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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

星告げと氷の宰相

作者: 甘灯
掲載日:2026/02/08

『今宵、獅子王が死ぬ』


 薄いベールの向こう――艶やかな唇が、流れるようにその言葉を紡いだ。


 シルヴァリオは、不覚にも息を呑んだ。


 それほどまでに、その言葉は軽々しく口にしてよいものではない。


 この瞬間、一般市民の皮を剥ぎ取り、この国の宰相として――

 この不届き者に不敬罪を言い渡すこともできる。


 だが、シルヴァリオはぐっと唇を引き締めた。


 今の自分は、しがない一般市民。

 ここにはお忍びで来ている身だ。


 ――シルヴァリオ=アルトーン。


 貴族から、『氷双の裁定者』

 国民から、『氷の双剣』


 呼び名が異なれど、共通して囁かれる評がある。


 ――その氷の刃のような双眸を向けられた者は、すでに逃げ場を失っている。


 剣を振るうことなく、理の刃で人を裁つ。

 それがシルヴァリオ=アルトーンという男だった。



 そんな彼には、誰にも語らぬ密かな趣味がある。


 ――それが、星告占(ほしつげうらな)いだ。


 シルヴァリオは、憶測で語らない。

 数多ある情報から真実のみを抜き出し、相手を射竦めるような鋭さで言葉を放つ。

 冷えきった灰の瞳は、相手の一切の隙を逃さず、妥協を赦さない。


 国王に言わせれば、『脳みそに合理だけを詰め込んだ、堅物』らしいが。


 兎にも角にも、シルヴァリオという男は、目に見えるものしか信じない、現実主義者。

 ――周囲は、そう信じきっている。


 そんな彼は今、最も縁遠いはずの場所。

 いや、相容れぬはずの場所にいた。

 

 王都・星告(ほしこく)通り

 占星師(せんせいし)に占ってもらっている最中だった。


 これが表沙汰になれば、今まで氷の刃と評された自分の立場に、一瞬で亀裂が生じ、粉々に砕け散るだろう。

 ――それだけは、是が非でも避けねばならない。


 シルヴァリオは小さく咳払いし、占星師を見据えた。


 薄く黒いベールが目元を覆っている。

 蝋燭の灯りに照らされた肌は、陶器のように白い。

 覗く頬のラインは、流れるように美しい。

 形の整った薄い唇は朱に彩られ、今は一直線に結ばれていた。


「…具体的には、何で死ぬというのですか?」


 冷たい眼差しを保ったまま、シルヴァリオは問い返す。

 彼女の微動だにしない仕草を、一つも見逃さぬよう注意深く見据えながら。


『…王に紅き果樹酒が運ばれる』

『…それは心臓を突き立てる刃』

『…身体は凍えるように冷え切り』

『そして、二度と動くことは叶わぬ』


(毒…ということか…?)


 シルヴァリオは、顎に手を添えた。


「今宵というのは、間違いないのですね?」


『今宵は――星が散る』

『空が、星を喰らう…特別な日…そう――』


「星喰いの日…」


 思わず、シルヴァリオはその言葉を口にしていた。


 占星師は、言いかけた言葉を飲み込むように静かに口を閉ざし、わずかに頷いた。


「闇に紛れるには…これ以上ない条件ですね…」


 シルヴァリオの独り言に、占星師は沈黙を貫いた。


「ちなみに…場所……」


『獅子を冠した王』

『――眠る場所は、静謐のみに満ちて』

『王の足元…音もなく絡みつく』

『二つの舌は、甘い偽りと冷たい真実をもたらす』

『そして……盃を重ねることはない』


「星のお告げはここまでです」


 予言を告げる声より――やや高い声。

 占星師は、そう言葉を締めくくった。


「……ありがとうございました」

 

 礼を述べると、シルヴァリオは席から立った。

 占星師もまた、反射的に立ち上がる。


 そして歩き出した、その次の瞬間――かすかな抵抗が足元に伝わった。

 

 シルヴァリオは、迂闊にも占星師のローブの裾を踏みつけていた。

 占星師は体勢を崩し、その拍子に、長いベールがふさっと落ちる。

 

 ――蠟燭の灯火が、大きく揺れた。


 シルヴァリオは、咄嗟に彼女を支える。

 その瞬間、彼女の素顔が露わになった。

 

 ――息をするのも忘れ、その黄金色の瞳に魅入られる。

  

