第9話 断罪と莫大な慰謝料
「ここに署名を。」
私はデスクの上に、一枚の羊皮紙を滑らせた。
場所は王城の一角、かつて私が予算申請を却下され続けた第一会議室だ。
ただし、立場は完全に逆転している。
上座に座るのは私。
向かいで青ざめた顔をしてペンを握っているのは、この国の宰相だ。
「……手が、震えて書けません」
「しっかりしてください。貴方が書かないと、結界の再起動コードは発行できませんよ」
私は冷淡に告げた。
窓の外では、まだ中庭に鎮座したままの『スイートホーム号』が、威圧的な存在感を放っている。
その横には、腕組みをして仁王立ちするカイルの姿。
彼が睨みを利かせているおかげで、城内の騎士たちは直立不動のままだ。
「内容は確認済みでしょう? 『王都防衛システム運用に関する業務委託契約書』。並びに、『今回の騒動に関する損害賠償および慰謝料の支払い合意書』です」
宰相は脂汗を拭いながら、震える手で羽ペンを動かした。
サラサラ、という音が、静まり返った会議室に響く。
それは、王国の財政が私の管理下に置かれる決定的な音だった。
「……書きました」
「確認します」
私は書類を取り上げ、インクの乾き具合と共に内容をチェックした。
第一条、王都の結界維持システム(旧称:スイートホーム号接続ユニット)の管理権は、エリカ・フォン・クロイツ商会に帰属する。
第二条、王家はシステム利用料として、月額一億ゴールドを支払う。
第三条、支払い原資として、王領鉱山の採掘権および港湾関税の三割を譲渡する。
第四条、今後、王家はエリカに対し、いかなる干渉、拘束、命令権も持たない。
完璧だ。
これで私は、この国のインフラを握る影の支配者となった。
政治には口を出さないが、財布の紐は私が握る。
これ以上ない安全保障だ。
「さて、ビジネスの話はこれで終わりです」
私は書類を収納魔法にしまい、椅子から立ち上がった。
「次は、個人的な精算を済ませましょうか」
私は視線を部屋の隅に向けた。
そこには、騎士たちに囲まれ、拘束された二人の姿があった。
アルフレッド王子と、聖女リリアだ。
「放してよ! 私は聖女よ! 国を救おうとしただけじゃない!」
リリアが金切り声を上げている。
彼女の髪は乱れ、あの計算された愛らしさは微塵もない。
暴走させた増幅炉の逆流で魔力を使い果たしたのか、肌もカサカサに荒れていた。
「リリア嬢。貴女の罪は重いですよ」
私が近づくと、彼女はフンと鼻を鳴らした。
「罪? 何を言うの。失敗はしたけど、私の祈りがあったから被害が最小限で済んだのよ! 感謝されこそすれ、責められる謂れはないわ!」
相変わらずのポジティブシンキングだ。
ある意味、才能かもしれない。
だが、現実は非情だ。
「宰相閣下。王命による裁定を」
私が促すと、宰相は重い口を開いた。
「聖女リリア。貴様を『国家反逆罪』および『重要施設破壊罪』に問う。貴様の独断による増幅炉の暴走が、今回の危機の直接的原因であることは明白だ」
「う、嘘よ! あれはエリカが結界を消したから……!」
「黙りなさい!」
宰相の一喝が響く。
「エリカ様は私有財産を持ち出したに過ぎない。それを補うどころか、被害を拡大させたのは貴様だ。……国王陛下の名において命じる。聖女の称号を剥奪し、北方の修道院へ送致する」
「し、修道院……?」
リリアが呆けたような顔をする。
「あら、いいじゃない。静かで祈りに専念できるわよ」
「……あそこは、『清貧と労働』を旨とする矯正施設だ」
宰相が冷ややかに付け加えた。
「朝四時に起床し、畑を耕し、家畜の世話をし、夜は写本を作る。もちろん、化粧も、絹のドレスも、甘い菓子もなしだ。一生な」
「い、嫌ぁぁぁぁッ!!」
リリアの絶叫が木霊した。
労働。
彼女が最も嫌い、私に押し付け続けてきた行為だ。
それが死ぬまで続く。
これ以上の罰はないだろう。
「連れて行け」
騎士たちが彼女の両脇を抱え、引きずっていく。
「アルフレッド様ぁ! 助けてぇ! 愛してるんでしょう!? 私がいないとダメなんでしょう!?」
リリアがアルフレッドに縋るような視線を送る。
だが、王子は床を見つめたまま、ピクリとも動かなかった。
「……連れて行け」
アルフレッドが小さく呟いた。
「余には……関係ない女だ」
「ひどい! 人でなし! あんたなんか王子の器じゃないわよ!」
罵詈雑言を残し、元聖女は廊下の奥へと消えていった。
後に残されたのは、重苦しい沈黙と、抜け殻のようになった王子だけ。
「……エリカ」
アルフレッドが顔を上げた。
