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国を捨て、悪役令嬢は優雅な旅に出る  作者: 月雅


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3/10

第3話 追放されたはずが美食旅


景色が猛スピードで背後へと流れていく。


窓の外は深い緑の森。

通常なら馬車で数日かかる道のりを、私の愛車『スイートホーム号』は時速八十キロで滑走していた。

揺れはほとんどない。

路面の凹凸は、風属性の魔法を応用したエアサスペンションが完璧に吸収しているからだ。


助手席の男が、窓に張り付くようにして外を見ていた。


「速い……。疾風のようだ」


カイルだ。

昨日拾った帝国最強の竜騎士は、すっかりこの車の快適さに骨抜きにされていた。

洗濯を終えた清潔なシャツに身を包み、その整った横顔は貴公子然としているが、中身はただの乗り物好きの少年である。


「この速度なら、今日中には国境付近まで行けそうですね」


私はハンドルを握りながら、ナビゲーションパネルを確認した。

目的地は隣国との国境にある山岳地帯。

そこを抜ければ、魔導技術に寛容な自由都市国家連合へ入れる。


「エリカ殿。前方に魔獣の気配だ」


カイルの声色が、瞬時に騎士のものへと変わった。

彼の視線の先、街道を塞ぐように巨大な影が現れる。

体長三メートルはあるだろうか。

鋭い牙と、鋼のような剛毛に覆われた猪型の魔獣、『アイアンボア』だ。


私はブレーキペダルに足を乗せようとした。

魔導砲で吹き飛ばすこともできるが、弾薬(魔力コスト)が勿体ない。


「止めるな。俺がやる」


カイルが短く告げ、走行中の車のドアを開けた。

飛び降りるつもりか。

時速八十キロだぞ。


「ちょっ、危な──」


私の制止など聞こえていないかのように、彼は風のように車外へと躍り出た。

回転しながら着地し、その勢いのまま抜剣する。

銀色の閃光が走った。


「フンッ!」


一閃。

たった一撃だった。

突進してこようとした巨大な猪の首が、音もなく胴体から滑り落ちる。

彼は血振るいをして剣を納めると、何事もなかったかのように停車した車の横へ歩いてきた。


「……良い肉が手に入ったな」


彼はニコリと笑った。

その笑顔は、昨夜スープを飲んだ時と同じ、無邪気なものだった。

私は呆れつつも、素早く頭の中で計算機を弾いた。


アイアンボアの肉は高級食材だ。

市場価格なら金貨数枚は下らない。

対して、彼への宿泊費とサービス料。


「カイル様。その獲物、宿代の一部として相殺させていただいても?」

「構わん。むしろ、これを料理して食わせてくれるなら、釣りはいらないくらいだ」

「交渉成立ですね」


私は車をバックさせ、収納魔法が組み込まれたカーゴスペースを開いた。

巨大な肉塊があっさりと飲み込まれていく。

今夜のメインディッシュが決まった瞬間だった。



夕暮れ時、私たちは街道沿いの開けたスペースに車を停めた。

キャンプの始まりだ。

と言っても、テントを張る必要はない。

スイッチ一つで車の側面が展開し、オープンカフェのようなテラス席が出現する。


私はキッチンに立ち、先ほど入手した猪肉の処理に取り掛かった。

アイアンボアの肉は硬いが、魔導ミンサー(挽肉機)にかければ問題ない。

赤身の強い肉を粗挽きにし、炒めた玉ねぎ、パン粉、卵、そしてスパイスを練り込む。


ジュウウウゥ……!