 占星師は彼の胸元を強く押し退け、咄嗟に距離を取った。

 そして袖で顔を隠しつつ、足元に落ちたベールを拾い上ると、すぐ被り直す。


「し、失礼!」


 シルヴァリオが慌てて謝罪するが、


「……もう、お帰りください」


 彼女の口から発せられたのは、あまりにも冷淡な声音だった。


 ――拒絶。


 シルヴァリオは言葉を失い、もう一度、深々と頭を下げる。


 そして何も言わぬまま、天幕の外へと姿を消した。




   ◇ ◇ ◇




「絶対、見られたわ…」


 占星師―ルル=アストレイア=ノクターンは、深くため息をついた。


「まだ分からないでしょう」


 布を針で縫いつけながら、叔母―カミラが楽観的に言う。


「目が、合ったもの……一瞬だったけれど」


 その気休めの言葉を素直に受け取れず、ルルは崩れ落ちるように丸椅子に腰を下ろした。


「この瞳を……見られた……」


 思わず俯く。


 ――その瞳は、輝くような黄金色だった。


「…星詠(ほしよみ)が姿を消して、もう久しいわ」

 

「でも―」


 ルルは、天幕での出来事を思い返す。 


「……あの『氷の双剣』なのよ」


 貴族からも、市民からも、恐れられるあの宰相が、まさか占いに訪れるなど夢にも思わなかった。


「……最悪だわ」


「私たちは決して罪人ではないわ。 それに宰相様は、理不尽なことで断罪するお方ではないはずよ」


 カミラの言葉は、理屈として納得できるものだった。


 宰相―シルヴァリオ=アルトーンは、平民であろうと、己より高い身分であろうとも、等しく裁く。

 

 恐れられる一方で、市民からの信頼もまた、確かなものだった。


「――ルル」

 

 名を呼ばれて、ルルは顔を上げる。


「誇りを、忘れては駄目よ」


 その言葉に、ルルは自然と背筋を伸ばした。


「もちろん。私たち――星詠の誇りは決して忘れないわ」


 強い眼差しで、窓の外を見る。

 昼間でも星が見えるはずの空は、漆黒に染まっていた。


「――星喰い」


 小さく呟いた声は、静かに、夜空へと溶けていった。




   ◇ ◇ ◇




 葡萄酒の入ったカラフェを抱え、女は静かに寝室へ足を踏み入れた。


 (現国王の部屋にしては……随分と質素ね)


 さり気なく視線を巡らせる。

 

 獅子王と冠される現国王―レオン=レオニス。

 太陽のような華やか容貌を持つ王の私室にしては、あまりにも飾り気がない。


「ん? 誰かいるのか」


 天蓋もない寝台の上で、気だるげに横になっていたレオンは、のっそりと上体を起こした。


「はい。お休み前のお酒をお持ちしました」


 女は艶を含んだ声で、穏やかに告げる。


「そうか」


 近くへ来るよう促され、女はしずしずと王のもとへ歩み寄った。


「見ない顔だな。新入りか?」


「はい」


「座ったらどうだ」


 物腰柔らかい声音に促され、


「失礼いたします」


 女は、レオンの傍へと腰を下ろした。

 

 雑談を交えながら、女はカラフェを傾け、葡萄酒を硝子の杯へ注ぐ。

 小刻みの良い小さな音を立てながら、杯は深い赤に満たされていった。


「硝子製とは、珍しいな」


 レオンの何気ない一言に、女の手が一瞬だけ止まる。

 内心の動揺を押し隠し、妖艶な微笑みを浮かべる。


「はい……葡萄酒の色合いを、ぜひ楽しんでいただきたく」


「ほう」


 杯を受け取ったレオンは、それを燭台の灯りにかざす。

 茶を含んだ深い赤が、指先の動きに合わせて静かに揺れる。


「なるほど。お前が見せたくなるのも分かる。いい色合いだ」


 満足げに頷くレオンに、


「そう言っていただけて……とても光栄ですわ」


 女はそう応じた。


 そして逞しい胸元へゆっくりと手を這わせながら、女は切り込みの入った薄布の隙間から、すらりとした脚を覗かせる。

 蠟燭の灯りに照らされ、滑らかな肌が艶やかに光を帯びた。


「味の方も申し分ございません。どうぞ……召し上がってください」


 身を寄せ、耳元で囁く。


「そうだな」


 レオンは頷き、硝子の杯を傾けながら、口元へと運んだ。


 女は、内心ほくそ笑む。


 その時。


「――それを、こちらへ」


 静寂に溶け込むような、低く静かな声が背後から落ちた。

 

「……!」


 女が、弾かれたように振り返る。


 ――そこに立っていたのは、燭台を手に持ったシルヴァリオだった。


「リオか、どうしたんだ?」


「その杯を、置いていただけませんか」


 言われたまま、レオンは寝台脇の卓へと硝子の杯を置いた。 

 

