9
この世界にきて、約3年ほどがたった。村から旅立った私は地図で上へ上へと進んでいる。この世界の方位を私の常識に鑑みれば北へ進んでいるという事になるが、地球のように北へ行けば行くほど寒くなるという訳ではなかった。かといって暑い訳でもない。
この世界には四季が存在しなかった。欧州なんかのように緯度の関係でないのかと思ったが、そんな事もなく。というよりも、この世界での地域の特色というのは基本的に、その地に住む力のかたまり、便宜上精霊と呼ぶが、それの性質に左右されるようだ。火の精霊が多く住めば暑い地域になるし、氷の精霊が多ければ寒い。
水の精霊が多ければ水脈が豊だし、土の精霊が多ければ鉱脈が多い。火の精霊と水の精霊が同じ位ならなんと温泉が名物になったりしている。他にもいろんな組み合わせでその地域の特色が現れるらしいが一番多いのは全てが同じ位いて、年中春めいた地域だ。
温暖な気候の地域が多いため農耕も盛んで食料に困る事はあまりないようだ。その為、戦争の種になりやすい食料不足もあまりなく、なければ別の地域から買うだけの力も基本あるため戦争という戦争の歴史があまりないようだった。
けれど、精霊とモンスターは比例しているらしく、精霊が多かったり強いとモンスターもそれに同じく多かったり強かったりするそう。その為モンスター退治の需要も多く、狩人になる人間も自然多くなる。私が村で登録を行ったのはそんな連中を統括すべく作られたギルドのようなもので、身分証明と換金、仕事の斡旋等をしてくれる。
中にはちょっとしたお使いレベルから遺跡の調査なんて物もあったりするのでゲームなんかのハンターズギルドのとまぁ同じである。
そこで依頼を受けながら街を点々としていたのだが、事ある事にあの最初の道中であった男ー名をラウドバルトというーに出会い、ことあるごとに厄介事に巻き込まれたのはまだ記憶に新しい事である。
むしろ一昨日奴と同じ仕事を終わらせたところだ。とある村近くに巣を作った巨大アリの駆除であったが、これだけでももう二度とやりたくないというほどのものであるのに、ラウドの奴があちこちのアリの仕掛けたトラップをつついて回り、本来なら1日あれば終わる物も10日に及ぶ大騒動になってしまった。とりあえず全部終わってから殴っておいた。奴の全治二週間の怪我はいうに及ばずアリでなく私の攻撃の賜物であるとだけいっておこう。
とりあえずしばらくは休もうと思いこの街で宿を取っている。昨日は身体を休める事に使ったので今日は街へと出かけようと思う。装備に支障はないが、それでも10日も地味にモンスター退治をしていたので軽くチェックと細々とした消耗品の補充だ。当然この地域の言葉も分からないのだが、冒険者も多いこの世界では不自由この上ないので、ある種の専門用語のような形で物の名前や簡単な挨拶があるため意外と買い物や依頼を受けるのには困らなかったりする。
なかなかこの世界にも馴染んできたなぁと思いながら街を物色する。この街はレンガ造りの建物と石畳が特徴で欧州のような雰囲気が漂っている。
朝には市場がたったりもするが、それこそ地元の言葉が分からないと買い物が出来ないような場所なので行かない。行っても何も買えなかったし。なので冒険者相手の店へ行くしかない。そういう場所はギルドの近くに集まっているのでそこに向かいながらウィンドウショッピングに勤しむ。見るだけはタダじゃないか。
しかし、私はここで足を止める事になる。それは、小さな画廊のようだった。この世界でも油絵が美術界の主流のようで、小さな作品をいくつか展示販売しているようだった。勿論それも目についてはいたのだが、私が目を離せなくなったのは、軒先で小さく露天商のように売り出されたスケッチブックである。
B4サイズくらいのそれに私はある衝動に駆られた。
この間行った、薬草取りの仕事。崖の上にしか生えないというそれを取りにいくのは中々骨の折れる作業だった。ぐるりと回り込んだり、足元の半分もない様な場所をロッククライミングしたりとまぁドキドキの体験をしながらその場所にたどり着いた時には、既に夕方になっていた。これで野宿決定かとため息をはいたところで、私は別のため息をこぼす事になる。
思えば、夕焼けや朝焼けの空が好きでよく写メを取っていた。そればかりでなく、友達と旅行に行ったりすればいろんな風景をカメラに収めていた私は、目の前に広がる日本ではあり得ないほどの夕焼けに染まる大平原を前になぜここにカメラが存在しない!?と地団駄田を踏むしかなかった。
それはもう、息を呑むほどの美しさだった。
地平線へと吸い込まれるように沈む太陽に合わせてオレンジから朱色、青から紫や紺に様相を変えていく空に見とれ過ぎて野宿の準備を忘れるほどである。
あわてて暗くなってから準備を始めたとも。そして一夜明けた朝焼けも見事な物だった。淡く紫からピンクへと夕焼けとは違った美しさに早起きしてよかったとガッツポーズさえした。ああ、この万分の一でもかまわない、それを残せたら。そう思った事は実はこの一回どころか何百と存在する。
そして私の目の前にはスケッチブック。
思った。
こりゃ描くしかない。
そう思ってみはしたものの、そう簡単にいくはずもない。そもそもこの世界に鉛筆もチューブ入りの絵の具なんてものも存在しない。あるのは木炭と顔料である。木炭では当然色が表現出来ず。また顔料なんて使い方すら分からない。油に溶かして使うのは分かるがその配合も何もかもが分からないし、第一そんな荷物しょって旅なんて出来ない。
ナノでついうっかり鉛筆と色鉛筆を開発してしまった。
自分で?無理無理。
でも何となく作り方は何故か小学生の頃行った鉛筆工場見学でうろ覚えで知っていた。ならばとギルドに依頼を出したのだ。ギルドは商人達も多く参加し、ある種の流通が作られていて意外とこういった物造りの依頼も出る。確かにそれなりの金額は出したが、意外と皆こぞって応募してきたので市場に出回る日も近いかもしれない。
そして私といえば描いた。描いて描いて描きまくった。それまで手帳の隅にらくがきしていたのとは違う、大きな紙に沢山描ける喜びにテンションが上がり過ぎて一日でスケッチブックが所狭しと埋まってしまった。結構高かったのに。新たにもう少し小さいスケッチブックを何冊か購入し、鉛筆と一緒に小さな袋に入れて私は、旅のお供兼旅の目的「絵を描く」を手に入れた。
こうして私は自分にとって運命を変える出会いをしてしまったのである。この時既に帰る方法を探してなかった。自分の事ながら何の為に旅に出たのやら。本末転倒である。