第2話 竜騎士と快適な車中泊
計算が狂ったかもしれない。
想定よりも遥かに重かった。
拾った男の身体のことだ。
なんとかリビングの床まで引きずり込み、私は肩で息をした。
魔力による身体強化を使っても、鍛え抜かれた騎士の質量は侮れない。
床の絨毯は防汚加工済みだが、泥と血に塗れた鎧が触れるのは精神衛生上よろしくない。
「まずは、剥ぐか」
私は合理的判断を下した。
変な趣味はない。
ただ、この快適な空間に泥を持ち込まれるのが我慢ならないだけだ。
気を失っている男のベルトに手をかける。
手慣れた手つきでバックルを外し、重たい鎧のパーツを一つずつ取り外していく。
かつて魔道具の研究のために騎士団の装備を分解した経験が役に立った。
鎧の下から現れたのは、引き締まった筋肉の鎧だった。
無駄な贅肉が一切ない。
数えきれないほどの古傷が、彼の歴戦を物語っている。
「これが帝国の竜騎士様……」
確かに、顔だけ見れば絶世の美形だ。
今は泥で薄汚れているけれど、磨けば光る原石であることは間違いない。
私は剥ぎ取った装備一式を玄関ホールの収納ボックスへ放り込んだ。
そこには自動洗浄機能が付いている。
明日の朝にはピカピカになっているはずだ。
男をソファへ転がすと、私はキッチンへ向かった.
さて、餌付けの時間だ。
彼が起きる前に、胃袋を掴む準備をしておかなければ。
冷蔵庫から残り物の野菜とベーコンを取り出す。
魔導コンロのスイッチを入れると、青白い炎が静かに灯った。
鍋に水を張り、刻んだ具材を放り込む。
コンソメベースのシンプルなスープだが、隠し味に香草を少し。
コトコトという心地よい音が、静かな車内に響く。
換気扇が回る音さえも愛おしい。
これが私の求めていた生活だ。
誰にも邪魔されず、自分のペースで料理をする。
王城の厨房は広かったけれど、常に誰かの監視の目があったから。
パン焼き器も稼働させる。
小麦の焼ける香ばしい匂いが漂い始めた頃、ソファの方で気配が動いた。
「……ん」
低い唸り声。
私はお玉を持ったまま振り返る。
男が上体を起こし、鼻をヒクつかせている。
「いい匂いだ……」
開口一番がそれか。
やはり、ただの腹ペコらしい。
「お目覚めですか、騎士様」
私が声をかけると、彼はビクリと肩を震わせてこちらを見た。
金色の瞳が、まだ焦点を結んでいない。
警戒心よりも食欲が勝っている顔だ。
「ここは……天国か?」
「いいえ、私の家です。そして貴方は私の家の前で寝ていた不審者です」
私はスープを皿に注ぎながら答えた。
彼は呆然と周囲を見回している。
無理もない。
この内装は、この世界の常識からかけ離れている。
壁に埋め込まれたダウンライト。
継ぎ目のないシステムキッチン。
そして何より、一定に保たれた室温。
「温かい……」
「空調完備ですから。外は寒かったでしょう」
私は湯気の立つスープ皿と、焼きたてのパンをトレイに乗せて彼の前へ置いた。
彼の喉がゴクリと鳴る。
「食べていいのか?」
「どうぞ。ただし、タダではありませんよ」
その言葉の意味を理解する前に、彼はスプーンを掴んでいた。
一口、スープを啜る。
その瞬間、彼の瞳が大きく見開かれた。
「うまい……!」
彼は猛然と食べ始めた。
スプーンなどまどろっこしいと言わんばかりの勢いだ。
パンをスープに浸し、大きな口で頬張る。
咀嚼するたびに、幸せそうな吐息が漏れる。
見ていて気持ちのいい食べっぷりだ。
作り手として、悪い気はしない。
私は向かいの椅子に座り、コーヒーを飲みながら彼を観察した。
カイル・ドラグニル。
帝国最強の騎士にして、竜殺しの英雄。
噂では冷徹な戦闘狂と聞いていたけれど、目の前の彼はまるで餌をもらった大型犬だ。
「おかわり」
空になった皿を差し出される。
私は無言で鍋から注ぎ足した。
結局、彼は鍋いっぱいのスープとパン三斤を平らげた。