 それを確かめると、シルヴァリオは静かに歩み寄る。

 燭台を卓に置き、代わりに、そこにあった空の銀杯を手に取った。


 ――女の目が、わずかに見開いた。

 

 それの変化を横目に捉えながら、シルヴァリオは葡萄酒を銀杯へと注いだ。 


「――ご覧ください」


 そう告げると、再び葡萄酒を元の杯に移し、空になった銀杯を差し出す。

 

 促され、レオンは杯の中を覗き込んだ。


 ――銀の杯は、黒ずんでいた。


「……ほう」


 レオンは驚いた様子も見せず、ただ静かに呟いた。




   ◇ ◇ ◇




「占星師殿。貴女の言葉がなければ、陛下は今頃……感謝いたします」


 天幕の中へ入るなり、シルヴァリオは深々と頭を下げた。


「私は、星の導きを詠んだに過ぎません。礼など不要です」


 ルルは椅子に腰掛けたまま、視線を向けずに言い放つ。


「それでも、私は礼を言いたかったのです」


「では、その用はもう済んだことでしょう。どうぞ、お帰りください」


 あけすけな拒絶を滲ませ、入り口へと視線を移す。

 しかし、シルヴァリオは立ち去ろうとはしなかった。


「もう一つ。……先日は失礼いたしました」


 その一言で、彼が何を詫びているのか悟る。


「気にしていません」


 短く返した、その直後。


「あなたが“星詠”であることは、承知しています」

 

 ルルは思わず、息を吞んだ。


「貴女が星詠の一族であろうと、それは過去のことです。

 それを理由に、貴女を非難するつもりは毛頭ありません」

 

 その言葉は、ルルにとって思いもよらないものだった。

  

「それだけお伝えしたかったのです。………では、失礼します」


 一礼を残し、シルヴァリオは身を翻した。

 声をかけることもできないまま、ルルはその背を見送る。


 その時。


 あらゆる音が、すっと遠のいた。

 まるで不可視の壁に隔たれたように、世界が静まり返る。

 研ぎ澄まされた耳が、ひとつの音を拾い上げた。 

 

 キィィン……

 

 音叉を打ち鳴らしたような、空気の震え。

 

 ――星告げが降りる。


「……待って」


 制止するその一言に、シルヴァリオは足を止め、振り返った。




   ◇ ◇ ◇




『終焉は、まだ遠い』

『闇はなお、獅子の足元で蠢く』


 書物を捲る手を止め、シルヴァリオは星告げの言葉を反芻した。


 ――まだ、終わっていない。


 占星師の星告げを鵜吞みにしたわけではない。

 ただ、合理的に否定できないものも含まれていた。

 

『今宵、獅子王が死ぬ』


 獅子王が、現国王レオン=レオニスを指すことは、即座に理解できた。

 

 あの時に告げられた言葉を繋ぎ合わせれば、導き出されるのは――


 「星喰い日、国王は毒によって命を落とす」


 という結論だった。


 星詠という名が薄れるにつれ、星告げは信憑性を失い、いつしか占いという迷信へと変質していった。

 だが、星詠という存在そのものが、消えたわけではない。

 

 占星師の素顔を見た、その瞬間――

 金色の瞳を目にして、彼女がその星詠の血を引く者だと確信した。 

 

 星詠の中でも、金色の瞳を持つ者は極めて稀であり、他と比して、予言の精度は段違いに高いと伝えられている。


 かつての王が星詠の一族の者から妃に迎えた際、選ばれたのもまた――金色の瞳を持つ女だった。

 

 表向きの歴史では、その妃の予言はすべて外れたと記されている。

 

 ――だが、真実は異なる。


 シルヴァリオは、再び書物へと視線を落とした。


 占星師の星告げを半ば受け流していた彼でさえ、彼女が星詠だと分かった瞬間、その星告げの信憑性を無視できなくなった。


 さらに、あの言葉。


『――眠る場所は、静謐のみ満ちて』


 現国王は、華やかな容姿に似合わず、実際には質素で倹約家な生活を好む。


 ――それを知る者は、ごく限られていた。


 星告げの言葉は、一般的には知られていない王の寝室の在り方と一致していた。

 とはいえ、それはあくまで“調べるきっかけ”に過ぎない。

 確証を得るため、シルヴァリオは星告げの言葉を手掛かりに調査を進めた。


 だが、今回に限っては時間が迫っていた。

 本来行うべき綿密な裏取りは、十分とは言えない状態だった。

 そのため彼は、他者から受け取ったものを口にしないよう、王に進言した。

 

 結果として、女が運んだ葡萄酒をその場で調べることで、動かぬ証拠を掴み、未然に事を防ぐことができた。


 そして、今回の星告げは、女の単独の犯行ではないことを明確に示している。

 

