第7話 宰相の嘆願と聖女の暴走
計算が合わない。
手元のメモ帳に走らせたペン先が止まる。
宰相から提示された被害報告と、王都の現状。
その数字の食い違いに、私の商売人としての勘が警鐘を鳴らしていた。
「……閣下。一つ確認させてください」
私は通信機のマイクに向かって、静かに問いかけた。
スピーカーの向こう側、王城の執務室にいるであろう宰相の、重苦しい呼吸音が聞こえる。
「王都の結界が消えてから三日。魔獣の襲撃による被害は、外壁周辺と農村部に集中しているはずです。ですが、なぜ城下町の中心部で、これほど大規模な魔力枯渇が起きているのですか?」
私の指摘に、一瞬の沈黙が落ちた。
やがて、宰相が絞り出すような声で答える。
『……お気づきでしたか』
「当然です。私の車(スイートホーム号)が供給していた魔力量と、都市機能を維持するための消費量。その差分を計算すれば、異常な減少が一目瞭然ですから」
私は冷徹に事実を突きつけた。
結界がないだけなら、魔獣が入ってくるだけだ。
だが、現在の王都では、街灯が消え、水道のポンプが止まり、家庭用の魔道具すら動かなくなっているという。
まるで、何かが都市中の魔力を根こそぎ吸い上げているかのように。
『……聖女リリア様です』
宰相の声が震えていた。
その名前が出た瞬間、隣でコーヒーを飲んでいたカイルが眉をひそめる。
『結界が消えた不安から、リリア様がパニックを起こしまして……。「もっと強い力で守らなきゃ」と、城の地下にある古代の増幅炉を、無理やり起動させたのです』
「増幅炉? あれは壊れていて使い物にならないはずでは?」
『ええ。制御系は死んでいます。ですが、魔力を吸い込む機能だけは生きていた。リリア様はそこに、ご自身の聖女の力を注ぎ込むのではなく……』
「まさか、逆流させたんですか?」
私は背筋が凍る思いがした。
制御不能の増幅炉を逆回転させれば、それはただのブラックホールだ。
周囲のありとあらゆる魔力を強制的に吸収し、暴走するだけの爆弾と化す。
『その通りです。現在、王都中の魔力が城へ向かって吸い寄せられています。このままでは、結界どころか、魔力枯渇による都市機能の完全停止、最悪の場合は暴走した魔力による大爆発が起きます』
宰相の言葉は、悲鳴に近かった。
アルフレッド王子はどうしているのかと聞けば、リリアを止めるどころか、「聖女の祈りが届けば奇跡が起きる」などと現実逃避をして、一緒に祈っているらしい。
(馬鹿なの?)
心の中で毒づく。
かつて私が管理していた頃は、そんな危険な設備には厳重なロックを掛けておいたはずだ。
それを、聖女権限か何かで無理やり抉じ開けたのだろう。
無知とは、時に悪意よりも恐ろしい。
「……状況は理解しました。つまり、魔獣の襲撃に加え、内側からの自滅。王都は今、火薬庫の上で焚き火をしているようなものですね」
『仰る通りです。エリカ様、どうか……知恵をお貸しください。対価は惜しみません』
宰相の声には、もはやプライドの欠片もなかった。
国を守るべき大人たちが、自分たちの失態で首が回らなくなっている。
自業自得だ。
放っておけば、王城ごと吹き飛んで、更地になるかもしれない。
だが。
私は目を閉じた。
脳裏に浮かぶのは、かつて私がひっそりと通っていた下町のパン屋の老婆や、私の開発した魔導コンロを喜んでくれた定食屋の主人たちの顔だ。
彼らは何も悪くない。
ただ、上に立つ者が無能だっただけだ。
それに、私が作ったインフラ設備が、あんな馬鹿げた理由で灰になるのは、技術者として我慢ならない。
「……はぁ」
深い溜息が漏れた。
カイルが心配そうに私を見ている。
「エリカ。無理をするな。嫌なら断ればいい」
彼の言葉は優しい。
契約上の主従を超えた、純粋な気遣いだ。
だが、私は首を横に振った。
「カイル様。私、損をするのは大嫌いなんです」
「損?」
「ええ。このまま国が滅べば、私の特許収入も、商会に預けてある資産も、全部紙切れになります。それは困るんですよ」
これは建前だ。
でも、自分を動かすには十分な理由になる。
私は再び通信機に向き直った。
ビジネスの時間だ。
「閣下。条件を変更します」
『……! 助けていただけるのですか!』
「勘違いしないでください。ボランティアではありません。業務請負です」
