第8話 空飛ぶキャンピングカー
「ひどい有様だな。」
カイルが窓の外を指差した。
眼下に広がる光景は、地獄の釜の蓋が開いたようだった。
かつて美しく整備されていた王都の街並みは、どす黒い霧に覆われていた。
その中心、王城の尖塔付近に、不定形の巨大な影が蠢いている。
まるで泥沼から這い出した巨人のような、醜悪な魔力の塊。
聖女リリアが暴走させた増幅炉が、都市中の魔力を吸い寄せ、吐き出した成れの果てだ。
「あれが……聖女の祈りの結果か」
「いいえ。あれはただの廃棄物です」
私は操縦桿を握り締め、冷ややかに断言した。
技術者として、許し難い光景だった。
私が計算し尽くして配置した魔導パイプラインが、無理やり引きちぎられ、汚染されている。
美しい幾何学模様を描いていた魔力循環システムが、見るも無惨なスパゲッティ状態だ。
「私のインフラを、よくもここまで……!」
怒りが湧いてくる。
これは国を守るためとか、正義のためとか、そんな高尚な理由ではない。
私の作品を汚されたことへの、クリエイターとしての私怨だ。
『警告。高密度魔力体、接近。敵性反応あり』
ナビゲーションが赤いアラートを表示する。
泥の巨人が、こちらに気づいたようだ。
不定形の腕が鞭のようにしなり、空中の『スイートホーム号』目掛けて伸びてくる。
「来るぞ、エリカ!」
「させません。この車は塗装したばかりなんです」
私はコンソールパネルを操作し、防御シールドの出力を最大にした。
同時に、回避機動を取る。
車体が大きく傾き、伸びてきた泥の腕を紙一重でかわす。
風を切る音が轟々と響き、車内のティーカップがカタカタと揺れた。
「カイル様、魔力供給を維持してください。反撃します」
「応! いつでもいける!」
カイルの腕輪から、熱いほどの魔力が流れ込んでくる。
やはり彼の出力は桁違いだ。
普通の魔道士十人分でも足りないこの機体を、たった一人でフルパワー稼働させている。
私は照準を合わせた。
車体上部に格納されていた主砲——本来は整地用の魔導掘削レーザー——が展開する。
殺傷能力は低いが、質量を持たない魔力の塊相手なら、霧散させるには十分だ。
「特大の請求書代わりです。受け取りなさい!」
トリガーを引く。
青白い閃光が夜空を切り裂いた。
レーザーは巨人の肩口を直撃し、その身体を大きく抉り取る。
ジュッ、という蒸発音がコックピットまで響いた。
「やったか?」
「いいえ、再生しています。やはり核を潰さないと」
モニターの中で、抉れた部分が瞬く間に修復されていく。
周囲から無尽蔵に魔力を吸い上げている限り、あれは不死身だ。
そして、その供給源である王城の増幅炉を止めるには、あの怪物を排除して地上へ降りるしかない。
「手詰まりか」
「弾幕を張り続ければ削り切れますが、それだとあと三時間はかかります。燃料(カイル様の魔力)が持ちません」
「なら、手っ取り早い方法がある」
カイルがシートベルトを外した。
彼は立ち上がり、天井のサンルーフを見上げる。
その目には、獲物を前にした猛獣の光が宿っていた。
「近づけてくれ。俺が直接斬る」
「……本気ですか? ここは高度一千メートルですよ」
「竜騎士を舐めるな。空は俺の庭だ」
彼は不敵に笑った。
その自信に満ちた表情に、私は溜息をつきつつも、口元を緩めた。
私の従業員は、いつだって規格外だ。
「分かりました。業務命令です。あの泥人形を片付けてきなさい」
「了解」
私はサンルーフのロックを解除した。
突風が吹き込み、カイルの銀髪が舞い上がる。
彼は一瞬だけ私を見て、ニッと笑うと、迷いなく夜空へと躍り出た。