 ――闇は、なおも蠢いている。

 ――獅子の足元で。


 

 

 文字を追っていたシルヴァリオの視線が、一点に止まった。

 そして綴られたその名を、無意識に指でなぞる。




   ◇ ◇ ◇



「……」


 窓辺の椅子に腰を下ろし、ルルは夜空を見上げていた。


 ――また、星告げが降りた。


 再び、王の暗殺を示唆するものだった。


 現国王は、国民に重い税を課すことはない。

 他国との関係を積極的に築き、貿易に力を注いでいる。


 砂漠地帯に位置するこの国は、作物の生産に適していない。

 その代わり、石や金属を加工する技術が発展してきた。

 

 ――自国の産業を、他国に売り込む。


 閉鎖的だった国の在り方を変えた現国王の政策は、称賛を集める一方で、保守派から反感も買っていた。


 ――何事にも、光と影はある。


 それは、星詠とて同じこと。


 かつては、神聖な存在として敬われていた。

 だが今では、忌むべきものとして疎まれている。

 

『貴女が星詠の一族であろうと、それは過去のことです。

 それを理由に、貴方を非難するつもりは毛頭ありません』


 シルヴァリオの言葉が、静かに――ルルの胸に沁み込んだ。




 ◇ ◇ ◇




 翌日。 


「あの人に……ひどい態度を取ってしまったの」


 ルルは、胸の内をカミラへ打ち明けた。


 ――自分の振る舞いは、あまりにも身勝手だった。


 たった一言で、彼への見方が大きく変わった。

 あれほど冷たい態度を取っておいて、今さら悔いるなど、あまりにも調子のいい話だ。


「それで、どうしたいの?」


 縫い物の手を止め、カミラが穏やかに尋ねる。


「……謝りたい。でも……」


「謝ることは、決して恥じではないわ」


 俯いたルルに、カミラは静かに言い聞かせる。


「かつての星詠の民は、気高い誇りを持って人々を導いていた」


 カミラは、窓の外へ視線を移し、そのまま言葉を継いだ。 


「星の声を聞き、人を導く。それが我々の誇りだった――

 …いいえ、今の私たちにも、きちんと受け継がれているわ」


 一拍、置いて。


「謝ることは、決して我々の誇りを蔑ろにする行為ではない。

 それをそう思うのは――ただの“思い上がり”よ」


 ルルは、はっと顔を上げた。


「私たちは星神ではないの。

 ……時に、道を踏み外すことだってある、ただの人間よ」


「………」


「だから、恐れずに。――自分の考えに従いなさい」


 そう言って、カミラは柔らかく微笑んだ。


 ルルに小さく頷き、椅子から立ち上がる。

 

「………カミラ叔母さん、ありがとう」


 その言葉を残し、ルルは静かに部屋を後にした。




  ◇ ◇ ◇




『…(あやま)つ星。それはいずれにせよ、流れるもの』


 “星預(ほしあずかり)”は、暗がりでそう呟いた。


「どういう意味だ……」


 男は、片眉を吊り上げ、低い声で問いただす。


「こうなることは、想定内だった――それだけのこと」


「……次はどうなる」


 不服そうに腕を組み直し、男は苛立ちを隠さぬまま、二の腕を指先で小刻みに叩いた。


『氷の刃…闇に近づく』


「…っ!」


 男は息を詰め、忌々しげに名を吐き捨てる。


「……シルヴァリオ=アルトーン!!」


 それだけ言い残し、男は早足に部屋を後にした。


『――太陽は、不変の輝き』


 星預の言葉は、なおも続く。


『……そして、黄金の星は、変化を望む』


 星預は、窓の外へと視線を向ける。


「私は…認めない」


 その呟きは、夜の闇に溶けるように消えていった。



   ◇ ◇ ◇



「王兄上の命が狙われた一件、最も詳しく知っていたのは……一体誰だ?」 


 その問いに、居並ぶ廷臣たちは言葉を失った。


「それは………」


 誰もが口を開きかけ、しかし続けられずに押し黙る。


「――宰相のシルヴァリオ=アルトーンだ」


 弟殿下が誰も口にできなかった名を告げると、場が凍りついた。


「毒を疑い、先回して動いた。あまりにも出来過ぎではないか」


「……確かに」


 小さく、同意の声が漏れる。


「王兄上の厚い信任を得る一方――その裏で、王を害そうと目論んでいたとすれば?」


「しかし……証拠は……」


 一人の廷臣が、耐えきれず声を上げた。

 

