。

「よっぽど死にたいらしいな。おい、野郎共やっちまえ」

 打ちかかってくる。しかし先頭でかかってくる者たち以外は動こうとしない。あまり殺生せずに済みそうだ。


 林昭は頭の声を聞いて踏み出そうとしたが、何かに打たれたように足がすくんで動けなくなってしまった。

 まるで幻を見ているようだった。相手は一歩も動いていないのに、打ちかかっていった仲間は次々と倒れて行く。まるで、白い風が吹き抜けるようだ。瞬く間に二十人ほどが倒れた。逃げ出してしまいたかったが、一旦止まった足は動かなかった。

「同じようになりたくなければ武器を捨てろ」

 林昭は持っていた槍を投げ捨てた。


 鄭範は木の上から一部始終を見ていた。まず風彪の姿を認めた首領が声を上げ、前にいた二十人ほどで打ちかかった。

 風彪は一人目を突き倒すと、右へ薙払って槍を振り上げた二人を倒し、左から来た一人を棒の反対側で打った。鄭範に分かったのはそこまでだった。

 残りは一斉にかかっていったが気付いた時には風彪一人が立っていた。生きている者はない。風彪のまとう白衣には、一点のしみもない。

 はじめてこの男が恐ろしいと思った。


 思った通り一瞬で片は付いた。残った五十人ほどは一人が武器を捨てると皆一斉に武器を捨てた。

「お前たちにも故郷があるだろう。二度と山賊などにはならず、真面目に暮らせ」

 そう言って背を向けた。

「ちょっと待て。それは無理というものだ」

 苦笑しながら鄭範が姿を見せた。鄭範が呼ばれもせずに二回も出て来るのは珍しい。姿を見せるのも、だ。

「こやつらが進んで賊に身を落としたとでも思っているのか?いくら世間知らずとはいえ、お前もそこまで馬鹿ではあるまい。少し考えれば帰る場所などないことぐらい分かるだろう」

 世間知らずと言われても腹は立たない。鄭範に比べて自分が世間を知らないのは仕方ない。ここ十年近く同じことを言われ続けている。

「ではどうしろと?」

「それを考えるのはお前だ」

 何が必要なのか。彼らが二度と賊に身を落とさないためには。

 ほとんど雨露をしのぐ以外に使い道のない庵だったが、書物は多かった。書庫が庵の半分近くを占めていた上、書庫のほうが雨漏りしにくかったくらいである。雨の日はほとんど書庫に入ってすごしたし、そうでなくても毎日何か読んでいたから知識には事欠かない。しかし、書物から得られるのは知識ばかりで、こういう場面で求められる機転を身につけることはできない。

 民を落草させない、ということは政治が受け持つ分野である。なんとあったか。倉稟そうりんちてすなわち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱えいじょくを知る、という一節がまず頭に浮かんだ。生活にゆとりができれば道徳意識は自然と高まるということを意味している。まず必要なのは生活の保障だ。

 そこまで考えて思い当たることがあった。

「鄭範、いつか俺がここを出て行く時には必要なものは全て揃えると言ったな」

「あぁ、何が必要だ?」

「三十人が半年暮らせるだけの食糧が欲しい」

「分かった、手配しよう」

「それと路銀をいくらか」

「分かった、三日待て」

 武器を捨てた三十人の方へ向き直ると、彼らは無言で、脅えた顔つきでこちらを見ていた。さっきの今では仕方ないと思いつつ、そちらへ話しかける。

「改心するなら、村で暮らせるよう村長に掛け合おう。故郷へ帰りたいものも、最低一年の間ここで働け。罪の償いだ。気に入らない者は去るがいい」

 それだけ言うと背を向けて歩き出した。いつの間にか鄭範は姿を消していた。


 林昭たちはそれから三日、野宿して過ごした。賊といわれる身分になって野宿には慣れたと思っていたが、村の中にいるとさらし者になっているようで居心地が悪い。村人たちの突き刺すような視線が痛い。

 四日目の朝、風彪が三十人を集めた。

「村でお前たちを預かってくれることになった。ただし住むところ、耕す畑は無い。一から作れ。私はここを離れるが、絶えず私の『目』が見ている。おかしなことはするな」

 林昭はなんとなく落ち着かなくなった。今まで悪事を働いてきた身で、こうして居場所を与えられている。本来なら不満などないはずだった。しかし、どこかに違和感を感じていた。

 風彪が、来た。はじめて見た時と同じような棒の先に荷をくくりつけている。荷は、なぜかとても細長い。つるしてあるのではなく、棒に縛りつけてある。背にはえびらがある。弓でも入っているのだろうか。しかしその矢は、林昭が今までに見たどんな矢よりも長く太い。出て行くというのは本当なのだろうか。それにしてはあまりに少ない持ち物だと、その場にそぐわないことをぼんやりと考えていた。

 風彪は林昭たちに背を向けて歩いていく。その背中を木々の間からもれる朝日がまだらに染める。その色はまるで、雪のようだった。

 風彪が出て行く。そう思ったとき、自分の違和感が何だったのかにようやく気付いた。

 転げるように前へ飛び出すと、地に手をつき、頭を下げた。振り向き、訝しげに自分を見下ろす風彪の顔がまたまだらに染まる。

「私を連れて行って下さいませんか」

 その眼に、一瞬光がよぎった。たんなる陽の光だったのかもしれない。しかし林昭にはその光が風彪の中から発せられたように見えた。その光を頼りに、もう一度請う。

 風彪が林昭の思うところには連れて行けないと言った。旅には目的があり、自分の従者になるからには、それなりの腕も身につける必要があるとも。いつ命を落とすかも知れぬと。

 そんなことは承知の上だ。落草した自分にもう一度生き直す機会を与えてくれた。行かなければきっと、一生後悔する。

 半ば困惑した顔で、それでも風彪は林昭がついて行くのを許してくれた。


 食糧が届いたのを見届けてから山を下りた。

 帰って来ることはないだろう。同じ雲は二度と戻って来ない。

 倉稟そうりんちてすなわち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱を知る…出典『管子』

 衣食足りて礼節を知る、のもと。


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