熱したフライパンに肉種を落とすと、暴力的なまでに食欲をそそる音が響いた。

脂の焼ける香ばしい匂いが、換気扇を通してテラスへと漂っていく。

外で待機しているカイルが、落ち着きなく鼻を動かしているのがガラス越しに見えた。


その時だった。

ダッシュボードに設置された通信機が、甲高い警告音を発した。


『ピピピピッ! 緊急着信! 発信元:王都中央司令室』


赤いランプが激しく点滅している。

私はフライ返しを持ったまま、冷ややかな視線を送った。

ディスプレイには『アルフレッド殿下』の文字が表示されている。


「……しつこいですね」


昨日、私が王都を出てからというもの、この通信機は鳴り止まない。

結界が消えたことでパニックになっているのだろう。

だが、その原因を作ったのは彼らだ。

私を追放し、この車(結界制御装置)を手放したのは、彼らの意思決定の結果である。


私は濡れた手を拭くこともなく、画面上の『着信拒否』ボタンを力強く押した。

さらに、『着信拒否リストに追加』『通知音をミュート』のオプションも選択する。


プツン。


音が消え、静寂が戻った。

私は何事もなかったかのように、フライパンへ向き直る。

裏返したハンバーグから、透明な肉汁が溢れ出していた。

焼き加減は完璧だ。


「さあ、仕上げにデミグラスソースを」


赤ワインとケチャップ、そして隠し味の蜂蜜を煮詰めた特製ソースを回しかける。

ジュワッという音と共に、甘酸っぱい香りが立ち上った。

王都の喧騒など、この香りの前では些末なノイズに過ぎない。



一方その頃、王都の王城。


「また切られただと!?」


アルフレッド王子の絶叫が、広い執務室に虚しく響いた。

彼は通信用の水晶玉を床に叩きつけそうな勢いで握りしめている。


「くそっ、あの女! 余の通信を無視するとは何事だ!」


彼の目の下には濃い隈ができていた。

昨夜、結界が消失してからというもの、王都周辺には魔獣が頻出している。

騎士団が不眠不休で討伐にあたっているが、被害は広がる一方だった。

かつて自動的に弾かれていた低級魔獣すら、今は脅威となっているのだ。


「アルフレッド様ぁ……お腹空きましたぁ」


ソファでぐったりしているのは聖女リリアだ。

彼女の前には、冷え切った食事が手付かずで残されている。


「今日のスープ、泥みたいな味がするんですもの。エリカ様がいた頃は、もっと美味しかったのに」

「言うな! 厨房の料理長が変わったわけではない! ……はずだ」


アルフレッドもまた、昨夜の夕食の不味さに閉口していた。

実は、王城の食材管理と調理指導を行っていたのも、エリカだったのだ。

彼女は「美味しいものが食べたいから」という私的な理由で、公務の合間に厨房へ入り浸り、レシピの改良や食材の鮮度管理を徹底していた。

その彼女がいなくなった今、厨房は以前の杜撰な管理体制に戻り、味は劇的に劣化していた。


「結界も、食事も、あの女が握っていたというのか……」


アルフレッドは爪を噛んだ。

認めたくないが、エリカがいなくなってから、全てが悪い方向へ転がっている。

王の不機嫌な視線、貴族たちの不安げな囁き、そして国民の不満。

全てが彼の肩にのしかかっていた。


そこへ、宰相が静かに入室してきた。

彼の表情は氷のように冷たい。


「殿下。通信は繋がりませんでしたか」

「あ、ああ。どうやら故障しているようだ」

「いいえ、拒否されたのでしょう」


宰相は淡々と事実を突きつけた。

「もはや話し合いで解決する段階ではありません。エリカ嬢は明確に、王家との関係を断ち切る意思を示しています」

「な、ならどうすればいい! このままでは王都が干上がるぞ!」

「手段は一つです」


宰相は地図の上に、駒を一つ置いた。

それは王家直属の追跡部隊、『黒騎士団』を示す駒だった。


「物理的に連れ戻すしかありません。彼女の車……『スイートホーム号』こそが、結界の鍵なのですから」


アルフレッドの顔が歪む。

元婚約者を犯罪者のように捕縛するなど、外聞が悪すぎる。

だが、背に腹は代えられない。


「……許可する。直ちに追手を差し向けろ! ただし、車は傷つけるなよ!」


その命令は、既に手遅れな未来への号砲だった。



そんな不穏な決定が下されたことなど露知らず。

私たちは満天の星の下、優雅なディナータイムを楽しんでいた。


テラス席のテーブルには、熱々の鉄板に乗ったアイアンボアのハンバーグ。

付け合わせは、この車内のプランターで育てた新鮮なハーブサラダと、ポテトのロースト。

そして、キリッと冷えたエール。


「いただきます」


カイルはナイフを入れた。

抵抗なく切れる柔らかさに、彼の目が丸くなる。

肉汁をたっぷりと纏った一切れを口に運ぶ。


「……っ!」


彼は言葉を失ったようだ。

咀嚼するたびに、恍惚の表情が深まっていく。

野性味あふれるアイアンボアの肉が、スパイスとソースの魔法によって、極上の料理へと昇華されている。


「どうですか?」

「美味い……。今まで食ったどんな肉よりも、美味い」


彼はしみじみと呟き、エールを煽った。

喉を鳴らして飲み干し、プハッと息を吐く。


「俺は、戦場以外に居場所がないと思っていた。竜を殺すしか能がない、殺戮機械だと」


カイルは遠い目をして語り出した。

「だが、ここには温かい飯がある。柔らかい寝床がある。そして、風呂がある」


彼は真剣な眼差しで私を見た。

その瞳に、恋愛感情のような甘さはない。

あるのは、もっと切実な、生存本能に基づいた渇望だ。


「エリカ殿。俺はずっとここに居たい」

「……はい?」

「俺の剣も、魔力も、命も、全部あんたにやる。だから頼む。俺をこの車の住人として置いてくれ」


それは、実質的な生涯契約(奴隷宣言に近い)の申し出だった。

私はフォークを止めて考えた。

彼は帝国最強の戦力だ。

今日のように魔獣を狩ってくれるし、魔力タンクとしても優秀。

何より、私の料理をこれほど美味しそうに食べてくれる。


損得勘定で言えば、圧倒的に「得」だ。

私の平穏な旅を守るためのボディガードとして、これ以上の人材はいない。


「いいでしょう。ただし、雇用契約書はきっちり巻かせていただきますよ」

「ああ、望むところだ」


カイルは嬉しそうにハンバーグの最後の一切れを頬張った。

彼の背後に見えない尻尾が振られているような幻覚が見える。


私はグラスに残ったエールを飲み干した。

王都の方角から、微かに嫌な予感がする。

おそらく、通信を無視された彼らが、次の手を打ってくるだろう。

だが、今の私には最強の盾がいる。


「さて、明日は国境越えですね」


「任せておけ。どんな敵が来ようと、この快適な生活は俺が守る」


カイルの言葉は頼もしかった。

食後のコーヒーを飲みながら、私は夜風に吹かれる。

追手が来るなら来ればいい。

この『スイートホーム号』の性能と、満腹の竜騎士相手に、どこまでやれるか見物だ。



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