 次の瞬間。


 弟殿下が机上に書物を叩きつけた。

 乾いた音が広間に響き、廷臣たちは息を吞む。


 弟殿下は拳を固く握り締め、声を張り上げた。


「王兄上を謀る不届き者を――私は、断じて許さぬ!」 




   ◇ ◇ ◇




「シルヴァリオ=アルトーン」


 名を呼ばれ、彼は静かに筆を置いた。

 顔を上げ、衛兵を見据える。

 

 険を帯びた表情ではない。

だが、その冷えた双眸は相対する者を居竦ませるには十分だった。

 

「国王暗殺未遂の容疑で、貴殿の身柄を拘束させてもらう」


 シルヴァリオは何も言わずに、椅子から立ち上がる。

 あまりにも潔い態度に、衛兵は言い知れぬ不安を覚え、思わず乾いた喉を鳴らした。




   ◇ ◇ ◇




 ――シルヴァリオと、再会することは叶わなかった。


 気づけば、ルルは星告通りにある自分の店――小さな天幕の前に立っていた。

 

 今思えば、顔を合わせるのはいつも此処だった。

 占星師(せんせいし)と客として、言葉を交わすだけの関係。


 相手は、国の宰相だ。

 本来、気軽に会える相手ではない。

 ましてや素顔を隠していれば、他の占星師と区別がつくはずもない。


 それに――


(あんな態度を取ったんだもの……もう、ここには来ないわよね)


 ルルは天幕から背を向け、歩きだそうとした――その時。


「失礼。ここの店主の方でお間違えないでしょうか?」


 呼び止める声に、足を止める。

 振り返ると、そこに立っていたのは、一見すると一般市民の男だった。

 だが、訛りのない言葉使いと妙に整った所作が目に留まる。


「…そうですが」


 ――貴方は?

 

 問いかけるより早く、男は封がされた一通の手紙を差し出した。


「宰相殿からです。――必ず、貴方に渡すよう仰せつかりました」


 ルルは目を見開き、それを受ける。

 男は周囲の視線を避けるように口元に手を添えて、続けた。


「あの方は……現在、拘束されており…身動きが取れない状態です」


「っ!……どうして……」


 思わず声を詰まらせるルルに、男は静かに首を横に振る。


「詳しくは………どうか、お察しください」


 秘密裏に動いているのだろう。

 ここに来ること自体が、危険を伴う行為なのかもしれない。


 「分かりました…」


 そう返すと、男は小さく一礼し、雑踏へと溶け込むように姿を消した。




 ◇ ◇ ◇




 ――――――――――――――

  

  国王のもとへ向かってほしい 


 ――――――――――――――


 手紙に記されていたのは、それだけだった。

 あまりにも短い文面は、切羽した状況の中で書かれたものだと、容易に想像につく。


 ――シルヴァリオは、拘束された。

 

 手紙を渡してきた男の言葉が、脳裏によぎる。


 今回の件と、無関係ではないだろう。

 そう思った瞬間、胸の奥が重く傷んだ。


(……私の星告げのせい?)


 それでも身動きが取れない彼が、この手紙を自分に託した意味はすぐに分かった。


「あら、ルル。帰っていたのね」


 扉の前に立ち尽くすルルに、カミラが声をかける。


「……どうしたの?」


 その表情に何かを感じ取ったのだろう。

 カミラは言葉を重ねた。


「私、行かないと……でも」


 手紙を握る指に力がこもり、紙がくしゃりと、かすかな音を立てる。

 

 カミラは一度それに視線を落とし、すぐにルルを真っ直ぐ見つめた。


「――星々はね、変えられる未来しか、私たちに伝えないの」


 俯くルルに向けて、しかし確かな声で語る。


「それを実際に変えるのは――私たち自身よ」


 ルルは、弾かれるように顔を上げた。


 今回の星告げを受け、シルヴァリオは迷わず行動した。

 

 ――だから、国王暗殺は未然に防げた。


 未来を変えたのは、シルヴァリオ。

 だが、そのきっかけを与えたのは――ルル自身だ。


 今まで自分は、降りてきた星の声を伝えるだけだった。


 それが星詠(ほしよみ)――今では『星預(ほしあずかり)』と名を変えた存在の使命だと、疑いもしなかった。

 

 その言葉を聞いた者が、どう選び、どう行動したのか。知ろうともしなかった。


 ――今思えば、それはあまりのも傲慢だった。


 言葉を伝えた瞬間から、占星師にもその言葉に対する責任が生まれる。

 