「生き返った……」
彼は深く息を吐き、ソファの背もたれに体を預けた。
満腹になり、ようやく理性が戻ってきたようだ。
彼は改めて私を見て、居住まいを正した。
「礼を言う。俺はカイル。……しがない傭兵だ」
「嘘ですね」
「っ!?」
「帝国の竜騎士団長様が、こんな場所で傭兵ごっこですか?」
私が指摘すると、彼はバツが悪そうに視線を逸らした。
分かりやすい人だ。
「……部下とはぐれてな。食糧も尽きて、三日ほど森を彷徨っていた」
「最強の騎士様が、迷子で餓死寸前とは」
「戦闘以外は、その……苦手なんだ」
カイルは耳まで赤くして俯いた。
どうやら噂の「冷徹」というのは、単にコミュ障で不器用なだけだったらしい。
これは扱いやすそうだ。
「まあ、事情は詮索しません。私も訳ありですし」
「あんたは……何者なんだ? この奇妙な部屋、見たこともない道具。それに、この美味い飯」
「私はエリカ。ただの旅人です」
元公爵令嬢という肩書きは、あの城に置いてきた。
今の私は、この『スイートホーム号』のオーナーでしかない。
「さて、カイル様。お腹が満たされたなら、次は汚れを落としていただきましょうか」
「汚れ?」
彼は自分の体を見下ろした。
泥と乾いた血がこびりつき、正直に言って臭う。
私の聖域であるこの車内に、異臭は許されない。
「あちらの扉の奥が浴室です。お湯は溜めてありますから」
「浴室? こんな狭い箱の中に湯あみ場があるのか?」
「箱とは失礼な。ここは最新鋭の住宅ですよ」
私は彼を浴室へと案内した。
ドアを開けた瞬間、白い湯気が溢れ出す。
ヒノキの香りを再現した入浴剤の匂いが、ふわりと漂った。
カイルは絶句していた。
彼の常識では、風呂といえば木桶にお湯を運んでくるものだろう。
だが、ここは違う。
タイル張りの床。
白磁のようなバスタブには、なみなみと湯が張られている。
そして壁には、銀色に輝くシャワーヘッド。
「使い方は簡単です。このレバーを捻るとお湯が出ます。赤い印が熱いお湯、青い印が水です」
実演して見せると、彼はシャワーから降り注ぐ湯に目を丸くした。
まるで魔法を見る子供のような顔だ。
いや、実際これは魔道具なのだが。
「服はそこへ入れてください。洗濯しておきますから」
「あ、ああ……かたじけない」
彼を浴室に押し込み、ドアを閉める。
しばらくすると、中から「うわっ」「おおっ」という驚きの声と、水音が聞こえてきた。
初めてのシャワーに悪戦苦闘しているらしい。
少し微笑ましくなりながら、私はキッチンを片付けた。
三十分後。
浴室から出てきたカイルは、別人のようになっていた。
銀髪は艶やかに濡れ、肌は血色よく輝いている。
私が貸した大きめのスウェット(元は父へのプレゼント用に作った試作品だ)を着ている姿は、どこかあどけなささえ感じさせた。
「……凄かった」
彼は夢見心地で呟いた。
「湯が、雨のように降ってくるんだ。それに、あの湯船。いつまでも温かいままで……」
「追い焚き機能付きですから」
「オイダキ……? 未知の古代魔法か」
彼は感動のあまり、震えているようだった。
過酷な戦場暮らしが長い彼にとって、温かい風呂と食事は最高の贅沢だったに違いない。
そして、その価値を理解できる人間こそ、私が必要とする「顧客」だ。
彼は私の前に立つと、真剣な表情で頭を下げた。
「エリカ殿。この恩、どう返せばいい?」
「あら、お気づかいなく。きちんと請求させていただきますから」
私はニッコリと笑って、あらかじめ用意しておいたメモを取り出した。
そこには、食事代、入浴料、宿泊費、そして衣服のクリーニング代が細かく記載されている。
もちろん、相場より少々(かなり)割高な「特別料金」だ。
「お支払いは魔力でお願いします。貴方、魔力量は多いですよね?」
「魔力? ああ、それならいくらでも……」