◇
王都の人々は、絶望と共に空を見上げていた。
黒い霧が空を覆い、城から現れた怪物が街を破壊しようとしている。
騎士団の攻撃も通じず、避難する場所もない。
「もうおしまいだ……」
誰かが呟いた、その時だった。
雲を裂いて、一条の流星が現れた。
それは見たこともない形の、翼を生やした鉄の箱だった。
箱は怪物の攻撃を華麗にかわし、青い光線を放って応戦している。
そして、その箱の上から、小さな影が飛び出した。
「見ろ! あれは……人か?」
その影は、重力を無視するかのように空を駆けた。
いや、落ちているのではない。
魔力で足場を作り、空気を蹴って加速しているのだ。
銀色の剣閃が煌めく。
夜闇に浮かぶその姿に、人々は伝説を見た。
帝国の竜騎士。
最強の英雄、カイル・ドラグニル。
「おおおおぉッ!」
カイルの咆哮が轟く。
彼は怪物の頭上高くへ跳躍すると、剣を真下へ構えた。
刀身が黄金色の光を帯びる。
竜の息吹にも似た、圧倒的な闘気の輝き。
「失せろ、紛い物!」
彗星のごとく落下。
カイルの一撃は、再生しようとしていた怪物の脳天を貫き、そのまま巨大な身体を縦に両断した。
ズンッ!
衝撃波が空気を揺らす。
怪物は断末魔のような不気味な音を立てて霧散し、光の粒子となって消えていった。
核となっていた魔力結晶が砕け散り、キラキラと夜空に降る。
「す、すごい……」
「助かったのか?」
呆然とする人々の上空で、鉄の箱——『スイートホーム号』が滑るように降下してくる。
空中に投げ出されたカイルの下へ正確に回り込み、開いたサンルーフから彼を回収したのだ。
まるで手品のような連携だった。
◇
「ただいま」
ドスンと助手席に着地したカイルは、髪をかき上げながら言った。
息一つ切らしていない。
服も汚れていない。
完璧な仕事ぶりだ。
「おかえりなさい。素晴らしい手際でした」
「あんたの操縦のおかげだ。足場を作るタイミング、絶妙だったぞ」
「あら、気づいていましたか」
カイルが空を蹴る瞬間、私は魔導砲の出力を調整し、微弱な魔力弾を彼の足元に撃ち込んでいたのだ。
即席の足場である。
言葉にしなくとも意図を汲んでくれる。
これぞ最高のビジネスパートナーだ。
「さて、掃除は終わりました。着陸します」
怪物が消えたことで、王都を覆っていた黒い霧が晴れていく。
眼下には王城の中庭が見えた。
松明の明かりの下、騎士たちが右往左往しているのが豆粒のように見える。
私はランディングギアを下ろした。
スラスターを逆噴射し、垂直降下モードへと移行する。
強烈な風圧が中庭の植木をなぎ倒し、砂煙を巻き上げる。
王族自慢のバラ園が台無しだが、知ったことではない。
ズシン。
重量感のある着地音が響き、機体が揺れた。
翼が折り畳まれ、元の箱型に戻っていく。
エンジン音が静まり、周囲に静寂が戻った。
私はシートベルトを外し、身だしなみを整えた。
車内の鏡で髪の乱れを直し、深呼吸をする。
ここからは武力ではなく、交渉力の戦いだ。
「行きますよ、カイル様」
「ああ。護衛は任せろ」
カイルが先に降りて、私に手を差し伸べる。
その手を取り、私はタラップを降りた。
一歩、王都の土を踏む。
そこは修羅場だった。
中庭には数百の騎士が集結し、槍を構えて私たちを取り囲んでいた。
だが、誰一人として動こうとしない。
いや、動けないのだ。
カイルが放つ静かな威圧感と、空から魔獣を一撃で葬った実力を目の当たりにして、恐怖で足が竦んでいる。
その包囲網を割って、数人の人物が歩み出てきた。
先頭に立つのは、やつれ果てたアルフレッド王子。