 ――ならば、自分は最後まで見届けるべきだ。


「………カミラ叔母さん、私、行ってくる」


 そう告げると、カミラは穏やかに微笑みを浮かべた。


「いってらっしゃい」


 小さく頷き、ルルは静かに部屋を後にした。




   ◇ ◇ ◇ 




「レオン陛下。あなたの在り方こそが、この国をより豊かなものへと変えたのでしょう」


「いや。あなた方のご尽力があってこその成果だ」


「ご謙遜を。我々は、その恩恵に預からせていただいているに過ぎません」


 閉鎖的だった国の在り方を改めて、積極的に外交へ舵を切ったことで――この国は目覚まし発展を遂げた。


 他国と比べても目立つ、自国独自の産業。

 その強みを明確に生かしたレオンの政策は、確かな国益をもたらしている。

  

 衰退の兆しを見せ始めた他国にとって、それは実に羨望の的だった。

 

 ――その技術を、我が国にも。


 外交の席では、技術者の派遣を求める声が絶えない。

 

 だがレオンは、どれほど好条件を並べ立てられようと、安易に首を縦に振るような――愚王ではなかった。


(………格下が、調子に乗りおって)


 へりくだった笑みを浮かべる外交官が、さりげなく目配せをする。

 

 すると、背後に控えていた影が、静かに揺らいだ。


 差し出されたのは、小ぶりの箱。


「それはそうと――レオン陛下。ぜひ、献上したい品がございまして」


「ほう。それはそれは――感謝いたす」


 レオンは、外交官から小箱を受け取った。


「……これは、香木ですな」


 蓋を開けると、中には乾いた樹木片が収められていた。


「はい。我が国の特産でございます」


「なるほど」


 レオンはそう頷き、香木へと視線を落とした。


 ――仄かの香るのは、伽羅(きゃら)だろうか。


『安らぎの香。……それは、くすぶる煙となりて』

『…気高き獅子に巻きつく、蛇となる』

 

 静かな声が、広間に落ちた。


 ひとりの女官が前へ歩み出る。

 その瞬間、誰ひとりとして咎める声を上げることができなかった。


 ――金色の瞳。

 

 整った美貌以上に、その瞳が放つ神秘に、居並ぶ者たちは息を吞む。


 ――その場にいた者は、即座に悟った。


『それは魂を縛り。………常世へ誘う、死の香』


 レオンの前に、ベールを外し、素顔を晒したルルが立つ。


「シルヴァリオ殿より名を受け、馳せ参じました」


 流れるように一礼をし、こう告げる。


「ルル=アストレイア=ノクターン」


 つまんだ裾を離し、静かに顔を上げた。


「――星預にございます」




   ◇ ◇ ◇




「先日、捕らえた女の証言も取れました」


 シルヴァリオは手元の書類に視線を落とし、淡々と報告を続ける。


「女の脚に彫られていた蛇の印――あれは、セルペンス殿下の結成した組織に属する者の証だそうです」


 レオンの異母弟―セルペンス。

 蛇を冠した名を持つ、王族。


 「………」


 レオンが無言で、手を差し出した。

 シルヴァリオは一瞬だけ逡巡したのち、書類の一枚を静かに渡す。


 ――そこには、獅子に巻きつく蛇の姿が描かれていた。


 “獅子を締め上げる蛇”

 その紋章は、セルペンスの胸中を余すことなく写し取っているようだった。


「蛇は影で蠢く……決して、陽照(ようしょう)の獅子には成れぬ、か」


 低く呟かれたその言葉に、シルヴァリオはわずかに目を見張った。


「ルル殿の受け売りだ」


 そう言って、レオンはほんの僅かに口元を緩め、書類を返す。


「そうですか」

 

 淡々と応じたシルヴァリオだったが、その表情は先ほどよりも幾分か和らいで見えた。


「彼女には、感謝せねばならんな」


 レオンは、窓の外へと視線を移し、静かに言葉を継ぐ。


「“あれ”を受け取っていたら、私は死んでいた」


 隣国の外交官が献上しようとした香木は、死を招く呪具だった。

 元は、その国の王家の霊廟に手向けられていた供物。

 本来は、死者の眠りを安寧に守るためのものだ。

 それを、レオンを殺すための呪具として利用しようと持ち出した。


 死者、まして王族の墓を暴く行為は、この国のみならず近隣諸国でも極刑に相当する重罪である。


「隣国の王より、謝罪状が届いた。……件の外交官には、しかるべき処置を下すと記されていたぞ」


 その密書がレオンの元に届いたのは、つい先程のことだ。

 

 首謀者は、レオンの弟であるセルペンス。

 だが、その手に呪具を渡し、事を進めたのは隣国の外交官だった。

 

 本来であれば、国の外交が断絶してもおかしくない。

 だが、レオンは今回の件を不問とする判断を下した。

 

 ――その代わりに、次の会合において自国が有利となる密約を交わした。

   