その瞳は虚ろで、かつての自信に満ちた輝きは失われている。
「余は……どうなるのだ」
「貴方への処分も決定済みです」
私は淡々と告げた。
「第一王位継承権の凍結。および、今回の賠償金支払いのための王室費削減に伴う、謹慎処分です。次代の王は、弟君である第二王子が有力視されるでしょう」
事実上の廃嫡だ。
彼は王族としての籍は残るものの、一生飼い殺し状態となる。
政治的権力も、自由に使える金も失った彼に、寄り付く貴族はいないだろう。
「……そうか」
アルフレッドは力なく笑った。
「全て失ったな。名誉も、地位も、愛した女も」
彼は私を見た。
その目に、微かな熱が宿る。
「エリカ。もし……もしあの夜、余が君の手を取っていたら。君を信じていたら。……未来は違っていたのだろうか」
今さら、そんな「もしも」を口にするのか。
私は少しだけ憐れみを覚えた。
彼は根っからの悪人ではない。
ただ、見栄っ張りで、見る目がなく、自分の足で立ったことのない子供だっただけだ。
「殿下」
私は静かに答えた。
「私は商売人です。起きてしまった損失を嘆くより、損切りをして次の利益を探します。過去の『もしも』には、一ゴールドの価値もありませんよ」
「……厳しいな、君は」
「ええ。だからこそ、この国を守れたのです」
私は彼に背を向けた。
もう、かける言葉はない。
彼は自分の愚かさと向き合いながら、長い余生を過ごせばいい。
「行きましょう、カイル様」
私が歩き出すと、カイルが扉を開けてくれた。
「終わったか?」
「ええ。完膚なきまでに」
私たちは廊下を歩いた。
すれ違う貴族や騎士たちが、恐れと敬意の入り混じった眼差しで道を空ける。
かつて「可愛げのない女」と陰口を叩かれていた私は、今や「国を救った影の支配者」として畏怖されている。
悪くない気分だ。
中庭に出ると、朝日が昇り始めていた。
『スイートホーム号』の黒いボディが、朝焼けを受けて輝いている。
私は車の側面にあるパネルを開いた。
そこには、今回の契約に基づいて設置した「魔導接続端子」がある。
私は懐から、掌サイズの黒い箱を取り出した。
新開発の魔道具、『サブスクリプション型結界制御ユニット』だ。
「これを繋げば、空間座標を固定して魔力を遠隔伝送できます。私が世界のどこにいても、契約期間中だけ結界が機能します」
カチャリ、と箱を嵌め込む。
『リモートリンク・確立』という電子音声と共にパネルが青く発光し、微弱な結界の波紋が王都の上空へ広がっていく。
ただし、以前のような「完全防御」ではない。
月額一億ゴールド分の、必要最低限の機能だ。
もっと高品質な結界が欲しければ、追加オプション料金を払ってもらうことになる。
「本当に、いい性格してるな」
カイルが呆れたように、けれど楽しげに私の頭をポンと撫でた。
「国一つを顧客にするとは」
「優良顧客になってくれるといいんですけどね。支払いが滞れば、遠隔操作で即座にサービスを停止しますから」
私は悪戯っぽく笑い、車のドアを開けた。
プシュウ、という空気の抜ける音が、終わりの合図だ。
「乗りましょう。ここは少し、空気が澱んでいます」
「ああ。俺たちの家に帰ろう」
カイルが先に乗り込み、手を差し伸べてくれる。
その手を取り、私はタラップを降りた。
一歩、王都の土を踏む。
そこは修羅場だったはずの場所だ。
宰相や騎士たちが深々と頭を下げているのが見える。
城の窓からは、アルフレッドが寂しげに見上げているかもしれない。
運転席に座り、エンジンを始動させる。
心地よい振動が伝わってくる。
これが私の日常。
私の城。
「次はどこへ行きますか?」
私が尋ねると、助手席のカイルが地図を広げた。
「東の海岸はどうだ? 新鮮な魚介が食えると聞いた」
「いいですね。海鮮バーベキューにしましょう」
私はアクセルを踏み込んだ。
『スイートホーム号』が浮上する。
けれど、私はもう振り返らなかった。
バックミラーに映る王城は、どんどん小さくなっていく。
過去のしがらみも、面倒な人間関係も、すべて置き去りにして。
「風が気持ちいいな」
カイルが窓を開け、目を細めている。
「エリカ。これからは、ずっと一緒だ」
「ええ。契約期間は『一生』ですからね」
「違約金は?」
「命で払っていただきます」
軽口を叩き合いながら、私たちは笑った。
空はどこまでも青く、世界は広い。
かつて悪役令嬢と呼ばれた女と、行き倒れていた竜騎士。
最強で最高に自由な二人の旅は、まだ始まったばかりだ。
車は朝日に向かって加速した。
その軌跡は、真っ直ぐに明日へと続いていた。