私は手元のメモに、新たな金額を書き込んだ。
「基本料金一億ゴールドに加え、危険手当として五千万。さらに、解決後には王都の魔導インフラ管理権の全てを私に譲渡していただきます」
『管理権……ですか?』
「ええ。貴方たちに任せておくと、また壊されそうですから。私が管理し、使用料を徴収するシステムに変えます。当然、王家からもきっちり頂きますよ」
それは実質、国のライフラインを私が握るということだ。
王権の一部を奪うに等しい要求。
だが、宰相に迷いはなかった。
『……承知いたしました。国がなくなるよりは、マシです』
「契約成立ですね。では、契約書は後ほど魔法送信します」
通信を切る。
ふぅ、と息を吐くと、カイルが呆れたように笑っていた。
「国を救う英雄というより、国を乗っ取る魔王だな」
「人聞きが悪い。これでも大幅に値引いたつもりですよ」
私は立ち上がり、テラスから夜空を見上げた。
星が綺麗だ。
この静寂を捨てて、あの騒がしい場所へ戻らなければならない。
「カイル様。契約の追加条項です」
「なんだ?」
「これから非常に危険な場所へ行きます。正直、死ぬかもしれません。それでも付いてきてくれますか?」
「愚問だな」
カイルは即答した。
彼は椅子から立ち上がり、私の隣に並ぶ。
その長身が、頼もしい影を落とす。
「俺は言ったはずだ。この快適な生活を守ると。王都だろうが地獄だろうが、あんたの行く場所が俺の居場所だ」
その言葉に、胸の奥が温かくなる。
最強の竜騎士が、私の剣となり盾となる。
これ以上の戦力はない。
「ありがとうございます。では、行きましょうか」
私は庭に停めてある『スイートホーム号』へと歩き出した。
カイルが不思議そうに付いてくる。
「行くといっても、陸路だと三日はかかるぞ。王都が持つか?」
「ええ。ですから、道は使いません」
私は車の前に立ち、キーアイテムである魔石をかざした。
かつて王城から逃げ出す時に使った認証コードとは違う、もう一つのコードを詠唱する。
「システム・オールグリーン。リミッター解除。……フライトモード、起動」
ズズズ……ッ。
重低音が響き、巨大な車体が震えた。
カイルが目を丸くして後ずさる。
「おい、なんだ? 車が……変形しているのか?」
その通りだ。
『スイートホーム号』の真の姿。
四つのタイヤが内側に格納され、代わりに車体の側面から、折り畳まれていた翼が展開する。
ミスリル合金製の、鳥の翼のような流線型のウイング。
さらに、車体後部からは魔力噴射用のスラスターが出現した。
「実はこれ、空も飛べるんです」
「……は?」
「ただ、燃費が最悪でして。私の魔力だけだと五分も持たない欠陥機能だったんですが」
私はカイルを見て、ニッコリと微笑んだ。
「今は、無限に近い魔力タンク(貴方)がいますから」
カイルは開いた口が塞がらない様子だったが、すぐにハッと笑い出した。
「なるほど。俺の魔力をそう使うか。……最高だ、エリカ殿」
彼は楽しそうにタラップを駆け上がり、助手席へと飛び込んだ。
私も運転席に滑り込む。
コンソールパネルが、かつてない輝きを放ち、航空計器類が表示される。
『動力炉接続。外部魔力供給源、Sランクを確認。出力安定』
「カイル様、魔力供給をお願いします。全力で」
「任せろ。暴れ馬ならぬ、暴れ車の手綱くらい、握ってやる!」
彼の腕輪から、膨大な魔力が流れ込んでくる。
車体が青白く発光し、浮遊感が私たちを包んだ。
「発進!」
私はスロットルレバーを押し込んだ。
轟音と共に、重力から解き放たれる。
『スイートホーム号』は夜空へと舞い上がった。
眼下には、静まり返ったリゾート地の湖が見える。
私たちは一気に高度を上げ、雲の上へと躍り出た。
月が近い。
「速い……! ドラゴンの背に乗っているようだ!」
カイルが窓に張り付いて叫んでいる。
時速数百キロ。
この速度なら、王都まで数時間で到着する。
「さあ、待っていなさいアルフレッド、リリア。私の大切な『市場』を荒らした代償、高くつきますよ」
私はナビゲーションの目的地を『王都』にセットした。
そこには真っ赤な警告マークが表示されている。
最後の仕事だ。
これを片付ければ、今度こそ正真正銘の自由な旅が待っている。
空飛ぶキャンピングカーは、流星のように夜空を駆けていった。




