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迷いし月の狩人(かりびと)〜序章・静寂の森で〜

作者: 紫堂虚玖

 このプロットは作者が十年以上も前に創作したものです。その後、某賞の公募に向けて執筆しましたが、漫画「ベルセルク」の存在を知って、その世界観に圧倒されて断筆しました。 今回は腕試しのつもりで、ケータイでの読書用に書き直してみました。どうぞご一読ください。

 太陽が眩しかった。

 牧歌的風景の広がる丘陵を、風が初夏の薫りを運んでいた。

 色とりどりの花が咲き乱れる天然の花園で、小鳥の囀りを耳にしながら、若い男女が二人、互いに身を寄せて語りあっていた。

 街道から大きく逸れている事もあり、そこは二人だけの世界に感じられた。

 男は一見して上等と解る衣服に身を包み、対して女は地味な服装だった。

 まだ少女の面影を残す女は、地面の花々を背に寝転んで、空を見上げた。

「素敵な場所ね。大地の神々に愛されてる感じがするわ」

 女の右手には澄んだ湖水が、左手には緑豊かな森が広がっていた。女はその花園をすっかり気に入った様子だった。

 男もその場に寝転び、女の傍らで肘枕をついた。男が爽やかな笑顔を浮かべると、その口元からは白い歯がこぼれた。

「素晴らしい場所だろう? ここは私の所有地でも特別な空間なんだ」

 男は女に顔を近付け、女の瞳を覗き込んだ。

「ここの花は自然に咲くのに任せているんだが、手入れを重ねた薔薇にも負けない美しさがあると思わないかい? もっとも、君の魅力には適わないけどね」

 女は男の瞳を見つめ返して、意味ありげな笑みを浮かべた。

「それは私が手入れしようのない田舎者って事かしら?」

「とんでもない! 君の笑顔は薔薇よりも魅力的だよ。君の瞳はこの指輪なんかよりもずっと美しい」

 男は片手を女の金色の髪に延ばした。男の指には金環のルビーと銀環のエメラルドが輝いていた。

 男の指先を擦り抜ける様にして、女の髪は逃げて行った。

「育ちのいい人はロマンチックなのね。あっ、リス!」

 女は男に背を向けて起き上がり、森の方へ、花園の外れにある茂みに視線を向けた。

 男は女の無邪気そうな仕草を眼で追った。

 不思議だった。

 男は、出会ってから数時間しか経たない、素性の知れぬ女に、すっかり心を奪われていた。

 男は若くして亡父から莫大な遺産を受け継ぎ、今や広大な土地の領主の地位にあった。相手をする女には不自由しなかった。

 それがどうしてだろう? どうしてその女に心を支配されるのだ? 十人並の器量の、何処にでもいる垢抜けない女なのに。

 太陽が、眩しかった。女の金色の長い髪は輝いて見えた。昼下がりの明媚な風景に溶け込んで、女の姿は美しかった。

「おかしいなぁ。居たと思ったんだけどなぁ。リスちゃん出ておいでー」

 女は右手で、何かを招く様な素振りを、彼方に向けた。左手では金色の髪を、後頭部から左肩に流す様に梳いた。

 女の白く細い首が、男の視線を虜にした。

 男の心の奥底に潜む何かが、衝動に駆られた。

 男は突然駆け出すと、女を背後から押し倒した。

「何をするの! やめて!」

 男の耳に女の声は届かなかった。荒々しく、女の衣服は引き裂かれた。花が千切られる様に、無残に。

「いや! いや!」

 男は血走った眼で、一心不乱の態で、女を押さえ付けた。

 女の悲鳴が虚しく辺りに響いた。

 不意に、男の動きが止まり、動かなくなった。

 女は閉じた目蓋をゆっくりと開き、何事が起こったのかを確かめた。

 眼前の男の首の真横、頸動脈のすぐ脇で、白刄が陽光を冷たく照り返していた。


 男の首元を狙う諸刃の長剣。それを握り締めるのは、服装から察するに旅人らしかった。

 目深に被られた鍔広の帽子、緑濃い草色のマント。敦れにしても、粗末な身なりだった。

 それだけならば珍しくもないのだが、旅人をよく見れば、誰もがその異様さを認めるだろう。

 マントの内側に覗かれる長袖の装束。獣の毛皮を鞣した防寒具に違いなかった。旅人の手袋にしても、狩猟の際に手を保護する為のものというよりも、体温を逃さぬ為のものに見受けられた。