その横には、腰を抜かして侍女に支えられている聖女リリア。
そして、書類の束を抱えた宰相。
「エリカ……」
アルフレッドが掠れた声で私の名を呼んだ。
その顔には、安堵と、屈辱と、そして僅かな希望が入り混じっていた。
かつて私を見下していた傲慢さは、どこにもない。
私は無表情のまま、彼らの前まで歩み寄った。
カイルが私の斜め後ろに立ち、鋭い視線で周囲を牽制する。
「お久しぶりですね、殿下」
私は優雅にカーテシーをした。
婚約破棄された夜と全く同じ、完璧な角度で。
ただし、その意味合いは正反対だ。
あの時は別れの挨拶。
今回は、勝者の挨拶。
「約束通り、害虫駆除は完了しました。ご確認いただけますか?」
私が空を指差すと、アルフレッドはビクリと肩を震わせた。
「あ、ああ……見た。すごかった……」
「それは良かったです。では」
私は宰相の方へ向き直った。
彼は深く頭を下げた。
王族の前で、他国の公爵令嬢(今は平民だが)に頭を下げるなどあり得ないことだが、彼は躊躇わなかった。
「エリカ様。……感謝いたします。貴女のおかげで、王都は救われました」
「仕事ですから。感謝よりも入金を優先してください」
私は懐から、正式な契約書を取り出した。
通信で合意した内容が記された、魔術的な拘束力を持つ羊皮紙だ。
「追加の弾薬費と、車両のメンテナンス費(バラ園への着陸による汚れ洗浄費含む)も加算させていただきました。検算をお願いします」
宰相は震える手で書類を受け取った。
金額の欄を見て、一瞬白目を剥きそうになったが、ぐっと堪えた。
「……異存ありません。直ちに手続きを」
「待て!」
突然、ヒステリックな声が響いた。
聖女リリアだ。
彼女は侍女の手を振り払い、涙目で私を睨みつけていた。
「ずるいわ! 私が一生懸命祈っていたのに、全部横取りして! あの怪物は私の祈りで弱っていたのよ! 貴女はただトドメを刺しただけじゃない!」
相変わらずの思考回路だ。
私は呆れて言葉も出ないが、代わりにカイルが一歩前に出た。
「ほう?」
低く、地を這うような声。
カイルがリリアを見下ろす。
「祈りで弱っていただと? 俺が斬った感触では、あれは無尽蔵に魔力を供給されて活発化していたぞ。お前が餌を与えていたからだ」
「な、なによ! 野蛮な傭兵風情が!」
「俺はカイル・ドラグニル。帝国の騎士だ。魔力の流れも見えんのか、この国の聖女は」
カイル・ドラグニル。
その名が出た瞬間、周囲の騎士たちがざわめいた。
リリアもまた、顔を引き攣らせて黙り込んだ。
本物の英雄を前にしては、偽物の聖女など太刀打ちできるはずもない。
「やめよ、リリア」
アルフレッドが力なく制止した。
「もういい……余の負けだ」
王子は膝から崩れ落ちるように座り込んだ。
彼は気づいているのだ。
エリカを追放したあの日から、自分が何を失ったのかを。
便利な道具を失ったのではない。
国を支えていた柱を、自らの手でへし折ってしまったのだと。
「エリカ……戻ってきてはくれぬか?」
アルフレッドが縋るような目をした。
「リリアとは婚約を破棄する。君を正妃として迎える。だから……」
「お断りします」
私は食い気味に即答した。
一ミリの迷いもなかった。
「私は今の生活が気に入っています。それに、私にはもう」
私はカイルを振り返った。
彼と目が合う。
彼はニッと笑い、頷いた。
「優秀なパートナーがいますから」
その言葉に、アルフレッドの顔色が絶望の色に染まった。
中庭に、秋の夜風が吹き抜ける。
それは一つの時代の終わりと、私の新しい人生の完全な始まりを告げる風だった。