「結構。では、この魔石に満タンになるまで込めてください。それが宿代です」
私は空の魔石を彼に手渡した。
彼は拍子抜けした顔をした。
「それだけでいいのか? 金貨や宝石ではなく?」
「この車を動かすには、大量の魔力が必要なんです。貴方のような高出力の魔力持ちは、喉から手が出るほど欲しい人材なんですよ」
これは事実だ。
私の魔力だけでも稼働は可能だが、長距離移動や結界機能をフルに使うと疲弊してしまう。
外部バッテリーとしての彼は、非常に魅力的だった。
「分かった。俺の魔力でいいなら、幾らでも使ってくれ」
「契約成立ですね」
彼は素直に魔石を握りしめ、魔力を込め始めた。
一瞬で魔石が強く発光する。
さすがは竜騎士。
規格外の出力だ。
これ一つで、一週間はエアコンを使い放題にできる。
「ふあ……」
安心したのか、カイルが大きな欠伸をした。
満腹で、風呂に入って温まり、魔力を使って適度に疲労した。
眠くなるのは当然の生理現象だ。
「今日はもうお休みください。ソファがベッドになりますから」
「すまない……恩に切る……」
彼はソファに倒れ込むように横になった。
その瞬間、ふかふかのクッションに包まれ、幸せそうな寝息を立て始める。
警戒心の欠片もない。
よほど、ここの環境が気に入ったのだろう。
私は照明をナイトモードに切り替えた。
薄暗い車内に、静かな時間が流れる。
窓の外は漆黒の闇だ。
一方その頃、私が捨ててきた王都では、きっと大騒ぎになっているはずだ。
◇
「結界が……消えただと!?」
王城の作戦会議室。
アルフレッド王子の悲鳴に近い声が響き渡っていた。
窓の外には、不気味に蠢く森の影が迫っている。
これまで王都を守っていた薄紫色のドームは、跡形もなく消え去っていた。
「どういうことだ! 遺跡の装置は正常なのではないか!」
「それが……」
報告に来た魔導師団長が、青ざめた顔で震えている。
「地下遺跡を確認しましたが、あれはただの石碑でした。魔力を供給する回路が、どこにも繋がっていないのです」
「なんだと!?」
「調査の結果、結界を維持していた魔力回路は、すべてエリカ様のお部屋……のあった場所を経由して、外部へと流れていたことが判明しました」
アルフレッドは言葉を失った。
隣で怯えている聖女リリアが、震える声で口を挟む。
「じゃ、じゃあ、あの意地悪な女が結界を消したの? ひどい! 国民を危険に晒すなんて!」
「そうだ! エリカの仕業だ! あいつ、最初からこの国を脅すつもりで……!」
ドンッ!
机を叩く音が響く。
部屋の隅で静かに状況を聞いていた宰相が、苦虫を噛み潰したような顔で立ち上がっていた。
「殿下。エリカ嬢を追放したのは貴方です。彼女は私財を投じてあのシステムを維持していた。その所有権者が去れば、機能が停止するのは道理でしょう」
「な、なんだと宰相! 余を責めるのか!」
「責めている暇があれば、騎士団を総動員なさいませ。今夜は眠れぬ夜になりますぞ」
宰相は冷ややかに言い放ち、部屋を出て行った。
残されたアルフレッドとリリアの耳に、遠くから魔獣の遠吠えが聞こえてくる。
それは、彼らが初めて知る「守られていない夜」の始まりだった。
◇
そんな王都の喧騒など、知る由もない。
私は快適な室温に保たれた車内で、ブランケットを肩に掛けた。
「おやすみなさい、カイル様」
寝言で「ハンバーグ……」と呟いている新しい同居人に声をかけ、私は運転席のリクライニングを倒した。
天井のサンルーフ越しに、満天の星が見える。
結界越しではない、生の星空だ。
(ざまあみろ、なんて言わないわ)
ただ、私は私が選んだ快適さを享受するだけ。
彼らがどうなろうと、もう私の知ったことではない。
心地よい振動と共に、私の意識は深い眠りへと落ちていった。
明日もまた、良い旅になりそうだ。