「立ち上がれ」

 旅人の声は若かった。それでいて、形容しがたい凄味を孕んでいた。

 我に返った男は、おののきながら、震える声で弁解しようとした。

「ち、違うんだ。私はそんなつもりは――」

「黙れ! 立てと言ってるんだ!」

 命令されるが儘に男は立ち上がり、女から離された。男の喉元では凶刃の切っ先が、獲物を前にした蛇の如く狙いを定め続けた。  男は、自分と女の間に躰を滑り込ませた、旅人の顔を見た。

 若い。年齢はせいぜい十代の後半だろう。それでいて旅人の落ち着き様は、相当の修羅場をくぐり抜けてきた事を物語っていた。

「そいつを殺して!」

 女の叫び声は、男を一層震え上がらせた。

「こんな屈辱を受けて、生きていくのに耐えられないわ。お願いだから、そいつを殺して」

 男は慌てて、状況を説明しようとした。

「待ってくれ。話を聞いてくれ」

 長剣の切っ先が、軽く男の喉笛に触れられた。旅人は無言で男の弁明を拒絶した。

 女の啜り泣く声が男の耳に届いた。

「わたしは、もう、村に帰っても、後ろ指を差されるだけだわ。せめて、わたしの代わりにそいつを殺してちょうだい。お礼に、わたしを好きにしていいわ」

 それまで白蝋さながらに無表情だった旅人の口元が、徐に歪んだ。

「お前さんを、俺の好きにしていいのかい?」

「いいわ」

 男は見た。鍔広の帽子の影の奥に、憤怒と憎悪に彩られた、妖しい光を放つ旅人の両眼を。

 旅人の右手が振り上げられた。白刃が陽光を照り返した時、男は恐怖のあまり目蓋を閉じた。

 GYAAAA!!

 断末魔の叫びは、空気を震わせ大地を揺るがした。その響きによって、森の木々から鳥が羽撃き飛び去る音が聞こえた。

 男は心臓が止まるかと思った。恐々と目蓋を開き、予想だにしなかった光景を目の当たりにして、その場に崩れ落ちた。

 旅人が右手に握り締めた長剣は朱色に汚れ、その切っ先からは鮮血が滴り落ちていた。

 男に背を向けて立ち尽くす旅人の足元には、先程まで泣き崩れていた女が、かつて女だった亡骸が、そこに転がっていた。

 亡骸の頭部はかち割られ、その中身は飛散し、以前の原型を全くとどめていなかった。

 男は咄嗟に逃げ出そうとしたが、腰が抜けたのか、立ち上がれなかった。

(イカレてる! こいつはイカレてる!)

 驚愕する男には眼もくれず、旅人は次の行動にでた。懐から革製の袋を取り出すと、栓を外し、中身を一口飲み込み、その残りを亡骸に注いだ。無色の液体が亡骸の背中を濡らした。

 風が臭いを運んだ。男はそれが酒である事を知った。恐らくアルコール度数は高いだろう。

 旅人は酒を注ぎ終えると、今度はマッチを取り出して、火を点けた。

 亡骸に炎が燃え広がったかと思うと、それは、突然空高く跳躍した。

 SHAAAA!!

 それは空中で、炎の燃え移った背中を、自ら削ぎ落とした。その腕は、長さも関節の数も、人間のものとはまるで違っていた。三節の腕は、一節がその体躯と同じくらいもあった。その先では、五指が五叉の鎌に変形していた。