「――お前は不服だろうが」


 レオンは、静かに言い添える。


「決して、この件は口外するな」


 それは王命だった。


「……仰せのままに」


 シルヴァリオが忠誠の礼を取ると、レオンは満足そうに頷いた。


「それで――あれ(・・)は、どうしてる?」


「呪具に刻まれた名を消したことで、施した者に呪詛が返ったようです」


 シルヴァリオは一拍置いて、告げる。


「――“セルペンス殿下”の身に、呪印が現れたと報告が入っています」


「そうか…」


 レオンは、それ以上何も言わなかった。




   ◇ ◇ ◇




『王の冠を持つ呪われし者――未来永劫、その望みは叶わぬ』


 ルルが、静かに星告げを読み上げた。

 

「あなたも…分かっていたはずよね?」


 金色の瞳を向けられ、粗末な椅子に腰掛けた星預は、ゆっくりと視線を落とした。


「…分かっていた…わ」


 膝の上で重ねた手を強く組みながら、彼女は言葉を絞り出す。


 首謀者セルペンスに加担した、星預。


 裁定を前に、彼女と話す機会を与えられたルルは、シルヴァリオと共に王城の地下拘留区画にいた。


 石造りの一室。

 導く星は見えず、天は遠い。

 

 ――星預自身も、理解していた。


 これはすでに定められた結末なのだと。


「でも……私は、間違っていない」


 顔を上げた星預の瞳には、確かな意志が宿っていた。

 それは星詠の誇りとして、いささかも疑っていない眼差しだった。

 だからこそ、ルルも真っ直ぐに、その視線を受け止める。


「そう。…それが、あなたの“星詠”の誇りなのね」 


「それが、星に選ばれた私たち――星詠の一族でしょう?」


 星預が、ルルを見据えて問いかける。


「ええ。でも…あなたは、誇りを守ったのではないわ」


 星預が、形の整った眉をひそめた。

 ルルは、言葉を続ける。


「変わることを、恐れただけ」


「っ…違うわ!」

 

 星預が、声を荒げた。


「私は星詠の誇りを守ろうとしたのよ! あの人と、同じように――」


 “あの人”が、かつてこの国の妃として迎えられた星詠であることは、言わずとも分かった。


 かつて神聖な存在として敬われていた、星詠の一族。

 だが時の王は、その力を我が物にしようと、一人の星詠を妃に迎えた。


 ――黄金色の瞳を持つ、最も優れた星詠。


 王の思惑とは裏腹に、彼女の予言はことごとく外れた。


 ――否。外したのだ。

 

 たとえ、相手が一国の王であろうとも、

 それが私利私欲のためであるならば――星詠は屈してはならない。

 それこそが、気高き星詠の誇り。

 

 彼女は、自らの誇りを貫いた。

 たとえそれが、一族の破滅へと繋がる道であったとしても。


「彼女の意思を…星詠の誇りを…私は、同じように守るとしたのよ!」


 星預は椅子から立ち上がり、叫ぶ。


 反射的にシルヴァリオが一歩踏み出しかけたが、ルルが手で制した。

 無言で首を横に振ると、彼は険しい顔のまま、その場に留まった。


「……彼女はとても勇敢だったと思うわ」


 ルルの声は、静かだった。


「だから誰も、彼女を恨まなかった。

 多くの星詠の血が流れて……生き残った者は散り散りになって………

 血も、もう薄れてしまったけれど」


 胸が、軋むように痛む。


「それでも、星詠の誇りは今もこうして――私たちに受け継がれている」


 ――何も間違っていなかった。


 星神より授かった神聖な力を守ろうとしただけなのに。

 それでも星詠は、罪人のように忌み嫌われ、差別され続けている。


 特に、王妃と同じ金色の瞳を持つルルは、素顔を隠さなければ生きていけない。

 それは星詠としての誇りを隠し続けることと同義だった。

 

 ――それが、なによりも苦しいものだった。

 だが生きるためには、この不条理さに屈するしかなかった。

 

 ルルは喉元まで込み上げた思いを、静かに飲み込む。


 星預も、また同じ境遇だった。

 だがそれ以上の重みを背負っている者を前に、押し黙るしかなかった。


「…でもね」


 ようやく口にした言葉には、もう迷いはなかった。


「時は、移り変わるのよ」


 ルルは、はっきりと告げる。


「星詠から星預と名が変わったように……私たちも、変わっていいの」


 その言葉に、星預は深く俯く。

 