 更にそれは、胸の辺りから、裂かれた衣服の隙間から、新たに醜悪な顔を突き出した。その大きく左右に裂かれた口からは、何かが勢いよく吐き出された。

 旅人はその吐射物を、左手で掴んだ草色のマントを翻らせて防いだ。

 吐射物の飛抹が、事態を飲み込めずに、呆然とする男のブーツの片方にかかった。

 忽ちのうちに、そのブーツは激しい音を立てて溶けはじめた。男は悲鳴を上げながら、急いで問題のブーツを脱ぎ捨てた。

 男は自分の身に被害が及ぶ前に、どうにかブーツを脱ぐ事ができた。

 その間に、決着は着いていた。

 旅人は飛来する敵を、左にサイドステップして躱した。躱しつつ、尋常ならざるスピードで長剣を振るった。

 一呼吸で、魔物の右腕を二回薙ぎ払った。その反撃は、正確に魔物の関節を、第一節と第二節を弾き飛ばしていた。

 痛みを感じないのか、魔物は一瞬たりとも怯まなかった。残された左手で、旅人の長剣の刃を捕らえた。怪力で旅人の躰を自分の胸前に、兇々しい魔物の顔前に引き寄せた。

 魔物の腹部から新たな腕が、残された衣服を突き破り、旅人を襲った。

 常人ならば瞬きをする間もなく、絶命していただろう。だが旅人は常人ではなかった。

 旅人は長剣を手放すと、その右手で襲い来る魔物の腕を受け流し、自分の右脇に滑らせた。

 VUAAAAH!!

 男がブーツを脱ぎ捨てて顔を上げると、そこには身体中を波打って暴れ狂う魔物の姿があった。それは間もなく、沈殿する泥の様に、力なく崩れ落ちた。

 後には、左手に短剣を構えた旅人の姿があった。

 旅人は魔物の懐に飛び込んだ際に、その魔力を秘めた短剣を魔物に突き刺していたのである。

 短剣の柄の先に嵌め込まれている青き玉石。まるで魔物の魔力を吸収したかの様に、それは蒼く妖しく煌めいた。

 旅人は狩りを終えると、短剣を鞘に収めた。鞘は左のロングブーツの外側に、革のバンドで固定されてあった。旅人が左膝を曲げると、ちょうど短剣の柄が突き出る格好だった。

 消えゆく魔物は、既に泥と泡の化合物と化していた。

「おのれェェ、憎し、憎しや人間めェェ、生ある限り呪われるがいいわァァ」

 魔物は、旅人に怨みがましい言葉を残して、完全に消え去った。

 その跡地からは花々も姿を消した。これから数年は、大地の神々の祝福を受けぬ、忌まわしき腐敗土と化したのだった。

 旅人は不敵な笑みを浮かべた。

「生憎だなァ。俺ならとっくに呪われてるぜ」

 旅人の名はアトラグナス。故あって呪われし者。常人には見えぬ影を眼にし、聞こえぬ音を耳にする者。夢魔の世界を、ある目的の為に彷徨い続ける者――。


 辺りが静けさを取り戻した頃、男はようやく事態を飲み込んだ。奇声を発すると、アトラグナスに歩み寄った。

「君、ありがとう。君のお蔭で助かったよ」

 昂揚する男とは対照的に、アトラグナスは力なく歩きだした。心なしか彼の躰は震えていた。

「なぁに。気にする事はねぇよ」

「あいつは私の命を狙ったんだろう? あいつは一体何なんだい? どうして君にはあいつの正体が解ったんだい?」

「気にするなって。そんな事。それより、ブーツは残念だったなぁ」

 アトラグナスは魔物が勢い余って飛ばした長剣を拾い上げた。その時になって、男はアトラグナスの躰の異変に気が付いた。

 アトラグナスの左の手袋は大きく破損し、そこからは五指が露出されていた。その皮膚は赤黒く腫れ上がり、見る者に重度の火傷を思わせた。

 男は思った。彼は魔物を倒した際に、左手に大怪我を負ったのだと。

「君は命の恩人だ。君には感謝の言葉もない」

「礼の言葉なんて要らねーよ」

「そう言わずに――」

 男は再び自分の眼を疑った。アトラグナスが右手にした長剣。その切っ先が、またも自分の喉元に突き付けられたのだ。

「言葉は要らねーけど、礼はしっかり払ってもらうぜ。とりあえず、有り金だしな」

 金貨十枚に銀貨と銅貨が数枚入った財布の袋。指輪、純金のネックレス。柄に象牙の彫刻を施した、折り畳み式のナイフ。シルクのシャツ、革のベルトに乗馬用のズボン――。

 男は下着と片方だけのブーツを除いて、身ぐるみ剥がされてしまった。

 呆然と立ち尽くす男を置き去りにして、アトラグナスは疾風の如く花園を駆け抜け、森の奥へと姿を消したのだった。


         〈了〉

 シーンとしては作品全体の冒頭に過ぎないので、読んで戴いた方の中には消化不良と感じた方がいらっしゃるかも知れません。この場をお借りしてお詫びします。 宜しかったら貴方のご意見ご感想をお寄せください。

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