 そして――

 石床に、ぽつり、ぽつりと黒い染みが滲んだ。




   ◇ ◇ ◇




『星を仰ぐ者、遠き地に至る』


『そして――潰えそうな一つ星は、再び光を知るだろう』


 ルルの星告げが、静かに終わった。


「――やはり、すでに星告げがありましたか」


 天幕をくぐったシルヴァリオは、思わず苦笑を漏らした。


「ええ」


 ルルは、静かに答える。


「……それに、あなたがここへ来ることも、星が教えてくれました」


 そう言って立ち上がると、ルルは頭にかけていたベールを、そっと外した。

 不意の行動に、シルヴァリオは目を見開く。


「……あなたに、謝りたいと思っていたのです」


「私に…?」


 思わず問い返す。


「はい」


 ルルは俯きがちに、小さく頷いた。


「あなたに対して、ひどい態度を取ってしまったこと」


 そして深く頭を下げながら、言葉を継ぐ。


「ご無礼を…どうか、お許しください」


「無礼など……!」


 シルヴァリオは慌ててルルの両肩を掴み、顔を上げさせた。


 蝋燭に照らさせた彼女の相貌は、息を呑むほどに美しい。

 だが、その表情には後悔が滲み、痛々しく歪んでいた。


 ――今にも泣き出してしまいそうな顔だった。


 その表情を直視できず、シルヴァリオは思わず視線を逸らす。


「…むしろ、謝るべきは、私……いえ――我々の方です」


 その言葉に、ルルは目を見張った。




   ◇ ◇ ◇




「――禁書とされた記録があります」


 椅子に腰を下ろし、声を落としながら、シルヴァリオは語り始めた。


「時の王に仕えていた廷臣が残した日記です。

 星詠の妃は…最後に告げた予言だけは、外していなかった」


 ――小箱を、持ち帰るな。


 これまで予言を外し続けてきた王妃の言葉に、王は一切の聞き耳を持たなかった。

 

 だが、敵国から持ち帰った小さな箱には、一匹の(さそり)が潜んでいた。


 それが故意であったのか、偶然であったのかは定かではない。

 だが、その箱は王の寝室へと運ばれ、眠っていた王は蠍の爪毒によって命を落とした。


「王の死後、王家の者たちは、王妃の予言がまた噓だと吹聴しました」


 シルヴァリオは、淡々と続ける。


「いえ、身内が犯した罪を隠匿するために――

 王殺しという、無実の罪を、星詠に課したのです」


 その王の時代。

 星詠の一族は、星神に選ばれた神子として、国民から篤く崇拝されていた。


 だが時の王は、星詠の力を己のために使おうし、拒む族長を殺し、一人の星詠を妃とした。

 

 それを知られるわけにはいかなかった王家の者は、事実を覆い隠すため、星詠の一族を排除する道を選んだ。


 ――その真実を知ったからこそ、シルヴァリオは『理の刃』と恐れられる宰相としての道を歩んだ。


「もう二度と……同じ悲劇を繰り返してはならない」


 氷の宰相は、目の前の水晶へと鋭い眼光を向ける。

 その灰色の瞳の奥には、静かに燃え続ける青い炎が宿っていた。


 ――非難するつもりは毛頭ありません。


 あの言葉の意味を、ルルはようやく理解した。

 それは同時に、彼女自身が変わるきっかけを与えられた言葉でもあった。


 ルルは、胸に溜め込んでいた息をゆっくりと吐き出す。


「……あなたの言葉は、真実を語る」


 小さく呟く。

 シルヴァリオは、その声に視線を向けた。


「だからこそ、あなたの言葉には、誰よりも重みがある」


 シルヴァリオ=アルトーンは、真実を見抜き、等しく人を裁く。


 それは星の声を受け取り、人を導く星詠の在り方にも通じている。

 

 ――否。

 彼は星に委ねるのではなく、自らの理の道を切り開く者だ。


 ルルは、そんな姿が眩しいと感じた。


「……これから、私は星預として生きていきます」


 ルルは、彼を真っ直ぐ見据えて告げる。

 

「それは、星詠の誇りを忘れることではありません」


 今度は視線を逸らさず、シルヴァリオはその言葉を受け止めた。

 

 夜空の星を一つに集めたかのような黄金の瞳が静かに輝いている。


「――ならば、私は見届けましょう」


 シルヴァリオは力強く言った。


「あなたの行く末を――ずっと、側で」




   ◇ ◇ ◇




 帰り際、シルヴァリオは意を決したように口を開いた。


「……それと、もう一つ」


「?」 


 ルルは思わず、小首を傾げる。

 

「私が星告占(ほしこくうらな)いを好んでいることは、どうか――内密に願いたい」


 至極真面目な表情に、ルルは思わず口元を緩ませた。


「真実は……隠し通せないものですよ?」


 氷双の裁定者、シルヴァリオ=アルトーンは、苦笑を浮かべて答える。


「そうですね。

 ――これからも、あなたのもとへ、足繫く通うことになりますから」


 その眼差しは、氷を溶かす情熱が灯っていた。


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